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夜会の賑やかな空気はあまり好きではないが、こういった空間に紛れ込んで標的を狙う時間は嫌いではない。
今夜の標的は隣国の王子だ。王女の見合い相手で、どうやら王女に気があるらしい。彼の身辺を調査して欲しいというのが国王からの任務だ。そのついでに、彼の側近の一人がどうも我が国の不利益になる活動をしようとしているらしい。そちらは問題があれば速やかに始末して構わないそうだ。
カーティスは下ろし立ての礼服の袖に仕込んだ武器を確認し、胸を高鳴らせる。
これだ。この感覚が堪らない。標的を待ち伏せる高揚感。標的の命さえカーティスの意思で左右できる優越感。
前世から何一つ変わらない。暗殺はカーティスの天職だ。
殺しに躊躇いはない。殺す行為自体にもさほど興味はない。肝心なのは過程だ。恋人との逢瀬にも似た感覚が、カーティスを楽しませる。
報酬や報償にもあまり興味がない。金は貰えればまあ嬉しいが、さほど使い道があるわけでもない。
知らないことを調査し、知っていく過程も好きだ。好奇心は旺盛な方だろう。特に盗聴の類いは得意分野ではある。職業柄身についた技能ではあるが、前世ではもっと違うことに使っていたような気がする。
そんなことを考えながら、標的の位置を確認する。
すらりと背が高く、全体的に線が細い印象。艶やかな黒髪に赤に近い瞳。造形は整っている。それどころか華やかな雰囲気だ。
オーディン・ブライト。年齢はカーティスより一つ下の二七歳。噂によると数年前から王女を慕い続け、何度も求婚を繰り返してきたようだ。が、王女には全く相手にされていない。国王としては彼に問題がなければさっさと婚約を決めてしまいたいようだ。
カーティスはじっとオーディンを見る。酒の入ったグラスを持っているだけでも絵になる華やかな男だ。かなり印象に残りやすい顔だろう。王女の好みではない。王女はどうも、地味な顔の方が好みらしい。
それにしても見合いを嫌がっていたあの愛らしい王女の前に無理矢理相手を連れてくるなんて国王も相当焦っているのだろう。
そう、考えたところで、王女の入場だ。会場の空気ががらりと変わる。
相変わらず愛らしい王女だ。彼女の周りはいつだって光り輝いて見える。本当に愛らしいのに、背伸びをしたような青い落ち着いたデザインのドレスは惜しい。しかし、彼女のいじらしさを強調しているようにも思える。
食い入るように王女を見てしまってから、慌てて標的に視線を戻す。
どうも、あの王女はよくない。カーティスの奥底の何かに触れてしまう。
それは現在の職業に至るようになったきっかけ、前世から引き継いでしまった知識が原因のように思える。
どうも王女は、夢の中で逃げ回っていた、カーティスの前世が愛した女性と纏う空気が似ているのだ。一体彼女がなにから逃げていたのかは知らないが、彼女を守りたいと思った気持ちに偽りはない。
オーディン・ブライトの手が王女の手をとる。近すぎる。王女がわずかに拒絶を見せるが、社交の場で、ましてや他国の王族相手にそこまで強い拒絶を見せられるはずもない。オーディン・ブライトはぐいぐいと王女に迫っている。
そこでカーティスの中の何かが切れたように思えた。
最早勝手に体が動いてしまう。理性が必死にそれを止めようとしたがむなしい努力だった。
「失礼。次は僕と踊って頂けませんか?」
オーディン・ブライトと王女の間に割って入る。
「カーティス……勿論よ!」
王女の目が輝き、いつもより四度は高い声を上げる。そこでしまったと思うが、既に遅かった。
「なんだい、君は」
オーディン・ブライトは不機嫌そうにカーティスを見る。眉間に深く皺を刻んだところで、美形はやはり美形らしい。
「私はカーティス・メランコリーと申します」
万が一誰かに顔を覚えられてしまった時のために、無駄な抵抗だとは知りつつも身分だけは伏せておく。
「私は、スパイシー王女との婚約のために足を運んだのだ。見合いの邪魔をしないでくれ」
彼女は私のものだと言わんばかりの気迫でオーディン・ブライトはカーティスを睨む。
王女の標的が彼に移ってくれるのであれば、非常に喜ばしいことだ。もし、そうならなくても、彼女が他国に嫁いでくれればカーティスに実害はなくなる。そう思うのに、どういうわけか、オーディン・ブライトが王女に近づくのが気に入らない。
「正式に婚約も決まっていないのに、あなたに彼女を独占する権利はないでしょう?」
ああ。僕の人生は終わりだ。
カーティスは思う。こんなことをしては、目立たず平凡に暮らすなんて無理だし、王女が余計にカーティスに執着を見せるだろう。強硬手段に出るかもしれない。
「そうね、折角の夜会だもの。楽しまないと」
王女は楽しそうにそう言って、軽くステップを踏むようにオーディンから離れカーティスの手をとる。
「ダンスは得意かしら?」
「実はあまり得意ではなくて……王女に恥ずかしいところを見せてしまわないか心配です」
割り込むつもりなんてなかったのに、らしくもないことをしてしまったと後悔するが、輝く笑みを見せられてはそんなことはどうでも良くなる。
ああ、やっぱりこういう女性は苦手だ。
カーティスがカーティスでなくなってしまうような感覚で、。あまり長く一緒に居ると、彼女に操られてしまうのではないかという不安が込み上げてくる。
「大丈夫よ。私が合わせるわ」
王女が軽くお辞儀をする。
本当に愛らしい人だ。この愛らしさで一体どれだけの人間を狂わせてきたのだろう。危険な女性だ。
「では、失礼」
彼女の手をとる。白く柔らかな肌だ。痩せすぎているわけでも肉付きが良すぎるわけでもない、健康的な感触。
「あなたと踊るのをとても楽しみにしていたのよ」
王女の愛らしい唇がそう紡ぐ。
まるで魔法を掛けられているようだ。鼓動が乱れてしまう。
「ご冗談を。僕はただ、オーディン・ブライトがあなたを困らせているように見えたから、彼と離れる口実を作ろうとしただけですよ」
そもそもカーティスの任務はオーディン・ブライトの監視と調査のはずなのに、王女と引き離してしまっては意味がない。
「あら、彼は名乗っていないのに、彼をご存じなの?」
王女は少し驚きを見せる。
「ええ、まぁ……立場上あなたのお兄様からいろいろと伺うこともありますし……」
王女はカーティスの正体を知らない。そのはずだ。
常に監視はされているものの、任務中にまでその気配を感じたことは……まぁ、社交の場での潜入程度だ。
受け取ってすぐに燃やしている手紙の内容までは見られていないことを祈る。
「最近お兄様があなたに近すぎるから心配よ……」
憂いを含んだ表情を見せられる。
愛らしい外見が余計に儚さを演出しているように思え、視線をそらせなくなってしまう。
「王女……」
「私と会えないからって、お兄様を代替品にするなんて……そんな……」
「誤解です」
やはり王女の妄想が重篤化している。
カーティスは頭を抱えたくなる。怒らせても恐ろしい。しかし、このまま好意を向けられ続けるのもいかがなものだろうか。
好意を向けられ続ければ、立場が危うい。しかし、怒らせてしまえば、命が危ない。特筆すべき追跡と千里眼の能力を使って騎士団を動かされては勝ち目はないだろう。特に追跡の能力は兄以上の精度だと聞く。
だからといってこのまま公衆の面前で彼女の好意を受け止めれば平穏な生活は終わってしまう。
打開策はないものかと必死に考えを巡らせる。
正直王子だけでも手一杯なのが現状だ。彼の勝手な好意で友人という座を与えられてしまっただけでも、目立たず平凡に過ごすというカーティスの目標の妨げになっている。しかし、彼の場合は従者のふりをして誤魔化せばさほど印象には残らないだろう。
しかし、王女となれば話は別だ。彼女の側には護衛がごろごろと居るし、彼女付きのメイド二人は過去に訓練を受けた元諜報員で極めて戦闘能力も高い。カーティスのような記憶に残りにくい相手もなんとか頭にたたき込んでしまっている可能性もある。万が一そう言った類いの人間の口から噂が広まれば碌なことがない。
では、王女の妄想に乗ってしまうのはどうだろう。
彼女の思い込み通りに、秘密の関係としてしまえれば……。
既に彼女が思い込んでいることだ。これ以上の監視が強まるとは思えない。むしろ、妄想を実現化することにより、少しは程度が弱まるかもしれないという期待が湧く。それに、こちらから彼女を利用することもできるかもしれない。
短いダンスが終わるまでの間、穏やかに見える笑みを浮かべながらそこまで思考をまとめ、彼女を抱き寄せる。
「いけませんよ、王女。あまり目立つことをされては困ります」
周囲に聞こえないよう、彼女の耳元で囁く。
「カーティス?」
「あなたとの関係が周囲に気付かれてしまっては、僕はこの国に居られなくなってしまいます」
できるだけ、悲しそうな表情を作れば、彼女は慌てた様子を見せる。
どうやら想像以上に効果があったらしい。
「ど、どうしましょう……私、いけないことをしてしまったの?」
慌てる王女を腕の中に隠すようにしてバルコニーに出る。幸い、他に人は居ないようだ。
「オーディン・ブライトとのやりとりは目立ちすぎてしまったようです。それに、あなたと踊っているところを、他の貴族や陛下に見られてしまいました。これが、彼らの記憶に残っていないといいのですが……」
覚えられることは不都合だと彼女に印象づけたい。
「だ、だったら、私、今夜はできるだけ沢山の人と踊るわ。そうしたら、あなたと踊ったことも、そんなに大きな出来事にはならないでしょう?」
しがみつくように必死に言う様子に驚く、
予想していたより物わかりは良さそうだ。
「しかし、それでは王女、あなたの負担になるのでは?」
「カーティスの為ならなんだってするわ」
抱きつかれたので、そっと髪を撫でてみる。
艶やかな波打つ金髪は、想像通り柔らかく、仄かに花の香りがする。
なぜだろう。カーティスの根底がこの瞬間を待ちわびていたように思える。
危険だ。はやくこの人から離れなくては。そう思うのに、離れたくないと願う何かが内側に共存しているようだ。
「王女……どうか、無理はしないで下さいね」
そう、告げることが精一杯で、きつく抱きしめたい衝動に抗う。
好みじゃない、それも八つも年下の、厄介な身分の女性に惑わされるなんて、カーティス・メランコリーにはあってはいけないことだ。
理性を総動員してなんとか彼女と離れることに成功する。
「今夜は注目されてしまいましたから、これからは今まで以上に慎重に行動しないといけません」
これで少し距離ができると嬉しいが、そんなに甘くはないだろう。
「気をつけるわ。だから、カーティス、せめて、手紙くらいはくれる?」
そうきたか。心の中で舌打ちをする。
手紙となると記名しなくても筆跡で特定される可能性がある。いくらカーティスが複数の人間になりすませるだけ書き分けができるとは言え、証拠が残るようなことは避けたい。
「読んですぐに燃やすと誓っていただけるなら」
危険を冒したくはない。しかし、適度に彼女の欲求を満たしておかなければなにをしでかすかわからない。
「カーティス、見つからないように隠すから、とっておいちゃだめ?」
「だめです。あなたの使用人や、手紙を運ぶ誰かに気付かれてしまうかもしれないでしょう? 王女、これは僕だけではなく、あなたにとっても危険なことなんですよ」
少し、強めに言う。感情が高ぶっているように見せ、彼女の反応を見る。
どうやら信じたようだ。
「ごめんなさい……気をつけるわ」
落ち込んだ様子の彼女の頬に触れ、慰めるような仕草をとる。
仕事柄何度もしてきた行為のはずなのに、どういうわけか、呼吸が乱れてしまう。
ああ、似ているのだ。
夢の中の彼女に。カーティスの前世の記憶が焦がれていた女性に。
操ろうとしていたのは彼女ではない。おそらくは記憶の方だ。
そう確信し、彼女から離れる。
「僕も……辛いのですよ……」
理解してくださいと残し、会場に戻る。
賑やかな空気は王女が消えたことに気付いていない様子で、カーティスが戻ったこと自体気にしていない様子だ。
「カート、スパイシーはどうだ?」
突然声を掛けてきたスウィートに少し驚く。
「問題ありませんよ。彼女に少し協力をお願いしただけです」
「協力?」
スウィートは首を傾げる。こういう仕草をすると、彼は妹に本当によく似ている。いや、妹の方が彼に似ているのだろうか。
「ええ、僕がうっかり割り込んで目立ってしまったので、僕が会場に居る貴族たちの記憶に残らないようにしてくださいと」
「……君は、本当に徹底しているね。そんなに記憶に残りたくないのかい?」
スウィートは呆れた様子を見せる。
「当然です。顔は変えられないのですから。僕の髪は中々頑固で染めるのも難儀なんですよ。以前他国で潜入生活をしていたときは毎朝染めても夜には色が落ちてしまっていましたから……容姿を覚えられると言うことは、僕の仕事では大変不利なんです」
貴族としては勿論覚えられていた方が動きやすいだろうが、所詮爵位は肩書きだけだ。
「一応メランコリー伯爵家は由緒ある家なんだけどね。貧しいわけでもないし。まぁ、子宝に恵まれにくい家でもあるけれど」
スウィートはあまり興味がなさそうに言う。
「貴族としての義務もそれなりに果たしているはずですよ。先月も孤児院に寄付したでしょう?」
それも一般的にはかなり多い額を。
「そうは言ってもカート、君がしているのは書面上のことばかりだ。金さえ払えば義務を果たしたとは言い難いところだよ」
スウィートはグラスを受け取りながら言う。
「婚姻なら却下です。当分はそのつもりはありませんから。大体貴族の婚姻なんてめんどくさいだけでしょう」
大げさに溜息を吐いて見せたのは万が一王女に見られていたとしても、それが演技だと感じさせるためだ。正直なところ、彼女の監視がどのくらいの精度なのかカーティスは把握しきれていない。
「まだなにも言っていないじゃないか」
「見合い話を持ちかけられては面倒ですからね。王族からの紹介だと断りにくいでしょう? 先に断っておきます」
そう言いながら、会場内を見渡す。
オーディン・ブライトを発見した。彼は不機嫌そうに側近たちと話している。
「殿下、あなたの能力であの人たちの会話を聞くことはできませんか?」
「生憎スパイシーと違ってそんな便利な力は持っていないよ。私は追いかけるのと隠れるのが専門だからね」
なるほど。暗殺者向きの能力だ。
どうして我が国の王族は揃ってそんな能力ばかりを持っているのだろうと疑問を抱いたが、考えるだけ無駄なのでカーティスは黙る。
ちらりと王女を見れば、随分とお年を召した紳士と踊っている。あれでは祖父と孫に見えてしまうなどと思いながら、オーディン・ブライトに視線を戻す。
彼は忌々しそうに側近を手で払う仕草をとっている。どうやら話は纏まらないらしい。
「彼、少し不安定のようですね。僕のせいなのか、元々の性格なのか……どちらにしろ、陛下にはあまり良い報告はできそうにありませんね」
爽やかそうに見える外見とは裏腹に攻撃的な面が垣間見えると報告すれば、目に入れても痛くないほど娘を溺愛している国王はこの縁談に難色を示すかもしれない。
「オーディンは昔からスパイシーに気があるみたいだから、君の登場は好ましくないと思っているだろうね」
スウィートはどこか楽しそうに、葡萄酒を飲み干す。
「スパイシー、王女は外見と名前が一致しないと思っていましたが、いろいろ刺激的な女性ですよね」
「今更かい?」
「あの恐ろしい行動力には驚かされました」
思い出しただけでもひやひやする。城壁にヤモリの如く張り付く王女の姿。現実逃避もしたくなる。
「彼女が平民であれば惹かれていたかもしれない、とは思うときがあります」
「珍しいな。カートがそんなことを言うなんて」
「小動物的な愛らしさを持った方だと思っただけですよ」
誤魔化すようにそう言って、視線をオーディン・ブライトに戻す。
今夜はとても長い夜になりそうだ。
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