第17話 月夜の地下で


 カピの先代になる英雄マックス伯爵が、領主を務めていたカピバラ家の屋敷は、他の大貴族が所有する、城や宮殿と比べると遥かに小さな規模だった。


 二階建てで、大小あわせて20ほどの部屋がある。大金持ちのちょっとした別荘程度を思い浮かべてもらえばいいだろうか。


 建物の上から見た形は、コの字を横にして少し引き延ばした構造。


 中央に表玄関から繋がる、吹き抜けの大広間のホールと上へのメイン階段がある。


 正面の玄関に、入り口から向かって左側には、先ほど皆で久しぶりの楽しい夕食を取った晩餐室、厨房があり、他に応接間、来客室などの社交スペースが設けられている。


 逆に右側にあるのは、主として使用人たちの部屋で、最も手前に執事の執務室があり、並んで奥に、その他の者達の寝室や休憩室がある。

 ただこのカピバラ家では、この辺はわりと自由で、それぞれの持ち場……厨房や作業小屋、馬屋などでずっとすごし、雑魚寝で済ましてしまうことも多く、自分の部屋として常に利用しているのはメイドのプリンシアぐらいだった。


 そして、この右側通路の奥の行き止まりに、地下へと続く階段への扉があった。

 こちら側の通路は、客人をもてなす施設の集まった左の廊下より、少し質素でシンプルなデザインが用いられていて、比較的に物静かな印象。


 今夜は、窓から差す月明かりがランプを必要としない。

 今日の月は満月のようだ。



 カピは、執事ルシフィスの後ろに続き、その地下への入り口前へやって来た。


 彼は、執事の包帯の巻かれた両手を目にして、傷は大丈夫かと再び声をかけてみようかと思ったりもしたが、怪我を負った後のルシフィスに対するカピバラ家のみんなの受け止め、態度から、一流の冒険者たるものは、という空気感を察していて言葉にはしなかった。


 (心配してるのは本当なんだけど、いちいち口にするのも……なんだか嘘っぽい感じもする……上手く言えないけれど……相手のプライドの尊重というか……過保護すぎるママのような鬱陶しいことはしたくないというか、きっと、彼らの常識では、大げさな気の回しすぎってことになる……)


 「うん、ルシフィスに対してはこれでいい」


 そう小さく自分に言って、カピは前を向いた。



 共に降りて行く予定の、プリンシアとマイスターのロックはもう先に来ていた。


 ストライカーという、拳を使った格闘に特化した戦士であるプリンシアは、例の赤いグローブをはめ、戦闘準備万端。

 主人の顔を見ると、「まかせておくれ!」とばかりに、グィと親指を上げて笑顔を見せる。


 職人親父のロックは、短い双眼鏡のような形をした、特殊な眼鏡をつけていて、左手に明るい松明を持っていた。


 「我が家の地下室から箱を取ってくるだけなのに、こうやって、わざわざみんなに集まってもらって……なんだか少し笑っちゃうね……これ、大げさかな」


 そう照れた笑顔で言ったが、内心では。


 (でも……実際に、夜の洋館とか学校って……めっちゃ怖いし…………みんな付いて来てくれることになって、よかったぁ)


 執事ルシフィスが頭を下げながら説明する。


 「わたくしが一人行って、持って来てもよいのですが……もし、その黒い箱という物が、御家の重要な家宝とならば、先に、執事ごときが手を触れることは大それた真似、大変失礼になりますので」


 いつも目を真っすぐ見つめる執事が、気のせいか少しそらして。


 「カピ様をお連れするとなると、我が家とはいえ、それはやはり……カピバラ家の地下の宝物庫。万、万が一を考えまして……」


 「別に、明日にしても良かったけど……まあ、地下だったら、昼も夜も一緒だね」


 カピはちょっと気まずくなった。


 (急に言い出しちゃったから、無理やり気まぐれな主人に付き合わせるような事になっちゃったなぁ……今さら、暗くて怖いから今日はやめておこうとは、言えない……)



 ゴーン、ゴーン。



 ロックが扉の前に近づき、鍵穴を照らすように松明を寄せながら言った。


 「……やるべきことは今。坊ちゃん、後回しってのは良くないぞ、俺は気になって眠れんわいっ」


 プリンシアが、鍵束を取り出し扉のカギを開けていく。

 一つ、二つ……三つ…………少し、多くはないか? 家の中のドアに付けるには……。


 鉄の扉を押し開ける、ズズズズッ……。

 ひんやりした空気が上がってくる。


 ロックが持つ松明の揺れる炎のせいだろうか、皆の顔が不安げに見えた。


 ゴン、ゴン、ゴーン。

 何処からか……かすかな音。



 「では参りましょう。……ライト!」


 執事がそう言うと、頭の少し上の高さに、青白い火の玉が浮かび現れ、廻りを照らす。

 『ライト』魔法、明かりを灯す初歩的な光魔法を唱えたのだ。


 「おお~」


 と、魔法っぽい魔法の初体験にカピは感嘆した。


 煌々とした明かりではないが、足元を照らすには十分な光が生み出された。


 執事はコクリとうなずき、カピに合図して先頭に立つ。すぐ後ろにカピ、その後ろをプリンシア、しんがりをロックが務める。

 一行は階段を降り始めた。

 ロックは降りながら、壁に刺さった松明にも火を移していく。


 階段の踊り場を過ぎ、地下一階に降りると、室温が数度低くなり、濡れた紙のような湿った匂いがする。

 そこは、規則的な石版に覆われた通路で、二股に分かれていた。


 (思った以上に広い。地下室なんて程度のもんじゃ全然ないな…………)


 右手の通路は、ある程度人の出入りがあるのか、道は掃除されている。

 執事の生み出した魔法の光球に照らされて、その道の奥止まりが薄っすらと見えた。


 たくさんの鋲が打たれた、見た目に頑丈そうな分厚い金属扉だ。


 ゴーン。ゴーン。



 不意に、カピが肩をすくめた。


 (こっ怖い…………、……なんだ……)


 鈍い光を反射する、錆びて古い金属の扉に背を向けた、執事が言う。


 「こちらは……違います。左の道へ」


 ゴン、ゴン、ゴーン。ガガガガ……。


 カピの耳にも、何かの音がはっきり聞こえた。

 金属がぶつかる様な、地響きの様な空気を震わせる音。


 「大丈夫かい? お坊ちゃま……」


 カピの様子に気が付き、後ろのプリンシアがカピの背中に小さな手を当てる。

 そういう彼女の顔も、恐ろしいのか、とても不安げだった。


 「……発電機の音が……こもって、響いているんじゃな」


 ロックが、カピの「何か聞こえない?」って問いかける不安な眼差しに応えた。


 「べ、べつに……暗いとことか、狭い場所がダメとか……恐怖症持ちのはずは、ないんだけど……ね……」


 カピは話しながら笑顔を見せるが、震える声と、例えようもなく冷え込む気分が心から抜けない。


 ルシフィスも心配して、近づいて来て言う。


 「この扉の奥は、今は使わなくなった何もない宝物庫や武器庫で、何も…………見るべきものはありません。目的の場所は、こちらの先になるのですが……進みますか? カピ様」


 「……」


 青白い顔をしながらも、「うん」と頷こうとしたカピ。


 ガン、ガン、ガン、ガン。


 決してそれは大きな音ではない。

 言うなれば、周りが静かなゆえ強調される……いっこうに眠りにつけない深夜の寝室でカチカチ時を刻む秒針の音。


 ガン、ガン、ゴーン、ガン、ガン……。


 だが、カピの耳には大音響に鳴り響く!


 彼の魂が、震える恐怖。


 とてつもなく恐ろしいんだ! と、彼の魂が泣き叫ぶ。


 両耳を塞ぐように手を当てると、大きく見開き小刻みに揺れる瞳で空を見つめ、力無くその場にしゃがみ込む。そして、ガタガタと高熱にうなされる患者みたいに震えた。


 慌てたプリンシアが、カピの頭を胸に抱きしめる。

 震えは止められない。


 「お坊ちゃま!」


 てんかん発作の様にも見える、彼の異変に、口元を確かめた。

 きつく結ばれているが、舌は大丈夫。呼吸の確保は出来ている。


 しばらく優しく抱きしめていると、最初の酷い震えは次第におさまり、今は彼女の胸で泣いている。

 両目をカッと見開いたまま……。何も映らない空ろな瞳。涙だけがあふれている。


 執事は直ちに決断する。探索を中断し、医者を呼ぶことを。


 「プリンシアさん、そのままカピ様を寝室に。わたくしは医者を、後はロックさんお願いします」


 そう言い終えるか終えぬまま、上へ駆け出そうと……。



 「待て……ルシフィス……」


 思わず目を剥き、振り返る執事。


 「行く必要は……ない……よ……。もう……治まった」


 いつの間にか、すっくと立ちあがり……先ほどまでの尋常ならざる様子が嘘のように、いたって平静なカピが喋っている。


 傍らで主人を見上げるプリンシアは、戸惑い座ったままだ。


 「大丈夫。ちょっと思い出しただけ。昔のことを……。そう、…………幼い時の、怖い夜を」


 まっすぐ前を見据え話す彼に、さっきまでの精気を失っていた瞳はどこにも無く。

 逆にらんらんと燃え、強い意志さえも感じられる。


 だがそれでも、あまりに異常だった主人の姿が、まだ脳裏から離れぬ執事は言う。


 「いえ、カピ様、そうは参りません。あの御様子、普通の怖がり方などとは到底思えません。おそらく何か……先日、倒れられた時の後遺症が考えられます! 今夜はここで引き返し、もう一度、医者に診てもらいましょう」


 プリンシアとロックも、この執事の意見に賛成だった。



 カピは、みんなの目を、一人ずつ真っ直ぐ見据え……一度だけ言った。


 「大丈夫、これは経験ある発作だ、理由は分かった。先へ進む。ルシフィス」


 リーダーの下した最終決断に、誰も異を唱えることは無かった。


 カピの中で何かが変わった。


 地下の闇、揺らめく光体、鈍い鋼、響く音。

 彼の脳内で、失われていたピースが……一つ嵌まった。



 もう彼に、あの音は聞こえない。

 聞こえるのは、ただ松明の炎が時折はぜる音だけ。

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