第4話 初夜
青年カピが、ベッドで上半身の姿勢を正した拍子に何かが落ちた。
ふかふかの敷布の上に転がっていたのは、大学ノートの切れ端のような、折りたたまれた紙切れだった。
「? こんなもの、どこにあったのだろ。まったく気づかなかったな……」
彼の着ていた、肌触りの良い寝間着には胸ポケットが付いている。
指で広げ、ポケットの中を覗き込みながら。
「ここにでも、入ってたのかな?」
中はもう空っぽ、何も入っていない。
カピは、紙切れをそっと手に取ると、ゆっくり開いてみる。
「何か……書いてある……」
『
どうしても 困ったことに なったなら
黒い箱を 開けてくださ …………
君に 最大級の 幸あれ!
from …………
』
最後まで、読み切らないうちに……なんと! その紙が彼の手の上で、水色の光のエフェクトをまといながら、スゥーっと透明になっていき、やがて跡形もなく消え去った。
両手をあたふたと振りながら、何もない空を掴むが、当然ながら手遅れで意味がない。
「うぉ~! しまったぁ!」
本を読むことは苦手ではない彼だったが、戸惑いを抱きつつ読み出した為に、余計な思考が入り込み、いつも以上に文章を理解するまで時間がかかってしまった。
頭の方から、言葉の意味をかみしめながら、のんびり読み進めてしまっていたのだ。
「え~、メッセージスピード最速設定ですか!?」
ーーその時の心の内の状態を再現してみよう。
紙を開き、文字に目が行った瞬間、カピはまずこう思った。
(あっ、日本語だ)
続けて、色々な思いが頭に浮かぶ。
(ほんと……なんだろう? このメモ。自分のモノ? う~ん、自分の字では……ないな…………何々、困ったことになったら? フッ……今まさにそうだよ! それで……黒い箱か…………)
そして、紙が消えた。
「ふ、不覚! もしかして、最も重要なとこ、誰からのメッセージかというところを完全に見逃した~!」
カピは頑張って直前の記憶を呼び覚ます。
だが、差出人の名前は一文字たりとも浮かばない。
書かれていた文章は、彼の幸運を祈るという好意的なメッセージだった。つまりは文面通り素直に受け取るなら、仲間もしくは協力者からの手紙だったと考えられる。
あともう一つ、あの不思議な消え方。
「あれは、手品や科学的なトリックではないよなぁ……間違いなく魔法!」
執事ルシフィスの話から、魔法が存在するかもしれないことは予想していたが、彼は今それを目の当たりにしたのだ。
カピはベッドから立ち上がると、窓の方へ進む。目覚め直後と違って、もう何のもたつきもなく体は自然に動いた。
(元の世界へ戻る方法を見つけるにも、当然、この世界をもっと知らないといけない)
カピの背丈ほどの大きな窓、向こうに広がるパノラマの夜景が目に飛び込み、背中からゾクゾクっとした。
言い尽くされた表現だが、美しい大自然の光景だ。空を見れば月が一つ、わずかに満月ではないが、かなり明るい。
「星が奇麗だ!」
あいにく、彼には星座の知識は全くなかったので、以前の世界と同じなのかは分かりようがなかった。
地上に目を移せば、遠くでほのかな光が見える、灯火だろうか。耳をすませば、何かの虫か、動物か? 鳴き声がいくつか聞こえる。
部屋の中の、古い本のような匂いも嫌ではなかったが、顔に当たる優しい風と、外からの澄んだ空気は気持ちをリフレッシュさせる。
この屋敷の寝室での数時間の経験とエルフの存在だけで、この世界が異世界なのだと断定せずに、もっと確実な証拠を求め、早々に外へ探索に赴くという道もある。
しかし、その考えはカピには浮かばなかった。
なぜなら、彼のプレースタイルが慎重派だったから。何の装備も持たず、スタート地点もろくに調査せず、やみくもに外に飛び出していくという行動は選択肢になかった。
壮大な大自然が織りなす舞台の圧倒的なビジュアルにあてられたのか、不安には包まれつつも、ワクワクとする高まりをカピは感じていた。
くるりと踵を返し、執事の出て行ったドアを見ながらつぶやく。
「さてと、一つ問題が……」
窓の横枠に少し腰でもたれ、腕を組み考えてみる。
(自分がこの世界の住人ではなく、名前を忘れた異世界の人間である……らしいことを話すべきか?)
「う~ん、いや、それはまずい……というか……ややこしいことに、なっちゃうからな」
幸いにも執事の彼でさえ、カピの人となりを良く知っているという感じではなかった。
「僕がここへ来たのは初めてで、顔見知りもいなさそうだし。……これは、なかなかありがたいナイスな設定じゃあないか?」
気絶後の記憶の不安定な状態、嘘という訳ではなく、現に不確かなのだが……。
この好都合も相まって、どこまで通用するかは分からないけれど、とりあえずは無知な初心者キャラで行ってみようとカピは決めた。
「僕は、新しい環境に戸惑い、物事を良く知らない世間知らずのお坊ちゃん」
実際に何も知らないし、戸惑ってもいる、お坊ちゃんという点を除けば演技でもない。
「まかりなりにも、僕はここの主人らしいのだから。まさか、根掘り葉掘りと質問攻めにあうこともないだろう。……いける、なんとかなるぞ!」
明日からの、すべきことが徐々にまとまり、カピは今、彼が置かれている状況の良い面にも目が向いた。
寝泊まりするに十分すぎる拠点に恵まれ、しかも最初から仲間がいるということ。
(考えてみれば、もしも、どこかのジャングルにでも一人ぼっちで転生していたら、どうなっていた? 一日と持たずに、猛獣か魔物に殺されてゲームオーバーかも)
野生動物のドキュメンタリーの、血が映るワンシーンが思い浮かび、ゾッとする。
(その上、信頼できる……いや、普通に頭数を揃えるための仲間でさえ見つけるのなんて、現実ではそうとう大変だぞ……)
MMOのパーティ探し、多人数参加のオンラインゲームでの仲間探しに苦労した思い出が記憶に上り、小さく笑ってしまった。
「まあ、仲間と言っても、このお屋敷の人だし……凄腕の冒険者とは程遠い、普通の人たちだろうな……」
彼の全身を包み込んでいた興奮も次第に収まり、急に眠気が出てきた。
「ふぁぁあ~ そろそろ休もうか……」
あくび交じりにそう言いながら、柔らかなベッドにもぐりこんだ。
「……さっそく朝、屋敷の中や、一緒に住んでいる人たちを執事さんに紹介してもらおう……そうだなぁ……そして……最初にするクエストは…………」
まぶたが重く、閉じていく。
すっかり眠りに落ちるカピ。
どこかで、耳なじみの良い音楽、ジングルが鳴った気がした。
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