第5話 老いた英雄の最期


 ーーラストダンジョン、過ぎ去りし過去。



 老人は立ち止まり、石の柱の陰に潜むものが、のそりと姿を現すのを待った。


 そいつはニタ~と笑いながら、首をカクカクッっと横にひねって喋りだした。


 「おいおい、爺さん。どうしてまたこんな下まで? ピクニックに来るようなところじゃあないぜ~。それとも……誰かがボロ切れと間違えて引きずって持ってきちまったのか?」


 黄土色に鈍く光る固い鱗で全身を覆われた体長は2メートル強、恐ろしい数の尖った歯からよだれが足れ落ちる。くだけた感じの陽気なセリフとは裏腹に、腹に響く低音のだみ声。


 明らかに、夜道で会ってはならない相手だ!


 「ああ、すまんすまん……いつの間にか、魔物除けの呪文が切れとったかのぉ」


 ボケてしまったのだろうか、老人の反応は少し鈍くおかしい。


 「ああ?」


 老人の小ばかにしたような答え、それ以上に怯えの一切見えない態度に、このフロアを仕切る魔族の長、ベルフェゴールはいらだった。



 ここ数十年、誰一人この階まで無事にたどり着いた冒険者はいない。


 「いっちょ前に鎧なんぞしやがって……どこかの死体から剥ぎ取りやがったなぁ、この薄汚い盗人の糞が!」


 悪魔はやや一人呟くように、そう吐き捨てる。

 そして……たまたま迷い込んできた人間だという可能性が極めて大きいが、万が一を考えて、防御強化呪文を唱えた。


 「ん? どうしたんじゃ? 下に降りるのを止めぬのなら……わしは何もせんぞぃ」


 高魔族種は押しなべて、この手の勘違いした人間の舐めた反応が大嫌いだ。


 ベルフェゴールはこめかみを引きつかせながら圧を込めて言う。


 「黙れじじぃ! 先の無い老いぼれなど、捨て置くつもりだったが……気が変わった。ここで八つ裂きにして殺す」


 ミツマタの槍を構える、赤黒く光り魔力が満ちている。

 悪魔は攻撃強化呪文を唱えた……なぜなら、普通ならば先ほどの言葉、威圧のスキルでマヒするはずの人間が……歩みを止めずに近づいてくるからだ!


 「そうかい」


 老人は言う。……老人、確かに彼は年老いた人間だが、その雄姿を語るに、この言葉だけでは真の姿を描き表すことは到底できない。


 一歩一歩、歩むうちに……彼の全身を魔力とオーラの淡い光が包む。


 一回りサイズの大きい蒼いプレート鎧を身に着け、凛として立つ姿。

 細身ではあるが、引き締まった体躯によどみない動き、若さあふれんばかりの青年のよう、その様子を見て、誰が齢80にもなる人間だと信じるだろうか?


 さすがに顔には深いしわがいくつも刻まれ、力強い深い声で語る暑い唇は、真っ白な口髭と顎髭に覆われている。

 老人はニヤリと笑い、口角が上がった。


 「じゃあ、仕方ない……剣を抜こうかねぇ」


 ベルフェゴールは彼の言葉を待たず、槍を老人の鎧の胸に突き刺す。鋼鉄プレートなど紙のように突き破り、勢いのまま壁にくし刺しだ!


 悪魔は笑った。


 どうする事もできず、無残にピクつくだけの四体を見て笑った。


 やがて首の飛ばされた体は、バランスを保てず崩れ落ちる。


 ベルフェゴールは、ふと思った。どうもあの体、どこかよく見たことがある体に似てはいないか? でもその考えを深く進めるためには、脳ミソに必要な血が足りなかった。


 地面に転がった頭は、もう考えるのをやめた。


 老人は、剣に付いた血をはねると、また鞘に納めて、ゆっくりダンジョンをさらに下へ下へと進む。




 最下層はもう近い。


 すすり泣く、か細い少女の声。


 「大丈夫、大丈夫じゃよ」


 少し扱いに困ったように老人はそう言って声をかけ、彼女を安心させようとする。

 彼はニッコリ笑顔を見せる。

 半円に閉じられた目は眉に覆われ、目じりのしわに優しさがあふれていた。


 「もう、泣かんでもええぞぃ。お嬢ちゃんには、ちょっとも触れさせんから、ぜんぜんこわくなんてないぞぃ」


 地獄の底の迷宮には全く不釣り合いな、ツインテールに髪を結った幼い娘。

 汚れた顔に涙の跡がくっきり、いっそう止まらない涙があふれてくるのを両手で懸命に拭っている。真っ白な裸足の小さな両足は、歩き回ったためか、痛々しくもすっかり擦り切れて血が滲んでいる。



 ゴォーっという心底に響く音がした。


 どす黒い球体が三つ空中に突如現れ、渦巻いた刹那。竜のごとく筋骨隆々で翼の生えた恐ろしい化け物が現れた。

 悪魔が召喚されたのだ。


 最高位魔族、グレーターデーモンが三体!

 しかも真ん中の個体は角が六つあるハイグレーターだ!


 並みの冒険者なら、奴らの放つ恐怖のオーラに軽く触れただけで即死だろう。


 老戦士は、落ち着き払って大剣を抜いた。

 紋章の刻まれた、伝説剣の両刃が光る。


 「ちと、目つぶっときぃ……」


 そう言って、少女の前にすっくと仁王立ちすると、魔物からの盾になる。


 その動作の流れのままに振るった剣の軌跡を追って、ほとばしる光の波動が横一線。

 凄まじいエネルギーの刃が放たれる。


 前にいたグレーターデーモンの二体は、かろうじてそれを避けるが、少し遅れた右奥の一体の首が消し飛んだ。


 続けざまに、いつの間にか詠唱を終えた魔法の雷撃が落ちる。


 左手に跳んで逃れたデーモンが、身の毛もよだつ苦悶の声を上げ燃え尽きる。



 刮目せよ!

 これが人類最高峰の戦士の実力なのだ。


 ミドルクラスの冒険者パーティならば、一体相手でも勝利する事、叶わぬのがグレーターデーモン。その魔族の最強種をワン・ターン・キルで葬り去ろうかという力。



 生き残ったハイグレーターの顔に、戸惑いの色。

 想定をはるかに凌駕する戦闘力を理解したのか距離を取る。


 「ほぉ、離れたか。……遠距離からの魔法攻撃に切り替えるのかのぉ? お嬢ちゃんの服が焦げちゃあ、こまるぞぃ。さっさとけりぃつけるかな……」


 聖剣が宙に浮き、閃光の矢になって飛ぶ。


 ハイグレーターデーモン、凡庸な剣技では、毛をそる程度も成すことができない悪魔の分厚い胸を、剣は突き抜け大穴を穿つ。


 グサッ!


 剣が肉に突き刺さる嫌な音。




 ……何が起きたのか一瞬分からず、血を吐き出す我をかえりみる老戦士。


 「クックックッ……」


 楽しげに笑う、無邪気な声がこだまする。


 少女の声? 今一度、彼女を見る……おかしい。


 ツインテールの髪型が少しおかしい、良く見れば、前で結んで……まるで、まるで角を思わせる。


 容姿は相変わらず、無垢な少女だが……放たれるオーラが…………。


 「あっあはははっはっ! 可笑しい」


 「……」


 「まあぁ、でもぉ……さすがねぇ、ユニオンのトップクラス戦士は。……三匹も、こ~んな短時間でやっちゃうなんてぇ。危うく、魔剣の仕込みの方が、遅れちゃいそうだったわぁ~」


 老戦士は、刺さった剣を体から抜き、投げ捨てる。


 本来ならば、この程度の剣撃は、すべて弾くはずの勇者プレートをあっさり突き抜けていた。


 「きゃっハハハハハ~アハハ」


 老人は息苦しさで眉をしかめながら、笑い転げる少女を睨む。


 「ぐふっ、……おっ、お前さんは……」


 彼の目の前で、ついさっきまで少女だった姿は、みるみる大人の女性に変わっていく。


 「救世主のおじいさぁん……あんたホント、まぬけで助かったわぁ」


 か細く幼い声から打って変わって、甘い妖艶な女の声で囁きかける。


 服装もいつの間にか、黒色のタイトなドレス、足元はハイヒール。…………夢魔サキュバスか? 


 ひざまずく老人の周りを、ゆっくり魅力的に歩きながら嬉しそうに続ける。


 「この馬鹿な、大まぬけぇ! こんなところに人間の子供がいるわけねぇだろうぉ~!! クククッ、おバカさぁ~ん」


 急激に抜けていく、生命力を感じながらも老人は答える。


 「……まいったのぉ……お嬢ちゃんには……」


 彼の顔は大量の脂汗で青白くなっている、何とか気力を高め、片目をつむり笑顔で続けた。


 「たとえ、99疑わしくとも……1つ可能性があるのなら……、泣いとる子供を見捨てるなんて選択肢、ありゃあせんのよ……。……そ、そいつがヒーローってもんじゃよ……」


 女は、ヒールで老人の顔を踏みつけようかという、蔑みの表情で。


 「はいはいはい! 負け惜しみ、負け惜しみっ」


 長く黒い爪をした人差し指を上げて続ける。


 「そんでぇ、1パーセントの逆転の可能性に賭けるって……かぁ? 無駄無駄、無駄無駄!」


 老人の正面で股を広げしゃがみ、その指を左右に振る。


 「その傷、もう、なおんないからっ、私の秘蔵の一物……最強最悪魔剣ダモクレスで、ぶっさしましたんでぇ……ジ! エンド! だっつうの」


 揺るがない勝利を前にして、最後の凌辱の甘美を味わう女。


 老戦士は、全身を襲う痛みで一瞬目を閉じる。一息吐くと、再び見開き話し出す。


 「わ、わしの負けじゃな……認める」


 女は優雅に立ち上がると、快感に美しく微笑む。


 「だけどなぁ、お嬢ちゃん……これで終わりってのには、賛成できかねんぞ。……人間ってのはなぁ、しぶといんじゃあよ、あんたが思ってるよりずっと…………。必ず出てくる、必ず、わしよりもっとすげーのが出てくる! ……そう、わしの最大の間違い、自分を過信し、本当の意味で仲間を頼れず……ソロで挑んだ愚かさ! こんな間抜けな行為を……おかさぬ……真の……英雄がな」


 「……」


 老人の口から呟かれる微かな言葉を、黙って聞いていた女の声のトーンが変わった。


 「ふふふ、だから、だから人間というのはどうしようもない……救いようもない屑なのだ!」


 女は黒い影に覆われ、輪郭が一回り二回りと巨大になっていく。


 深い地獄の底から響くような、深みある低い声で続ける。


 「相変わらず……お前の言葉を使うなら、相変わらず真に愚かで無知な英雄を、生み出し続ける、最低な犬ころ……それが人間、お前たちの本当の姿だ」


 先ほどの、グレーターデーモンのオーラはただの微風だ!


 このっ……この黒い影の放つ波動、それはすべて焼き尽くす地獄の業火そのもの!


 赤い瞳が、ひざまずく老体を見下ろす。



 最期を悟ったのか、穏やかで優しい眼差しの老英雄。


 「そうかのぉ……わしは……楽しかった……人間でなぁ。…………いつの日か、打ち砕かれるぞ……お前さんのそのすべて…………魔王よ!」


 「!!!」


 魔王デアボロスのとどめ、黒き穿激が、英雄マックス伯爵を消し去った。


 閃光が大迷宮を照らし、光の泡がはじけ飛ぶ。



 世界が一瞬、悲しみに震えた……。

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