第52話 幕間・出撃前夜。誇りの旗

・注


 この話は死闘の終わり、と、包囲戦・一日目の間のエピソードです。


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 フローレンスに戻って2日目。

 ゆっくり休んだので体調はほぼベストになった。

 この後はどういう展開になるか分からないが、気持ちの準備はできた。


 出撃の前に会わなければいけない相手がいる。そう思ってシュミット商会に来た。

 シュミット商会はホールは真っ暗になって静まり返っているが、店主の部屋はまだ明かりがついていた。

 裏口の鍵を開けて暗い中、階段を上って店主の部屋の前に立つ。ドアの下から光がもれていた。

 ドアをノックする。


「はい」


「ディートです。入っていいですか?」


「どうぞ」


 中からアル坊やの声がする。中に入るとアル坊やが机に座って種類の整理をしていた。

 ウォルター爺さんがその後ろにいつも通り付き従っている。

 できれば二人かウォルター爺さんをいれても3人で会いたかったから、これでよかった。


「残業か?」


 ニキータやセリエがいる可能性も有ったけど、いなかった。

 俺たち以外は誰も居ないのでタメ口でよさそうだ。


「ザンギョウってなんです?」


 アル坊やが机に書類を置いて聞き返してくる。

 よく考えればこの世界に労働基準法も残業規定もあるわけはないのか。


「いや、遅くまで仕事してるなって思ってさ。

 俺の世界じゃそういうのをザンギョウっていってたんだよ」


「へえ。そうなんですね。

 今回はいろいろとトラブルになりましたし。

 飛行船の修理の手配と、あと騎士団から今回の積み荷に関する客の情報をだすようにって言われてまして。

 色々やることがあるんですよ」


 アル坊やの顔には少し疲れがにじんでいる。

 机の上の山積みの書類は、俺みたいな現場組からすると見るだけで頭が痛くなる。


 俺達のような乗り手や船員は現場にいて、それはそれで大変ではある。

 一方、アル坊やは待つ側だが、それはそれで楽なもんじゃない。むしろ精神的に大変だと思う。

 なんせ超遠距離の通信手段も、衛星で航路を追跡するようなこともできない。万が一船が沈んだらとか考えればきちんと船が帰還するまでは気が気じゃないだろう。

 待つだけ、見守るだけってのには現場で戦うのとはべつの苦しさがあると思う。


「フェルが、荷物に海賊が紛れてたかもしれないっていってたよ」


「ええ、その可能性はあります。

 初めてのお客さんだったんですが。紹介状とかはきちんとしてたんですけどね。

 油断しました。みんなを危険にさらしてしまって……」


 アル坊やは申し訳なさそうだ。まあでも普通に考えれば気づくのは難しい。

 インターネットで会社の名前を検索かければ素性がわかる世界じゃないのだから。


「そういうこともあるよ、それよりさ」


「なんです?」


「悪いなアル坊や、勝手にこんな約束してきて」


 勢いでイングリッド嬢に安請け合いしてしまったが、震電はシュミット商会の所有だ。

 俺が勝手に受けていい話じゃなかったし、万が一震電が沈められたら商会にとっても大きな損害になってしまう。


「そんなことですか。いいんですよ。

 騎士団の為に戦うっていうのはとても名誉なことですし、商会の宣伝にもなりますから」


「そうか……」


 案外あっさりと許可が下りた。

 まあアル坊やの性格を考えれば拒否とかはしないだろうとは思ってたが。騎士団とともに戦うことが宣伝になるっていうならそれはそれでよかった。

 なんか話題が尽きてしまって微妙な沈黙がおりた。


「なあ、そこの旗、借りて行っていいか?」


 気まずい静寂を払いたくて頼みごとをしてみる。

 壁にはシュミットの紋章を染めた旗がかかっていた。

 横に長い薄緑の布に、長い羽根ペンと開いた本を意匠化した紋章が刺繍されている。飛行船の気嚢にも染められている、見慣れた紋章だ。


「それはいいですけど、なんでです?」


「シュミットの看板を背負って飛ぶってアピールしなきゃな。その証しだ」


「構いませんねけど……そんなこと意味ありますか?」


 アル坊やが壁に飾ってあった旗を外す。


 意味がない、か。そういえば、俺も同じことを言ったことがある。

 まだ駆け出しだったころ、先輩のスペイン人ドライバーに、チームのためだの国のためだののために走るなんて綺麗事で意味がないことだ、まずはプロは自分のために走るもんだろ、ってなことを言ったことがある。

 我ながら今から思うと若かったし、アマチュアでそこそこいい成績を取ってプロ契約にたどり着いて、調子にのっていたな。


「そんなことを言うドライバーと契約するチームは無いぞ、坊や」


 そのスペイン人ドライバーはあきれたような顔でそう言った。


「確かにプロは自分の為に走るって部分はある。否定はしないさ。

 だが、忘れるなよ、チームのオーナーもファンも、チームの為に走るドライバーを望んでいる。

 まずは自分の為に走る、なんてわがままセルフィッシュな奴なんてお呼びじゃない。そんなもんさ」


「じゃあ、国旗とかは何なんですか?関係ないでしょ」


 そのとき、そのレーサーは、今も覚えているが、頭上のスタンドに翻るスペインの旗と自分の出身地方の旗を誇らしげにながめていた。見慣れないデザインでどこの旗かは分からなかったが。


「そんなことを言ってるうちはお前は半人前だぜ、坊や」


 そう笑ってそのドライバーは車の方に歩いて行った。

 そして、そのレースでは苦戦しつつも最後はその旗が振られるメインスタンドを1位で駆け抜け、ウイニングランで国旗をはためかせていた。

 あの時は分からなかったが、俺自身も色々とキャリアを積むと、言いたかったことが次第にわかるようになってきた。


「背負ってるものがあると案外強くなるものらしいぜ」


「そういうもんですか」


 アル坊やはピンとこないようだ。


「ウォルターさんなら分かりますかね?」


 黙って聞いていたウォウターさんに話を振る。


「勿論でございます。ディート殿の言いたいことはわかりますぞ。

 自分以外の何かを背負うこと、その何かの為にと思うことは人を強くします」


 さすがにベテラン。よくわかってる。


「……むろん気負いが力を鈍らせることもありますが」


 まあそういう側面もあるな。力になるか、重荷になるかは自分次第だ。


「私が身命を賭してお仕えするのも、シュミットのため、坊ちゃまのためと思えばこそです。

 坊ちゃまも、シュミットの為に日々仕事をされておられるのではないですか?」


「……そうかもしれないね」


 アル坊やにとってシュミット商会は自分の家業だから、それを背負うというのは当たり前すぎて改めて意識することはないのかもしれない。

 それにまだ若いんだから、家名を背負うとかそんなことを意識する余裕はないのかもな。


「ま、そういいうことさ。借りてっていいか?」


「そういうことなら、どうぞ」


 アル坊やが旗を手渡してくれた。旗越しに手が重なる。

 アル坊やの指が俺の指にからみついてきた。俺の手を握っているのか、クリス嬢の手を握っているのか。


「……必ず帰ってきてください」


 俺に言っているのか、クリス嬢に言っているのか。

 どっちでもあるし、どっちでもないって感じだろう。


 当たり前だが割り切れているわけはない。

 時々アル坊やは俺を見て、はっとしたような顔をする。

 当たり前だ。結婚まで考えた思い人があまりにも突然いなくなってしまって、姿だけは同じ別の人間がいるんだから思い出さない方がおかしい。


 もしクリス嬢が別れを告げて去って行ったなら諦めもつくだろう。死んでしまったなら辛くても割り切れるかもしれない。

 だが、何も言わずに去ってしまって、そして死んでいるかどうかも分からない、というのは想像を絶する辛さだと思う。怒りをぶつける先も、悲しみを持っていく先も、諦めるきっかけもないのだから。

 面影を忘れるほうが幸せなのか。覚えているほうが幸せなのか、それは俺にはわからない。


 ただ、俺にできることは慰めたりすることじゃないと思っている。というよりそんなことは俺にはできるはずもない。

 俺ができることは、アル坊やが俺を要らないというまではこいつの側にいることだ。

 そして、もし、黙ってこいつの前から消えてしまったら、もう一度こいつに傷を負わせることになる。

 だから死ぬわけにはいかない。


「ああ、必ず返すぜ」


「返すって何をです?」


「……もちろんこの旗だ。生きて帰ってきて返すよ。

 こっちじゃどうかは知らないが、旗は俺たちの世界じゃ大事なもんだったんだぜ。

 今度はシュミットの紋章を入れた防寒着を作ろうや。

 チームロゴ入りのレーシングスーツだ。きっと格好いいぜ」


「……そうですね。ご武運を。ディートさん」


 アル坊やが手を離して、俺の手には旗が残された。


「行ってくる」


 アル坊やの後ろでウォルターじいさんが頭を下げる。ドアを開けてホールに出た。

 窓の隙間から銀の月光が差し込んできている。暗がりの中で旗を改めて見つめた。金の糸が月の光を浴びてかすかに輝いている。


 明日は出撃だ。名に恥じないように戦おう。

 そして、必ず生き残る。

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