第22話 トレーニングディ
工房に通うこと一週間。完全の仕上げの段階に入った。こうなると俺は来ていてもしょうがない。
装甲が貼られていくのを見ているのは見ているので中々に興味深いので見てみたいが、邪魔だから退け、と言われてしまった。
規模を考えればちょっとした建物を建てているようなものだし、そこにど素人がいては邪魔と言われもやむ無しだろう。
しょうがないのでいったんシュミット商会に戻った。
商会の1階はホールのようになっていて、机やいすが置かれている。会社が通常通りに営業しはじめたら、客との交渉とかちょっとしかコミュニケーションをとるためのスペースになるんだろう。今は閑散としているが。
アル坊やは飛行船ギルドで仕事の交渉中らしい。フェルとウォルター爺さんはその付き人や護衛、ニキータは部屋にこもって書類の整理をしているようだ。
さて何をしていればいいのか。
「姉御、どうしました?今日は工房にはいかれないんで?」
ドアをあけて入ってきたグレゴリーが声をかけてきた。後ろにはいつもの不満げなローディもいる。
しかし、頼むから姉御は勘弁してほしい。俺は精神的には男だし、年上からアニキとか姉御とかいわれるのもどうかと思う。
「もう最終仕上げ段階に入ったみたいなんで、俺は居なくてもいいそうです」
そうだ、この空き時間、何をするか、思いついた。
こういう時はトレーニングだろ。こっちに来ていろいろありすぎてあまりトレーニングできてない。
一人でトレーニングするもの寂しいし、こいつらを巻き込もう。
「普段、グレゴリーさんとかはトレーニングはしてますか?」
「トレーニング?なんです、それ。聞いたことのない言葉ですぜ、姉御」
「何か乗り手として訓練してるか、ってことです。走ったりとか」
レーサーは反射神経が鋭くて運転が上手ければいい、なんてことはない。そうなのはグランツーリスモとかの中だけだ。
現実は狭いシートに押し込められ、重いステアリングを操り、横Gに振り回され脳と内臓をシェイクされるのだ。
体を鍛えるのはレーサーの必須業務の一つでもある。
「走ったりは……しないですねぇ。剣の練習とかはしたりしますけど」
「乗り手もいざとなれば戦うからな。てめぇはそんなことも知らねぇのかよ」
相変わらずローディはトゲトゲしている。が、まあ現状を考えれば仕方ない。
乗り手も戦いの訓練をする、か。
それがこの世界の流儀なんだろうが、あの飛行船で乗り手が怪我をして窮地に追い込まれたことを思い出すと、その流儀の正しさには疑問符を付けざるを得ない。
まあ、そのおかげで俺はあれよあれよといううちにパイロットになれそうなんだが。
思いを巡らせているうちもローディの口はとまらない。
「それともお嬢ちゃんは剣を取って戦うなんて怖くてできませんかねぇ」
「おい、ローディ。黙れ。姉御に失礼だろうが」
グレゴリーがたしなめてくれて、ようやくローディが黙ったが…なんかムカついた。
そもそも乗り手としてレベルアップするには、個人戦闘の技量を磨くよりやることがある。
この世界では騎士に乗って戦うわけだから、戦闘技術が全く無駄ではないにしてもだ。
ちょいと凹ませてやるかな。
「乗り手に必要な訓練は他にあるんだよ。一緒にやるか?
でも……ローディさん、アタシみたいなか弱い女の子についてこられないと、とってもとっても恥ずかしいですよね。辞めておいたほうがいいかも」
女の子口調で煽ってみる。
「この間で完全に勝ったつもりか、ああ?やったるわ」
絵に描いたような予想通りの反応が返ってきた。お前はもう少し裏表を持とう。
負けん気の強さはレーサーにとって大事な資質だが、単純すぎて心配になるぜ。
「グレゴリーさんもやりますよね?」
「姉御のお言葉とあれば」
これで決まった。ちょいと地球流のレーサートレーニングのハードさを教えてやろう。
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ということで、やってきたのは港湾地区だ。此処には飛行船ギルドが作った騎士の訓練施設がある。
ちょっとした野球場かサッカー場のようなもので円形の訓練場をスタンドのようなものが取り囲んでいるつくりだ。
円形の訓練場では何人かの乗り手が剣の稽古をしているのが見える。スタンドにはコンコースのような石畳ばりの通路がある
工房の帰りに来てみたことはあるが、一周は約600m。ランニングにはちょうどいい。
レーサーのトレーニングは色々あって、オーソドックスなところでは筋トレもやる。
しかし最も大事なのは持久力トレーニングだ。何十分、時には1時間を超えるレースでは一瞬だけ速くても、すぐに疲れて能力を発揮できなくなっては話にならない。
「このコンコースを20周。まずはそこからだな」
「20周ですか、姉御!」
「そんなに走ってばっかいて何の役に立つんだよ?ああ?」
この世界にはランニングで体を鍛える、という概念は無いらしい。
持久力トレーニングは水泳とか自転車でもいいんだが自転車はそもそも存在しないし、水泳をやれる場所はない。
湖とかはあるらしいけど、泳ぐ習慣はないだろう。
「20周で大体かかる時間は1時間くらいかな。
騎士に乗って長期戦になればそのくらいはかかるだろ?そのための体を作るための訓練さ。
それともまた前みたいに機体から降りてすぐに這いつくばりたいか?」
「……いつもいつもムカつく野郎だぜ、やってやるよ」
「俺としては不安ですが、姉御がやれというなら……」
「じゃあ始めよう。無理にペースをあげなくてもいい。20周走ること大事だからさ。
あ、走る前に俺の真似をしてくれ」
走る前に伸ばしストレッチを行う。二人ともやったことが無いようで見様見真似で
俺の真似をしている。
いわゆる回復魔法にあたるものもあるらしいが、怪我なんてしないに越したことはない。
「じゃあ始めましょ」
ちなみに、俺の体は見た目はクリスティーナ・レストレイア、19歳、女、ではあるが、肉体の感覚は吉崎大都、23歳、男の物を引き継いでいる。それにもともとクリス嬢は運動神経がよかったようで、この体になってからも案外不自由はない。筋力だけは下がってるな、と実感するが、これはまあ仕方ない。
そもそもクリス嬢が一般的な19歳の女の子の身体能力しかなければ、いかに俺が地球でレースをしていてGに耐性があっても持たなかっただろう。
23歳男、17歳男、36歳男の組み合わせ、しかも俺は地球でラントレはうんざりするほどやっている。これでは勝負にならないだろう、余裕のぶっちぎりで貫録をみせつけてやろう。
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開始3周目あたりでグレゴリーが遅れ始めた。
ローディは案外しぶとくついてくる。
「クソがぁ、てめえの後ろなんて走れるか」
後ろから威勢のいい声が聞こえてくる。
ランニングの経験がないからフォームはバラバラだというのに。大した根性だ。
だが走ってるときに声出すとスタミナ消耗するぞ。
まあ途中までは後ろにつかせてやって、ラスト2週くらいでぶっちぎって実力を見せてやればいい、などと余裕をかましつつ、地球でのトレーニングより少しペースを落とした15周目あたり。
……ふくらはぎの筋肉が痛んできた。こころなしかいつもより膝にも来ている。
おかしいぞ、以前は10キロ程度なら普通に走り切れた。それにペースも抑え気味だったからこの体でも問題ないと思っていたんだが、重大なことを忘れていることに気づいた。
地球でのラントレは専用のシューズを履き整備されたトラック。今は床は凸凹の石畳、靴はおよそ運動には向かない革靴。いつも通りにいくわけがなかった。
あと、走り始めて分かったが、胸が案外邪魔だ。スポーツブラのように布で抑えてあるけど走ると結構揺れる。
見る分には豊かな胸はロマンが詰まってるかもしれないが、自分の体としてはもう少しスレンダーな方がよかった。
こっちのペースが落ちているからなのか、追ってくるローディはなんか士気が上がっているようだ。負けられん。
「おらおら、ペース落ちてるんじゃねぇのか、姉さんよぉ!」
後ろからローディが、二重の意味で煽ってくる。向こうも息は切れているのにあきれた根性だ。
「このクソガキャあ」
あそこまで大見え切っておいて負けるとあまりに恥ずかしい。
ラスト一周。二人でスパートをかける。こうなると意地の張り合いだ。胸が苦しい。汗がしたたり落ちる。足痛ぇ。
「姉御、ローディ、あと半周ですぜ!」
すでにリタイアしたグレゴリーが座り込んだまま声をかけてくる。
あとで〆るぜ、あのくそオヤジ。
訓練していたほかの乗り手もいつの間にやらギャラリーに混ざっている。
「がんばれよ、ローディ!同じ年の女の子に体力で負けるのは恥ずかしいぞ!」
「あとちょっとだよ、嬢ちゃん!女の意地を見せな!」
「勝ったほうには俺が一杯おごってやるぜ!行け行け!」
外野のヤジにこたえる余裕はもう俺にもローディにもない。最後の直線。
「負けるかよ、コラぁ!」
「10年早いんだ、この小僧」
ラストスプリント。二人でそのままなだれ込むようにゴールラインを駆け抜けて、そのまま石畳にひっくりかえった。
もう無理、疲れて動けん。普段の倍は足に来た。
高性能なランニングシューズがいかにすごいか身をもって知った。文明の利器ってのは素晴らしい。
「最後で俺の勝ちだろ、どうだ?」
「いや、勝ってないだろ。10年早いわ」
「俺と大して年変わらないのに10年とかどういうことだよ」
まあ確かにそうか。本来の年齢から数えても10歳は違わんな。
しかし、もうこのトレーニングはやめよう、というかラントレはするにしても、足に負担がかかりすぎる
出撃前にトレーニングでけがをするなんて、あまりにバカ丸出し過ぎるぜ。
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