第10話 悲しきワナビ
欽也のエロお化けが、きれいさっぱり除霊されてから十分後。
文太郎はいくらか落ち着きを取り戻し、安全運転でハンドルを握っていた。
エリコはというと、
「オージャガジャガジャガー……オージャガジャガジャガー……」
などと意味不明な言葉をつぶやき、難しい顔をしながら両手をこすり合わせている。
彼女いわく、この近辺の地縛霊を除霊しているのだそうだ。
深くツッコムと怒られるので、文太郎はもうなにも言わないことにした。
というか、助手席に不気味な幽霊を乗せている気分だ。
ゆえに文太郎は、なるべくそちらを見ないようにトラックを走らせた。
呪われてはたまったものではない。
そんなとき――。
「運ちゃん頑張れー!」
「トラック転生になんか負けるなー!」
「わたしたちは運ちゃんの味方よー!」
路肩でそんな声をかけてくれる人たちがいた。
男女合わせて二十人ほどで、若者から中年まで揃っている。
そんな彼らは、次のようなことが書かれた旗を振っていた。
『トラック転生撲滅運動!』
『トラック転生ダメ! 絶対!』
『トラック転生やめますか? それとも人間やめますか?』
彼らのようにこうして活動している人たちもいるのだ。
世に蔓延したトラック転生に異を唱え、トラックの運転手を励ましてくれている。
もちろん、ここは人の進入が禁じられた高速道路だ。
正月の箱根駅伝じゃあるまいし、路肩で応援するなど許されたものではない。
それでも文太郎は嬉しかった。
転生志願者だらけの過酷な道で、憩いのオアシスに巡り会えたような気がした。
「みんな、ありがとなー! 俺は必ず一位でゴールするからなー!」
文太郎はクラクションをプップと鳴らし、そんな彼らに手を振った。
駅伝ではないので一位もクソもないのだが、心構えというものが大事である。
そして、足取りの軽いマラソンランナーのごとく、彼らの横を通り過ぎようとした瞬間――。
「今だ行けー!」
「遅れを取るなー!」
「ベストポジションは渡さないわよー!」
なんと、路肩に立つ者全員が、とつじょトラックの前へ飛び出してきた。
各々は我先にと、確実に轢かれるベストポジションを奪い合っている。
彼らは味方などではなかった。
トラックの運転手を油断させるための罠を張った、転生志願者だったのだ。
「くそ! 間に合わねー!」
文太郎もさすがに打つ手はない。
ブレーキをかけるにはもう遅すぎるし、追い越し車線まで人が立ち塞がっている。
しかも二十人はいるであろうこの数だ。
少なく見積もっても、五人はいっぺんに轢き殺すことになる。
五人も殺せばフンコロガシ運送倒産待ったなし。
文太郎が自殺を選ぶのはもちろんのこと、両親も責任を感じてそのあとを追う。
もうダメだ――。
すべてが終わった――。
と、文太郎があきらめかけたそのとき――。
「大気に満ちたる風の精霊よ、今こそ我にその吹き荒れる風の力を授けたまえ! アルティメットストリームマキシマイズ!」
そんな言葉とともに、エリコが両腕をグッと突き出した。
その空気を押しやるような動きに合わせ、転生志願者たちが道路の両側へと吹き飛ばされていく。
走行車線、追い越し車線とも、立ち塞がる彼らの姿はもうどこにもない。
文太郎は眼球が転げ落ちそうなほど目を丸め、バッコーンと外れた顎で問う。
「おいエリコ……なんだ今のは……。あいつら全員、台風中継みたいにふっ飛んでいったぞ……」
「た、たまたま強風が吹いただけだと思うけど……」
「おまえの手の動きに合わせて、たまたま強風が吹くもんなのか……?」
「そ、そういうこともあるでしょ……。巨大隕石が落ちてくるぐらいの確率で……」
「それと……なんか魔法っぽい言葉も聞こえたんだが……。風の精霊だの、アルティメットがどうとか……」
「き、気のせいよ……」
エリコは助手席の窓ガラスを向いて目も合わさない。
そのガラスに反射する彼女の顔には、ナイアガラの滝のような汗が流れていた。
文太郎はそれ以上追求しないことにした。
なぜなら、自分の頭がおかしくなっている可能性が高いからだ。
ここは一度脳ミソをリセットしないと、本格的にアッパラパーになる。
ひとまずサービスエリアの駐車場にトラックを止めると、文太郎は食べ物でも買いに行くことにした。
広島県に位置するこの小谷サービスエリアは、ちょっとした商業施設ほどの規模があり、深夜でもコンビニで買い物をすることが可能だ。
「エリコ、コンビニに行くけど、なんか欲しいものあるか?」
「コ、コンビニ!? それならあたしも行く!」
「コンビニぐらいでなにはしゃいでるんだ?」
「だって、コンビニに行くの十五年ぶりだし!」
「十五年もコンビニに行ったことないのか? それって、田舎者を通り越してもはや部族だぞ」
「いいから、いいから! ほら早く!」
エリコは助手席を降りると、足を渦巻き状にしてコンビニへ向かった。
文太郎はやれやれとため息をつき、自分も運転席を降りて彼女のあとを追う。
コンビニに入ると、エリコは買い物カゴを持ち店内を駆けずり回っていた。
手当たり次第商品をカゴに放り込み、瞳を太陽のようにギランギラン輝かせている。
世間ではこういうのを不審者、または危険人物という。
文太郎は赤の他人を装い、缶コーヒーを手にレジへと向かった。
そんなとき――。
キキキイイイイイ! ドン!
店舗の外からブレーキ音がけたたましく鳴り響く。
そしてそれはなにかの衝突音も伴っていた。
「誰か事故ったな!」
文太郎は一目散に音の聞こえた方へ駆け走る。
すると事故現場は、サービスエリアの入り口近く、高速道路の本線だった。
走行車線には箱型トラックが停車しており、その十メートルほど先に人が倒れている。
ここのコンビニに商品を搬送してきたトラック、それが転生志願者を跳ねてしまったのだ。
車内にいる運転手は顔が真っ青となり、体をガクガクと震わせていた。
二十代半ばの女性ドライバーだ。
「おい! お姉ちゃん! 電話だ電話! 救急車に今すぐ電話しろ! それと警察にもだ!」
「は、はい!」
文太郎が大声で指示を飛ばすと、運転手は我に返って電話をかけはじめた。
事故を起こせば誰もが動揺し、ときには彼女のようにショックを受け、救助活動にまで頭が回らなくなってしまうのだ。
ひとまず救急車は手配した。
文太郎は跳ね飛ばされた人に駆け寄り、アスファルトに膝をついて安否を確認する。
そこで仰向けに倒れるのは、高校生ぐらいの少年だ。
「おい少年! 大丈夫か! 生きてるか!」
「い、生きてます……」
幸い、少年に意識はあった。
片足がおかしな方向に曲がっているが、出血している様子は見られない。
「痛いのは足だけか! 頭とか肋骨とか腰とか、ほかに痛いところはあるか!」
「い、痛いのは足だけです……うッ……」
少年はそう答えて顔をしかめた。
どうやら足の骨折だけで済んだらしい。
「いいか、もうすぐ救急車が来るからな! 痛いかもしれんが頑張れ!」
文太郎は少年の身を案じ、必死になって励まし続けた。
本来、この少年は転生志願者であり、トラックの運転手にとって許しがたい敵。
だが今は、救助を必要とする交通事故の怪我人でもあるのだ。
そこに敵味方は関係がない。
「おい少年、おまえもそんなに異世界に行きたかったのか?」
文太郎は少年に訊いてみた。
少しかわいそうに思えてきたからだ。
すると彼は涙をこぼしながら口をひらいた。
「はじめはそうじゃなかったんだ……。週間ランキングぐらい余裕だろと思って連載をはじめたんだ……。それなのに、百万文字を越えてもフォローや星が0のままだったんだ……。人気の異世界ジャンルでこれは異常だよ……」
「そ、そっか……」
そう返事はしたものの、文太郎にはなんのことかさっぱりわからない。
「それでも僕はエタらないで書き続けたよ……。だって、百万文字の大作なのに、フォローと星が0なんて、悔しすぎるじゃないか……。そんなところに、やっとフォローが一件入ったんだ……。その人からは星を三つもらったよ……。おもしろいです、頑張ってくださいね、って応援コメントももらったんだ……」
「そ、それで……?」
文太郎は続きを催促した。
あくまでも形式的にである。
「僕は嬉しかった……。それはもう、涙を流すほど嬉しかった……。苦節三年、ようやく僕の作品が報われたんだ……。でもある日、僕は偶然見ちゃったんだ……。お母さんのスマホの履歴に、僕の作品ページがあることをね……。おじさん、これがどういうことかわかるかい……?」
「さ、さあ……?」
「お母さんだったんだよ! 僕の作品をフォローしてくれたのは、僕のお母さんだったんだよ! あの星三つも、応援コメントも、それはすべてお母さんの哀れみでしかなかったんだ! もうこうなったら、自分で異世界転生するしかないじゃないか! うああああああああああ!」
少年は声を荒げて慟哭した。
その心情を汲み取ってあげたくとも、文太郎には話のレベルが高すぎる。
ぶっちゃけ頭の中はわけわかめ状態だ。
そこへエリコも事故現場へやってきた。
文太郎が事情を説明すると、彼女はしゃがみ込んで少年に言葉をかける。
「異世界転生したっていいことばかりじゃないのよ? 盗賊に狙われることなんかしょっちゅうだし、ダンジョンでは毎日のように冒険者が死んでいくわ。あなたたちが夢見るような世界じゃないってことだけは覚えておいて」
「お姉さん……まるで異世界転生したことあるみたいに詳しいんだね……」
「た、たとえばの話に決まってるでしょ……」
エリコは赤面し、少年の骨折した足をバシンと叩いた。
その足はさらに変曲がり、少年はショック死しそうなくらい悶絶している。
そんなところに、彼の近くに落ちていたスマホに着信が入った。
その画面には、『お母さん』、という登録名が表示されている。
「ほら、少年。出たほうがいいんじゃないのか?」
文太郎がスマホを手渡すと、彼は少し迷ってから通話に応じた。
すると――。
『ダイスケ! こんな時間にどこに行ってるの! 電話にも出ないし、お母さん心配したんだから!』
電話越しから聞こえるのは、嗚咽混じりの怒鳴り声だ。
ダイスケという少年の母親は、何度も電話をかけていたらしい。
「ごめん、お母さん……。ちょっと僕の不注意で事故になっちゃって……」
『事故ってどういうこと! もしかして交通事故なの!』
「うん。でも運転手はなにも悪くないんだ。僕も怪我はなかったし」
『本当なのね! 本当に怪我はないのね!』
「大丈夫だよ。だからもう心配しないで」
少年は骨折をしているのに嘘をついた。
母親に心配をかけまいという、息子なりの優しさなのだろう。
とはいえ、あとでその嘘はすぐにバレる。
それはもう、こっぴどく叱られるはずだ。
それよりも少年は今、母親に大切ななにかを伝えようとしている。
文太郎は彼の真摯な目を見てそれがわかった。
「お母さん、僕これからも頑張るよ。頑張って完結まで持っていくよ。だからこれからも僕のファンでいてくれる?」
『な、なんのことを言ってるのかしら……』
母親は決まりが悪そうにお茶を濁した。
少年が先ほど打ち明けた、意味不明な話に関係しているらしい。
「ううん、なんでもないよ! それじゃお母さん、またあとから電話する!」
少年は晴れやかな口調で通話を切った。
骨折の痛みで顔を歪めているのだが、その表情はどこか清々しく、転生志願者とは無縁なものに感じられた。
もう彼は異世界に逃避することはない。
この現実の世界で力強く生きていこうと決めたのだ。
文太郎はそう確信し、エリコと顔を合わせてともに微笑んだ。
その後、間もなく救急車とパトカーが到着し、少年は病院に搬送された。
彼を跳ねた女性の運転手は警察の現場検証に立ち会い、事故と無関係な文太郎とエリコはコンビニに踵を返す。
そして、文太郎が缶コーヒーの代金を支払っていたところ――。
「文ちゃん、これも一緒にお願いね」
エリコが買い物カゴを、ドン、とレジカウンターの上に置く。
そのカゴの中は弁当やお菓子類でタワーが築き上げられている。
「お、俺が払うのか……?」
「しかたないでしょ。あたし今お金持ってないんだから。でもちゃんと返すわよ。百年後ぐらいに」
「つーか、これ全部おまえ一人で食うつもりなのか……?」
「当然でしょ。だって、コンビ二は十五年ぶりなんだし」
エリコは「えへん」と胸を張り、いたずらっぽく片目をパチリとつぶった。
文太郎はげんなりとため息を吐き、総額一万円オーバーの代金を支払った。
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