第9話 転生志願者と夏の風物詩
現在の時刻は深夜の二時。
トラックは山陽自動車道をかれこれ四時間ほど走り、広島県までやってきた。
その道中、何人もの転生志願者がピョンピョン飛び出してきたが、文太郎は彼らを難なく回避した。
スピードを抑えて走り、より注意深く運転していたので、赤子の手をひねるように対応することができたのだ。
だからといって気を抜いてはいけないし、自分の運転技術を過信してもいけない。
ゆえに文太郎は、慎重に慎重を期し、熊本までのゴールを目指している。
「ねえ文ちゃん、明日の夕方五時には熊本に着きたいんだけど、大丈夫?」
これまで言葉数の少なかったエリコ。
彼女はなにか訳ありな様子で口をひらいた。
「それは大丈夫だ。夕方五時ならまだ半日以上あるしな。その時間になんか用事でもあるのか?」
「うん、ちょっとね。でも絶対に遅れないで。場所は熊本城近くの大きな交差点だから」
文太郎も丸太の納品先の道順は、事前にチェックしている。
熊本城近くの大きな交差点を南下すれば、その納品先へ辿り着く。
つまり、はじめからエリコが指定した交差点を通ることになっているのだ。
偶然にしては出来すぎなのだが、そんなことはどうでもいい。
一番の問題は、エリコがなんの目的でその場所を指定したかである。
だから文太郎はそれをさりげなく訊いてみることにした。
あくまでもさりげなくだ。
「か、か、か、彼氏と会う約束でもしてるのか……?」
「そんなわけないでしょ。そもそもあたしに彼氏なんていないわよ。てか、あたしは文ちゃんと同じで、恋人なんかつくったことないし」
「そっか……彼氏じゃなかったか……」
文太郎は肺活量を測るかのように、大きく安堵の息を吐いた。
そこでピクンと時間差で耳が反応する。
「エリコ、今、俺と同じで恋人なんかつくったことないって言ったよな?」
「それがどうしたの? あたしまだ二十一歳だし、べつに変じゃないと思うけど」
「そうじゃなくて、なんで俺が三十五年間彼女いないの知ってるんだ?」
「え、えっと……」
エリコはバツが悪そうにうつむいた。
「このことは俺の母ちゃんでも知らないトップシークレットなんだぞ? それなのに、おまえが知ってるとかおかしいだろ」
「そうじゃないかなって思っただけよ……」
「どうしてそう思ったんだ?」
「顔よ……顔……」
直球で顔がキモイと言われたようなものだが、文太郎はそれしきのことで腹を立てるほどチンケな男ではない。
むしろエリコに彼氏がいないというお宝情報をゲットし、内心では両腕でガッツポーズを決めている。
それに男は顔ではなく心だ。
それすなわち、文太郎の代名詞でもある男気を意味する。
顔がダメならその男気を猛烈にアピールし、彼女のハートを鷲づかみにしてやればいい。
ふ、恋愛なんてちょろいもんだ。
文太郎は星の数ほどある失恋経験も忘れ、勝ち誇ったようにニヒルな笑みをこぼした。
そんなとき――。
「文ちゃん気をつけて! なんかおかしいわよ!」
エリコが前方に異変を察知した。
文太郎は彼女の視線の先に目を向けたのだが――。
「どうしたエリコ? なんもおかしいことなんてないぞ?」
転生志願者はどこにもいないし、車が逆走してくることもない。
それどころか、前方を走る車さえ一台も見当たらなかった。
危険らしい危険は皆無だ。
「文ちゃん! アスファルトの上をよく見て!」
「アスファルト?」
「そうよ! 少し先のアスファルトがなんかおかしいのよ!」
エリコに言われたとおり、文太郎はアスファルトの上に目を凝らした。
すると――。
「なんだあれ! 人が寝転がってるぞ!」
なんと、そこには転生志願者が寝転がっていた。
ただ寝転がっているわけではない。
その者はアスファルトに同化すべく、アスファルトと同じ色の布をかぶっている。
だから文太郎はその異変に気がつかなかったのだ。
これまで何人もの転生志願者を回避してきたが、擬態するケースは初めてである。
文太郎はハンドルを右に切り、間一髪でその者をかわした。
「文ちゃん! 危ない! あそにまた寝転がってる!」
「うおッ! またかよ!」
追い越し車線に移ったとたん、目の前の路面がアスファルト色に膨らんでいた。
同じ布をかぶった転生志願者が、そこにも寝転がっていたのだ。
車線変更を予想したトラップである。
文太郎はその者をトラックの真下でまたぎ、なんとか窮地を乗り切った。
しかし――。
「文ちゃん! 今度は上! 上を見て!」
「上ってどこだ! 上っていっても宇宙は広いんだぞ!」
「バカ! 宇宙じゃないわよ! 看板! 看板の上を見てって言ってるの!」
「うおッ! あんなところにもいるのかよ!」
エリコが指摘したのは道路標識の看板だ。
次のサービスエリアを示すその看板の上に、転生志願者の人影が見えた。
そしてその者は、
「トラック転生ひゃっほーーーーい!」
と、看板の上からトラック目がけて陽気に飛び降りた。
陽気なところがまた怖い。
それでも文太郎は直前でハンドルを切り、なんとかそれを回避した。
さすがエターナルロードの異名を持つ山陽自動車道だ。
先に進めば進むほど、出没する転生志願者のレベルも高かった。
「文ちゃん上! 上を見て!」
「クソ! また看板か!」
「看板じゃない! 宇宙よ! 宇宙を見て!」
「バカ! あれはただのUFOだ!」
ただのUFOに驚く必要はない。
ビカビカ光線を放つUFOが超高速移動しているが、あくまでもあれはただのUFOだ。
文太郎は前を向いてハンドルを握り直した。
「ふぅ~、危ないころだったな……。つーか、ゾンビに襲われてる気分だぞ……」
文太郎はほっと息をつき、緊張で乾いた喉を缶コーヒーで潤した。
エリコは窓ガラスにへばりついてまだUFOを見ている。
そんなとき――。
「うわッ! なんだこいつ!」
文太郎は運転席のウインドウを見て身をのけ反った。
なぜなら、窓の外に顔じゅう血だらけの男が張り付いていたからだ。
しかし、文太郎は人を轢いた覚えはない。
細心の注意を払って運転していたので、人を轢いて気づかないことはありえない。
それにトラックは八十キロで走行を続けている。
イモリとかヤモリでない限り、そこにピタっと張り付くのは不可能だ。
それなのにその男は、窓ガラスに両手と顔を押しつけ、恨めしそうにこちらを覗き込んでいた。
「せんぱぁい……文太郎せんぱぁい……」
なんと、男の声が窓カラスをすり抜け、車内に不気味に木霊した。
しかも先輩という敬称での名指しである。
「お、おまえ誰だ! なんで俺の名前を知ってる!」
「せんぱぁい……オレですよぉ……欽也ですよぉ……」
文太郎が知るその名前はただ一人。
同じフンコロガシ運送で働く、後輩の欽也だ。
その欽也は先日、仕事中に人を轢き殺してしまった。
彼の代わりとして、文太郎が長距離運送に駆り出されたのだ。
よく見ればその顔は欽也で間違いがなかった。
目ん玉が片方、だらーんと垂れ下がっているが、特徴のある団子っ鼻がなによりの印。
「欽也! おまえどうやって窓ガラスに張り付いた! てか、その目ん玉大丈夫なのか! ゾンビみたいになってるぞ!」
「文ちゃん、落ち着いて! その人、生きてない! もう死んでるのよ!」
「な、なんだってーーーーーーーーーーッ!!」
霊能力者のようなエリコの発言に、文太郎はリアルに目ん玉が飛び出した。
すると彼女は、フェリーを降りてから買った新聞を広げ、次のような記事を読み上げた。
――広島中央警察署で飛び降り自殺か。
――七月二十日午後三時ごろ、広島中央警察署の屋上から、北海道旭川市、運送業、相川欽也さん(二十八)が転落し、搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。
――相川さんは前日、広島県内で交通死亡事故を起こしており、その取り調べ中に部屋を抜け出し、屋上から飛び降りたという。
――同署では、交通死亡事故を苦にしての自殺とみて、詳しい経緯を調べている。
エリコが読み上げた記事は、まさしく欽也のものだった。
住所と職業と名前と年齢が一致し、交通事故を起こした場所まで同じ。
飛び降り自殺したのは間違いなく欽也だ。
「てことはエリコ! こいつは幽霊ってことか!」
「そうよ! 幽霊よ! なにか恨めしいことがあって化けて出てきたんだわ!」
「つーか、どうすんだこれ! ますますヤバいことになってるぞ!」
欽也は体を引きずりながらフロントガラスに回り込んできた。
彼の作業着に染み込んだ大量の血液、それがフロントガラス一面に広がり、前方の視界をシャットアウトする。
今ここで転生志願者が飛び込んでこようものなら、それを回避するのは不可能だ。
トラックを止めようにも、後続車が車間距離を詰めている。
この状況では減速すらままならなかった。
「文太郎せんぱぁい……ずるいですよぉ……どうしてオレだけこんな目に遭わなきゃいけないんですかぁ……それに誰ですかぁ……そのかわいい子はぁ……その子とエッチしちゃたんですかぁ……せんぱぁい……ずるいですよぉ……オレにもやらせてくださいよぉ……」
死してなお、エロに執着するおぞましき姿。
彼の遺品整理でパソコンの中身を見るご両親は、さぞ嘆かわしい思いをすることだろう。
そんな心配をする文太郎も他人事ではなかった。
自宅アパートのパソコンには、グローバルに厳選したエッチな動画が大量に保存されているのだ。
というか、今はそれどころではない。
「いいか欽也、よく聞け! 俺はおまえの代わりにこうしてトラックを走らせている! それもこれもフンコロガシ運送を守るためだ! フンコロガシ運送で働くみんなの生活を守るためだ! おまえは同じ会社で働いていた仲間なんだ! 俺の言ってる意味ぐらいわかるだろ! だから成仏してくれ! 頼む、このとおりだ!」
文太郎はハンドルを握りながら、片手で合掌し頭を下げた。
欽也は幽霊である以上、お悔やみの言葉を捧げることしかできない。
誠心誠意その気持ちを伝えれば、きっと彼は成仏してくれる。
文太郎はそう信じ、
悪霊退散! 悪霊退散! 悪霊退散!
と、心の中で唱え続けた。
「せんぱぁい……成仏なんかできるわけないじゃないですかぁ……やらせてくださいよぉ……そこにいるおっぱいの大きい子と、一発やらせてくださいよぉ……」
文太郎の願いは届かなかった。
欽也の無念は完全にエロにシフトし、そのゾンビのような目玉で、エリコのおっぱいをしっかりとロックオンしている。
彼はもう人の心が通じることのない、変態の化け物になってしまったのだ。
こうなっては後続車にランプで合図を送り、減速してトラックを止めるほかはない。
ただ、それに失敗した場合、後続車がクラッシュし、最悪、死亡事故に繋がってしまう。
とても危険な賭けだ。
それでも前方の視界が遮られている以上、それしか手段が残されていなかった。
文太郎は神に祈る気持ちで、ブレーキペダルに右足を移動させた。
そんなとき――。
「守護聖の加護のもと、我に清浄なる光を授けたまえ! プリフィケーション!」
エリコが謎めいた言葉を口にし、それと同時に両手を前に突き出した。
すると彼女の両掌がサーチライトのように発光。
その直線的な光が欽也の肢体を貫く。
「ギエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
欽也の断末魔の叫び声とともに、彼の顔や胴体にピシピシと亀裂が入った。
それはまるで、吸血鬼が太陽の光を浴びたかのような、灼熱の苦しみにも似た肉体の崩壊である。
やがて欽也の体は粒子状にまで分解。
そのいっさいの痕跡が風に飛ばされ霧散した。
フロントガラスに広がった血のりまでもが、綺麗さっぱり消え失せている。
文太郎は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で問う。
「おいエリコ……今のはなんなんだ……。おまえの手から、とんでもない光線が飛び出してたぞ……」
「あ、あたし、本当は霊能力者なのよ……。今のは幽霊を除霊しただけ……」
エリコは助手席の窓ガラスを向いてそう答えた。
そのガラスに反射する彼女の顔には、ダラダラと冷や汗のようなものが流れている。
「霊能力者って手が光るのか……? テレビでもそこまでの演出はやらないぞ……」
「たまに光ることもあるわよ……一万回に一回くらい……」
「そっか……ならいいんだ……」
文太郎はひとまず納得することにした。
いや、本当は納得はしていない。
だが、この世には科学で解明できない謎というものがある。
それに霊感の強い人は、身の回りに一人や二人いるものだ。
そう割り切って考えれば、それほど驚くことではなかった。
ひとまず文太郎は「南無阿弥陀仏」と弔いの気持ちを捧げ、気を新たにトラックを走らせた。
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