ボトルキャップは笑わない

 SNSで流れてきた動画を見てこれだ!と思ったね。


 『ボトルキャップチャレンジ』


 ペットボトル飲料の蓋を軽く緩めた状態で置いておき、触れるか触れないかのぎりぎりの回し蹴りをかすめさせてキャップを回転させ、飛ばす。女子空手の名人がやっていたのはめっちゃ格好良かった。あたしに空手は無理だけど、運動が得意でない人でも練習次第でできるようになるっぽい。

 あたしはこのボトルキャップチャレンジをやってみることにした。

 必勝法を思いついたからだ。

 毎日三十分、あたしは練習した。


 一週間後、前と同じ屋上に牧村を呼び出した。焼きそばパンをむさぼりながら待っていたところに牧村はのこのこと現れた。

 あたしは宣言する。

「今日という今日はあんたはあたしの足元に平伏す事になる」

「またタピオカ?」

 牧村が古傷を抉りにくる。

「違う。今度はこれ」

 どん、とペットボトル飲料を置く。渡り廊下の屋上にはコンクリの換気口があり、腰よりちょっと高い台になっていた。あたしがボトルを置いたのはそこだ。

 ぷしっ、と炭酸水の栓を緩める。

「……もしかして、ボトルキャップチャレンジ?」

 知っているなら話が早い。

「そう。あたしの華麗な技を見せてあげる」

「ボトルは押さえなくていいの?」

「正しいチャレンジはボトルは置くだけ。固定しない」

 動画を発信する人の中にはボトルをがっちり固定してしまう人もいたけど、どうやらそれは違うらしい。


 ・ボトルキャップは軽く回るように緩めてよい

 ・ボトルは水が入った状態でただ置くだけ

 ・回し蹴りやパンチなどそれぞれ得意な方法でキャップを回転させて飛ばす

 ・ボトルが倒れたり中身がこぼれたら失敗


というのが大まかなルールだ。ヌンチャクや銃の技を見せる人もいれば、歌声でキャップを飛ばす超有名歌手もいた。どーやったのか想像もできなかったけど。

 あたしはボトルを前におもむろに開襟シャツを脱ぐ。

「なぜ脱ぐの?」

 中にはタンクトップを着ていた。

「ふふん。まあ、見てなって」

 牧村があまり気乗りのしない様子でスマホで撮り始めたのを確かめ、あたしは構える。

 軽く腰を落として左手を前に突き出し、右手を腰に間合いをはかる。

 まあ、これは気分だ。

 すう、と息を吸い込んで左足から踏み込み、上半身を先に右回りに回転させながらさらに前に。両手をばんざいするように上げるとダンスやフィギュアスケートみたいに身体がぎゅんっ!と回る。

 次の瞬間。

 あたしの、牧村より五つ上のカップの胸がボトルキャップをかすめ強烈にスピンさせる。ボトルは微動だにせず、キャップだけがベーゴマか竹とんぼかという勢いで回り、高々と飛んで行った。牧村はばかみたいに口を開け、青空に浮かぶボトルキャップを見上げていた。

 名付けておっぱいトルネード。

 あほっぽいので口にはしないけど。

「どうよ?」

 今度ばかりはあたしの勝利は約束されていた。牧村の扁平胸では真似のしようがないだろう。そもそも、あたしは一週間かけてようやくできるようになったのだ。そう簡単に真似はできないはずだった。

 良いタイミングで降ってきたボトルキャップを右手でキャッチする。

 ——キマった。

 これはちょっと出来過ぎかもしれない。

 調子に乗って「夕陽のガンマン」を口笛で吹く。ボトルの炭酸水を一口。

 ふう。

 泣けるぜ……。

 まだ夕方じゃなかったけど。

 牧村に向かい手にしたボトルキャップを弾き飛ばす。クソ女の顔に命中するはずだったキャップは易々と右手で受け止められた。

 ——前にもあったな、こんなの。

 嫌な予感がした。晴れていた空は見る見る黒い雲に覆われていき、遠雷の気配まで伝え始めていた。

 ボトルキャップを受け取った牧村は今度は自分の番だとでも言わんばかりの様子で進み出る。

「な、なんだよ」

 嫌な、とても見覚えのある嫌な笑みがあたしに向けられる。負けを喫するたびに見せつけられてきた笑いだった。

「今度は私よね?」

「で、できるもんならやってみやがれ」

 牧村は飲みかけの炭酸水をもぎ取るとあたしが置いたのと同じ場所にボトルを置き、するするとキャップを締めた。そしてなぜか、コンクリの換気口の上に登りだした。

「何やってんだよ、おい。落ちたら危ねーよ」

 実は気が小さく怖がりのあたしは、二階の屋上でしかなくても、手摺より低い換気設備であっても、高い位置に立たれるのは冷や冷やしてしまう。

 ペットボトルを跨ぐように仁王立ちになった牧村はあたしの心配など寄せ付けず、膝より拳一つだけ丈の短いスカートの裾を摘んで軽く持ち上げて見せた。そしてなぜか手品につきもののBGM——たしか「オリーブの首飾り」だったか——を口ずさみながら緩やかに腰をくねらせ落とし始める。

 ——なんだ?

 目が離せなかった。下着を見せない絶妙な高さに保たれたスカートの裾は、腰を落とすにつれボトルに近づきキャップ部分を隠してしまう。

 そこで腰は下がるのをやめたけれど、高さを保ったままいやらしげにくねらされ、やがて高さを上げ始めた。

「あっ!」

 キャップは忽然と消え失せていた。

 ——消失マジック!?

 牧村の両手はスカートの裾から一度も離れなかった。ペットボトルの真上にしゃがみ、立ち上がっただけだ。再び仁王立ちになった彼女がくいっと腰を振るとスカートの中から飛んできたものがあった。両手であたしが受け取ったそれは——銀色のボトルキャップだった。

「どう? あなたの芸も悪くはなかったし、今回は引き分けかしら」

「な、なんだよ。あんたのそれ、ペットボトルチャレンジって言えるのかよっ。蓋が開く瞬間が見えなかっただろっ!」

 あたしの懸命の抗議を牧村が軽く鼻で嗤う。そしてコンクリ台から音らしい音も立てずに飛び降り、ペットボトルを手に取ると歌い出した。


 〽︎うーちのうーらのせんざいにー♪


 童謡のようなものを口ずさみながら近づいてきた牧村は、どん、とあたしを柵に向かって突き飛ばした。

「わわっ」


 〽︎おんなだーれがよーいますやのむすめ♪


 どこかで聞いたことのある童謡——いや、これはだ、と古いテレビ映画に思い当たり、背筋に寒気が走る。牧村は口元に薄笑いを貼り付けたままあたしを柵に押しつけ、強引に口を開かせた。


 〽︎ますではかってじょうごでのんでー♪


 ペットボトルが口に捩じ込まれる。

「おぐぅっ」

 やめろ、と叫んだつもりの声は異物に阻まれた。

 飲み口が喉の奥まで突き込まれ、牧村の容赦のない手があたしの喉を反らせボトルをぐりぐりと揺する。息を詰まらせたあたしの脳裏に走馬灯のようにいらないウンチクが閃いた。ボトルの中の液体は回すよう壁に沿わせて揺らすと短時間で注ぐことができる、というアレだ。

 がぼぐぼごぼ。

 食道から胃袋へと炭酸水が速やかに送り込まれていく。炭酸ガスの圧力もあったのかもしれない。ボトルはあっという間に空になり、投げ捨てられてかんこんかんと軽い音を立てた。あたしは荒い息を吐く。

「なんで……こんな……」

 ダイレクトに注ぎ込まれてきた冷たい液体に胃袋が痙攣を起こしかけていた。牧村は声らしい声を立てずに、けれどからからと盛大に笑っていた。

 あたしは暴れる胃袋に必死で耐えながら牧村に掴みかかる。いや、掴みかかったつもりだったけれどもう完全にグロッキーで狙いが定まらず、よれよれとやつの膝に抱きつく形になった。

 後で知ったのだけれど両膝を抱え込むようなこのタックルはラグビーのものと同じで完璧な形で相手を引きずり倒すことのできるものだったらしい。ぎゃ、と牧村らしくない悲鳴を耳にしながらあたしたちは共倒れになった。

 ——逃さない。

 あたしは自分が何をするつもりなのかわからないまま牧村にしがみつき、這い上がり、のしかかった。そして不気味な泡が身体の内を駆け上がり——。

 ゲロった。

 こらえきれなかった。そんなつもりはなかった。

 炭酸水で薄まり泡だった胃液が牧村の胸に、喉に、顔に降りかかる。注ぎ込まれた時を逆回ししたかのような噴水っぷりだった。生まれてこのかた、こんなに気持ちよく滞りなくホースのように胃の内容物をぶちまけることができたのは初めてだ。すぴゅう、と音を立てて液体が食道を遡った気がした。

 あたしに仰向けに押し倒され、肘を突いたまま上半身を起こしていた牧村は呆然と吐瀉物を浴びていた。

 ——汚した。

 ここに至ってようやく牧村に勝った実感を掴んでいた。物体Xの気分だった。

 ——お高くとまった仮面優等生を汚してやった!

 いや、お高くとまっているのは他のやつらの目の前だけで、あたしの前ではあまりお高くないけど。

 目を瞠ったままの牧村は降り注いだ汚物を確かめるよう自らの胸に、顔に触れ、くしゃりと顔を歪ませる。

 ——泣いた!?

 ぞわりと背筋を這い上がったのは征服感だった。

 けれどそれは一瞬のことだった。

 牧村は奇妙に顔を歪めて——笑っていた。

 やつの手がそろりとあたしに伸ばされる。頬から唇へとゆるゆるとなぞるように触れて離れていった。その指先にはあたしがさっき食べた焼きそばパンのものらしいが摘まれていた。

 ——えっ?

 牧村がその紅ショウガの絡んだ焼きそばの欠けらを妙にうっとりした目つきで眺めていることに気づく。

 まさか。

 愛読書風に太い毛筆で「真逆まさかっ!」と書きたかった。

 牧村の潤んだ視線があたしに据えられ、留まる。融けかけた固形物を摘んだ指先は予感した通り、スローモーションで彼女の口元へ運ばれていく。

 やめろぉ。

 心の声にすらならなかった。

 すぼめられた花のような唇があたしと同化しかけていた炭水化物を、ちゅるん、と吸い込んだ。紅ショウガだけが唇に引っかかって止まったけれど、それもまた唇の間から覗いた艶めかしい舌に回収されて牧村の内へと消えていった。

 頸の産毛がぞわりと逆立つ。

 ——汚され……た?

 あたしが汚したはずの相手は怪物だった。

 ——勝てない。

 あたしはこの先幾度牧村にリベンジを挑もうと勝つことはできないのだと本能が告げていた。

 ぱたり、とコンクリの床に水滴が染みを作る。染みは瞬く間に増え、屋上もゲロにまみれたあたしたちも洗い始めた。ゲリラ豪雨だった。三メートル先も見えなくなるような雨脚があたしの敗北感も涙も覆い隠した。

 牧村はなぜかあたしを抱きしめていた。

 すべてを洗い流して雨は上がり、陽光が射し始める。

 近くに炭酸水のボトルが転がっていた。

  GEROLSTEINERゲロルシュタイナー、というラベルが雨上がりの日差しに輝いていた。

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