彼女が水着を着替えたら

 水泳の授業を終え、着替えようとしたところで「あれ?」となった。

「おやー。こいつはあたしのパンツじゃありませんよ、っと」

 同じ衣料カゴの中にある制服もブラもあたしのものに違いがなく、ただパンツだけが覚えのないレース仕立てのものになっていた。あたしが履いていたパンツは姿を消している。うっかり屋さんが着替えの際に間違えたのかと思ったけれど隣接する衣料棚はぜんぶ空だ。

 ——うーむ。

 誰のパンツ?と訊いて回ろうとしたところで考え直す。しげしげと人様の脱いだ下着を観察するのはどうかと思ったけれど使われた痕跡に気づいてしまったのと同時に持ち主になんとなく心当たりが生まれてきた。

「…………」

 あたしのものではない下着をくしゃりと丸めて開襟シャツと一緒に鷲掴みにする。周囲をそれとなく伺い、誰の注意も引いていないことを確かめてシャツともども顔に近づけてみる。心臓がとくとく鳴ってたけどこれは運動のせいだ。たぶん。

 ——当たり。

 あたしは最近妙に鼻が利くようになってしまった。謎の、といっても正体がばればれの香水のせいだ。そしてこの下着は香水と同じ匂いがした。

 ——うへえ。

 あたしはなんでこんなキショい真似をしているのだろうと辟易させられる。

 ——いけね。

 くんかくんかと胸の奥深くまで吸い込んでしまったせいでまたぞろおかしな気分になりそうだった。冗談ではない。あたしは本能に忠実に生きることを信条としてはいてもケダモノではないし、フェチでもない。まして変質者でもないはずだった。

 ——なのに、使用済みの女物の下着の臭いに興奮してる。

 自分の下着であれば、まあ、汚れ具合の確認に試すこともあるだろうけれど他人の、しかものものであるのが濃厚な下着の臭いに欲情しているなんてありえない。

 ——こんなの知られたら。

 はっとなって周りを見回す。更衣室の端と端くらい離れたところに牧村がいて、にまにまとあたしを眺めていた。

 ——やられた。

 あたしが今手にしているのはまず間違いなく牧村の下着で、すり替えたのもやつに違いなかった。あたしが歪んだ欲情を掻き立てられるだろうことを見越した上でのワナだ。

 ——てことは。

 あたしの消えた下着はここにあるレース仕立ての下着の代わりに牧村の手にあるということにならないだろうか。

 想像は的中していたようで、牧村ははっきりあたしのものだとわかる某猫キャラプリントの下着をこちらに広げて見せ、足を通し始めた。

 やめろ、と叫びたかった。あたしの下着が、しかも洗ってから一度身につけたものが他人に着けられようとしている。これは侵略だ。侵害だ。そう、テリトリーとかパーソナルスペースとかいうやつの。

 むかつくことに牧村が下着を身につける動作は美しかった。まず間違いなく普段から他人の視線を受けることを前提に、美しく脱ぎ着する仕草を磨いているに違いなかった。

 やっぱりあたしはこいつが嫌いだ。

 あたしのお気に入りの下着がするすると細い足を上がっていく。

 ――あ。あ。あ……。

 途中からなぜか身体の向きが変わってお尻がこちらを向いた。猫キャラプリントが、きゅ、と擬音を発しそうな動作で牧村の細く滑らかな尻を包み込む。

 あたしは自分自身が汚されたような気分になった。布の食い込みを確かめるべく縁を滑った指の動きとぴったりと陰部の形を浮き上がらせた薄いクロッチになぜかショックを受けていた。

 しかも牧村は内股気味で身を抱くようにして背中を震わせていた。あたしは頭に血を上らせる。

 ――くっそ、ひとの下着で興奮してんじゃねえっ。

 はっきり言って気持ちが悪い。背筋を何かが這い上がる気がした。「キモい」みたいに手心を加えた言葉を使う気がまったくしない気持ちの悪さだ。同時に気づく。

 ――あたしもじゃん……。

 アトマイザーの中身と手にしている下着の主が匂いで一致することを確かめてしまっていた。あまつさえその匂いを——。

 やめとこう。あけすけでお高くとまらないことが身上のあたしでも言葉は選ぶ。向かい合いたくない事実だってある。

 牧村は手早く着替えを済ませ、タオルを巻いたまま棒立ちになっているあたしの横を抜けていく。

「早くしないと次の授業に間に合わないわよ」

 

 通りすがりにかけられた区切るような言葉の意味はあたしにもわかった。

 “早く(手にしている牧村の使用済み下着を着用)しないと”ということだ。やつはあたしに自分の使った下着を使えと強いていた。

 ――絶対、嫌だ。

 人様の使った下着、しかもそれが牧村のものとなれば余計に受け入れられるわけがなかった。

 ——でも、どうする?

 スカートを履き、ブラもシャツも着けてみたもののパンツだけ着けられないまま躊躇する。じっと見つめた黒レースの下着はゲなんとかが崩壊してムカデの塊に見えてきた。同級生はとっくにいなくなっていてあたしだけが取り残されていた。

 ——パンツなしで授業を受けろって?

 想像しただけで落ち着かない気分になる。何よりあたしのことだ、学校から帰る頃にはパンツがないことなんて忘れていて、駅の上り階段でギャル丈のスカートの後ろを隠すこともせず、列車のシートでも足をおっぴろげてしまいかねない。

 ——痴女じゃん。完璧、痴女じゃん。

 購買、と思いつきはしたけど午後の授業の後ではもう閉まっていた。

「あー、もう考えんのめんどくせっ」

 これはただの布切れで、おうちもそれなりに裕福らしくお上品な牧村であればヘンな病気とも縁はないだろう。どーってことない、どーってことない、と自分に言い聞かせながらそろそろと足を通し始める。

「うげ」

 微かな染みを目にしてしまい膝の下で手が止まる。

「クソ女だって平気で履いたんだし」

 見せつけるように履かれたことを思い出し、腹立たしさとともに肌が粟立つ。嫌悪しているはずなのにまたぞろ妙な感覚にすり替わりそうな予感に、あたしは思い切って下着を引き上げた。

 ——うへぇ。

 プールの水分が残っていたためか、布地の違いか、あるいは気にし過ぎていたのか、下着は持ち主の性格のようにねっとりと股間に張り付いてきた気がした。


 負けたような気持ちを抱え更衣室を出ると牧村が壁に背を預けて待っていた。

「ぐずぐずしていたけど、けっきょく履いたのね」

「ぐっ」

「ね、今どんな気持ち? 私の身につけていたもので身を包んで」

 あたしの頭が珍しく高速で回転する。いや、あたしは考えるのは苦手だけど閃きは鋭い。はずだ。

 ぴかーん。

 あたしはぐいと胸を張り、牧村に近づく。

「どうせならブラも交換すれば良かったよな」

「…………」

「あー、あんたがあたしのブラつけたら完璧に中で泳いじゃうかー」

 同級生たちにびびられるのはたいてい生の乳よりも脱いだブラだった。牧村だってパンツをすり替える際に当然ブラを目にしていて圧倒されたに違いない、と踏む。

「それとも頭にかぶっちゃう? あんた、好きそうだよな、そういうの」

 ダメ押しに突き出したままの胸肉でぐいぐいと圧をかけてやる。壁に寄りかかっていた牧村は珍しく腰が引けていたけれどあたしは逃がさなかった。

 ――ほれほれー。

 ちょっと楽しくなってきた。

 鼻と鼻が触れそうな距離になり、牧村が顔を逸らした。あたしはさらにいたぶってやろうと左足をやつの足の間に割り込ませ、背けられた視線の先に大きく音を立て右手を突く。

 ――壁ドン。いや、乳ドンか。

 牧村は耳まで赤くしながらふるふると震えていた。

 ――もしかしてびびっちゃった? それとも照れちゃった?

 意外に純情なところもあるもんだとちょっと感動しているところに牧村の震える手があたしの両の上腕を掴む。

 ――お?

 ぷが、と息継ぎのような音が間近で聞こえた。次の瞬間。

 はっくしょぃいいいっ。

 牧村がこちらに向かって思い切りくしゃみをした。くしゃみの後半はそこらで見かけるおっさんが声で付け加えるような音響効果付きだった。当然、間近で真正面にいたあたしは余すところなくくしゃみの飛沫を受け取ることになった。

「…………」

「あら、ごめんなさい」

 顔を近づけてきてどうやら舐め取ろうとしたらしいのをぐいと押しのける。

 ——あんまりじゃないか。

 下着を取り替えられ、意趣返しをしようとしたら藪から棒の文脈無視のこの仕打ち。お天道様が赦してもあたしは赦さない。

 牧村の首に腕を回し、有無を言わせず引きずった。そのまま更衣室を抜け、プールサイドに逆戻りする。背丈は少しだけ牧村の方が高かったけど、あたしは普段から片胸八一〇グラムずつのウェイト計一・六二キロをぶら下げていて骨も太く体重も牧村よりあるだろう。膂力に物を言わせるなら有利だった。

 三角にした肘の内側で牧村が腕を叩いてチョークを訴えているような気もしたけれどあたしはガン無視で牧村をプールに放り込む。続いてやつが浮かんだあたりに向かって背中からダイブ。どっちも制服のままだった。

 浮かび上がって顔を洗う。

 ふう。

 牧村は水泳はあまり得意でないようでじたばたしながらしがみついてきた。そういえばこいつは水泳の授業もビート板グループだっけ。

「なんでもできるあんたが泳ぎが苦手って意外だな」

「……脂肪が、薄いと、浮かないの、よ。あら、これ、じゃない、のね」

 牧村が手をかけていたのはあたしの胸だ。乳の比重は概ね〇・九。水に沈めばだいたい一六〇グラムの浮力が生まれる。アホなりにこういう計算だけは得意だったりする。

 あたしは牧村の頭を鷲掴みし、水に沈める。どうやら水の中での利はあたしにありそうだった。五つほど数えてから牧村をコースロープの本物のブイに掴まらせ、あたしもロープに背中を預けてゆったりと浮かんだ。

「あんたが変態なのはまあ仕方がない」

 げほげほと咳き込む牧村に向けて言う。言ってから本当に仕方がないのかと疑問にも思う。

「でも、さっきのは酷い」

「……ごめん」

「ともかく、パンツ返せ」

 水の中で下着を脱ぎ、牧村に投げつける。牧村もしおらしく素直に下着を脱ぎ——脱いだかと思うとあたしの頭に被せてきた。

「あはっ。変・態・仮・面」

「あんた状況を理解できてないだろ」

 あたしはとぷんと水中に潜み、牧村の手をコースロープから引き剥がして水底に引き摺り込む。

 水の中はあたしの天下だった。沈めて空気を吐き出させては水面に押し出し息を継がせ、二言三言言葉を交わしてまたロクでもないことを言い出す牧村を沈め、頃合いを見て水面に戻る。翻弄し放題に牧村を翻弄した。

「どうよ。これで、ちょっとは、懲りた、だろ」

 荒く息を吐きながら言うあたしに縋り付いた牧村は盛大に咳き込んでいた。そして、ふと顔を上げてこちらをじっと見つめたかと思うと軽く身震いをする。

 ——?

 絡んだ足の、腿のあたりに生暖かい水塊が触れ、牧村が妙に長く脱力するかのような息を吐いた。

「…………」

「…………」

 視線が絡んだ。牧村がわざとらしい恥じらいの仕草を見せる。つん、とアンモニアのような臭いが湧いてきた。何が起きているのか答えは一つしかなかった。

「だあぁぁっ。てめえっ」

 牧村から離れようとしたけれどこんな時ばかりやつはタコのように引っ付いてきた。

「離れろっ。このおしっこ女っ」

 ごぼごぼごぼ。

 けっきょく、暴れるうちになにもかもがうやむやになり、くたくたになるまで遊んで水から上がった。最後の方の牧村はもがくと言うより手首から先をそよがせるだけでひたすらあたしのなすがままの浮遊物体だったけれど。

 濡れた制服のままプールサイドで大の字になり並んで空を見上げる。

「なあ、牧村。プールでおしっこはやめとけ。迷惑だろ」

「知ってる? カナダでの調査だと公共のプールは三週間で七十リットルの尿が——」

「だあぁぁっ。知りたくねえっ」

 じゃあこれは、と言いながら牧村がスマホを取り出し仰向けになったままのあたしを真上から撮り、撮ったものをこちらに向けて見せてくる。

「下着をかぶったまま水遊びをしていた変態女子高生がいますなう、と」

 牧村の指が無情に送信ボタンを押した。

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