あたしとまきむら

 タピオカ事件の翌朝、あたしはめずらしく余裕を持って登校した。昨日、文字通り吞まされた屈辱のせいかいつもより一時間近く早く起き出し、いつもより三十分余分にメイクに時間を使い、それでも時間を持て余して学校にいた。

「部活の子らはもっと早いかー」

 あくびをしながら教室に入るとあいつ――牧村がすでにいて窓枠にもたれかかって本を読んでいた。びびりかけたけどギャルの矜持を思い出す。あんな下品なことのできる仮面優等生などに負けられない。

「おっはよー」

 明るく強気の挨拶を投げかける。牧村は読んでいた本から視線を上げ、くい、と授業以外ではあまりかけているのを見ない眼鏡の位置を直し、頷いた。

「ごきげんよう」

 なぁにが「ごきげんよう」だ。そんな挨拶をするのはこいつと、こいつの取り巻きをやっている数人、あとはもう博物館に展示した方が良さそうなばーちゃん先生くらいだ。

 あたしは思い切り鼻を鳴らし、音を立てて椅子に座り、机の上に足を載せて組む。

 ――くっそ、余裕ぶりやがって。

 くそくそ、と頭の中で罵りながらあたしは牧村を凹ませる良いアイデアはないかと考えを巡らせる。持ち物を隠したりするのはあまりよろしくない。あたしはこれでもアホ系ギャルのリーダー格。迂闊なことをすれば流行を作ってしまいかねない。何より一対一で勝たねば気が済まない。昨日の意趣返しであればタピオカに絡めるのが良いだろう。

 ふと気づくと牧村が鼻歌を歌っていた。

 ――なんだ?

 らしくない童謡っぽいメロディを追いかけてみる。

「カエルの歌かよっ」

 思わず立ち上がり突っ込みを入れてしまった。同時になぜ「カエルの歌」なのかイメージできてしまいげんなりする。

 ――タピオカだ……。

 直径一センチの黒っぽい粒がストローの中に連なる様は――畑や田んぼが残り用水路や溜め池も見かけるこの片田舎ではとあるものを連想させないわけにはいかない。

 思わず昨日、喉に流し込まれたを思い出してしまった。生ぬるく、容器から吸い込むミルクティよりもねっとりとしていた気のするあの感覚を。喉を擦り食道へ降りていった粘液に包まれた固形物の感触を。

 うげ。

 ――こいつ、わざと。

 牧村はそういう女だ。先々週は食堂で食事をしているあたしにネイティブっぽい発音で“tapewormテェィプワァム”と通りすがりに呟いていった。ざるうどんを食べながらうっかり検索してしまったあたしが馬鹿だった。思わず鼻からうどんが出たね。

「……あんた、何読んでんの?」

「これ? エスエフ小説」

 えっちな本でも読んでいたならからかってやろうと思ったのだけれど。

「エスエフ? どんなの?」

「宇宙船である星の調査に来て」

「宇宙船」

「霞みたいな中にある卵のようなものを見つけて」

「待った。嫌な予感がする。やめろ」

「覗き込んだらこんな風に顔を覆う生物に飛びつかれ」

「ぎゃっ!」

 椅子の背もたれに体重をかけ、二本の脚だけでバランスを取りながら仰向くように後ろの方にいる牧村を見ていたはずが、やつはいつの間にかすぐ後ろまで近づいていて、逆さまになったあたしの顔をと掴んだ。両手でだ。むかーしテレビ映画で見た宇宙生物のように。

「卵を産み付けるのよね。食道――このあたりかしら」

「むっ、むぐぅうううっ」

 牧村の長く宇宙生物の脚を思わせる指があたしの口元を塞いだままもう一方の手がぞろりと喉を撫で、鎖骨のあたりをなぞって滑り降り、胸骨をノックする。

「昨日の卵はまだこのあたりに留まっていたりしないかしら? 幼生が胸を突き破って出てきたりしない?」

「むぐぐぐぐっ」

「調べてみるべきね」

 塞がれていた口が解放された、と思った次の瞬間、指が突っ込まれてきた。あたしの口に。牧村の指が、だ。

「んぐぅっ!」

 口いっぱいに捻じ込まれたのは指どころか手の甲までらしい。親指と人差し指の又――水掻きが口の端をこれでもかと押し広げる。二本の指が容赦なく喉の奥、きっとのどちんこよりもずっと深いあたりを探った。執拗に身体の奥深くを蹂躙した指は、ごふ、と胃液が逆流しかけたところでずるりと抜き去られる。

 咳き込みかけたけれどあたしの頭はまだ牧村に捕らえられたままで、椅子の脚も四本の内の二本が宙に浮いていた。背を丸めてむせることさえ許されない。

「なっ、何を考えてやがる、あんたはっ」

「何って、ねえ?」

 牧村は顔の真上で手の甲まであたしの涎にまみれた自分の手を見つめていた。かと思うと、その指先を自身の口に運んでしまった。

「んっ。……酸っぱい」

「うぎゃっ。まじ、何考えてんのっ!」

 怒鳴らずにはいられない。こんな辱めを受けたのは初めてだった。胃液を味見されたことのあるギャルなんて——いや、人間なんてどれだけいるというのか。あたしはこの先「牧村に胃液を味わわれた女」として生きていかねばならないというのか。

「なんだか涎がたくさん湧いてきたわ」

 牧村があたしを真上から覗き込みながらさらにそんなことを言い出した。

 ——まさか。

 ぱか、と開けられた口の中には昨日タピオカの弾丸を受け止めた時と同じように整然とした歯が覗き、話しにあった宇宙生物のように口の中の口が迫り出して来そうな気がした。

 それは錯覚でしかなく、けれど牧村の口はかの宇宙生物のように大量の唾液を湛え、ぬらぬらと光って見えた。舌がいやらしげに蠢き、桜色の唇の端からは液体が零れだす。長い指に捕らえられたあたしは顔を背けることもできず、口を閉じることも許されなかった。

 あ。あ。あ……。

 雫となった涎がゆっくり、ごくゆっくりと長い糸を引きながらわたしの口の中へ落ちてくる。昨日のようの喉の奥を刺激されたわけでもないのに、ぽとり、と雫の感触を受け止めたあたしの舌は次の瞬間に嚥下の反射を起こしてしまった。

 それはひどく「汚された」という感情を湧き上がらせた。

 我に返った。

「はっ、放せっ」

 思い切って腕を振り、もがいて牧村の束縛から逃れる。代償としてあたしは椅子ごと後ろに倒れ込んでしまったけれど大したことじゃない。

「おは——わっ、何? どした?」

 アホ系ギャルグループの一人がちょうど教室にはいってきたところだった。胃液を味わわれ、唾液を吞まされていたのだとはとても言えなかった。

「いてぇ……。なんでもない。その、すっ転んだだけ。おはよー」

「そうなん? 珍すぃねえ。まっきーはともかくあんたが朝イチでいるなんて」

「倒れるから椅子を傾けるのはおやめなさいと言おうとしたところなの」

 そう笑った牧村はあたしと椅子を起こしてみせたけれど、顔が近づいた瞬間に小さく囁いた。

「唾液を飲まされると、赤ちゃんができるのよ」

「はあ!?」

 そんなわけねぇだろ、と返そうとしてギャル友が同じ教室にいることを思い出す。牧村は機嫌良さそうにまた「カエルの歌」の鼻歌を奏でながら離れていった。

 ばかばかしいと思いながらもその晩見たのは、日に日に大きくなったあたしのお腹を突き破りワラスボのような牙のついたミニチュアの牧村が飛び出してくる夢だった。

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