小誓
第11話 ミカゲ、申請却下される
「却下だ」
冷淡な声色でにべもなく突っぱねるよう言われ、ミカゲは鼻白んで立ち尽くした。
アーデルランド、イル師団第九箒兵大隊大隊長室には、昨日から続く雨空のため窓から陽光も差さず、朝だというのに室内は薄暗い。
そんな陰鬱な雰囲気の部屋で、一層見る者を沈鬱たる気持ちにさせる男が執務机に着いている。誰あろう第九箒兵大隊長、鬼のキール・ミーロフである。キールの薄い青灰色の双眸は、秀でた額と薄い眉も相俟って酷薄な印象を与える。
椅子に座ってペンを持つ彼の睨む先にはミカゲが直立している。余人の例に漏れず、その眼に見据えられると異常な緊張感を覚えるミカゲだが、ただ黙って受け入れるほど素直に人間が出来ていない。
「何故です。先日はウォルター軍曹からもパートナー替え申請が出された筈ですし、何の問題も無いかと」
「ウォルター軍曹からはその後申請取り下げが出ている」
本当に取り下げたのか。ミカゲは内心複雑である。
「では私から改めて出す申請を再度考慮してください」
「却下だと言った」
キールはミカゲから視線を外さない。表情は変わらないが、ミカゲには彼の眉間の皺が深くなっているように感じられる。錯覚かも知れない。
だがまだ食い下がりたい。
「何故で」
「一つにはコン軍曹の適性をまだ判断し得ない。また一つにはお前は目が眩んでいる」
「目が眩んでなどいません」
「知己の者に再会して浮かされているところが全く無いと言えるか」
「全くありません」
図星を衝かれたような心中は顔には出さず、ミカゲは即答する。そして畳み掛ける。
「先日のマンティコア戦でコン軍曹の能力は把握しました。その後元隊よりの資料も見ました、私なら上手く使えます」
「資料を読んだならば彼女の問題も理解したな」
「勿論です」
「お前なら使えるだと」
キールがペンを置く。ミカゲは自分の両脚がぴくりと動くのを抑えられなかった。この鬼と呼ばれる上官の発する威圧的な気配に、頭より先に体が屈してしまうのである。
低い声が続ける。
「それを判断するのは私だ。現状私はコン軍曹をお前のパートナーに付けるつもりは無い」
絶望的だ。鬼がここまで言うのである。
ミカゲは消沈するが、あくまで顔には出さないように真っ直ぐキールを見つめる。キールは話し始めてから全く逸らすことの無かった視線を外し、再びペンを手に取った。
話は終わり、ということなのだろう。
「……失礼致します」
その場で一礼して、踵を返す。
扉を開けたところで背後からキールの声が届いた。
「現状を覆すための判断材料を提出しろ」
ミカゲは生来の吊り目を丸くして部屋の中に振り向く。執務机の上の書類に取り掛かっているキールはもはやミカゲには目をくれていない。
「ありがとうございます」
そう言うとまた一礼してミカゲは退出した。
午前の巡回が終わって昼食の後である。
窓から外を見遣ると相変わらず薄暗く、それでいて室内灯も然程明るくないためにコンは目を瞬かせた。ペンでさりさりと音をさせながら業務的な文章を綴る。
大隊の下士官が集まって書類仕事を行う下士官室で、コンは数日前急遽備え付けられた机に就いていた。書類仕事は軍人の主たる業務の内の一つと言ってもいい。戦闘報告書に申請書、業務日誌など、兎に角書くものには事欠かないのだ。
前日に討伐したモンスターについての報告をしたためていたコンだったが、ふと自分の背後に気配を感じた。首だけで振り向く。
ヘザーが立っている。
ヘザーは本来のミカゲ班では唯一の女性である。少し丸顔の、小柄で可愛らしい雰囲気を持つ彼女だが、今は何処か塞いだ表情をしてコンを見ている。
コンは彼女に先んじて声を掛ける。
「ヘザー伍長、何か御用ですか」
ヘザーが小さい口を開いて返す。
「報告書、書き終わりましたか」
「あと少しです」
「そうですか」
沈黙。
彼女が特に何も続けないので、コンはヘザーから視線を外して再び机上の書類に向かった。
暫しペン先を紙面に走らせるが、背後からヘザーの気配が去らないので、不審に思って再度振り向く。やはり未だにヘザーはそこに立っている。
「まだ何か御用がありましたか」
問うて、ヘザーの顔を見つめるコンだが、中々彼女は話し出さない。視線もコンを見ているようで実は微妙に脇に逸れている。
んー何だったかな、こういうの。
コンはそういう彼女の様子に、昔学生時代に似たものを見た経験がある気がして頭の中で唸った。あまり良い経験だった記憶ではない。
ともあれこのままでは埒が明かない、と見切りを付けてコンは促す言葉を掛けた。
「話しにくい事柄でしたら場所を変えましょうか」
「そ、そういうわけじゃ!」
ヘザーは慌てたように、コンを今度はしっかり見据えた。ふっくらした頬が少し紅潮している。見れば見るほど可愛い子だな、とコンは同性ながらに思う。
ミカゲ、好きそう。
幼馴染の過去の恋愛遍歴を思い出して、コンはそのような感想を抱いた。そして任務中の彼のヘザーに対する態度はそういったものを全く感じさせないな、とも考える。
「……成長したんだなあ」
「はい?」
「失礼、こちらの話です」
怪訝な表情で聞き直すヘザーに、片手を挙げて断りを入れる。ついでに今まで上半身だけ振り向いた格好だったのを、椅子を動かして完全にヘザーの方に向き直る。
ヘザーはそんなコンを見ていよいよ腹が据わったのか、殆ど睨んでいるような目付きをして言う。
「本日、業務後お時間ありますか!」
「特に予定はありませんが」
「じょっ女性同士ですし、親睦を深めるためお食事などいかがでしょう!」
「それは」
嬉しいお誘いですね、と続けようとしたところで下士官執務室の扉が勢い良く開いた。
室内にいた者全員が扉の方を振り向く。コンとヘザーも例外ではない。と、そこにはミカゲが立っていた。
ミカゲはきっ、とコンのいる席を鋭い目で確認したかと思うと、つかつかと靴音を響かせて部屋の中を横切り近付いてくる。コンの隣では、ヘザーが若干高くなった気がする声でミカゲ少尉、と呟いて敬礼している。コンも席を立ち、彼女に倣っておく。
近くに来るなりおざなりな返礼をして寄越すと、ミカゲはちらとヘザーを見遣った上でコンに顔を向けた。
「ミーティングだ、コン軍曹」
「ミーティングですか?」
「そうだ。如何にお前の能力をミカゲ班において活かすか、というミーティングだ」
「成る程、では班員の皆さんをお呼びして……」
ヘザーを横目で見つつそう返すコンの言葉を途中で遮って、ミカゲは言う。
「お前だけでいい」
言いつつ、真剣そのものの面持ちで見つめてくるミカゲ。内心面食らうコンの横で、ヘザーがこっそり拳を白くなるくらい握り締めていることには誰も気付かなかった。
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