第10話 ミカゲ、担がれる

 結局帰りに担がれることになったのはミカゲの方であった。

 コンの細いが筋肉質な背に負われるという、男として不名誉とも見える状況にミカゲはしかし甘んじている。

 負傷しているから、空腹に酒を放り込んだから、そんな言い訳を頭の中に反芻する。頭の芯が痺れたようでふわふわした思考になる。深く飲酒した時の常で、何だか楽しい気持ちである。

 コンの肩越しに声を掛ける。

「俺もお前にまた会えて嬉しいぜー」

「はいはい。良かったねほんとに」

「お前が部屋に入ってきた時、夢か幻でも見てるかと思ったよ。全然変わんねえんだもん。あの頃のまま…」

「逆に失礼だよね、私だって大人になったんだよ? ずっと男の子みたいにしてた頃から変わらないっていうのも…」

「お前は昔から女として可愛かったよ…」

「ほんと貴方も変わらないねぇ。人をからかってばかりいて、反応見て楽しんでる」

「からかってねえよ…お前に会いたくて軍人になった…」

 一瞬足を止めるがすぐに元のように歩き出すコンの動きにミカゲは気付かない。ミカゲは自分の口が滑っていることにも気付いていない。話し続ける。

「どこに配属されてるのか調べようかとも思った…でもやめといた。俺が上に行けばいい。きっとお前も上がってくる。上に行く前に会っちまったけど…」

 コンの背中でミカゲの身体が小刻みに震える。笑っているのだ。

 コンは鼻の奥がツンとしてくるのを感じて、しかしその感覚が通り過ぎて行くのを何処か冷静に待つ。

 笑いを含んだ声でミカゲがまた続ける。

「だから今日からはお前と上を目指すことにするよ。今から楽しみだね、お前と一緒に上から見る景色はどんなだろうな…」

「…酔い過ぎだよミカゲ」

「確かに酔い過ぎたなぁ…すげえ楽しい…」

「貴方酔うとこんなんなるんだね、今度から酒量は注意して見ておかなきゃ」

「今度からか…嬉しいこと言ってくれんじゃん…コンちゃん最高」

「馬鹿だなもう」

 思わず笑って、コンはずり落ちてきたミカゲを背負い直す。随分力が抜けて重くなってきた、寝るのかも、とコンは薄々考える。

「明日の朝、起きたらやっぱり夢だった…ってなったらさ…」

「そしたら今度こそ私を探しなよ。上なんか目指してたら御老体になっちゃうかもしれない」

「そうする…」

 それきり静かになる。

 寝たな、と判断してコンは一旦地面に膝を突くと、背に負っていたミカゲの身体を肩の上で横に担ぎ直す。完全に負傷者を運ぶ時のそれだが、これが一番安定するのだから致し方ない。

 立ち上がり今からの道のりを考えて若干うんざりしながらも、胸中のほの温かい感覚に気付いてコンは微笑んだ。

 歩みを進めつつ夜空を見上げる。ちらちらと薄青い星が煌めいて美しい。

 まるでミカゲの瞳のようだ。

 冷えたような輝きだがその実大変な高温で燃えているのだと聞いたことがある。そんなところも彼と被って見える。

 また鼻の奥にツンとするものを感じる。これが泣きたいという感覚であることくらいコンも自覚はしている。

 はあ、と息を吐いて紛らわせる。

 夜空を見たまま呟いた。

「貴方は随分大きくなっちゃったんだねミカゲ…」


 翌朝、官舎の自分に与えられた居室で目覚めたミカゲは、軽い頭痛と腕の痛みに顔を顰めた。腕の痛みはともかくとして、頭痛の原因に思いを馳せると、思い出したら死にたくなるような出来事があった気がして深く考えることを放棄する。

 点呼の時間にはまだ余裕がある。細々と身支度を済ませ、昨日処方された薬剤を吞み下す。吐き気を催す程に苦い。味の改善を要求せねば。

 口をすすいで薬剤の残滓を洗い流すと、ふと自分がいつどうやって自室に帰ってきたのか思い出せないことに気付く。

 盛大な溜息が漏れた。

 薄々残る昨夜の記憶も相まって、ミカゲは点呼に向かうことに気が重くなる。


 早朝の点呼は、大隊単位で外の練兵場にて行われる。大隊員全員で班毎に整列して点呼、朝礼と続く。

 ほぼ隊員達が揃いつつある頃にミカゲも練兵場に入っていく。本当に気が重い。どんな顔でコンの前に立てばいい。

 ミカゲは深酔いしても記憶が消えたことはない。起きてからというものはっきり思い出さないように努めてはいたが、先程から前夜の己の醜態が脳裏にちらつくのだ。

 本当に夢ならいいのだが。

 いや夢じゃ困るのだが、あのやり取りだけでも夢であってくれないだろうか。

 自らの班員が立ち並ぶ位置に辿り着くと、コンが涼しい顔ですんなり立っていて、夢ではないのだと思い知る。そんなミカゲの微妙な表情に気付いたのか、コンは真顔のままで小さく言う。

「夢でなくて良かったですね、探す手間が省けた」

「…そうだな」

 頭痛が酷くなった気がした。眉根を寄せ、コンに背を向けると班員達の前に立つ。

 背後に横並びになった班員達には二人の短いやり取りの意味は分からない。しかしそこを、ミカゲと同じく班長を務める長身の偉丈夫たるハオユーが通りかかり声を掛けて行く。

「よお、お二人さん。昨夜は大変だったな」

 それだけ言って自分の班所定の位置へ向かってしまうため、ミカゲ班班員達は声には出さずに色めき立った。コンは何事も無かったような顔をしているが、ヘザーは顔を赤くしたり青くしたり忙しく、最終的には赤黒くなった。ネイトは青ざめている。

 ミカゲは直立の姿勢は崩さず、しかし左手で頭を抱えた。自分の記憶に無い部分で一体何がどうなっていたのか、今は考えたくもない。

 そんなミカゲの背中を見て、コンは涼しい表情のままで、ふふんと笑った。

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