第7話 ミカゲ班、マンティコアに対峙する

 マンティコアが拘束魔法に抗う耳障りなばちばちという電流音じみた音を聞きながら、ミカゲは箒術を解除して地面に足を着けた。他の面々もばらばらに降りてくる。

 ばちばちと響く音の合間にマンティコアの鈍い咆哮、そして微かにぴしっと何かガラスにひびが入るような音が聞こえる。

 既に拘束魔法に損傷を与えつつあるようだ。

 箒を地面に置いてコンが両の拳を掲げる。短い詠唱の一瞬後、彼女の拳は青い炎に包まれる。コンは脇を締めて拳を引いた。

「行きます」

 班員が息を飲む間も無く、コンが地面を蹴りマンティコアに向かって駆け出す。同時にミカゲが鋭く告げる。

「拘束魔法が破られる前にケリを付けるぞ! コンが尾を落としたら頭部を破壊する! 全員彼女を援護しろ!」

 応答がなされるより前に、マンティコアの眼前に到達していたコンは、その爪撃を避ける勢いのまま高く跳んだ。ヘザーとネイトは思わず目で追う。

 マンティコアの体高は人の身丈二人分は優に超えるが、コンはその頭上を飛び越え背に乗ったのだ。

「ウソ…」

「脚にも強化呪文を掛けてるんだな」

 唖然として呟くヘザーに、親切にもネイトが解説する。

 ウォルターも駆け出し、攻撃魔法を詠唱する。コンへ注意が向くのを逸らさなければ。マンティコアの頭部目がけ放とうとするが、それをミカゲが腕を掴んで制した。

「何を」

「そんな強力な呪文を使っては、目標が暴れ回るぞ。コン軍曹が尾を掴めない」

「しかしもういっそ直接的に頭部を攻撃すれば」

「マンティコアの再生能力は高い。この距離からでは一気に頭部を破壊するまでには至らん。再生されるだけだ。尾の機能を喪失させてから接近して攻撃を」

「やってみなけりゃ分からんでしょうが!」

「過去のマンティコアとの交戦記録から無駄だと分かることを敢えてする必要は無い」

「とにかく離せ!」

 ウォルターが腕を振りほどいた矢先、一際大きな咆哮をマンティコアがあげる。二人が見遣ると、どうやらコンが尾の根本に辿り着いたらしい。ネイトとヘザーは再び箒で飛び上がり、マンティコアの頭部や前脚に向け威力を抑えた攻撃魔法を放っている。尾以外の攻撃がコンに向かうのを防ぐためである。

 ミカゲはウォルターに向き直ると眼光鋭く言う。

「お前の魔力だって俺と然程変わらんだろ。無駄打ちするなと言っている」

 それだけ言うと舌打ちしながらマンティコアに向かって歩みを進める。

 ウォルターが返したのもまた忌々しげな舌打ちであった。


 頰のすぐ横を毒針がかすめて行った。

 今のは流石にひやりとした。

 コンは体勢を立て直すと、改めてその生理的嫌悪感を刺激しかしない尾部を見る。休む事無く左右に揺れ、気配を察しては先程のような攻撃を仕掛けてくる。

 しかし急がねば。ぱきぱきと小枝が折れるような異音がし始めている。拘束魔法が大分弱ってきているのだ。

 コンは右の拳を握り締めると、足を踏ん張って左腕で蠍のそれを思わせるマンティコアの尾を抱え込んだ。獣が吼える。激しく身をよじるが、コンは歯をくいしばってしがみ付いたままで、青く燃える右拳を尾の根本やや上部に振り下ろす。

 ぞぶっ、と嫌な音を立てて拳が尾にめり込んだ。ぼおおだかごおおだか判然としない声でマンティコアが鳴き声を上げる。耳が割れそうだ。激しくのたうち回る獣の上で、それでもコンは腕を離さない。

 これでは駄目だ。尾を落とすに至らない。

 素早く見極めを付けると、コンは右拳を引き抜きそのまま右腕も尾に巻き付ける。再び短く呪文を唱え青い炎を腕全体に纏わせると、気魄の声を上げ渾身の力を込めて尾を肩越しに引いた。

「がああぁっ‼」

 耳の近くでぶちぶちと気色の悪い音が響く。もう少し。

 片膝を突いて腕と腹に力を込めた。

 勢い叫ぶ。

「この畜生ー‼」

 ぶつり、と鈍い音と共にコンはマンティコアの背を転がった。尾が根本から千切れたのだ。膿のような色合いの体液が飛び散る。

 マンティコアの絶叫。

 耳が痛い、そう思いながらもコンは受け身を取って背の上で身を起こし転落を免れる。

 立ち上がってすかさず叫ぶ。

「尾を落とした! 早く頭部を!」

 向こうでミカゲが待っている。


 コンの叫びを聞くなり、ミカゲは自分の身体に物理防御呪文を掛けると走り出した。ウォルターも駆け出している気配が背後にある。

 ネイトとヘザーは今も上空から動きを止める攻撃を続けている。

 この僅かな間しか無い。

 ぱきぱきという音は徐々に大きく頻度が増している。

 マンティコアの眼前に走り着くと、ミカゲは自らの使用可能最大の火炎魔法を詠唱する。

「Inferno!」

 ごうっと音を立てて紅蓮の烈火がマンティコアの人間じみた頭部を覆い尽くした。炎が収まるのを待たずにウォルターもミカゲの斜め後方から攻撃魔法を放つ。

「Thunder ball!」

 凄まじい光を放って雷撃がマンティコアの頭に直撃した。先の火炎魔法も相まって爆風と煙が巻き起こる。全員が腕や手で顔を防ぐ。腐肉が灼けるような生臭い匂いが鼻を突き、皆が作戦の成功を確信した。

 が、獣が咆哮する。

 尋常ならざる怒りに震える雄叫びである。

 ミカゲは目を見開いて身構えた。ウォルターが怒鳴る。

「まだ生きてるぞ! あれで頭部が無事なのかよ!」

 煙が風で散ると、そこには変わらぬマンティコアの人間じみた顔。怒り狂って牙を剥き出しにしている。

 ウォルターはぞっとして、一歩退きながらミカゲに荒々しい声を掛けた。

「おい! 班長さん一旦退がるぞ!」

「駄目だ!」

 叫ぶように声を上げ、ミカゲは足を踏み出した。前へ、マンティコアに向けてである。ウォルターは目を剥いた。

「何やってんだ…!」

 マンティコアの頭上越しにコンの悲鳴にも似た声が届く。

「尾が再生する! 早く!」

 それに後押しされたのか、ミカゲはマンティコアのまさに目前まで駆けた。獣がその人面を勢い良くミカゲに近付け、彼の顔に向け威嚇するように吼える。

「班長ーー!」

 ヘザーの金切り声。

 ミカゲは強張った表情でマンティコアを見返すと、獣が牙を剥くより先に素早く両腕をその口に突き出す。

「Lightning armor」

 ばちっと音がしてミカゲの腕を雷属性の膜が覆う。反作用で物理防御魔法が拡散消失する。

 ミカゲは間髪入れずマンティコアの牙を剥き出した口に自らの右腕を突っ込んだ。獣は電気的な衝撃を感じたのか一瞬びくっと身体を震わせる。反射的にだろう、口をばくんっと閉じかける。が、ミカゲは残りの左手でその上顎をこじ開けた。右腕に長い牙の先端が突き刺さる。

 ミカゲが叫ぶ。

「ウォルター! 中に放て!」

 ミカゲの意図を察して既にすぐ背後まで駆け寄り詠唱を完成させていたウォルターが、マンティコアの赤く蠢く口内にその手をかざす。

「Aerial burst!」

 荒れ狂う旋風と空気の爆発が、赤い人面獣の頭部を跡形無く切り裂いた。

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