第6話 マンティコア、気持ち悪い
ミカゲの後ろ姿が遠ざかっていくのを眺めつつ、コンは箒の上に立ち上がって膝の屈伸運動をした。ついでに脇腹もよく伸ばしておく。
ヘザーとか言う子に凄い目で見られている気がする。何だろう、何かしたかな。
「周辺の住民の避難は完了してるんでしょうか?」
確認のためコンはネイトに声を掛ける。ネイトはマンティコアを注視しているため振り向かずに答える。
「市街地北側は概ね完了しているはずです。逃げ遅れた人がいる可能性はありますが」
「じゃあまああんまり広範囲に及ぶ魔法は使えませんね、了解しました」
気の抜けたような声で応じながら、コンはすとんっと箒に座り直す。そろそろミカゲが見えなくなる。
ネイトが合図の声を上げる。
「では全員手筈通りに! 三名は目標に並走、コン軍曹は目標に威嚇攻撃を開始して下さい!」
場の空気が変化したのを感じ取ったのか、距離を取って警戒する素振りをしていたマンティコアが咆哮する。
人面、赤色の獣。マンティコアの不気味さは顔が人間のようであるところから来る。個体によって顔貌も異なるらしいが、今回の個体は人間の中年男性のような面立ちである。その口には人間では有り得ないずらっと並んだ鋭い牙。見慣れた筈のものに本来あるべきでないものが付いている違和感、そこから生じる生理的嫌悪感。
身体はミカゲの言う通り、大きな猫かライオンかと言ったところだ。そしてふさふさの尻尾が生えていてほしいところに、まるで蠍の尾のような長い突起が付いている。
うん、気持ち悪い。
コンは心の中でそう評価を下すと、赤色の魔獣を追い立てるため火炎を生み出す呪文を詠唱する。
目標モンスターに並走しながら、ヘザーは舌を巻いていた。
時期外れの異動をして来た女性下士官、大隊長から理由の説明はあったものの、実際のところ何か問題を起こした使えない軍人なのだろうと考えていた。
しかし今大通りに沿ってマンティコアを追い立てるコンの動きは並の兵士のそれではない。
中級の小規模火炎魔法を器用にマンティコアの背後に発動させ目標を威嚇し走らせている。時折マンティコアからの反撃があるものの全て間一髪に見える距離で躱す。
そもそも彼女、防御魔法を使用していない。生身で魔物と対峙しているということだ。マンティコアが物理攻撃のみの魔物とは言え、通常考えられないことである。
通りの向かい側を並走して飛ぶネイトも驚いた表情をしているように見える。ウォルターは少し先を飛んでいるためその反応は窺い知れないが。
目標は順調に通りを追い立てられ走り続け、次第に広場が近付いてきている。
何なの…ほんとムカつく…
ヘザーは今日作戦会議室から始まった苛々が最高潮に達するのを感じた。
この作戦が成功してネイトから報告が行けば、コン軍曹の働きはミカゲ班長に伝わることだろう。ミカゲ班長は彼女を高く評価するだろう。部下の働きは公正に評価する人だ。
タイミング的にも、そのままパートナーになんてことも…
怒りと焦燥で一瞬目の前が真っ白になる錯覚をする。いや、実際視界が曇っていたのかもしれない。
何故なら気付けば目の前にマンティコアの顔があったからだ。
中年男性のように見えるそれがにやりと笑った、ように思った。
「…っひ! お、obstruc…!」
身体の奥からざわつくような恐怖心が湧き上がり、ヘザーは障壁の詠唱が遅れる。マンティコアの鉤爪が振り下ろされるのがヘザーには妙にゆっくりと感じられた。
「ヘザーさん!」
コンの鋭い声が響くと同時に、ヘザーの背後から火炎魔法の短い詠唱が聞こえ、発動した火炎の壁がヘザーとマンティコアの間を遮った。ブォォッとくぐもった鳴き声を上げてマンティコアはまた通りに追いやられる。
ヘザーは背後を顧みて愕然とする。
「み、ミカゲ班長…」
「罠を張り終えたので合流する。止まるな進め」
何の感情も読み取れない表情のまま告げられ、ヘザーは今度は目の前が真っ暗になる思いがした。ミカゲ班長に助けられてしまった、信頼して任せると言ってもらえていたのに。
先を飛ぶミカゲの背に向かってつい声を掛ける。
「わ、私…」
「お前らしくもない。挽回してくれ」
ヘザーはその言葉で、萎れそうになった気持ちを何とか持ち直した。
もはや広場は目前に迫っている。コンは尚も火炎魔法を駆使して、目標を罠の張られた場所に向かって追いやる。マンティコアもじりじりと焼かれて相当気が立っている様子だ。尻尾の先の毒針がぱんぱんに腫れ上がっている。
「広場を駆け回られてはかなわん! 広場に入ったら全員で囲んで罠まで誘導しろ!」
ミカゲが声を張り上げて指示を送る。コンがそちらを見遣ると同時にマンティコアの尾が振り下ろされるが、それもコンは避けている。
全員の了解の応答が広場にこだました。
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