第3話 マンティコア、現る

 箒術そうじゅつを用いて飛行している間は互いの声が届きにくいため、箒兵科そうへいかの将兵は皆魔法具の一つである音声拡張器を身に付けている。拡張器とは言っても、音声が単純に大きくなるわけではなく、同じく拡張器を身に付けた状態で近くにいる者の元に明瞭な音声を伝えるというものである。

 拡張器に拾われたコンの声がミカゲの耳に届く。

「お久し振りですね。まさか軍人になっておられるとは」

 風のように軽やかな声だ。何も気にしていない、と言外に言われているような気分になる。確かに何も気にするような事はない。幼馴染二人が、ある時から会わなくなり、お互い軍人になった後同じ隊に配属になった。それだけのことだ。

「お前は言っていた通りだな。ここまでは順調だったのか」

「そうですね。予備修練所では血反吐を吐く思いをしましたが」

 血反吐を吐く、と言う割にはあっけらかんとした声だ。コンは後方を付いてきているが、どんな顔をして話しているのかミカゲには不思議とすんなり想像が出来た。

「貴方は既に少尉殿か。魔法防衛大学に行かれたんですね」

「そうだ。知識を身に付けたかった」

「ミカゲは」

 コンが言葉に詰まる。

 彼女が言葉に詰まった理由に容易に思い至って、ミカゲは声も無く笑った。

「いいさ、別に誰が聞いているわけでもない」

 一呼吸置いてようやくコンが話を続ける。

「……ミカゲ少尉は昔から頭脳明晰でしたものね。大学に行かれるだろうとは思っていました。ただ、軍に入られるとは思いもよりませんでしたが」

「降下するぞ」

「? はい」

 ミカゲの唐突な指示に、しかしコンは異も無く従い箒を降下させる。イル地域区の中心市街地より随分手前の、さほど広くはない森の境界だ。切り倒された木がそこここに横たわっている。

 ふわりと降り立ち足を地面に着けるとコンは箒術を解除した。ミカゲも同じように着地している。

 頭に浮かんだ疑問を特に頓着無く口にする。

「この区域に何か問題でも? ミカゲ班は市街地近くの区域が巡回ルートだと先程聞きましたが」

 ミカゲがコンに振り向く。眉間に皺が寄っている。両の目は見開かれ、端的に言うと怒りの表情のようだった。

 ざくざくと音を立てて地面を踏みしめコンの目前まで歩いてくると、ミカゲは眼光鋭くコンを睨み付ける形で身体を屈めて顔を近付けた。

「お前がしていったとんでもない置き土産だよ」

 息が掛かる距離で睨み付けられているにも関わらずコンは飄然とした態度を崩さない。

「私がした置き土産? どういうことでしょう」

 ミカゲもあくまでコンを睨み付けたままで続ける。

「俺は自分の能力を活かしたいとは思っていた。だが軍人になるなどとはあの日までついぞ考えたことがなかった。お前があの日軍人になると言って去った時から、俺は自分が軍人としてどこまでやれるかなんてことばかり考えるようになってしまったんだ」

 息もつかせぬ勢いで一気に言い放った。

 少しコンの表情が動く。

 ミカゲはコンから顔を離し、剣呑な表情のままそっぽを向く。そして打って変わって小さな声で呟いた。

「お前のせいだぞ」

 少しの間を置いて、ふふっとコンが笑う。気の抜けたような声音で言う。

「貴方は変わらないな。いつもそうやって私を困らせる」

「はぁ? 困らせるのはお前だろうが! 俺はお前のせいでしたくもない苦労をしてここまで来た!」

「何故私のせいになっているのか分かりませんが、私、頼んでませんよ」

「あんな別れ方をすれば心残りになるに決まってるだろ! 人の思考を掻き乱しやがって!」

「私は粛々とお別れを言っただけですよ。もう会えないと思ったのは事実ですし」

「俺はお前に会えなくなって……!」

 ミカゲは息を呑んだ。

 自分でも何を言い出すつもりなのか分からない。何か恐ろしく恥ずかしい言葉が己の口から滑り出しそうな予感がして、唇を引き結んだ。

 コンはそんな彼を目を細めたままで見つめている。そして代わりにとばかり言葉を紡ぐ。

「淋しかった? ごめんね」

 ミカゲは堪らず俯く。

 馬鹿を言うな。そんなガキみたいなことを俺が言うわけないだろ。

 そう言い放ってやりたいのだが声にならない。

 淋しかったわけではない。友人なら他にもいたし交際している女だっていた。悲しかったというのも違う。死に別れたわけじゃない。

 コンがミカゲの左手を自分の右手でそっと握る。温かい手の平だ。

 常とは異なる、しっとりした声色で囁く。

「貴方にまた会えて嬉しいよミカゲ。時折思い出すことがあったんだ、貴方といた頃のこと」

「……光栄だね」

 目を合わせず俯いたまま、ミカゲは強がるようなことを言う。いつもそうだ。大事なことは何も言えない。そのくせ軽口だけは我先にと唇から飛び出していく。

 それを知ってか知らずか、コンは微笑みを浮かべた顔でミカゲの顔を覗き込んだ。しっかりと目が合う。

「私に会えて嬉しい?」

「……キスでもしてやろうか?」

「……質問に質問で返すのは良くありませんね少尉殿」

 ついミカゲもふっと息を吐いて笑った。昔よく一緒にいた頃コンはいつもこうだった。ミカゲが無茶を言っても軽くいなす。おかげで安心して行き過ぎたからかいを楽しめると当時は思ったものだった。

 今ではもはやお互い子供ではない。それでも二人の間に漂う空気が幼い頃とさして変わらないことをミカゲは快く感じた。その奥にひっそりとうずくまる心地良さとは異質な感情には気付いていない。

 コンが握っていた手を離して言う。

「やっと笑った顔が見れたな。変わらないとは言ったけど、貴方は随分険しい表情が多くなったみたいだ」

 職業柄仕方ないことだろうけどね、と続けるコンの声は、また風が吹くような軽いものに戻っている。

「お前は本当に変わらない」

 言ってしまった後で少し気恥ずかしくなる。自分らしくはない感傷が、短い言葉からでもあからさまに伝わるような危惧がして。

 思わず再び目を逸らせる。

「変わらないかな? こう見えて色々経験を積んだつもりだったんだけど」

 ミカゲの心中など気付きもしない様子でコンは言い、ついでにあははと声を上げて笑った。

 六年振りに聞く笑い声の、その余りの軽快さにミカゲは眩しいような感覚を覚えた。

「ミカゲの話を聞きたいよ。本日の勤務後のご予定は? 夕食など一緒に如何です?」

 にこやかにコンが尋ねる。

 ミカゲがそれに応じようとした矢先、通信機が硬質なきんっという音を立てて起動する。通信兵の音声が微かな雑音と共に響いた。

『こちら通信科。ミカゲ班ネイト組担当区域内にて交戦開始。応援を要請しています』

「目標モンスターは?」

『マンティコアです。他班にも応援要請致します』

「了解した。すぐ向かう」

「行きましょう、市街地に出現したなら被害が心配ですし」

 言いながらコンは既に箒上の人となっている。ミカゲも即座に箒術を発動させ、彼女の後に続いた。

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