終末には過去が去来する<Ⅰ>

 あの日。

 空を見上げていたと記憶している。


 本当に何時も通りの綺麗な、地平線に沈みゆく太陽と少しずつ漏れ出す夜が織り成す複雑な色合いの幻想的で、何時もと変わらずだけど昨日とは違う明日とも違う綺麗な夕空を……俺は、誰と見上げていたのだろう?


 とても大切な人だったと記憶している。

 ただもう朧気で顔の輪郭も声も仕草も、はっきりと思い出せない。

 それだと言うのにあの日の光景ははっきりと覚えている。

 

 唐突にそれは起こった。

 

 沈みゆく夕陽となった太陽をそれは文字通り飲み込んだ。

 エジプト神話の太陽の船を飲み込むアポピスのように『何か』が太陽を飲み込んだ。

 または金環日食のように太陽が少しずつ黒く浸食されるように『何か』に飲み込まれた。


 それはとても狂気的でたぶん俺はあの時、はっきりと『何か』を観た。

 どんな輪郭で縁取られどんな色を持ち、どんな姿で何に類似点があったのか。

 俺ははっきりとそれを観て…ああ、はっきりと何も分からなかった。


 太陽という世界の基点を飲み込む。

 『何か』を俺ははっきりと観て、はっきりと分からなかった。

 たぶん隣にいた誰かも同じ様にはっきりと観て、ああそうだった。

 だから彼女は自らの終末を選んだ。


 世界に終末が訪れてから、一変した世界を前にして多くの人が自ら終末を選んだ。

 手段も方法も至った経緯もバラバラだったけれど、自ら終末を選んだ。

 彼女は誰よりも早く終末を選んだ。


 それからの日々は……。

 記憶が正しければそう、最初の数日は家に住んでいた。

 そこで残った食料を少しずつ食べながら、父と母と妹か弟と一緒に暮らしていたけど、団地にある家の周囲を『あれ』が取り囲んで、家の住人が餓死する事が頻発してここは危ないと父が言って今住んでいる住処に移った。


 その頃はまだ幾人かの住人もいた。

 だけど一週間もしない内に一人、また一人と終末を選んだ。


 変わり果てた狂った茜色の空と『夜闇』だけの世界は、時計ですら正確に時を告げる事が出来ず一日が経ったのか?

 それとももっと経っているのか?

 まだ半日も経っていないのか?

 一番信頼出来る時計は出鱈目で、空を見上げればいる太陽も月も消え失せ。

 自分しか信頼できず、自分が信頼できず。


 気が付けば父が消えていた。

 書置きには家に帰るとだけ書いてあった。

 誰にも、母にも、妹か弟にも、そして俺にも……。


 大黒柱が忽然と消えた日から、それ程、間もなく突然、母が狂ったように笑い出して住処を妹か弟を連れて飛び出してしまった。

 俺は必死に追いすがり、目と鼻の先に二人を捕えて必死に手を伸ばした直後。

 あの空襲警報のような、終末を知らせてくれなかった喇叭らっぱの如く鳴り響き『夜闇』が世界に満ちると、さっきまで前を走っていた筈の二人の存在が消えて、俺は一人でこの終末の世界を生きる事になった。

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