RN -Restart from Now-

瑞野 蒼人

本編


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冷たい潮風が、吹き付けてくる。


私は、バイトが遅くまで長引き、夜道をバイクで急いでいた。

細かく刻まれるエンジンの振動と外気が、身体を刺してくる。


誰もいない夜道。人もいない夜道。

スロットルを上げて、夜の闇に頭を突っ込んでいく。

街灯が次々と彼方に飛んでいく。


「寒っ・・・」

ひとりごちに、呟いた。


港沿いの無機質なバイパスは、冬の寒さを倍増させる。

すれ違うのは大型のトラックばかりで、

すれすれの所を跳ぶように走っていく巨体が

なんとなく恐ろしい。そう感じた。

毎日のようにこのバイパスを通り、

無機質な人工島と騒がしい街中を行き来している私。

帰りはなんとなく怖くて、どうしても急ぎがちになる。


昔は良かった。

彼がいた頃は。

高校のときはずっと二人で行きも帰りも過ごしていた。

やがて大学生になったら、

あの家に毎日のように車で来て送り迎えをしてくれていた。

行きも帰りも、話が弾んで仕方がなかった。

帰りたくなかった、と何度も思った。



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朝の大通り。

港の冷たい風が、ランニングで熱くなる体を冷やしてくれる。

いつも走る決まりのコース。

もうすぐ大きな橋に差し掛かる。一番厳しい坂道だ。

いままで一度も止まらずに渡れた事は無い。


私はひとり、自分と戦っていた。


「いやーかっこいいなぁ・・・」

「誰が?」

「サッカー部のキャプテンで、容姿端麗、正確抜群。勉強も出来る。

漫画の主人公かってぐらいの好青年?」

「ああ、桜井君?すごいよねぇ~」

「でも私たちとかじゃ相手にもしてもらえなさそう・・・」

「高嶺の花だね・・・」


そんな男子を好きになって早二ヶ月。

私はあらゆる努力を積み重ねてきた。

今だってそうだ。私は今ダイエットのために、

ひたすら寒い港町を走っている。本当に寒い。

息が絶え間なく、白い煙になって吐き出されていく。


辛い。


辛いけど、辛さを味合わないといけないときもある。

そう自分に言い聞かせる。

よくある話だけど、辛い気持ちをばねにして、パワーに変えて

困難を乗り越えていくってのは本当だなって思う。


真似するみたいだけど,今の自分に例える。


この坂を上りきったとき、私達は結ばれて、

晴れて二人で幸せに坂を下って

いつもの暮らしに戻っていく。


でも、「坂を下る」って響きがよくないなぁ。


「はあ・・・はあ・・・」呼吸が乱れる。

いつもの何倍もの力を込めて

ぐんぐんと坂道を登っていく。

緩やかに見えて、とても傾斜がきつい。



すぐ横の道路を大きな音と振動を立ててトラックが走っていく。

道に危険は付き物だろう。


もっと早く、もっと長く、

その向こうまで走っていきたい。

思えば自分の気持ちに嘘をつきそうになった日もあった。

どうせ自分なんかじゃ・・・。

その一言で全てを終わらせようとした。

でも、そんな事で終わらせられる事じゃないって

気づかされた。


ようやく橋の頂上までたどり着く。しかし勝負はこれから。

今度は下っていかないといけない。

早すぎず、遅すぎず、慎重に長い坂道を下っていく。


足を止めず、とにかく走り続ける。


この先にどんな困難があっても、

この橋を渡りきる力があるから、大丈夫。

そう言い聞かせる。


私はもつれそうになる足を奮い立たせ

ラストスパートを掛けた。数十メートルの全力疾走。


ようやく長い長い道を走りきった。

ひざが笑ってしまって、おなかも本当に痛い。


でもなぜか、

心はとても強くなった気がしていた。




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大きな橋を渡る。バイクはスピードを増していく。

港の人工島の中の大きな団地。そこが私の今の家だ。

この街を襲った地震があってから、

私は新居を探すのに苦労し、やっとの思いで

この団地に住むことが出来た。


一人身になった私。

港の近くは結構物騒だし、なんかの事件に巻き込まれたら嫌だけど、

背に腹は替えられず、この団地に住む事になった。


煌々と光る通路の光が、遠くからも良く見える。

なんとなく不気味だ。

バイクを駐輪場に止めて、

エレベーターで七階の部屋を目指す。


コツコツとコンクリートの床に足音を響かせる。

乾いた音が、しんと静まったフロアに鳴る。

あまりうるさくしないように、近くの住人を起こしたりしないように。

気を遣って歩いていく。


なんとなく、惨めな気分になってくる。


毎日まいにち判を押したように同じ生活を繰り返す。

街中の本屋で一日働き、夜は寒々とした家で独り過ごす。


寂しい。


段々と、自分の日々に色が失われていくような気がして、

でもどうしてもそれを止めることは出来なくて、

水中でもがくみたいに、気持ちが溺れて沈んでいく。


でも、どうしようもなかった。




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忘れもしない、あの2月の寒い日だった。

彼のサッカーの試合が終わった後、私達は二人きりになった。

信じられなかった。奇跡みたいだった。


ここを逃せば、もう何も無くなってしまうかも知れない。

私は最期の気持ちを振り絞って、気持ちを伝えた。


「付き合ってください!お願いします!」


正直、捨て身の告白だった。

いいよ、と言われるわけが無いと諦めかけていた。


「・・・よろしくお願いします」

「・・・え?」


「僕も、前から君の事が気になっていた」

「・・・嬉しい。ありがとう」

「これから、よろしくね」

「こちらこそ」


私の恋は、奇跡的に実ってしまった。

今までで一番嬉しい出来事。私は舞い上がった。

夢の世界にいた好青年は、たった一瞬で

私の元に来てくれた。


高校生活はすっかり変わってしまった。


朝起きる。家の前には彼がもう来てくれている。

「ごめん、待った?」

「大丈夫だよ。いつまでも待つから」

「ええ?それじゃ遅刻しちゃうかもよ」

「そしたら君のせいにする」

他愛も無い会話を、ニコニコしながら交わしていた。

学校でも、帰り道でも、

そんな事を毎日繰り返した。


私の日々は、ぱっと鮮やかに色を変えていく。

彼の大きな優しさに包まれて、

楽しい生活を送っていた。


永遠に、この恋が続いていくんだろうなと、

平気な顔して思った。




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信号で止まる。

こんな夜中だと、歩道を歩く人どころか車すら通らない。

寒くてしょうがない。心が急かされる。

誰もいない信号を、無視して走り出したくなる。

今日はどうしても、急ぎたかった。

悪い予感が、気持ちが、高ぶってくる。


忘れもしない、あの2月の寒い日だった。

大地が割れたと思うような轟音とともに、

私の世界は壊れた。


私の世界は、壊れた。



荒野のようにボロボロに崩れた街。着の身着のままの人々。

生き地獄とはこのことだなと、誰もが口々に言った。

私が生き延びられたのも、紙一重の幸運だった。


幾人もの人が、大切なものを失い、

家に、仕事に、寝食に、路頭に迷った。

誰も忘れる事など出来ない事実が、そこにはあった。


テレビも新聞も分かってくれない、

決して伝えてはくれない、事実。

暮らしは過酷さを極めた。

私も、生きるためにとにかく必死になった。

冷たい廊下で夜を越し、朝から晩までボランティアに勤め、

仕事も血眼になって探した。

思い出そうとも思わない、辛すぎる日々。



あの恐ろしい震災から、十年が経とうとしていた。


若い頃、夢中になって追いかけていたあの男も、今はもういない。


私の元にも、そしてこの世にも。


辛さは計り知れなかった。

誰よりも深く愛した人の、あまりにもあっけない最期。

幾度泣いたかも、もはや思い出せない。

今も思い出すたびに、心に刺さったままのナイフが小さく揺れる。

私を痛めつけてくる。


今思えば、恥ずかしくて死にたくなるような日々だった。

どんなことだって、彼の前では恥ずかしくなかった。


そう、どんな事だって。




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「いいの?」

「いいよ」


彼は私を包むように抱きしめた。


夜は静けさを増していた。

肌寒そうな月が、らんらんと明るく輝いている。


私と彼の間の隔たりは、もう何も無くなった。

暖かいベッドの上、私達は二人だけ。

ゆっくり、深く、結ばれていく。


彼の力強い四肢が、私を覆っていく。

とても、とても、たくましい体つき。


私もそれに答えるように、

背中に手を伸ばし、ゆっくり包み込む。

優しい体温が、じん、じん、と伝わってくる。


二人を別つ障壁は、取り外されていく。

ひとつ、ひとつ、段階を踏んでいく。

優しい手の感覚。

匂い。

唇。


ああ、私は生きている。

生きている。

生きている。

愛されている。


こんな状態のことを、幸せの絶頂、とおそらく人は言うだろう。


世界にこの二人しかいない、と思えるほど、

恐ろしく静かな時間だった。

でも、何よりも愛しい時間だった。

間違いなく今ここには、幸せな二人しか居なかった。


まるで何も知らなかった二人は、

するすると脱皮していく。


子供だなんて呼んでほしくなかった。


私達は時を重ねた。

じっくりじっくり大人へと近づいていく。

あんまり器用でない私も、間違いなく大人になっていく。

将来のことなんてあまり考えられてなかったし、

ただただ、今目の前の楽しい事を夢中になって追いかけていた。


気楽だな、と人は言うかもしれない。

でもそれが私の人生だった。




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私の職場は、ネット通販の流通センターだった。


「お疲れ様です」

何日か残業が続いた、ある男の人に声を掛けられた。

あまり面識はなかった、私より年上の男性だった。


「あ、お疲れ様です」

「あの、今日も残業されます?」

「あ・・・はい、なかなかこっちの作業終わらなくて」

「また手伝いましょうか?」

「あ、いいですよ別に!」

「いやいや、大丈夫ですよ。こっちももう仕事ないですから」

そういって彼は本の梱包を手伝ってくれた。

最近、私の仕事のつたなさを見たのか結構手伝ってくれるのだ。


「早いんですね・・・梱包」

「ええ、まあ・・・管理部門に入る前は出荷ラインで作業してたので。

この辺の作業は結構出来ますよ」

そういって彼はみるみるうちに作業を進めていく。

「すいません・・・ありがとうございます」

「いやいや、大丈夫ですよ。」

「いつも手伝ってもらって、本当にすいません」

「大丈夫ですよ。だって、早く仕事に慣れてもらいたいし、」


一瞬、目と目が合った。気がした。


「遅帰りで大変でしょうから、体とか大切にして欲しくて」


―やさしい。

誰かを、私を、想ってくれている事が久しぶりで、眩しかった。


「あ、すいませんね。余計なおせっかい焼いてしまって。

じゃあ、私はこれで。また明日」

彼は荷物を持って、再び帰ろうとした。

私は、気づいたときには、口走っていた。


「あの、すいません」


彼みたいな力強さは無かったけど、


「ん?まだ何かありましたか?」


どこか、何か、期待していた。


「今度、お礼したいんです。

一緒に食事でも・・・しませんか?」




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静かな教会だった。

私は、鈍い色のブレザーをまとっていた。


目の前には、大きな白い棺がある。

言うまでも無い。

彼は、その中にいた。


小窓から、彼の白い眠り顔が見える。

今にも、起き上がってきそうだった。

でも、昔みたいな力強さも血色の良さもそこには見る影もなかった。


モノトーンの洋服、煤けた顔が並ぶ。

皆、すっかりやつれ、悲しみに征服されていた。


世界はすっかり、色を亡くしていた。

どこからともなく、すすり泣く声が聞こえる。


彼は、紙一重の運命をくぐり切れなかった。

あっけない最期。

あんなにも永遠に思えた恋が、一瞬で終わる。

ボロボロになった世界は、元の形に戻っていく。

でも、心は元には戻らない。悲しみを抱いて、

そのまま離そうとはしなかった。


さよならさえも言えずに、とよく言われる別れの瞬間。

本当に何も言えなかった。

悔しかったけど、誰かに当たってもなにも生まれない。

悲しかったけど、それで彼が生き返るわけでもない。


何を思っても、考えても、しょうがなかった。


「残念でしたね」


の言葉さえ、残念に思えなかった。


火葬場で焼かれる瞬間も、私はそこに居た。

二度とは彼は戻ってこないんだ、何回もそんな言葉を聴いた。


悲しかった。でも、何も思えなかった。




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「ありがとう」

「何だよ、急に」

「あの時、私の仕事を手伝ってくれて、ありがとうって」


扉の前で、私は急に、その言葉が言いたくなった。

今まで散々言ってきたはずなのに。


私は白いウエディングドレス。彼はタキシード。

外には私たちのために来てくれている多くの人々。

こんな日が来るとは、思ってもいなかった。


「どうしても、伝えたいなって思って」

「今まで散々聞いてきたじゃないか」

私と同じことを考えている。クスッと笑ってしまう。

「ん?おかしかった?」

「ううん。大丈夫」


教会の鐘が鳴る。


「よし、行こうか」


沢山の祝福の拍手とともに、私達は外に出た。

人々は心から笑っている。

間違いなく今ここには、幸せな二人しかいない。


暖かな日差しが降り注いでくる。

いま、全ての者から祝福を受ける。

もしかしたら、天国の彼だけは嫉妬しているかもしれない。

ごめんね。


辛く苦しい冬は、一度終りを告げてくれた。

でももしかしたら、また何かの拍子でやって来てしまうかもしれない。

いや、今はそんな事考えないでおこうか。


ぱっと鮮やかに色を変えていく。

根拠はなかったけど、心はとても強くなった気がしていた。

人生がまた、リスタートしていく。

色を取り戻していく。


ベタでもいい。ありがちな展開でもなんでもいい。

ここからまた、新しい物語を書いていこう。


ブーケを空に力いっぱい放り投げた。

彼のいない日々との別れを、

そして未来の始まりを祝って。




――未完――



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