第15話 梅に鶯 松に鶴 清次兄いに朝吉親分
仲のよい間柄のたとえ。
「梅に鶯」の後に続けて「柳に燕」「紅葉に鹿」「牡丹に唐獅子」「竹に虎」などともいう。
日本映画「悪名幟(のぼり)」
ラストの場面。
昔の大阪の風景、三味線の音色、そしてこのコンビ朝吉親分と清次兄い。
「親分、またワイら悪名さらしましたな。」
「離れられんようになっとんやな、ワイら。」
・・・
「さて、ほんまにどこ行きまひょ。」
「ワイらに行き先なんかあるかい。」
勝新太郎・田宮二郎の名コンビによる、悪名市場(1963年)、悪名波止場(1963年)、悪名一番(1963年)、悪名一代(1967年)あたりがいいんです。
因みに「悪名」といい、彼らコンビは全くの「善」であり、権威という肩書きだけの警察にはない、そしてバットマンやスーパーマンのような子供だましではない、日本人としての機転と機知、度胸とガッツで問題を解決していく姿が、作り物(映画)とはいえ、気持ちがいい。
試合に負けてもいい。
「いよっ大統領 !」
「音羽屋 !」 → 歌舞伎のかけ声
「カッコよかったよ !」
私たちは日本人なんですから、本当の意味での格好良さを追求しようではありませんか。
第二次世界大戦中、南太平洋に特攻で散った人たちは、そのほとんどが敵艦に体当たりする前に撃ち落とされてしまいましたが、世界中の人々がその「カッコいい」姿とそこにある強い心に、感銘を受けています(グアテマラの中学生は、十字を切りながら estupendo(great )なんて、精一杯の敬意を表していました)。
日本の愚かな指導者たちによって多くの日本人の若者たちが殺されたという、世界にも稀に見る悲惨な事実を忘れるわけにはいきませんが、彼ら特攻隊員たちに「あんたらカッコよかったぜ」と心の中で言ってあげることが、元坊主としての私が唱えることのできる念仏であり供養なのです。
ドイツのニュールンベルグという街で出会った老人は、「Kamikaze・・・」と言って目に涙をため、握手を求めてきました。彼の奥さんの話によると、1945年5月にドイツが降伏してからの悲惨で苦しい生活の中、ラジオで日本のKamikazeのことを聞き「私たちの同胞が地球の裏側でまだ頑張っている」と、勇気づけられたそうです。
私もまた、映像でしか「カミカゼ特別攻撃隊」を見たことはありません。
しかし、今大会で彼女たちの試合をこの目で見た私は、ようやく、心の底から、あの老ドイツ人の気持ちがわかったような気がします。
たとえ試合に負けても、戦う姿と心が一体化したその姿は強く、永く心に残るものなのです。
戦争で生きるか死ぬかの激闘をくぐり抜けてきたドイツ人には、国や民族を越えて日本人の魂が理解できる。 戦争中、中国・ロシア・日本(旭日旗)という三本の国旗を用意し、それぞれの国に媚びを売っていた半島の民族には到底理解できない、真の心の交流というものがあるのです。
私たち日本人は、たとえそれが地球の裏側であっても、日本人の大和魂と同じ、○○○魂とでもいうべき、民族のポリシー・人間としてのアイデンティティーを持つ人たちが存在するのだ、ということに安心と誇りを持つことができる。
ですから私は、彼女たちの「負けっぷり」に感動こそすれ、少しも悲しむことはないのです。
2018年12月27日
平栗雅人
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