第13話 我は天地の外にこそ棲む

「乾坤をそのまま庭に見る時は 我は天地の外にこそ棲む」 宮本武蔵


 武蔵二天一流の要諦である「観見自在の境地」。

 乾坤一擲という一点に向かう集中力と、我は天地の外にこそ棲むという全体を見渡す観の目。

 今大会の焦点は、男子決勝戦明治大学対龍谷大学であり、その代表決定戦でしたが、この試合における両校キャプテンの「心」に、その勝敗を分けた要因があった。

 というよりも、こんな見方で私はこの大試合を楽しませていただきました。


「2018日本拳法全日本学生拳法選手権大会 決勝戦 明治大学VS龍谷大学 」22:45

 https://www.youtube.com/watch?v=mXXpfayS8as


 ○ 先の攻防

 この決勝戦、(組み打ち主体の2人を除く)5人の戦いはすべて、如何に先の先を取るかという「先の攻防戦」でした。

 間合いギリギリのところで、攻撃しようとするそぶりを見せながら、相手が先に打ってくるのを待つ。

 両校選手の皆さん、ほとんどプロですから、うっかり「懸の先」で仕掛ければ、「待の先」や「躰々の先」で陰を突かれてしまう。

 お互いの実力が拮抗している以上、そうなるのは当然でした。


 しかし、明治も龍谷も、「懸の先」、或いはそこから「躰々の先」につなげて勝つという、先に攻撃をした方が勝っている(一本を取っている)。

 「集中の自由は攻撃側にある」以上、時間と空間の一点に(自分の戦力を)正しく集中できた方が勝機を手にすることになる。

 そして、集中という超緊張感を打ち破り、広い空間と無数のタイミングの中から究極の一点を選び出す自由を得るには、その心を解放しなければならない。

 武蔵がその著「五輪書」の最後に「空(の心)」を持ってきた理由を今回見ることができました。

 心の集中(執着)と解放(放擲)にこそ、(陰と陽・裏と表・攻撃と防御といった真理の二面性を自在に操るという意味を字義とする)二天一流における心の科学があるのです。



 ○ 副将戦

 13:45 1本目 待の先 「敵のたるみを見て、直に強く勝つ」

 14:05 2本目 躰々の先 「ひともみもみ、敵の色に従ひ、強く勝つ」

 (龍谷の選手は)胴蹴りを続けて二回も受ければ、条件反射的に三発目の蹴りは、当然胴に来ると身体が反応し、面の防御が薄くなる。しかも、明治の左手がせわしなく牽制しているために、やはり条件反射的に自分も(中途半端な)左の回し蹴りをしてしまった。(「五輪書」 P.101うろめかす」)


 明治のこの攻撃は「懸の先」で入り、「躰々の先」を取ったのですが、一本をもぎ取るまでは攻撃を止めない執念(心)と、それを物理的に可能とする「つなぎ」の使い方で龍谷を圧倒した。特に「つなぎ」に関しては、大学から日本拳法を始めた者にはなかなか難しい。 真剣勝負の場数がものをいうということか。

 

 真剣勝負に(目に見える形として)同じ事は二度ない。

 しかし、勝機というものは(形を変えて)何度でも訪れる。

 そして、何もしなければそれは倉に入ったままだ。

 明治の副将は、「相手の攻撃を待つ」のではなく、まさに宮本武蔵的に、自分からその勝機を具現化する行動を起こし、それをつなげることで勝負を完結することができた。



 ○ 大将戦

 そして、これは明治の大将も同じでした。

 彼は非常に知的(よく考えた戦略)でありながら、その組み立てたストーリーを巧妙なつなぎ(技術)と強い心で完結させました。

 この人は大将戦では負けましたが、この戦いで龍谷に取られた2本目とは、彼の積極果敢な攻撃が(相手の後退ではなく前進によって)返しを食らったということであり、自分から攻撃するという精神面では勝っていた。だからこそ、明治の監督は彼にもう一度チャンスを与えたのでしょう。


 一方で、龍谷の大将は素晴らしい連続技(ワン・ツー・スリー)と、明治の大将に比べて長いリーチを持っているにもかかわらず、自分から引き金を引くことなく、終始受け身で終わってしまった。(連勝記録を阻止するという意味での)挑戦者でありながら、慎重すぎた。

 「待の先」「二のこしの拍子」ばかりを狙っていたようでしたが、心を解放することができなかったために、優れた技術と多くの勝機を死蔵したままで終わってしまったということでしょうか。

  宮本武蔵が熊本で、柳生流の免許皆伝者と木刀で試合をし、3対0で勝ったというのは、武蔵という人間が権威や肩書きにとらわれない自由な心(空の心)で戦うことができたが故に、相手は(精神的に)押されて、自分の持つ力を存分に発揮する前に仕留められたのであり、それと同じことでしょう。


 16:20 明治右回し胴蹴りが懸の先。それに対するカウンターとして打った龍谷の後拳(面突き)が躰の先(結果として先にならなかった)。

 

 16:50 龍谷の後拳が躰々の先。

 龍谷は懸の先で攻撃し、明治の待の先を押し込んで躰々の先につないだ。

 小柄の人、とくに腕の長さに大きな差がある場合、待の先をやろうとすると(特に相手の踏み込みがいい場合)こうして飲み込まれてしまう。

 かつてC大学には、こういう場合、長身の懸の先を絶妙の間合いとタイミングで待の先に変えて胴を抜く、小兵の名人がいたものです。

 龍谷は自分から攻めることで、この勝機を引っ張り出した。

 この人はこれを延長戦でもやれば、evenに持って行けたかもしれない。しかし、龍谷は今ひとつ、「空の心」になりきれなかったようだ。

 

 

○ 代表決定戦

 20:40 明治の後蹴り

 これぞ「懸の先」。「敵をひしぐ心にて、底まで強き心に勝つ。」

 この直前、明治は組み打ち(ラグビーのタックル)攻撃を仕掛けているので、龍谷は今回も条件反射的に、(タックルしてきた相手を)上から押さえつける姿勢になった。そこを明治は蹴りで決めたという、トリッキーというか知能的な攻撃でした。

 蹴りで勝つという方針を少しも変えず、同じ蹴りでも、その前の段階で「海となし、山となす」タックルという奇襲によって、相手の心を虚に引き寄せたのです。海で戦うと見せておいて山で勝負する。



 ○ 大将戦における心の勝利

 6連勝という実績を背負ったキャプテンが、試合前のブログで「私たちこそ一番にふさわしいチームである」と明言するとは、非常に勇気の要ることです。

 勝ってから優勝報告するというのは、OBへの連絡という以外に大して意味はないが、大試合の前に決意表明をするというのは、大きな意義がある。

 一つには、乾坤一擲の勝負を天地の外から見ることができた、ということ。

「みんなで優勝しようぜ」と、部員全員に目標を明確に示すことで、全員の集中力を一点に集めた。そして、その訓示を内輪ではなく、ブログという公の媒体で表明することで、自分たちを世界が見ているという大きな視点で皆の心をまとめようとしたのだろう。


「決意。」

 https://ameblo.jp/meiji-kempo/entry-12421295374.html

 また、そうやって皆をリードするキャプテン自身は、「世界に向かって言ってしまった以上、やるっきゃないぜ」という、吹っ切れた気持ちによって、自分(たち)を外から見ることができた。武蔵の言う「空の心」になれたのではないだろうか。

 無ではなく空。いろいろの思い・苦悩・煩悩・迷い・雑念を包み込んだ上で、それらを自由自在に操れる自由な心。これが空であり、真の無心というもの。

 だから、代表決定戦になった時、彼は迷わず自分が出るべきであると決めたのだろう。

 明治としては、この試合でノっている副将を出すという選択肢もあったかもしれない。体格は龍谷のキャプテンと同じくらいだし、目の前でその戦いぶりを見ている。 

 だが、大将戦で実際に戦って相手の呼吸を知り、しかも精神的には龍谷に勝っている大将が、おそらく自薦他薦で選ばれたのだろう。そして、きっちりと大将戦の落とし前をつけた。


 今大会におけるこの最終決戦が、技術や体力よりもむしろ精神力の戦いであったと考えるなら、明治の駒は「乾坤をそのまま庭に見れる(空の心に成り切っていた)」キャプテンでなければならなかった。


 実際、代表戦で勝敗を決した彼の右後蹴りとは、「乾坤一擲」なる集中力と「天地の外にこそ棲む」冷静な判断から絞り出した一撃だったように思います。

 

 大将戦の時から、彼は龍谷との勝負は蹴りで取ると決めていたようで、大将戦の開始早々から執拗に蹴りで攻めた。体格の差がある以上、拳で勝負するのは難しいので蹴りしかなかったのでしょうが、彼がこの方針を貫き通したところに、彼がブログで言った「確信」があった。

 大将戦で負けた時の一本は、その蹴りが不十分であったが故に返されたのだが、それでも彼は蹴りにこだわった。

 普通、自分の得意技、もしくは方針とした攻撃に失敗すれば、迷いが出る。大将戦では蹴り主体の攻撃だったが、代表決定戦では面突きにしてみようか、なんていう考えが一瞬のうちに脳裏をかすめるものだ。

 ところが、彼は迷わなかった。そして、蹴りで勝つという彼が打ち立てた戦略に徹底した。

 「心の中で応援してくれ」と、ブログで彼は言いました。このキャプテンは戦いに「心」を見ていたという点では宮本武蔵と同じ。皆の心をまとめ、自分の心を明確にすることで、大きな視点で勝利への一点に集中できたのだと思います。



○ 「 歌いて 以て 志を詠まん 」  

 中国では「三国志」の時代、また日本の戦国時代にしても、武将・大将がその大決戦を前にして、自分の心意気を詩や詠歌によって表現するという事は多く行われてきました。

 日本海軍 連合艦隊参謀秋山真之は、「霹靂」と名付けた日記のなかで、日本海海戦(1905年5月27日)を前に、高揚する自分の心をこう記すことで腹をくくりました。

 「世界等しくここに目を注げ 滄溟そうめい波生まれ 闇と光と混沌と 胎《はら》より出でて海神わたつみの 夜と昼との天領を 分けしこのかた大いなる 海の戦い近づきぬ」

 (島田謹二「アメリカにおける秋山真之」)


 織田信長は桶狭間の合戦前夜、「人間(じんかん)五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻ゆめまぼろしの如くなり」と敦盛あつもりを舞うことで、自分の心を落ち着かせ、それを見た配下の武将たちの心も、信長と一つになった。

 あの戦いは、時の戦況や戦力で見れば、信長にとって極めて不利であった。

 ただただ、奇襲という無鉄砲とも思える行動に、信長配下の武将以下全員の心が共鳴したところに勝機があった。

 一兵卒・足軽までもが(伝え聞いた)信長の舞いに感動し、全員の心が一つになれたという精神的要素が、多くの物理的に不利な要因を乗り越える力となった、と考えることもできるだろう。


 魏の曹操の詩「歩出夏門行ほしゅつかもんこう」にしても、自分の意思を自分に再確認させ、かつその心を配下の者全員に徹底して知らしめることで、皆の賛同を得る。上から下へ上意下達し、それが下から跳ね上がって上に届くことで、トップは自信を持って、大きな視点で自分の作戦を遂行できる。

 「歌いて以て志を詠まん」と、自分のこれからやろうとしていることを、天に向かって表明した曹操は、「三国志演義」では悪者・奸雄扱いされていますが、まこと運命と戦った人間と言えるでしょう。


 同じく「歩出夏門行」の一節に「ながきとみじかきのさだめはただ天のみに在らず」とあります。

 曹操と同じように運命と戦った人間を、私はこの大会で見たようです。


 以上長々と述べましたが、

 早い話が、龍谷のキャプテンは本来の自分の拳法に及ばず、対する明治は普段通りに自分の力を発揮した。

 大舞台の大歓声に揺れる自分の気持ちをしっかり把握していた方が、自分の進むべき道を見出すことができた、ということではないでしょうか。


 絶対に勝つと言いながら、「もし、負けたらどうするの ?」

 宇宙海賊コブラは、相棒レディーのそんな問いにこう答えました。

 「笑ってごまかすさ。」


 参考

 宮本武蔵「五輪書」(岩波文庫版)

「水の巻」

 P.45 兵法の身なりの事

 P.57  敵を打つに、ひとつ拍子の打の事

 P.58  二のこしの拍子の事

 P.58  無念無想の打といふ事

 P.65  ねばりをかくるといふ事


「火の巻」

 P.64 しうこうの身

(組み打ちになったら身体をピタッとくっつける。

 決して腰を退いたり屈んだりしてはならない。)

 P.81  三つの先といふ事

 P.99  まぶるるといふ事

 P.101  うろめかすといふ事

 P.102  三つの声

 P.105  さんかいのかわりといふ事

 P.110 いわをのみといふ事


「空の巻」

 P.137


 追記 2019/ 02/ 25

 2018日本拳法 第63回全日本学生拳法選手権大会決勝 明治VS龍谷(明治側からの撮影)

 https://www.youtube.com/watch?v=ZLRTbMFfqZc


 この映像で見ると、明治のキャプテンは終始落ち着いている。

 「いわをの身」とは、試合中、自分が技を出すその瞬間までは「春風駘蕩」、まったくそんな素振りを見せないことを言うのですが、自分の出番が来るまでの間も「動かざること山の如し」でした。



 2018年12月24日

 平栗雅人

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