第9話 「銀が泣いている」

 坂田三吉「銀が泣いている」

 将棋名人 坂田三吉は、意図した通りに対戦相手が自分の銀を殺してくれないことを、こう表現したのですが、私が2018年の全日本学生拳法選手権大会で見たのは、本来の役割をさせてもらえない(で泣く)悲しい前拳の姿だったのです。


 女性拳士も、相手に組み打ちを仕掛けられて自分の拳法ができない・自分の場を作ることができないという悩みを持つ方がいらっしゃるようです。

 この女性拳士の前拳とは、打つのではなく、(組み打ちをしようと近寄る)敵を押し戻すという、本来の使い道とは違う使い方をさせられているがため、私には泣いているように見えたのです。


 前拳とは「胴抜きされるのを防ぐため、また、見えにくい下から相手の面を突き上げるために、腰の辺りに90〜120度の角度で置く」という、40年前に私たちが教わったセオリーを完全に無視し、この人の場合、60度いや30度くらいまで曲げて面の前に置いている。

 これが今どきのパンク(奇抜で反体制的なスタイル)というものなのでしょうか。

 関東に日本拳法を持ってきた森良之助という(やかましい)おっさんが、いま生きてこれを見たら発狂するのではないだろうか。


 2018日本拳法全日本学生拳法選手権大会(女子団体) 準決勝戦 関西大学VS青山学院大学

 https://www.youtube.com/watch?v=XSHFJWU5hNM

 1:05

 この動画で見ると、三段を相手にしながら青山のOKさんは、いい面突きを何発もぶち込んでいる。

 いい間合い、いいタイミングで当たっている。しかし、一本にならない。

 それは前拳が死んでいるために、せっかくの(いい)後拳が生きてこないからなのです。

 前拳を引っ張る力(の反動)によって、後拳の威力は増す。

 だから、前拳はなるべく伸ばした方がいいのです。

 伸ばしておいて、後拳を押し出す時の(逆)推進力にする。

 40年前はそうでした。

 しかし、今どきの日本拳法(で主流)のパンチは、腕力だけでその強さとスピードを実現させている。 明治大学の男性たちのようなパンチです。


 だが、さすがに女性でそれは難しい。

 ですから、前拳は相手を押すために使うのではなく、自分の腰を前に入れる力に乗せて打つ。後拳も前拳の引きと腰の回転運動の力を借りて打てば、前拳と後拳のいい関係によって、筋力がなくても威力を発揮することができるのです。


 また、前拳とは相手との間合いを計るための照準器の役割もする。

 自分の目と相手との間、(下方に)前拳があることで、三角測量のようにして相手との距離をより正確につかむことができるのです。

 (更に、昭和53年度日大の主将M氏の前拳は、相手の目を幻惑させる「妖拳」のような役割を前拳に持たせていました。ゆらゆら揺れる手首が魔法使いみたいでした。)


 2018年のOKさんにしてもWさんにしても、2017年に比べ、後拳は良くなっているし組み打ちもかなり強くなっている(相手を攻撃する組み打ちではないが、なかなか倒されない受け身の組みが強い)のに、もったいないと思います。 後拳が当たっているのにポイントにならないのは、ひとつには前拳の引きがゆるいからなのです。


 2017全日本学生拳法選手権大会(女子団体)準決勝 関西大学VS青山学院

 https://www.youtube.com/watch?v=gbIZoVPwqMg

 2018年全日本学生拳法選手権大会(女子団体) 準決勝 関西大学VS青山学院大学

 https://www.youtube.com/watch?v=XSHFJWU5hNM

 1:05


 組み打ちが嫌なら、腰を退いて相撲取りのように頭を下げるのではなく、逆に相手の面の下(顎の部分)を自分の利き腕で押し上げ、相手の顎を上げさせることで、相手を後ろに下がらせるのです。相手を試合場の円の外へ押し出すのです。


 相手が組み打ちが強い者なら尚更です。

 後ろへ退いて逃げても、結局、捕まって殺されるのなら、積極的に前へ出て死ぬ(一本取られる)方がいいではないですか。関ヶ原の戦いで島津藩が見せた「島津の退き口」のように。


 一観客としては、戦う二者が時間の経過と共に少しずつそれぞれの場を作り上げ、互いの間合いをつかみ、相手の呼吸を見ながらタイミングを計り、自分のストーリーに引き込んでいく、その過程を見るのが楽しい。

 強者は必ず、勝利のパターン(場と間合いとタイミング)を作り上げていく。

 必ずそうなるという再現性のある科学でありながら、その一本は一回こっきりの芸術作品。

 そういう素晴らしい一瞬を、自分の出身校ではない試合のビデオを撮り、それをYouTubeに投稿してくださる方々のおかげで楽しむこともできるというのは、ありがたいものです。


 2018年12月17日

 平栗雅人

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