第6話 泣いてくれるな いとしの青(愛馬)よ

 ○ 君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり

 私がトイレへ行って観客席へ帰る際、青山学院大学OBのKさんと廊下ですれ違いました。

 その時私はこの詩を嘆じ、この方が試合会場で監督と並んで椅子に座り、自校の試合を見守る姿に武蔵「五輪書」「水の巻」「兵法の身なり」を想起しました。


 何がいいといって、この人が試合を見守る姿勢が素晴らしい。

 黒をベースにしたスーツ姿だったのですが、両膝をきちっと揃え、神に祈る時のように五本の指をしっかりと交差させてその上に置く。

 そして、なによりも背筋をしっかりと伸ばして顎を引き、・・・


 一 兵法の身なりの事 (岩波文庫版 「五輪書」 P.45)

 身のかゝり、顔はうつむかず、あをのかず、

 かたむかず、ひずまず、

 目をみださず、額にしわをよせず、

 眉あひにしわをよせて、

 目の玉のうごかざるやうにして、

 またゝきをせぬやうに思ひて、

 目を少しすくめるやうにして、うらやかにみゆる顔、

 ・・・

 惣而(そうじて)兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、

 兵法の身を常の身とする事肝要也。

 能々吟味すべし。


(私は見たことがありませんが)防具を着けて戦う姿と、座って戦いを観戦する姿、そして、歩く姿。すべてこれ「兵法の身なり」なんですね。

 さすが、女子で三段クラスになると、禅でいえば悟りを開いた老師級。

 立つ姿・歩く姿・座る姿、すべてにおいて「おぬし、できるな」です。

 スキがない、かといってギラついてもいない。

 まさに「双眼の色 憂い無きに似たり」です。


 これが同じ武道でも、柔道なんかになると、ヤワラちゃんみたいに目をぎょろぎょろさせ、がに股でのっしのっしと肩で風切って歩く、なんてことになるのではないでしょうか。

 日本拳法という、本当に殴り合うケンカ、取っ組み合いのケンカという真剣勝負(超リアリティ)。 しかし、ケンカとは違う武道としての道を目指し精進してきた者のみが持つ、真の人間としての境涯(その人のみが持つ澄み切った心と精神、洗練された態度・身なり・物腰)。

 「日本拳法という武道の威力」「日本人の美しさ」を見た思いです。


 柔道とは、「柔よく剛を制す」なんていいますが、現実にはかなり腕力が要求されます。しかし日本拳法では、とくに女子の面突きの場合、「場と間合いとタイミング」による瞬殺です。

 この「一瞬」という修羅場をどれだけ経験しているか、数は少なくてもどれだけ深く味わっているか。そこにその人間の境涯が出るのだと思います。

(私の場合、大学時代に日本拳法を極めていないので、死ぬまでにはなんとかそういう境涯になりたいと思っているわけです。)



 ○ なんと、この大会には9月の大会で私が遭遇した、あの同志社OB Mさんが観戦においででした。

 同校男子の試合を、試合会場の脇に設けられた(高さ一メートルくらいの)衝立で仕切られた椅子席(関係者用の観客席 ?)に、後輩のTさんと並んで観戦されていたのですが、やはりその姿はKさんと同じく、キリッとされた、落ち着きのある(美しい)お姿でした。


 青学のKさんの場合もそうですが、防具練習で鍛えた姿勢は、卒業してごく普通の社会人になった時にこそ、その立ち居振る舞いに現れるということを知った次第。

 Mさんは元同僚のTさんたちと談笑しながらの観戦ですから、試合場で監督と並んで座るのと違い、かなりリラックスした様子でしたが、彼女が防具を着けて試合場で同僚を応援する時の戦闘的な姿とは打って変わって、まるで別人ではないかと思われるほどの淑女ぶり。

 スーツにネクタイという、仕事帰りなのでしょうか、かなりフォーマルなスタイルで、どちらかというと男装の麗人。宝塚歌劇団の貴公子のよう。

 また、隣りにお座りのTさんも、試合時のあの「凶暴」ともいえる蹴りの連発からは想像もできないような、可憐な乙姫様のようで、お二人で観戦しながら談笑する姿に、30年前にニュースなんぞで見た「チャールズ皇太子とダイアナ妃」を連想致しました。


 日本拳法をやる女子に見る「凶暴さ(強さ)と可憐さ(弱さ)の対比」。

 この落差が味わい深い。メリハリがあっていいんです。

 ただのきれいなお嬢さんではない。

 「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」といいますが、その場その間合いそのタイミングに最適な強さや美しさを発揮することができる。

 しっかりとした道が見えているからこそ、変化できる。

 変化に対応しても、真の芯はひとつ。

 これまさに「器量良し」の日本人女性の姿ではありませんか。

(人格に裏表があると言うことではなく、真理の両面をきちっと体得している人間ということです)



 ○ 雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂

 やはり、廊下で見たのが青山学院大学のOKさん。

 この人は、「大学から最優秀学生賞」を受賞したなんて、同期の男性がブログで書いていた女性です。

 その時は、「拳法と学問は関係ないだろ」なんて思っていたのですが、その後の彼女のブログを見ていると、なるほど「優秀」の評価に値する、と感じることしきりでした。選手でありながらマメにブログを更新する。 

 いや、選手であるからこそか、ブログという戦いにおいてすぐに「場と間合いとタイミング」を掴み、要領よく自分(たち)の行動をレポート(報告)したり自分の意見を表現している、というべきなのかもしれない。

 写真と文章の使い方を自分のスタイルでパターン化し、また、ギリギリのところで自分の意見を上手く述べている。 どうしても言いたいことだからといって、あんまりストレートに述べては角が立つ。このあたりの間合いの取り方は、私にとっても勉強になります。

<引用始め>

 ラスト練習

 2018-11-23 20: 28: 38

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/entry-12421117287.html


「 そもそもの話大石さんはめちゃめちゃ強いのですが、大学入学前から拳法をしていた選手らを倒して倒しまくってなんと全国ベスト4に入られました!

 もっと騒がれ、語り継がれるべきニュースだと思うんですけど違いますかね!?」

<引用終わり>


 午前中、防具を担いで都心の青山から埼玉県の朝霞にある立教大学まで出稽古に行く。午後は自校に戻ってまた練習。そして、それを当日の夜にブログに写真付でレポートする。


 6/ 9 練習

 2018-06-09 19: 38: 36

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/entry-12382530451.html


 関西の方は、距離感がピンとこないと思いますが、例えば、防具を担いで京都から梅田まで阪急で行き、そこから地下鉄なりJRに乗り換えて天王寺や天下茶屋あたりまで、という感じです。(距離的には京都 ー 梅田の半分くらいですが、東京の地下鉄や私鉄の乗り換えは非常に面倒なんです。)

 この人はこんなことをしょっちゅうやりながら、何回かブログを書く内にすぐに自分なりの、ブログを作成する手順・パターンをつかんでいる。

 こういう人は、どんな困難なことでも「楽しんで」やれる人なのでしょう。


 私が9月の大会のことを知ったのも、このOKさんのブログによってでした。

 ですから、私にとってこの方は「有名人」だったので、廊下で彼女が胴をつけている姿を見た時、思わず「ブログ見てますよ。いつもありがとう。」と口まで出かかったのですが、ブログで拝見する集合写真の時とはちがい、口をへの字に結び、眼光鋭く一点を見つめる姿に感動したので、そのまま通り過ぎてしまいました。


 黒澤明の映画「姿三四郎」と「続姿三四郎」で、姿が決闘場で対戦者を待つ時に一人で歌う姿を思い出しました。


 雨は降る降る 人馬は濡れる

 越すに越されぬ 田原坂

 右手(めて)に血刀(ちがたな) 左手(ゆんで)に手綱 

 馬上ゆたかな 美少年


 各校のマネージャーさんたちも、試合前というのは一番忙しい時でしょうが、そのとき選手たちが見せる、戦いを前にした緊張の表情を自分の心に焼き付けておくのも良いかもしれません。

 田原坂

 https://www.youtube.com/watch?v=fqahR2qtHWc



 ○ 立教の女性も凄い

 大阪に遠征する大試合、そのわずか2日前だというのに、朝霞から青山まで出稽古。

 労を苦としないで、逆に楽しむくらいの積極性が昔からの立教の強さであり、それが一点に集約されたのが、女性キャプテンAさんの、あの素晴らしい面突きだったのでしょう。

 立教の拳法。その歴史を感じさせてくれた実に重みのある一本でした。


 青山学院大学体育会拳法部オフィシャルブログ

 ラスト練習

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/entry-12421117287.html



 ○ またまた青山学院大学なのですが

 すべての試合が終わり、表彰式の時、数百人の学生たちのなかで一人だけ腕を組み、憮然とした表情で、まるでふてくされたような顔で立つ女子学生がいました。 それでも、拍手する時はちゃんと拍手している。礼は失していない。

 そんな姿を双眼鏡で見ながら、「まあ、他の学校が表彰されているのはつまらないものだ。憤懣やるかたない顔をするのはしかたない。」と、思っていました。

 

 ところが、翌日、この女性のブログを読むと、あの時の不満げな顔というのは、自分自身に向けられたものであった、ということがわかりました。

 絶対に去年の成績を超えてやる、という意気込みで頑張ってきた一年間だったのに、結果は去年と同じだったという無念。

 涙なしには読めない、簡潔でありながら自分の気持ちをきちっと的確に表現した、感動の名文です。


 <引用始め>

 府立を終えて

 2018-11-26 17: 58: 19

 https://ameblo.jp/aoken-wakiwaki/entry-12421728765.html


 こんばんは

 四年の渡邉です。

 今回は府立を終えて、四年間を振り返って今感じることを、この場を借りて述べさせて頂きたいと思います。

 長文になりますがご容赦ください。

 昨年青学女子チームは全国ベスト4に入ることができ、今年の目標としては府立で優勝することでした。

 思えば私が2年生の頃、鎖骨を骨折し1年間防具練習ができずに悔しい思いをしていた時から、優勝したいという思いがありました。

 昔からの強豪チームでもなく、自分自身もとても弱かったので、当時優勝という言葉を口にするのは恥ずかしくて誰にも言えなかったです。

 ありがたいことに同期や後輩に恵まれ、拳法に真面目であつい、互いに高め合える仲間と共に、引退に向けて最後までチームのために努力しようと、1年間奮闘してきました。

 そして迎えた昨日の府立。

 結果は去年と同じベスト4止まりでした。

 悔しいのはもちろん、自分の四年間の集大成が発揮できなかった虚しさと、全国という大舞台で出せる力はこんなもんなんだという自分の実力の低さに、試合直後は涙も出ませんでした。

 自分を育ててくれた沢山の人に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 正直最後の1年間は、優勝優勝という結果に自分がこだわりすぎて、練習していても全く楽しくない時もあり、試合では勝って当たり前というプレッシャーの中での戦いでした。

 勝たなければいけないところで負けてしまうことも多かったです。

 苦しくて辛い1年間で、弱音を吐いてしまうこともありましたが、それでも拳法は嫌いになれなかったですし、何より同期の大石や後輩の大熊、山田、山元のために、最後にかっこいい背中を見せてやるんだと挑みました。

 結果は残念ですが、

 このチームでこの仲間で、四年間拳法ができた経験は自分にとっての財産です。

 幸せでした。

 引退はしましたが、まだ4年生としての仕事は残っています。

 これからは後輩が来年からしっかり組織を動かせるように、やるべきことをやって、引き継ぎたいです。

 最後に、お忙しい中応援に来てくださった塙監督、名取先輩、小林先輩、加藤先輩、ありがとうございました。

 失礼します。

 <引用終わり>


 閉会式でのあの恐い顔と、その反対に真心あふれた翌日のブログに私は、あらためて日本女性の静かなる闘志というか、内なる不撓不屈の精神を実感しました。

(こちらの方は、自分の弱さをさらけ出すことで逆に自分の強さを引き出そうとしているのでしょうか。同じ日本人でもひと味違う、関西の女性です。

 https://ameblo.jp/kandai-kempo/entry-12417616846.html )


 どうしても無念の思いを拭い去ることができない人は、私のように「ダブり」として、もう一年大学に残り日本拳法を続けるという手もあります(私の場合「続けさせられた」のですが)。

 40年前の関東では、大学生の出場資格にそれほど厳密な規定はなかったようで、私のように半年間休学してダブった人間でも大会に参加できたのですが、今は難しいでしょうか。


 もちろん、これは冗談ですが、それほどまで日本拳法に対する思いの丈が強いのであれば、コーチや指導員になり、自分の拳法を後輩に伝授することで果たせなかった夢を実現することもできるでしょう。

 なにしろ、このWさんの構えは、日本拳法の教科書に載せてもいいくらい美しいのですから、その構えを伝授するだけでも大きな価値があると思います。

 試合中、どんな場面でも、縦横それぞれの長さがきっちりと決まった足のスタンスが崩れることは絶対にない。

 また、前に出る意思の力と実行力は群を抜いている。組み打ちも強くはないが弱くもない。

 この人のこの足裁きで同志社大学OB・Mさんの円運動を取り入れ、明治や立教の面突きによる「先の取り方」を学んでいたなら、尋常ではない強者になっていたでしょう。

 卒業しても拳法を続けたいといって、ジムとか道場に行くのはやめた方が良いと思います。「道場」というのは、小中学生の寺子屋として、子供たちが日本人としての強い心と集団での協調性(武道)を学ぶのであれば機能しますが、それ以外は格闘技好きの大人が護身術を学んだり、アスレチック・クラブ代わりに汗を流しに行くところです。短い時間の中で効果的なアドバイスを受けることで、早く強くなれるでしょう。


 大学日本拳法とは、18歳~25歳という子供と大人の中間にある心と肉体とに自分で対話することで、自分らしい日本拳法を自分のペースでじっくりと作り上げていこうという、一つの過程です。

 化学調味料や合成着色料によって速成するのではなく、味噌や日本酒、納豆のように、「醸造」という、時間はかかるが、自分の頭で考え自分の心で哲学することで、真の自分(カントの目指した純粋理性)を見出そうとする道です。

  女性の護身術や警察の逮捕術を習得するのとは違い、大人のための武道を学び、戦いを通じての精神的な自己研鑽を道として鍛錬する場なのです。


 ですから、毎日、決まった場所で決まった時刻に決まった時間、決まったメンバーで練習するなんていう「つまらないこと」に、実は大きな意味がある。自分で自分を観察し、自分で工夫して自分で試す。その結果をフィードバックして、再度自分で考えるという「科学」を実践することで、日本拳法の技術以上に人間性を磨くことを期待すべきでしょう。

 段位やトロフィーや表彰状とは、それを手に入れるために努力するところに意義があるのであって、それ自体は金や肩書きと同じで「あの世まで持って行けない」という意味で、ほんらい存在しないものです。

 2段を取ろう、優勝しようという目標に、自分一人、或いは仲間みんなで執着する・こだわるところが楽しいのではないでしょうか。私自身、一発で受かった2段よりも、5回(?)かかった初段の時の心の葛藤・周囲の反応といったことの方が、大きな精神的糧かて・対人関係の良き経験になったような気がします。



 大学を卒業してからも日本拳法をやりたい、道の鍛錬を継続して行いたいのであれば、母校の道場に週一でもいいから通う方がよほど理に適っている。明治大学の卒業生で「お顔はリカちゃん人形・お体はゴルゴ13」のような女性が、時折、あちこちの大学の練習に参加されていらっしゃるようですが、Wさんと同じ思いがおありなのでしょうか。

 小中学生ではない・社会人でもない、大学生という環境の中でこそ学べるもの・鍛えることができることがある。その雰囲気の中で、卒業生として自分の探求を継続すればいいのです。


 いま彼女が噛みしめる無念の思いとは、おばあちゃんになった時、「7連覇」と同じくらいの味わい深い思い出となるでしょう。


 因みに、この方はこんないい試合もされているのです。

 https://www.youtube.com/watch?v=DQbC1zl FkHk

 2017 全日本学生拳法選手権 女子団体 準々決勝 青山学院大学 大阪経済大学 総集編

 6:30 面突き



 ○ 昭和51年度 日大日本拳法部

 かつて、ピラニア軍団と呼ばれ、その大将はジンギスカンとあだ名された。

 副将は「海坊主」。その獰猛さはモンゴルの騎馬軍団が日本にタイムスリップして出現したと言われた。

 モンゴル人の通った後はネズミ一匹、草木一本残らずなくなったといわれるが、まさに時の日大と戦った各大学は全員が討ち死に。リングの上に死体の山が累々と築かれた・・・なんて。

 今年の日大(の男子)は、そんな昔をフト、思い起こさせてくれるかのような、元気のある集団でした。

 彼らのテーマソングはこれでしょう。


 ジンギスカン(1979)  → ドイツ人のグループ

 ht t ps: / /www.yout ube.com/wat ch?v=ol 50CA0WQEk

 なにしろ、モンゴル(元)帝国と戦ってこれを撃破したのは西のドイツ(騎士団)と東の日本(武士団)だけなのですから、こんな歌を歌うのも、ドイツ人の特権なのでしょう。また、アジアでは日本人だけがこういう歌を歌えるのです。


 https://www.youtube.com/watch?v=GfDwlKMyboE


 元寇

 四百余州しひゃくよしゅうこぞる 十万余騎の敵

 国難ここに見る 弘安四年夏の頃

 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり

 正義武断の名 一喝して世に示す

 多々良浜辺の戎夷えみしそはなん 蒙古勢

 傲慢無礼ものともに天を戴かず

  

 死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す大和魂やまとだまいさぎよし

 天は怒りて海は 逆巻く大浪に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は

 底の藻屑と消えて 残るは唯三人ただみたり

 いつしか雲はれて 玄界灘 月清し

( 黒澤明の映画「一番美しく」で歌っていたのはこれです。)



 今年の日大というと、アメラグのタックル問題がありましたが、「子供のケンカに親が口を出す」ようなもので、あんなもの、当事者二人にグラウンドで殴り合いさせればよいのです。

 タックルされた方が無抵抗の日大部員を10発ぶん殴るとかで、ものの5分でけりがつく話。

 テレビのコメンテーターや政治家・マスコミが、もっともらしい顔をして自分たちの飯の種にしている姿はあさましい。

 日本でお決まりの、省庁や警察官僚の天下り先確保、テレビ局や新聞というマスコミの広告宣伝費を使わせるための脅し、政治家たちの自己宣伝によって若者のスポーツが大人に食い潰されるという悲劇を見せられました。

 (2019年6月、日大が東大に研究委託費という名目で10億円払うということで、手打ちになったようです。)


 日本拳法も、競技人口が増えるのに乗じて、同じような構図で「若者が大人の食い物にされる」ことがないよう祈るばかりです。


 2018年 12月5日

 平栗雅人

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