第4話 アナログ日本拳法の楽しみ

 いまの男子大学日本拳法というのは、昔(40年前)と比べて、パンチのスピードやパワーがずっと速くて大きい。


 (関東における)昔の日本拳法では、前拳も後拳も腰・鳩尾(みぞおち)のあたりに置き、腰の回転と腕(肩・二の腕・手首のスナップ)の力で打つ。日大の昭和51年度のキャプテンだったS氏は、更にボクシングの輪島のように、膝のバネによって「ロケットパンチ」を繰り出していた。身体の各部署を上手く連携させて、パンチが当たるその一瞬に身体全体の力を一点に集中させる。

 だから、観客として(離れて)見ていると、ある程度(といってもコンマ一秒くらいだが)パンチを繰り出す瞬間がわかる。打つ前、打つ瞬間、打った後という一連の過程を楽しめた。

 ところが、今の男性のパンチは、ものすごいスピードと破壊力を腕だけで実現させている。

 これは筋トレの成果なのか、食べているものが違うのか。もちろん、そういう打ち方を練習しているからだろうが。ですから、全く予測もできないし、打つ時も当たった瞬間も速すぎてキャッチアップできない。


 これが女性の場合、当然ながら男性に比べて非力ですから、そうしろと言われなくても自然に身体全体の力を使い、「場と間合いとタイミング」で一本を取ろうとする。昔の日本拳法を見ているような、味わい深さと「一本の余韻」を楽しむことができる。で、私はこれを独り「アナログ日本拳法」と名付けて楽しんでいるわけです。

 

 大学のOB・関係者として試合というものを見れば、1 or 0という結果こそ全て、というくらい大切なことでしょう。 ポイントが1対1とか、団体戦で三勝三敗なんていう時には、手に汗握り歯をむき出して応援する。これも大きな楽しみ方であるにちがいありません。

 しかし、ただの観客として観戦する私としては、 (面突きの)0から1、1から0への過程を見るというのが、ひとつの大きな楽しみなのです。

 今大会、面突きでは「立教のAさん」「明治のOさん」「青学のOIさん」そして「同志社のTさん」の「一本」が心に残りました。みなさん女性です。

 他にもいい場面はたくさんあったのでしょうが、私が双眼鏡で見れたのはこの四人の、ビシッと一本が決まった瞬間でした。

 芸術とは「特殊でありながら普遍性がある作り物」というのであれば、彼女たちのそれは、際立った格別の存在でありながら誰もが納得できる、素晴らしい面突きでした。

 彼女たち四人は、メンバー不足、仲間のケガといった要因で、チームとしては表彰台に上ることができませんでしたが、私としては本当にいいものを見せてもらった、という感激と感謝の念で一杯です。大阪まで行って本当に良かった。


 2018年12月5日

 平栗雅人

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