第3話 場の大切さ

 9月の日本拳法総合選手権大会にしても、そのあとで見つけた彼女の昔の試合ビデオを見るにつけても、私は疑問に思っていました。

 彼女のあの蹴りには、一体どういう意味があるのか、と。

 彼女の蹴りとは、サッカーの蹴りに似て上に蹴り上げる傾向があり、日本拳法の直線的な蹴りとは少し違う感じがする。本気で一本を取る気がある蹴りなのか、と。


 しかし、今回の大会でその理由がわかったような気がします。

 それは、宮本武蔵が実践した「自分の場を作る」ということなのです。

 「場」といい、間合いとどう違うのかと思うかもしれませんが、「間合いとタイミング」を効果的に発揮させるには、場(の確保)が大切なのです。

 宮本武蔵は、敵(小倉藩と佐々木小次郎)が設定した巌流島の決闘場に対し、3時間の遅刻と「小次郎敗れたり」の一喝によって、彼らの場を自分の場にして しまった。そのため小次郎は武蔵の白い鉢巻きにばかり気を取られ、武蔵が持つ、小次郎の太刀(一メートル)よりも約30センチ長い木刀に気がつかずに 斬り込んでしまった。武蔵は自分の個性による雰囲気作りによって、巌流島という決闘の場を支配し、その結果、自分の間合いとタイミングで勝負することができたのです。


 (小倉藩の剣術師範という、いわば幕府の警察部門の顔を潰してしまったのですから、今で言う警察庁長官である柳生宗矩(むねのり)は、この決闘以降、様々な人やメ ディアを使い、武蔵に対するプロパガンダ(誹謗中傷宣伝)を行いました。 そのため、武蔵を蔑ろにするような話はたくさんありますが、私は上記のように考えています。 

 因みに、武蔵の書 いた「五輪書」原本は、それを授与された熊本藩から宗矩が強制的に取り上げ、「火事」という理由によって、江戸(城)で焼却されてしまいました。

(いかに宗矩が武蔵に嫉妬し、彼の実力に裏打ちされた「五輪書」を恐れたか。)


 別の例として、私の体験から自分の居場所がない」

 私は大学卒業後に就職した会社の新入社員(同期30名)研修で、JEC(日本経営者懇談会)という会社によるスパルタ教育を三ヶ月間受けました。そして、最優秀団体賞とチー ムリーダー賞を受賞したのですが、その反動で、配属された部署では恐れられ、煙たがられて、新入社員として居場所がない期間が1年間続きました。

 しかし、自力更生、自分自身で取り扱う商品を研究し、顧客を開拓することで、自分なりの方法論・戦略・戦術によって勝ち続け、その過程で自分のスタイル(場の作り方)を確立しました。

 そのおかげで、入社三年目には他の営業部門や技術、管理部門のどこへ行っても「話を聞かせて」と、歓待されました。自分の居場所を確保できたのです。そして、自分の場を確保すれば、より大きな仕事ができるようになる。


 どんなにやる気や能力があっても、自分の場がなければそれを活かせない。

 ですから、何事にもこだわる心で自分の拳法なり仕事、そして人生に打ち込むことによって、自分の場を作り出すことが大切なのです。

 それも、韓国人のような「嘘・ハッタリ・脅し」や日本の警察のような「警察手帳という権威の象徴によって自分を大きく存在感のあるものに見せる」というやり方ではなく、自分の内面を掘り下げ、磨くことで創り出した自分の場を、点から線、線から面、そして時間と空間へと広げていくのです。「警察手帳」というような虚妄ではなく、「考える葦」としての「純粋理性」により、形而上的に・道として実在することで真の存在感が得られるのです。


 あるブログから:

 「大学生活を振り返っても思い浮かんでくるのは拳法部の事ばかりで、どんなに辛い事があってもしんどい時もそれを乗り越えられたのは拳法部に私の居場所があると思えてたからなのでその生活がなくなってしまう事がすごく寂しいです、・・・」

 ht tps://ameblo.jp/kandai-kempo/ entry-12418886449.html



 閑話休題

 同志社大学OB、Mさんの華麗な円運動と鋭利な直線運動とは、彼女が得意とする面突きを発揮するための「場作り」でした。

 Tさんは、鋭い蹴りによって、同じく彼女の伝家の宝刀とも言える「ワン・ツー」を炸裂させるための場を求めました。

 だから、彼女たちの面突きとは「場と間合いとタイミング」が完全に一致した美しさがある。まるで「何億・何光年」も前から、絶対にこの一点(この場・この間合い・このタイミング)しかない、と定められていたかのようです。

  https://www.youtube.com/watch?v=ydCmBXJJluM 2分28秒面突き

 https://www.youtube.coAm/watch?v=geQauA8pgd0    35秒面突き


 団体戦で連覇 を続ける明治大学(男子)の強さとは、梁山泊の如く、そこにたくさんの個性的な人間が集まっていること。

 そして、どんな大舞台でも一人一人がその個性を発揮している、自分の 拳法(のスタイル)ができる、自分の場を崩さずに戦えること。しかも、それを全員が実行できるというところにあるのではないでしょうか。


 どこの大学のチームでも、自分の場を作ることができる、自分の拳法で2分、3分間を戦える人がいる。ところが、なかなか全員がそうならない、というケースが多いのです。 


 いかに彼ら(明治)が、見かけや格好だけのパフォーマンスによって自分の場を作るのではなく、(肉体的に)キツい練習と(精神的なる)内面への洞察によって、自分自身が持つ真の存在感を見つけ出そうとしているか。その成果と言えるかもしれません。

  

 私は観客ですから、その選手やチームが試合に勝つとか優勝するとかよりも、選手たちが真に存在感ある、個性的な拳法をどこまで発揮できるかという点に興味があります。見た目のポイント(一本)ではなく、その精神的な存在の深さを感じることに楽しみがあるのです。


 日本拳法とは、武道としては死ぬまでやれるのでしょうが、スポーツとしては大学生までしかできない激しい運動だと、私は思います。

 今年9月、大阪の中央体育館で行われた日本拳法総合選手権大会で見せてくれた、同志社大学OB、M女史独自の円運動による場の創出という、大阪市立登美丘高校ダンス部のそれに匹敵する「芸術的な演技」は、高校○年間、大学4年間の最後に咲いた美しい一輪の華だったのです。


 そして、第63回全日本学生拳法選手権大会、女子団体戦。

 同志社大学最後の試合、Tさん最後の胴蹴りの音は、彼女の現役時代最後の雄叫びのように、会場全体に鳴り響きました。


 彼女たちが大学時代までに到達した真の存在感が、これから先の人生において、「警察手帳」のような肩書き・ハッタリの道具にならず、内なる存在のあかしとして、ますます内に大きく・重くなっていきますように。


 2018年12月 1日

 平栗雅人

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