第8話 【駒川町停留場・中野停留場・西平野】


【駒川町停留場・中野停留場】


近鉄南大阪線の高架を挟んで西側にあるのが駒川町停留場、東側が中野停留場である。どちらも駒川商店街の入り口につらなる。駒川商店街は、天神橋商店街や千林商店街と並ぶ大阪を代表する商店街である。ドーナツ化現象で近鉄沿線の郊外、松原や藤井寺に住宅地開発がされ、沿線の人口が急激に増え、スーパーマーケットが進出してきて、昭和40年代は全盛期で賑わった。

 平野からの買い物客も多く、買い物籠を下げた主婦が乗降した。健吾の妻の良子も平野駅前の商店街よりこの商店街をもっぱら利用した。店数も多く、何でも揃い、値段も安いと云うのである。健吾が休みの日なんかは荷物持ちで一緒させられた。良子は姉のように福娘にはなれなかったが、隣の末娘であった。隣が実家とは、いやはや、健吾は妻を大切にした。


東西190メートル,南北540メートルの十字形の商店街である。幾つかの商店会がよって商店街を形成している。パチンコ屋や映画館もあり、娯楽にも事欠かない商店街であった。

何と言っても商店街の中ほどにある針中野駅の存在が大きい。奥の商業施設がまだ整わない時は、南大阪の沿線の買い物客を一手に引き受けて、吐き出した。ピーク時は真っすぐ歩くことさえ難儀するほどであった。


中野の地名は、平安時代から今も続く『中野小児鍼』で古くから知られている。平安時代から一子相伝を守り、男児が恵まれない時は、女性も当主としての鍼灸術を習得して、現在まで続いていると云うから驚きである。

何でも、明治の頃、第41代目当主が医師の資格を取り、西洋医学を取り入れて独自の鍼法を築いたので、近畿一円から「中野鍼まいり」として、一日500人以上の人々が殺到し、屋敷内に遠路の来館者を泊める宿舎も建てられたほどである。

大正3年に南海平野線が開通した時には、中野駅から鍼院まで7ケ所の道辻に案内の石の道標が建てられ、その一部が今も残っている。

ちなみに近鉄の『針中野』駅名の由来は、大正時代に前述の当主が近鉄南大阪線の開通に自らの土地を提供し、周辺住民にも協力を要請した尽力に対し、そのお礼として大正12年の開通時には、最寄りの駅名を「針中野」としたということである。


これからの話はこの針に因む話である。ただし、由緒ある「中野鍼灸院」ではなく

中野医院に近い「森本鍼灸院」の話で、妻の良子から健吾が聞かされての話である。良子は健吾より6歳若い。結構お洒落で、駒川商店街でよく行く洋装店がある。

そこの店主がめちゃくちゃ変わっていて、面白いのだそうだ。例えば「おじさん白い服はやっぱり汚れるやろうね」と客が問えば、「汚れるから白です」と答え、「これ、皺よります?」と聞けば、「人間かて、歳いけば皺よります」と答える。

「よくそんなんで、店がやってられるなぁー」と、健吾が云うと、

「奥さんの仕入れのセンスがええのよ。また、奥さん愛想がようてね、お客さんは奥さんについてるのん」と良子は答えた。

だから、馴染みの客は店の前を通る時、親指を立てる。奥さんが手を横に振れば変った店主は店には出てないということである。良くしたもので店主は店にはあまりいない。もっぱら筋向いのパチンコ屋に入り浸っている。奥さんは少々負けてもその方が助かるらしい。良子はその奥さんと話が合って店に寄って、他に客がいない時は長話をするらしい。


商店街にはこのような名物店主や、面白い話には事欠かない。飛田の遊郭に早く行きたいから、「早終いだ!もってけ泥棒!」と夕方になると超特価にする魚屋店主、これをめぐって店でも夫婦喧嘩は絶えない。お互い刺身庖丁を手にしているから、客はハラハラする。

ひどい話、漬物屋の若い嫁が向かいの八百屋に立っていたので、「こちらのお手伝い」と客が聞いたら、「いいえ、こちらの主婦になりました」と答えたとか、女だって負けていない。

大阪の商店街は何やかやと賑やかしい。


***

1972年(昭和47年)、今太閤と云われた田中角栄が首相になった。そこの洋装店の店主も田中といい、たちまち角栄の大フアンになった。


「うちの亭主ゆうたらアホやねん。あきれてモノもよう言わんわ」と云って、奥さんが良子に話した話とは、

新聞で首相の一日とかの動向が書かれた小さな欄がある。そこに首相が腰を痛め4、5日公務を休むと載った。それを見た店主はいたく角栄を案じて、秘書に電話を入れた。

「わての行ってる鍼灸院にええとこがありましてな、森本鍼灸院とゆうてえらい名人がおります。腰痛なんていっぺんに直します。ぜひゆうたげて下さい」と伝えた。

秘書はやはり国民が心配してくれているのである。無下な返事は返せない。

「ご心配頂いてありがとうございます。角栄に伝えておきます」と鄭重な返事を返した。店主はその鄭重な返事に感激して、「首相が来る」になった。

 それを鍼灸院の森本さんに云った。「田中はん、何ぼなんでもそれは…」と云うと、

「今までわてが嘘ゆうたことおますか。先生かて、わしの腕は大阪一やゆうてはったやおまへんか、『中野のはり』なんて目やないとゆうてはったやおまへんか。大阪一ということは、日本でも一、二ということです。一国の首相が来ても可笑しやないですか」と答え、森本さんも「そうかも知れん」になった。

「先生、玄関くらい綺麗にせんと。この絵もセンスが悪いですなぁー」と云われ、鍼灸院は絵を替え、玄関を普請した。これを見て「まさか」と思っていたご近所も、「ひょっとして」になった。待っても首相の来訪はなかった。


「うちの亭主な、ここんとこ腰の調子が悪いねんけど、森本鍼灸院に行けず、2階で寝てますわ」と奥さんは言ったと、帰って来て妻良子は腹を抱えて笑った。健吾も笑ったけど、なんだかその店主に同情の気持ちになった。


【西平野停留場】


開業当時からの終着駅であった平野駅の西側に開設された。平野線最後の新設駅である。ここから平野までは0.5キロ、直線である。

専用路線には枕木柵がされているが、看板が付けられたり、布団が干されたり、生活の匂いいっぱいの中を平野線は走った。何に使うのか、線路の上に釘を置いて遊ぶ子供たちにも運転手は気を配らねばならなかった。

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