第5話 【文の里停留所】


【文の里停留所】


 文の里停留場は、この近辺を天王寺土地株式会社が住宅地として開発し、同社は駅を建設して南海鉄道に寄付した。同社は、付近に学校が多くあることから駅名を「文ノ里」と命名した。その後、駅名にあやかり、駅周辺の住居表示も「文の里」と改称された。

 この学校の一つに大阪府立天王寺高校がある。大阪の中でも京大に合格者を多数出す屈指の進学校である。健吾の息子、高森健太は昭和36年から3年間、平野からこの学校に通った。父の運転する電車に乗り合わせることもあったが、友達には父とは云えなかった。別段、運転手を卑下しているわけではない。だれでもこの年頃は自分の身内を友達に云うのは照れくさく、恥ずかしく思うものである。

 健太は父の運転しているのを見るのは好きであった。むしろ友達に「運転しているのは俺の父だ」と、自慢したい衝動に駆られたぐらいである。


 両親は天王寺高校の入学を喜んでくれたし、近所でも「天高ですか」と特別な目で見られた。たまさか入れただけで、健太には特別な思いはなかった。中学の時に好きだった女の子が勝山高校を受けると言ったので、その学校に一緒に行きたかったのだが、担任の先生が「それは勿体ない」と受けさせて貰えなかったのである。

 絵や体育の方が好きで、健太はあまり勉強が好きでなかった。成績はいつも中ぐらいであった。中学3年のときにその女の子と一緒になり、いいとこを見せたくて少し頑張ったのであったが…どうして成績がそんなに上がったのか不思議な思いであった。


 自分でもあまり頭がいい方とも思えず、賢い連中と混じってやっていけるのか不安であった。入った時は中位の成績であったが、高校の勉強はレベルが高く、健太には難しく思えた。成績は落ち、父親が先生に呼ばれた。

「成績は下から3番目です」と云われて、父健吾は「まだ、二人おます。それより休まず皆勤で通っていることを評価してやってください」と云ってくれた。

父も、それなりに期待したのであろうと思うと、健太は申し訳なないと思ったが、父の言葉で救われた思いであった。


 卒業後の進路は、両親は大学ぐらいはと云ったが、健太は、勉強はもういいと思った。そして父と同じ電車の運転手の道を目指したのである。健太には何より素敵な仕事に思えたのである。

 その勝山に行った女性は、JRの平野線を利用したので高校時代電車を同じくすることはなかった。健太がまだ車掌の時代、平野線にたまさか乗って来たのが縁で、付き合うようになり、彼女は今、健太の良き伴侶である。

 健太は「南海平野線」を選んで正解だったと、父にも平野線にも感謝している。

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