第4話 【阿倍野駅(斎場前)】【苗代田停留場】

【阿倍野駅(斎場前)】


 飛田から阿倍野(斎場前)までは、専用軌道がほとんどの平野線であるが、唯一の併用軌道を走る区間である。天王寺駅から出た上町線とこの阿倍野で平面交差する。天王寺発の平野行がカーブして合流してくる地点でもある。自動車も交差して走るし、神経を使う交差点である。

こんな市街地の中に大きな霊園がどうしてあるのだろうと思う人は多い。


 このことを、健吾はお浜さんに訊いてみた。

「江戸時代の大阪の墓所は、梅田、南濱、葭原、蒲生、小橋、千日、鳶田と七つあったのさ。それが明治の初めに、市内の三ヶ所にまとめられ、それらのうち、明治の初めにできたのが現在の阿倍野墓地なのよ。それを明治の終わりに大阪市が買収し、市立南斎場とした。『大阪七墓巡り』と云う風習が江戸時代にあったそうだ。大阪町衆の風習で、毎年、盆になると市中、郊外の七墓を巡り、有縁無縁を問わず〈同じ大阪に住んでいた町衆、先人ではないか〉とその霊を慰めたのさ。また江戸時代中頃以降ともなると若い男女のお盆のデートコースとしても活用されたようなのさ。お墓めぐりをカップルのデートコースにするなんて大阪らしいだろう。町衆は自由闊達に『遊び心』を持って七墓巡りを楽しんだそうだ。最も維新以後はすたれたそうだがね」とお浜さんは博識を披露した。

 墓めぐりで男女の仲を深くする。「お前さんとは墓場まで…」なんともおつな風習であったことか。


【苗代田停留場】


 斎場前を過ぎれば再び専用軌道に入り苗代田停留場に着く。この停留場は庚申(こうしん)街道と交差する踏切を挟んで西側に平野方面行きホームが、東側に阿倍野、今池方面ホームがある。

庚申街道は四天王寺南大門前を起点として南へ庚申堂前を過ぎ、平野区で古市街道と合流する旧街道である。

 文ノ里停留場方面から当駅にかけては、平野線の中間駅間では随一の勾配区間であり、朝のラッシュ時には、満員の電車が喘ぐかのように坂を登った。苗代田停留場と文ノ里停留場との高低差は6メートル余あり、駅間500メートルで計算すると12‰(パーミル)の勾配であった。

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