第3話 【飛田停車場】

【飛田停車場】1


 大正時代に築かれ、日本最大級の遊廓と言われた飛田新地の最寄駅である。

1958年(昭和33年)の売春防止法施行以後は料亭街となっているが、現在も当時の雰囲気を残し、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。難波新地乙部遊廓が全焼した後、1916年(大正5年)にこちらに移って来たことにより始まる。大正時代の大阪の人口は東京を抜き、大阪は日本一の都市として繁栄していた。

 飛田遊郭の妓楼の数は、昭和初期には200軒を超えた。戦災を免れた唯一の廓であり、戦後もかたちを変えながらも賑わった。


 健吾が仕事を終え、飲みに行くところはジャンジャン横丁にある『浜屋』であった。

店は立ち飲みのカウンターと長テーブル一つの、12、3人も入れば一杯の小さな店である。酒以外に出す物は、串カツと関東煮である。

 カウンターにはウスターソースを入れた容器が3つほど置いてある。それを客は共用して漬ける。ソースの2度漬けは禁止とされる。大ぶりに切ったキャベツがボールに山と盛られてある。このキャベツはいくら食べてもタダである。油物の間の箸休めになる。このスタイルはジャンジャン横丁にある『だるまや屋』が考え出した。これをほかの店も習った。新世界に行ったら「串カツや」と、手頃な値段に庶民の間に人気になった。肉は豚肉、牛肉、鳥、鯨と店によっていろいろである。玉ねぎや、ナスや野菜の串もあった。

「肉やゆうてるけど、何の肉や分かれへん」という客に、お浜さんは「ウチは犬の肉使ってるんや、文句あるか」と言返す。お浜さんとこは鯨カツである。鯨はカツ以外にコロ*や、さえずり*、モツは関東煮の具材にもなり、また、ベーコン*やおばけ*や竜田揚げと、特に浜屋の鯨は新鮮で刺身にもなり、鯨は浜屋の名物であった。


 映画の帰りか親子連れの客がある。勘定を払う段になって、子どもの足元に串が2本落ちていた。それを見た父親が子どもをえらく叱りつけた。嬉しそうに食べていたその子は泣き出した。

 見ていた健吾が思わず、「おやっさん、何もそんなに怒らんでも」と言うと、

「誤魔化したと思われとうないんです。前も注意しましたのに、このガキは不注意なんです」と答えた。勘定は串の数で決まるのである。

 健吾はもっぱら関東煮であった。浜屋は夏場でも関東煮を出した。コロ*やさえずりが大好きであった。これらがまた良い出汁になった。


 ジャンジャン横丁は正式名称を『南陽通商店街』と云うが、だれもそう呼ぶ者はない。ないと云うより、知らないと云った方がよい。歓楽街である新世界と花街・飛田遊郭をつなぐ道筋にあり、飲食店が集まって形成された。これらの店は多くの酔客相手に酌婦を置き、酌婦の中には三味線を持ち、呑み、唄い、場を盛り上げる者もあり、その三味線の音が賑やかしく、「ジャンジャン」町と名前が付き、林芙美子の『めし』の舞台にもなり、この中で町ではなく、横丁と使われたのが名前の由来だと、浜屋の女将お浜さんに健吾は教わった。

 お浜さんはかってはこの飛田遊郭で娼妓として売れっ子だったと自称している。売れっ子だったかどうかは定かでないが、この辺のことには詳しい。そしてよく本を読んで物知りで、何事にも一言を持つ。年齢は万年35才だが、健吾の見るところ10才はサバを読んでいそうだ。


注釈

コロ: 鯨肉を揚げて油を絞った残りを乾燥させたもの。大阪で好まれ、本来は再利用であったはずが、積極的な生産対象にまでなった。本皮を原料とした一般的なコロ(煎皮とも)のほか、舌を原料としたサエコロ、内臓のダブ粕などがある。マッコウクジラのものが庶民には親しまれた。


さえずり:鯨の舌、上等のコロはこの部位が使われた。


おばけ:さらしくじら―塩漬の尾羽毛(尾びれ。脂肪とゼラチン質からなる)を薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたもの。酢みそで食べる。これも「おばけ」などと呼ぶほか、白く透明な外見から「おば雪」「花くじら」とも云う。


くじらベーコン:畝須(ウネス)を塩漬けにしてから燻製にしたもの。表面が赤く着色されていることが多い。薄切りしたものを軽く火であぶるなどして食べる。原料の不足から、本皮で代用されることもある。


***


『飛田停留場』2


客の中に串カツしか食べない客があった。歳は健吾と同じぐらい、25、6といったところだ。「串カツばっかりやね。関東煮は食べへんのですか?」と健吾が聞くと、「俺は関東とアメリカが大嫌いだ」と云ったのが、口のきき始めであった。

 いつ来ても、お浜さんと二言、三言喋る以外は誰とも喋らず、焼酎を3杯引っかけて出て行くのが常であったが、歳も同じぐらいということもあって話が合った。


 闇屋をやっていると云う。「たいていのものは都合がつくから入用な物があったら云ってくれ」と云って、健吾も2、3都合をつけて貰ったこともあった。物価統制下でも食べる物なんかはだいぶ出回って来たが、それでも都合がつかないものもあった。

 名前を橋本竜吉といい、中肉中背、どちらかというと〈ぽっちゃり〉気味の健吾と違って、背は高い方で、細身だがしっかりした身体つきで、苦み走ったちょっとしたいい男であった。喋り方に少しすねた所もあり、戦地帰りだと思われた。健吾は電車の運転をしていたので徴兵には取られず、平野は戦災を受けなかった。職業や住んでいる所の違いによって、人の命や運命は大きく違うことになる。健吾は竜吉に何かすまない気持ちになった。竜吉はお浜さんとは以前からの知り合いのようであった。


「健吾さんよ、毎日毎日同じ線路を運転しててさ、面白いかい?」

「竜吉さん、毎日毎日同じ乗り物に乗るのが幸福の元だって知ってます?」

「なんだい?それは…」

「僕は昼も夜も同じ乗り物に乗ってます」

「へへー、ごちそうさん」

と、冗談も云い合える仲になっていった。


 ある時竜吉が、若い女連れで健吾の運転する電車に乗って来たことがある。新世界で映画を見ると云う。

「この間、竜吉さんが綺麗な女の人と一緒だった」とお浜さんに云うと、

「妙子さんやろ、そろそろ竜吉さんもはっきりさせんといかん頃や」と、お浜さんは健吾の注文したコロと厚揚げを皿に取りながら云った。

 健吾は竜吉も同じ乗り物に決めるのかと…苦笑いした。


 竜吉は「なんとかせねば」と思った。阿倍野の闇市で関東松田組の者に出会ったのである。向こうは知らぬふりをしていたが、竜吉と認めたかも知れない。いずれ追っ手の手が伸びるのは必定である。

 松田組は新橋を根城に東京都内で闇市を幾つか持ち、戦後のしてきた新興やくざであった。竜吉は新橋の闇市で物資の調達係りをしていたが、進駐軍の横流し品にペニシリンがあった。これは相当な金になり、纏まった金を掴むのは今しかないと、関西に逃れて、舞い戻って来たのである。


「お客さん、泊まりにしてくれない」と女は云った。何時もの手口だ。〈ちょんの間〉で入った客を泊りに変える。でも最初からとは厚かましい女だと思った。

「ああいいよ」と女の頼みを竜吉は聞きいれた。

名前を妙子と名乗った。次もその名前で客になった。

「お兄さん、この間は無理を云ってごめんね。今日は私が払うから泊まりにして」

と云った。その晩の女はこの前と違って情がこもっていた。竜吉は妙子の客になった。

後で、妙子から聞かされたのであるが、〈親しくしていた娼妓が亡くなって、その日はどうしても他に客を取りたくなかった〉と云うことであった。


 いつしか、客と娼妓と云う関係でなくなった。妙子は月に二日休みがあると云って、休みは待ち合わせて映画を見たり、食事をするようになった。

妙子は小豆島の生まれで、学校を出て、十三の紡織の女工になったが、その糸くずの埃と、寮の貧しい食事とで肺病になる者が多かった。こんなところに居たら早くに死んでしまうと思っていたら、住み込み食事つきのいい仕事があると口を利くものがあって、半分だまされたみたいな形でこの世界に入ったと身の上を語った。


 つきあってみると、仕事柄と違って、つつましやかな女らしいとこがあり、竜吉は気に入った。妙子を引いてやるにも纏まった金がいる。竜吉は、これはやばい橋を渡るしかないと思った。神戸の米軍キャンプから拳銃が流れる話がある。これを今の組を通さずに取引出来ないか考えている。もし判れば命の補償はない。


 竜吉の両親は沖縄から大阪に出てきて、夜泣きそば屋から苦労して店を持った。父親が若いときに長崎で修業した長崎ちゃんぽん麺は店の看板になり、店は繁盛した。竜吉が復員して帰って来ると、大正区の家も店も燃えてなく、両親は亡くなっていた。

 竜吉は思い出のある大阪が嫌になって、すぐ東京に出た。戦後の日本の何もかもが嫌であった。アメリカの占領下になったとはいえ、上も下もアメリカ様々のような馴れ馴れしさに反吐が出る思いであった。いい戦争だとは思わなかったが、〈南洋の島で戦ったあれは何だったのか〉と、飢えと病で亡くなっていった戦友を思った。



『飛田停留場』3



 終がけに入って来た竜吉が女将のお浜と話し込んでいる。2、3残っていた客も出て行き、お浜は暖簾を取り入れた。

「竜吉さんどうするつもりだい?ああ云うところの女だといい加減に扱っちゃいけないよ。女の一人幸せに出来ずに何が男だい!」

「きついなぁー、腹をくくったよ。所帯を持とうと思っているが、それには纏まったものもいるし…」と喋って、

「それより…、東京の奴らに見つかったみたいなんだ…急がなくっちゃと思っている。ちょっと纏まった金になる手口があるんだが、これがやばくってねぇ。迷っている。追われるのは必定。東京と二手じゃ、妙子を巻き込んでしまうと、それを案じているのさ」

「竜吉さん、妙子を引くお金はどうでもいいさ、八重さんとこも、もうたんまり妙子さんで稼いだはずだ。しつこくは追わないよ。でもその話はやばそうだね。東京はともかく、ここの組はしつこいよ。うちに任せておくれ。隠れるのにいいとこがあるよ」


 娼妓が曲がりなりにも店を持つことが出来るのは幸運であった。

お浜の客の中にこのジャンジャン横丁に店を持つ客があった。歳だし、戦争で物も不足の都会で店を続けるより、田舎に引っ込むから店をやらないかと云うのであった。

 何時までも続けられる仕事でなかったし、少し貯め込んだものもあったので、お浜はこの話を渡りに船と思った。店の女将の八重も「そうだね、お前もいい歳だし」と喜んでくれたのである。


 暫く店を手伝う形で、関東煮と串カツの作り方をその店主より習った。店を開いて困ったのが食材や酒の手当であった。そんな折に、世話になったのが竜吉であった。

浜屋名物の鯨も、健吾が好きなコロも和歌山の太地町*に知り合いを持つ竜吉の手配であった。

お浜は八重を今でも「おかあさん」と呼び、昼間、店の裏口から入っては、八重と喋りあう中であった。そんなことで妙子とは顔見知りであった。

 丹後の伊根に知っている者がいるのでそこに逃げろと云う話であった。

「聞きに来るぐらいはあるだろうが、まさか、ウチが裏で引いているとは思うまい」と云うのであった。竜吉はお浜の言葉に従うことにした。


 伊根町は、丹後半島の北東部に位置し、舟屋で知られる。漁業が盛んで、中でも回遊魚伊根ブリは有名で、日本三大ブリ漁場の一つと云われている。

京都から汽車で、天橋立で知られる宮津まで行き、あとは半島の東側をバスが海岸沿いに走る。お浜の紹介とは云え、見知らぬ土地に逃れて行くようなのは、やはり寂しく不安であった。

迎えてくれたのは初老の伊助という漁師であった。女房は早くに亡くし、子供もいない。小柄ではあるが、漁で鍛えた身体はがっしりと締まっていた。何でもお浜の親父さんに若い時に漁を仕込まれたという。

「こうして漁をやって暮らしていけるのも、お浜さんの親父さんのお蔭だよ。親父さんが漁に出て遭難しなければ、お浜さんも大阪なんぞにはいかんで済んだのに…。何にもないところやけど、魚だけは新鮮なものが食べられますよ」と、温かく迎えてくれた。


 二人の住まいは、母屋より道一つ隔てた舟屋の2階が宛がわれた。一階は海に面して船の置き場になっている。そして竜吉は伊助の漁を手伝うことになった。追っ手の心配もなく、雪の伊根湾を見ながら火鉢で蟹を焼く、部屋には真っ当な所帯道具もなかったが、二人はしみじみと幸せを感じた。

昭和も30年を過ぎるともはや戦後ではないと云われ、天橋立に訪れる観光客も増えだした。その客をあて込んで伊根湾に遊覧船が走ることになった。龍吉は小型船舶操縦士の資格を取って船長になった。船長といっても他に乗務員一人の小さな船であった。妙子は舟屋を改修して民宿を始め、伊助は民宿に出す漁だけでよくなった。


1956年(昭和31年)通天閣が再建されたが、昭和33年売春防止法が出来、飛田遊郭は、表向きは料亭街『飛田料理組合』となって営業をしたが、昔の隆盛の面影をなくした。

戦後、梅田や難波のターミナルが開発され、繁華街はそちらに移って行き、新世界もその面影を変えた。ジャンジャン横丁もその猥雑さと賑やかしさは以前のようではなくなったが、周辺労働者の飲食店として落ち着きを持った。


 浜屋は相変わらず関東煮と串カツの二本立てで、それなりに繁盛していた。そんな客の中に健吾の顔が見られた。

「健吾さん、コロがいい具合に出来ているよ」

「じゃ、それと厚揚げ、竹輪を貰おうかな。ところで、竜吉さんだが、何か連絡があったかい」

「この間、二人目の男の子が出来たんだってさ。今ね、遊覧船の船頭しているよ。昼も夜も、毎日同じ乗り物に乗っているって、あんたに伝えてくれってさー」

「竜吉さんは今どこに居るんだい?」

「ちょっと事情があってね、あんたでも云えない。でも仲良く暮らしているよ」

「べつにいいけど…、電車に乗り込んで来て、所帯を持つんだと妙子さんを紹介してくれたのが最後だった」

 そのときの、竜吉の顔はすねた所もなく、素直な好青年に映った。そして、そばに寄り添う和服姿の幸せそうな顔が健吾には印象にいつまでも残っている。


注釈

太地町:くじらの町である。古来から捕鯨が盛んな地域であり、現在でもゴンドウクジラなどを対象にした沿岸捕鯨が続けられている。


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