火のような恋をした

 佐藤茜、一五歳。中学三年生である私は、たった今、恋をしている。


 きっかけは六月に起こったある出来事だ。


 修学旅行の二日目の夜、宿泊していたホテルが火事になった。皆が非常口を使って脱出をする中、私だけがはぐれて取り残された。周りは火の海で、煙が充満している。必死になって出口を探すけれど、炎で道をふさがれて、どうにもならない。もはや生還は不可能だとあきらめかけたとき、彼が現れた。その、黒髪黒眼の少年は不意に私の腕をつかむと、安全な場所まで導いてくれたのだ。おかげで私は今も生きて、学校生活を送っている。


 以来、彼に特別な気持ちを抱くようになった。相手の様子を観察するようにもなる。しかしながら、私はいまだに彼の性格を理解できずにいた。なんせ、寡黙だ。一見すると冷たくてクールな少年は、人を寄せ付けない雰囲気がある。積極的に関わるわけにもいかない。仲良くなろうとしたところで、突き放されるのがオチだろう。それでも少年の黒曜石のような瞳の奥には、確かな情熱を秘めている。炎の中で見た爛々らんらんと輝く瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。修学旅行の夜、私を地獄から救い出した少年の姿は、背後に迫る炎よりもまぶしかった。


 彼に恋をしてから、人生が充実し始めたように感じる。学校でも家でも、黒髪黒眼の少年のことを思ってしまう。彼の顔を遠くから眺めるだけで、胸がドキドキする。とにかく、ときめきが止まらない。こんな幸福な気持ちは初めてだ。私は、修学旅行の夜に起こった出来事に感謝をしている。かわりに、炎が苦手になった。コンロを使った料理はできなくなったし、マッチに火もつけられない。理科で使うランプも、火をつける役を他人にまかせて、私は見ているだけだ。トラウマなのだろうか。現在、リビングにある暖炉の火にも恐れの気持ちを抱いている。胸の中に渦巻いている気持ちに関してもそうだ。この熱い想いがいつか自分の身体を飲み込んで、こがしてしまうのではないかと思うと、不安で仕方がない。いつか、少年まで巻き込んで、氷のような彼を溶かしてしまう可能性すらあった。


 しかし、今日は――今日だけは、立ち上がらなければならない。恐怖を克服して、前に進む必要がある。なぜなら、明日はバレンタインデーだからだ。来年になると中学校を卒業した者はそれぞれの進路へ向かう。もう二度と、会えない可能性がある。その前に、想いを伝えない。そのために、私は本命のチョコを手作りしなければならないのだ。


 夕方、商店街でそろえた材料を手に、玄関の扉を開く。中に入って、キッチンへ向かって、使うものをならべる。板チョコレートの真っ赤なパッケージと、白い生クリームと卵。それらがいよいよだという気持ちを高ぶらせていく。つづいて、まな板や包丁を用意する。ボールも近くに置いて、調理に取り掛かる。レシピはネットで検索したら出てきたもので、比較的順調にことを進めていく。そして、次は湯煎のためにコンロに火をつけるだけだというとき、急に手が止まる。脳裏に蘇ったのは、ホテルで見た熱い炎だ。あれが今にも自分の身体に襲い掛かってきそうな予感がして、頬を汗が伝う。それでも、ここまできたのだ。逃げられない。私は覚悟を決めた。歯を食いしばって、瞳の奥に火事の炎に負けないほどの光を宿して、いよいよ私はコンロに火をつけた。


 日付が変わった。

 平日であるため、普通に学校はある。

 授業を受けながらも、渡すときのことを思うとドキドキして、まったく集中できない。

 そうした中でも時間は流れていく。

 午後の授業も終わって、日が落ちようとしている。

 逃げ出したいような気持ちはあるけれど、すでに覚悟を決めた身だ。

 意を決して玄関までやってきて、下駄箱の前にいる少年に声をかけた。


 バレンタインデーのチョコです、と言って、ラッピングをした袋を差し出す。

 すると彼は一瞬だけ瞠目したのち、口角を緩めた。


「ありがとう」


 穏やかな声が、鼓膜を揺らす。

 心にも温かい感情が流れ込む。

 そして、目の前で彼は笑顔を見せた。

 いままで見たことのない、表情だった。

 それに完全にやられてしまう。

 ああ、離れたくないなとあらためて思った。

 同時に、感じた。

 彼は氷を溶かしてほしかったのではないかと。

 いつかきちんと正式にこの想いを伝えないと……。

 私は落ちていく日の光を浴びながら、そう思った。

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