世界の管理者になりました

 目が覚める。ベッドの上。明るい室内。夢を見た気がするが内容を覚えていない。まあいいや。

 起き上がる。寝巻きのまま立ち上がって、窓まで迫る。カーテンを開けると庭が見渡せる。いつも通りの庭。自宅。安全地帯。

 さて、朝食を済ませたら外に出かけよう。なんとなく思い、身支度を済ませると、私は玄関のほうへと歩みを寄せた。

 扉の前にやってくる。ドアノブに触れて、ひねる。戸を押し込むと、外の空気が循環する。そして、空いた四角の先に見えた光景に、唖然と口を開けて立ち尽くす。

 そこにあった光景は外国の世界そのもの。見たことのない街並み。明らかに異質な場所に直通したようで、現実を疑う。

 私は即、扉を閉めて部屋に引きこもった。

 壁際までやってきて、角で体育座りをする。

 いったい、どうなってるのか。私は夢でも見ているのか。いや、夢ならばついさっき終わったばかりではないか。困惑しながら頬をつねる。きちんと痛みを感じた。やはり現実だ。

 ならば、なにだ。

 まずは落ち着いて状況を確かめる。

 ずらっと壁や天井を眺める。小綺麗なだけの家。なにもない殺風景な場所。確かに私の住んでいる場所だ。

 私は田舎の高校に通う女子高生。一人暮らしをしている身。それだけは確か。でも、寝る前にどんな暮らしをしていたのかは思い出せない。現実での記憶……なにだったのだろう。

 悶々としていると急に頭の上に半透明の板が表示された。パネルだ。検索窓がある。これに頼ればなにかが見つかるかもしれない。

 なにについて尋ねようか。

 一秒の逡巡の後、私は呪文を唱えるように、口に出した。

「私は、いったい?」

 魂の抜けたような顔をして問いかける。彼女の丸い瞳にはなにも映っていない。ただ検索窓には確かに彼女の繰り出した質問が表示されている。そして、パネルはただ一つの答えを出した。

『あなたは世界の管理者に選ばれました』

 機械的な音声が脳内に直接、届く。

「世界の管理者?」

 なんのことだかさっぱり分からない。

 ここはゲームの世界だとでもいうのか。

 なにもかも分からないまま固まっていると、機械音声は端的に告げた。

『管理者はうっかり天から足を滑らして、死亡しました。したがって、あなたに役目が回ってきました。ちょうど、空いたスペースだったので』

「はあ、そう」

 うっかり、足を滑らせるなんて、どんなドジっ子よ。

 妙に現実離れしているというか、荒唐無稽というか。とにかく信じがたい話だ。

 と、気になる言葉が頭をかすめた気がして、一瞬だけ思考を止める。

「ねえ、あなた、『空いたスペース』と言ったわよね。今の私はどんな状況にあるの?」

 視線を上げて、頭上のモニタに意識を向ける。

 数刻の曖昧な間の後、機械音声は告げた。

『あなたに最期の記憶を流します』

 淡々と、義務を果たすように、相手は述べた。

 刹那、私の視界は暗転する。

 そして、気が付いたときには学校の屋上に立っていた。天は青く澄み渡っている。きれいなだけでなにもない。私の心のように空虚で、掴めない。何事も、なにもないまま生きてきた。もう終わってもいいと思って、ふらりと端へと足を寄せ、なにも考えないまま踏み外す。

 ふわりと体が浮いた。閉じていく視界。霞んでいった未来。なにかが潰れ、叩きつけられたような音。それが聞こえただけで感覚は遠く、私の記憶は途絶えた。


 現実に戻ると、悪夢の後のように息が乱れていた。

 急速に意識が研ぎ澄まされ、ひんやりと落ち着いた。いままでのふわふわとした感覚が消え去り、地に足をつけたようになる。

 そうか、私は死んだのか。実感を持って、しみじみと思う。それが理想だったのだから別にいいのだけど、妙に寂しい。やりきったはずなのに嬉しくない。情熱を失った器には燃え尽きた後のように、なにも残らない。

 しみじみと思いかけてふと、あることに気づく。

「私は死んだはずじゃ。どうして今」

 生きているんだろうと。

 間の抜けた顔で疑問を呈する。

 機械音声は平然とした様子で、答えをつむいだ。

『確かにあなたは死にました。肉体は失われ、魂だけで彷徨う身。ゆえにその器を死した神の代替としたのです』

 話を聞いて、ああそういうこと。と、適当に納得しておいた。

 よく分からないけど、私は死んだ。肉体は本当になくて、今の身は霊体のようなもの。同じタイミングで天界の主――すなわち世界の管理者も死んだから、代わりとなる存在を欲した。そこにちょうど私のような現世から引っ張ってきても問題のない者が現れたから、都合よく捕えられたと。

 ていのいい奴隷なのではないか。

 嫌な感覚はするし、結局終わりではないのかという落胆もある。でも、どうせ死んでも死後の世界とやらが待ち受けている可能性があったし、この世界も似たようなものとしてとらえてよい。

「それで今の私が街中に出向くと、どうなるのかしら?」

 虚空を見つめて、話す。

 質問に答える形でしか話せないと予想したので、あえて問いを投げかけた。

 機械音声は正確に言葉をつむぐ。

『現在のあなたは霊体です。物体に干渉できず、声を発することもできません』

 つまり透明人間。幽霊か。確かに死んだ後ととらえてもいい。まあ、私の人生はリセットされてここからはじまるも同然。こうなれば仕方がない。運命を受け入れるとしよう。

 透明人間になるのは憧れだったし、他者の目を気にしなくていいのは楽だ。

 息を抜こうとしたとき、脳内に直接音声が届く。

『アバターを作成しますか?』

 目の前に半透明のパネルがおりてきて、素体が映し出される。MMORPGのアバターのような感覚で色々といじれる。目の大きさや形、顔のパーツの配置、髪の長さや色。体型なども変えられる。要は理想の自分を作成できるわけだが、今はまだ置いておこう。

「後にするわ。とりあえず、街に出てみる」

 パネルから目をそらし、玄関へとまっすぐに歩き出す。私は扉を開いて外に出た。街は明るい色に染まり、人々は生き生きと活動をしている。主婦は八百屋で買い物をし、子どもたちは通りで追いかけっこに勤しみ、時々rpgに出てくるような装備をまとった者が武器を携えて歩いている。

 その光景を前に私は口を丸く開けて、見入っていた。

 凄い。モブじゃない。みんながみんな主役として街で暮らし、生活をしている。しばらくの間圧倒されて、ぼうっとしてしまった。

 それはそうと、本来の目的を忘れたわけではない。私はこの世界について学ばなければならない。異世界であることは明白だけど、どのような仕組みで運営されている環境か分からない。冒険者風の人間もいたから魔物もいるし、魔法はありそう。ダンジョンもあったりするのだろうか。ワールドマップが欲しいところだ。そうやって唸っていると、脳内にテキストが表示された。

『地図を拡大します』

 頭の中に直接データが挿入された。どれどれ。

 いくつかの塊を海にのっけたような構図。大陸の数は四つ。太古の時の流れで研磨と切削を繰り返したような地形をしている。現在地は東の大陸か。別に目的地があるというわけではないのだけど、なんとなく全ての大陸を回りそうな気がしてきた。

「ところで私の仕事は? 管理人ってなにをすればいいの?」

 なんとなく聞いてみる。

『管理者はそこに坐すだけです』

 平然と答えが返ってきた。

『思うがままに歩き、改変すればよろしいかと』

「その気になれば世界をまるごと作り変えることも可能ということ?」

『それがあなたの権能です』

 つまり、なにをしてもいいと。

 ただそこにいるだけで価値がある。観測者のようなものだろうか。釈然としないが、なにもしなくてもいいのなら、それで構わない。私は仕事が嫌いだ。できれば自由に過ごしたい。縛られたくないのだ。

『実行に移しますか?』

「そんな野暮なことしないわ」

 私は今ある世界で満足している。現実にあるものに越したことはないが、全く知らない世界のほうが新鮮味がある。なにより、あのつまらないだけの世界なんて引き戻されたくはない。

 とはいえ、なにも分からない世界に、指示もされないまま放り出されても困る。なにか指針でもあればいいのだけど。

『私どもが求めるものはなにもありません』

 機械音声も空虚な発言を繰り出す。

 仕方がない。私は諦め目を伏せる。ここは自分一人で全てを決めるしかないようだ。つくづく面倒で投げ出したくなることだけど。まあ、全能みたいなものだから、困ったことがあってもなんとかできるでしょう。私はそうとらえ、特に懸念には思わなかった。


 とりあえず、また歩き出す。私が今やりたいことは街の探索だ。広場や教会を周り、高いところから地上を眺めた後、適当にアバターを作成して、道具屋に行く。そこで土産物感覚で雑貨や地図を買い、家に戻った。

 その日は適当に風呂に入って、眠りにつく。

 そして、朝になった。買ってきたものを確かめる。きちんと手元に残っていたことに安心しつつ、まずは地図を確かめる。これでもっとくわしい地形を把握できると思ったのだが。

「……」

 くすんだ色の紙面を覗き込み、私は表情を消した。そこには大陸が大まかに書いてあるだけで、中身はない。国境すらない。これはつまり、私の認識が紙面に反映されているということだろうか。実際にそちらへ赴けば情報は更新されるのかもしれない。だが、白紙なのだから自由に描くのもありだ。私は適当に筆を滑らせることにした。

 まず書き込んだのは王都だ。かろうじて表示されている街から少し離れた位置に書いてみる。それから奥には霊峰。ドラゴンが住んでいそうな雰囲気。あとは、泉。ここには清廉なる神獣もとい眷属も遭遇できる。あとは迷いの森。この街の北に設置してみる。

 それから冒険者ギルドの存在も忘れてはいけない。中心の王都から蜘蛛の巣を描くように支部を作る。海には海賊が出没。海獣なんかも人々を脅かしている。ほかには神聖なる森。人里離れた場所にはエルフの一族が生息する。あとは獣人も。彼らは都市部には寄り付かず、草深い場所に村を作って暮らしている。

 国の名前を仮にブラウン王国とする。王国はある程度は繁栄している。一位にはなれないながらも三番目には入るくらい。冒険者ギルドのほかに魔法研究所・考古学ギルド・星見など。

 最後にモンスター。草原には小動物型・森には精霊種・ゴツゴツとした岩場にはロック鳥やいかつい姿をした岩トカゲなどを配置する。ざっくりとした設定だが、後は現地に行ってから修正すればいい。

 筆を下ろし、地図をしまう。事は終わったので確かめに行く。私は身支度を済ませて、外に出た。


 街の外に出て、開けた場所をひたすらに進む。小動物が生息するだけの道。基本は安心。ただし、手を出せば襲いかかってくるかもしれない。そんな雰囲気。そのように設定したのだから、その通りに進めば問題はないだろう。

 そうして淡々と歩き進めていると村が見えてきた。そのように描いた覚えはないのだが、間を埋める形で自動生成されたのだろうか。なんにせよ、休憩にはいい。そしらに歩みを寄せることにした。

 老舗と思しき喫茶店の中に入り、席に着く。適当に注文をすると紅茶が届いた。真紅の色が鮮やかで、爽やかな香りがする。口をつけると、フルーティで華やかな味わい。ジュースを飲んでいるように甘酸っぱいのに、ワインのように上品。まるで高級レストランに赴いたような雰囲気がする。安い金額で受け取っていいものではない。だけど、私はケチなので金額通りに支払って外に出た。

 しかし、休憩とはいえ、あまり疲れてはいない。この肉体アバターは体力という数値が設定されていないらしい。おまけに無敵でもある。怪我をしないに弱ったりもしない。要は完全無欠。私としては都合がいいが、どこまでいっても人形だ。

 ただ歩くだけでは味気ない。私の目的なんて特にないけど、せめて刺激でも起きてはくれないものか。そんなことを考えていると、機械音声が脳内に響いた。

『物語を組み込みますか?』

 一瞬、なんのことだか分からず、面食らう。しかし、現在の私は全能だ。やろうと思えばなんでもできる。人の運命すら左右できる。そして、今は北の大地が白紙となっている。つまり、なんでも自由に書き込めるということ。

「魔王でも設置してみる?」

 北の大地は荒野が広がっている。厳しい大地の下、魔族は団結し、力をつけた。反対に豊かな王国は余裕があり、満たされているから、悪逆に走る必要がない。こんな構図にする。

 魔王がいるのなら勇者もいる。勇者は作成するのもいいけど、その場にいた人間を使用してもいい。

 というわけで、村を散策する。ちょうど水辺に現れた若者。彼らは水を汲みに来たらしい。ちょうどいい。私の目に留まったのはそれこそ運命というものだろう。彼を勇者に任命する。

『承りました。青年ユウガを勇者に認定します』

 機械音声が脳内で響く。

 直後に勇者に選ばれた青年は、虚空を見上げた。天から降ってきたのは黄金の指輪。それこそが勇者に選ばれた証だ。そんなことは理解できず、彼はおもむろに手を伸ばし、指にはめる。これにて契約は成立した。

 彼は勇者として旅立つことが決まる。それを証拠に服装は勇者らしいものへと切り替わり、腰には立派な剣を携えていた。彼は突然の変化に汗をかき困惑している。無理もない。なんの説明もなく事を起こしたのだから。

 登場人物もとい主人公と化したユウガを観察するのもいいが、そろそろ助け舟を届けてもいいか。そう思っていたころ、奥のほうから白いワンピースに身を包んだ少女がやってくる。

「まさかあなたこそが勇者なのですか?」

「え? ああ、そうだけど」

 清楚な雰囲気の彼女。ユウガも話を合わし、うなずいた。

「よかった。ようやく会えました」

 感激に目を細め、胸に手を当てて、落ち着く。

「私は聖女。あなたに遣わされる存在です。さあ、手を」

 彼女は手を差し出す。

「私と共に魔王を討ちましょう」

 希望を持った目を彼へ向ける。見つめ合う二人。青年は無言で立ち尽くす。いまだに困惑を隠しきれない彼。それでも覚悟は決まったらしい。

「ああ、その責務を請け負おう」

 凛とした顔で言い切る。剣を携えた彼には勇者の風格が伴っていた。

 そうして二人は旅立つ。私はその後をこっそりとついていく。気配を消していけば大丈夫。その気になれば霊体化してしまえばいい。

 しかし、簡単に人の運命を変えてしまった。それどころか、歴史や世界の構造すら変化をもたらしている。やらないと決めていたのに、やってみようと決めたら、勝手に手が動いていた。

 なんて、言い訳をしたって仕方がない。勇者に選んでしまったのだから、最後まで責任を取って見守ろう。そのように決めて、私も彼らを見守り続けた。


 辺境の村を出発点として彼らは淡々と道を進む。

 平原に現れるモンスターは弱い者ばかりで、勇者一行は順調にレベルを上げていく。しかし、その先は洞窟である。別名、ダンジョン。ただの洞穴とはわけが違う危険地帯。その先へ勇者は進めるのだろうが。

「うわぁ……」

 間の抜けた顔をした勇者は、穴の前で唖然と立ち尽くす。

「なにをしているのです? さあ、進みましょう」

 聖女はノリノリで背中を押す。

「お、おう」

 渋々中に入る。

 勇者はビクビクと進み始めた。聖女は勇敢に前に進む。暗い道を照らしながら順調に。

「う、うわあああ!」

 勇者が悲鳴を上げる。

 飛び出してきたのはコウモリだ。闇夜でゆらゆらと揺れている。

「下がっていてください」

 聖女が前に出て杖を振るう。光がぽわんとあふれ、コウモリが散る。文字通り塵と化した。

「ふう……助かった」

 勇者はほっと胸を撫で下ろす。

「さあ、先に行きますよ」

 聖女は容赦なく先導する。勇者も後を追わざるを得ないようで、渋い顔をしながらついていった。


 それから二人はまた、歩き進める。

 次に見えてきたのは要塞だ。なんでも、魔王軍が構えているのだという。王国領にも関わらず、大胆なことだ。半ば感心しつつ、様子を見守る。

「なあ、迂回しないか?」

 おどおどとする勇者。

「進みます」

 聖女は強気だ。むしろ血の気が多い気がする。

 勇者は露骨に勘弁してくれと顔に出していたが、聖女を止められはしない。二人は中へと突入していった。

「なんだなんだ!?」

「ものども、掛かれ」

 侵入者に反応した魔族たちが挑みかかってくる。

「だまりなさい」

 聖女は容赦なく薙ぎ払う。

「うげぇ……!」

 塵となって消える魔族たち。

 彼女のほうがラスボスに見える。後方で見守る勇者は戦々恐々。

 震えている間に聖女は先へ進む。

 待ち構えていた魔族は殲滅し、奥へと。

 一本道を通り抜けると、最後のフロアに到達した。四角い空間には玉座があり、一人の男が構えている。

「待っていたぞ、勇者ども。覚悟」

 大男は言い、剣を抜く。

 戦いは始まった。

 聖女が魔法を繰り出し、勇者が斬りかかる。

 強烈な攻撃。それを魔族は簡単にいなし、二人を蹴り飛ばす。

 聖女はめげずに立ち上がり、詠唱をつむぎ、魔法を繰り出した。しかし、ぽわぽわとした光は魔族に通用しない。

「そんなものか!」

 大きな口を開けて、煽り掛かる。

 たちまち息を呑む聖女。

 彼女が圧倒されている間に、勇者も立ち向かおうとする。しかし、今更彼の剣は通じない。

 聖女も魔法を繰り出せども、防御の壁を突破することすら敵わない。

 魔族が斬りかかる。聖女は地に伏した。残るは勇者のみ。

 さあ、どうなるか。

「さあ、どう料理してやろうか」

 ニヤニヤとしながら迫る。

 そこへ勇者は声を張り上げた。

「待て! 僕が相手だ!」

 まだ自分がいると彼は示す。

 彼は勇者だ。しかし、魔族の目からすれば彼はただのひよっこ。子どもなのだ。そんなものがなんの相手になる。訝しむように睥睨し、怯む勇者。しかし、弱い心を押さえつけるように口を引き結び、意を決して声を張り上げる。

「彼女は僕が守る。僕の前で指一本触れさせやしない!」

 その言葉に奥のほうで少女が瞳を揺らす。潤んだ瞳。頬にはかすかに赤みがさす。

「ほざけ。どうせお前は犬死にだ!」

 男は乱暴に言い放つ。

 さてこの状況、自分はどうするべきか。見守るのはいいが、彼は勝てない。ならばこちらが力を貸そう。それくらい、彼を選んだ自分だからセーフのはずだ。彼の決意に感動したからと理由をつければ、いいのだろう。

『勇者に新たな力を授けますか?』

 私は黙ってうなずく。

 次の瞬間、勇者は白い光に包まれた。

「なんだ?」

 男は瞠目する。完全に想定外という雰囲気。勇者は静かに相手を見据えている。彼の目は勇者の目。村人だったときの面影はない。

 勇者は剣を振り上げる。黄金の刃から放たれた光が束となり、魔族へ向かって放出される。

「うわああああ!」

 男は絶叫する。

 揺れる影。悲鳴が光の向こうへ消えていく。

 そして男の姿は見えなくなり、光が収まり、元に戻った視界には、塵一つ残らなかった。

「はぁはぁ……やった」

 まだ現実味がない彼。呼吸を整えながら疲労にあふれた様子で、剣を下ろす。

 力に振り回されている雰囲気でありながら立派に戦った。この勝利がその証だ。そんな喜びを見出す中、後ろで聖女が立ち上がる。

「凄いわ、あなた。助けてくれてありがとう」

 きらめく瞳で彼を見つめる。

「君のためなら、がんばれたんだ」

 振り向き、はにかみながら答える。

 聖女もまたほほえみ返した。

 なんだかいい雰囲気だと私は思った。だから、できるだけ気配を消して、見守る。

 彼らもまた余韻に浸る間もなく動き出す。その姿は要塞の向こうへと飛び出していった。


 魔族の要塞に手を出したことで勇者一行は、魔王軍に目をつけられた。正式に宣戦布告を受け、日夜魔族の襲撃に遭う。しかし、今の勇者は昔の彼ではない。ユウガは果敢に立ち向かい、魔族を薙ぎ払う。手傷を負った際は聖女が回復し、彼らは抜群のコンビネーションで敵の渦を突破していく。

 それならばと次から次へと幹部が投下される。

 火山地帯に足を踏み入れたとき、炎の技を使う男が現れた。

「お前たちの冒険はここまでだ」

 威勢よく言い放ち、炎の渦を繰り出す。

 赤い色が襲いかかる。

 対して目を光らせる聖女。彼女は杖を振るい、光を放つ。以前よりもより強力になった魔法が炎を相殺。空いた道を勇者が駆け巡る。

「なに!? この俺が」

 戸惑いを隠せない男。勇者の一撃に反応できない。

 男は血を噴き出し、倒れた。

 まずは一人を突破。勇者一行は真面目な顔で視線を合わせ、ともに前を向く。さあ、次へ進むのだ。


 野を越え山を越え、さらに険しい道を進む。

 鋼の大地で現れたのは、二刀流の男。

「やつを倒したか。だが、この俺が突破できるかな!」

 自信を持って言い放ち、挑みかかってくる。

 対して、二人は冷静に対処。

 まずは聖女が目眩ましをし、視界が白く覆われている間に勇者が飛び出す。

「な、目が!」

 硬直する男。

 その背後に影が現れる。

 勇者は迷わず斬りかかった。

「うがあああ!」

 血が噴き出す。

 男は倒れ伏した。

 二人目を撃破。

「さあ、先へ」

 互いに顔を見合わせ、武器を下ろす。二人はともに歩き出した。


 彼らの足は霧に包まれた森へと入る。

 この世の中心とされる世界樹の麓。

 霊妙な空気の漂う場所に、溶け込むように女性が待ち構えている。

「さあ、者共。私の術に惑わされなさい」

 妖艶さを振りまきながら、術を繰り出す。さながら踊っているような身のこなし。

 本来ならこの時点で術中にはまっているのだろう。しかし、あいにくと勇者一行はまともではなかった。

「どうして、あなたたちは!?」

 目を見開き仰天する女。

 それに二人は答えない。

 ただ、純粋に攻撃で切り開くまで。

「光よ!」

 目を伏せ、杖を振るう。瞬間、光が放たれ、霧を払う。

 勇者も剣を振り上げた。力を込めれば、光の束が放たれる。

「うぎゃあああ!」

 魔物がごとき絶叫を上げ、女は倒れた。

 三人目は撃破。順調だ。

 二人はたしかな手応えを感じ、歩き出す。

 こうして霧の森も突破した。


 そこから先は圧倒的な荒野。

 気温は下がり、空気は乾燥。モンスターも強さを増す。夜になればダンジョンの中のような勢いで襲いかかる。しかし、今の彼らの敵ではない。勇者は順調にレベルアップを重ねる。

 聖女もサポートをし、その度に精神力を極めていく。

 二人の快進撃に、魔王城はおののいた。このままでは城が落とされると踏んだのだろう。

「待て。慌てるような時間じゃない」

 王は落ち着いて言い張る。

「わたくしめにお任せを。必ずや、打倒して見せましょう」

 目を伏せ、告げる女。明らかに氷属性。彼女なら大丈夫だと、誰もが思った。それくらいに信頼している。なにせ彼女はこの世で無敗を誇る騎士なのだから。

 絶対に勝てる。今夜は吉報を届けに来るだろう。いつの間にか城には笑い声が響き出した。

 けれども、実際に届いたのは勝利報告ではなく、勇者が最後の門を突破したという知らせだった。瞬間、魔王軍は震え上がる。何人も通さなかった難攻不落の壁が突破される。今宵、最後の決戦が繰り広げられる。この重大事態において、落ち着いていられる者は誰ひとりとしていなかった。


 そのころ勇者と聖女は黙々と魔族たちを打倒していく。彼らの目には敵は同じに見えた。どんな顔をしているのか、どんな名前なのか、家族は。そんなことは見えていない。自分は勇者であり聖女。彼らは敵。ただそれだけの情報しかない。だから倒す。なにがなんでも闘う。それこそが自分たちの役割だ。だから、今の彼らは勇者と聖女。もはや後戻りはできなかった。

 そして、滅亡の危機にある魔族たち。この期に及んで、魔王は玉座から離れられない。魔族たちを守ることはできない。自分の命が怖いのではない。未知なるものが恐ろしいのではない。ただ、手元には絶対に渡したくない宝がある。だから、守る。ただそれだけだ。

 どうか、嵐よ去っておくれ。意味もなく祈り続けた。しかしながら魔族が信じる神などおらず、天も彼らを微笑んではくれなかった。

 外で凄まじい音が鳴り響く。魔族たちを葬りながら勇者たちが進む。彼らは狭い通路を突っ切り、最後の扉を蹴破った。通路とホールが直通し、勇者と魔王が目を合わせる。

「あなただな、最後の敵は」

 真剣な顔をして言い放つ。

「いかにも」

 汗をかきながら、答える。

「ならば、覚悟を!」

 声を張り、剣を振り上げる。

 聖女も凛とした顔で杖を構えた。

 ここに決戦は始まる。

 魔王は覚悟を決めて、暗黒の剣を抜いた。彼の力は闇。刃からは禍々しい魔力があふれている。それを全身にまとい、闇の騎士を具現化する。

「さあ、滅びよ」

 魔王が剣を振り上げる。

 闇が全体を包む。漆黒に染まったホール。その中で聖女の体は光を放つ。二人の姿は暗黒の舞台で浮き上がっていた。

 勇者と聖女は横並びになり、ともに一つの剣を握る。まっすぐに伸びた刃は神聖な光を帯びている。さながら重要な儀式を執り行うような雰囲気。周りの暗黒すら白く塗り替えようとしている。ここに魔王の力は通じない。この場所では魔王すら、勇者の力に飲み込まれてしまう。

 絶望に息を呑む魔王。早くも勝敗は決しようとしていた。ならばこちらも後押しをしなければならない。私は目を伏せ、コードを入力する。勇者よ、魔王を討ち滅ぼせ。

 その声に応じ、勇者と聖女は剣を振り上げる。

 強烈な光が放たれた。何万の星屑を合わせたような光線。それが魔王へ向けて発射される。高圧力の攻撃が魔王を包んだ。

「うわああああ! やめろおおおお!」

 血を吐くような絶叫が光の中へと消える。

 影は霞んで、輪郭が崩れる。

 男の声すら飲み込まれ、形すら見えなくなった。

 ほどなくして闇の晴れた室内。そこにはもう魔王の痕跡はない。主不在の城は寂しさの中に立ち尽くす。その中で燭台の炎は絶えず輝き続ける。

「帰りましょう、故郷へ」

「ああ」

 晴れやかに言葉を合わせる二人。

 彼らは踵を返し、まっすぐに歩き進める。

 その姿は城を抜け、荒野を渡り、森の向こうへ消えていった。

 私はそれを静かに見送る。

 これにて終幕。めでたしめでたしでいいのだろうか。

 うーむ。なにもない場所で唸ってしまう。見どころがあったような、そうでないような。とりあえず、保留とする。二人の活躍は記録に残すとして、ここから先はなにが起きて、どのように事が進むのだろうか。そのことを期待しつつ、私は静観を決め込むことにした。

 今度は手を出さず、成り行きにまかせてみよう。バッドエンドに終わったときはそのときだ。私は闇の中でこっそりとほくそ笑む。このときの私には当初の消極的な色は消え失せ、ただの愉悦だけが残っていた。だけど、これでいいのだと思う。なにせ私は物語の管理者。唯一理の外で観測する者。だから存分に楽しまなきゃ。そうでなければ損だから。

 だからなに一つ、臆することなく世界を操る。それこそがこの私に預けられた特権だ。こうして夜は耽っていく。星々はきらめき続けども、闇はまだこの世に残っている。

 次を楽しみにしつつ、ひとまずは彼らの功績を讃えよう。

 私も踵を返して拠点へ戻る。とりあえずふわりと浮き上がり、幽霊のように移動を始めるのだった。

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