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海洋帝国 成り上がりとその末路

01 起


 空は青く澄み渡り、入道雲がもくもくと上っていく。その青を映す海はさらに濃い色に染まりつつ、どこまでも広がっていた。彼方を見つめれば岩が並び、森らしきものも見えるけれど、上陸する場所はない。港を遠く離れ、船は往く。帆には荒れた旗がたなびき、甲板には財宝が雑に置いてある。水軍が使うような整然とした雰囲気はない。この荒れた感じは明らかに海賊船だが、この船の持ち主はあくまで普通の船乗りのつもりであった。なお――

「よーし、積荷は載せたか? じゃあ、ずらかるぜ!」

「らじゃー!」

 声と共に手前にある船に向かって砲撃を開始。

 相手の船はあっけなく沈み、そらを後目に船は走る。

 それを見て船長はしししと笑う。つり上がった口元に白い歯がちらりと見える。

 彼は非常に生き生きとしていた。これこそが生きがいだと言うようであった。

 と、このように、男の乗る船は明らかな略奪行為を繰り返していたのである。本人はただ冒険をしているだけだと言い、のらりくらりとかわしている。なお、そんな言い分が通じるわけもなく、彼らは正式に海賊として指名手配をされている。

 そのことは本人も知っているのだが、相手が勝手に貼り出しているだけだと、認める気はないようだった。

 そうして今日も島を拠点に海を荒らし回っていたのだが、今回は少し様子が違っった。

「なんだぁ、あれは?」

 眉をひそめて前方を見やる。

 そこに並んでいたのは漆黒の艦隊だった。民間の漁船や海賊船とは様相が違う。かといって水軍とも少し違う。それよりかは豪華客船に近い印象を受ける。もしやと思い、眉をひそめる。

 ちょうどそのとき、表にある影が現れる。それはドレスをまとい、豊かな赤髪を背に流している。その頭に載ったティアラが神聖な輝きを放っていた。

「女王だ。自ら現れてくれるとはな」

「やれぇ! 撃っちまえ」

 部下たちが盛り上がっている。

「いや、さすがに女王殺すのはまずいんじゃねぇの?」

 船長は渋い顔をして言う。

「ええー? そんなの期待してる場合っスか?」

「でも女王だぜ」

 船長はなおも嫌そうな顔をしている。

 彼はあくまで女王の下にいる気になっているようだ。

 そうした中、女王がこちらを向く。その海の青にも近い緑の瞳が、船長をとらえた。

「あなたの実績は聞いている。ぜひ、私の元に来てほしい」

 それがなにを意味するのか、現段階では分からない。ただ、スカウトをされたことは分かる。これを罠と見るか、好機と見るか。あっさりと信じるわけにはいかないが、女王に誘われる機会はそうない。罠であればその場で暴れればいいだけだ。

 かくして答えは出た。

 凪いだ海の元、艦隊と海賊船はにらみ合いを続けつつ、あたりには静けさが漂い始めた。


 船は本国に上陸する。そこは他国からしてみれば攻め落としやすい島国だった。今は見逃されているものの、いつ呑まれてもおかしくはない。そんな、端の島。いわば田舎のようなところだった。とはいえ、城というものはどこでも立派なもので、厳かに装飾が施されている。大聖堂のような通りを抜けて、玉座の間につけば、そこにはドレス姿の女王が構えていた。

 赤い髪を縁取る白い肌。緑色の瞳がまっすぐに海賊を見据える。彼女は美しい。美しさゆえの強さを全身から放っている。一目でこの女はいいと、男は察した。

「よく来てくれました。早速ですがあなたに頼みたいことがあるのです」

 凛とした態度とは裏腹に、物腰は柔らかかった。

「なんだよ、なにをしてほしいんだ?」

 これには男も肩から力を抜き、軽い調子で問いかける。

「専属の海賊になってほしいのです」

 堂々とした物言いに、眉をひそめる。

「つまり、公認ってこと?」

「ええ。その代わり、奪った財宝の何割かを提供していただければいいのです」

 それならばありかもしれない。

 顎に指を添えて考える。

「よし。分かった。援助は頼むぜ」

 笑顔で言い放つなり、背を向けて去っていく。

 もう用は済んだとばかりの態度だ。

 本来なら不敬にあたるのだろうが本人は気にしない。女王もまた、静かに見送るだけだった。


 それから船長はすぐに船に戻ってきた。

「政府公認の海賊? なにいきなり決めてるんですか」

「女王に首輪つけられたもんですよ」

 部下たちが甲板に集まり、一斉に責め立てる。

「うるせぇ、なんかかっこよかったんだからいいだろ」

 船長はまるで聞く耳を持たない。

 これには部下たちも肩を落とし、ため息をつく。

「でも自由であってこそ海賊ですよ」

「うるせぇ、そもそも海賊になった覚えはねぇ」

 自分たちはただ無秩序に暴れまわっていただけだ。好き勝手に振る舞っていたら海賊と呼ばれただけで、悪になろうとしているわけではない。なにより、略奪が合法でないことのほうが不自由だ。船長はおのれの選択を間違いだとは思わなかった。部下たちもまた、決定を覆せないことを知っていた。皆で顔を見合わせながらも最終的にはため息をつく。結局、それ以上はなにも言い出すことはなく、話はまとまってしまった。


 それからというもの、彼らはより一層海賊稼業に勤しむようになった。

 自国への略奪は自重し、代わりに敵国の船を襲うようにした。

 当然、他国からの反発は受けるのだが、仕事なので知ったことではない。

 彼らは気にせずに略奪を続けた。

 そうしている内に周りが敵だらけになっていた。

 この海の真ん中で戦艦に囲まれ、率直に言ってピンチである。

 しかし、彼らが気にするのはそんなところではなく。

「どうします? 自国のやつも混じってますけど」

「関係ねぇ。まとめてやっちまえ」

「ラジャー」

 船長の言葉に応じ、遠慮なく砲弾を放つ。

 敵船は次々と撃沈していく。

 そうしてあっという間に片付き、すっきりとしな海原で満足げに笑う。

 それはそれとして自国の船も沈んでいるのだが、どうしようか。

 面倒だとは感じるものの、なるようになれと、気にすることなく、船を戻す。


 彼らは本国へ戻り、城へと赴く。

「ご苦労であった。あなたたちには報酬を与えましょう」

 存外、女王は寛大だったようだ。

 自国の船が巻き込まれたことを知っておろうに、気にもとめない。

 もしくは、そんなことが気にならないくらいに冷淡なのか。

 ありえると男は思う。

 彼女は民への愛はあるが、それ以外には悪人だ。

 奴隷貿易など平気で行うし、現在の政府公認の海賊船も、よいものとはいえない。

 だが、ゆえにこそ面白い。

 その手段を選ばない、善も悪もどうでもいいと割り切っているような様は、興味深い。

 ますます気に入った。

 彼女と相対する最中、彼はひっそりと口角を上げた。


 01 承


 心なしか海が緑色がかっている気がする。緑といっても汚染されたようなものではなく、ターコイズのような、よい色合いだ。それこそ南の島のような。もっとも、現在いる場所は方角でいえば西だろう。故郷と比べるとずっと広々としていて、温かい。新鮮な気持ちで航海ができる。彼方の空にはかもめが舞い、暑い日差しに目を細めながらも、気持ちよさそうに甲板に出る。そうして遠くを見つめるのだ。あの島の形は面白い。地上にもこんな秘境があったとは……。船長はすっかり観光気分であった。

「船長、もう帰りましょうよ」

 操舵手が不安げに言ってくる。

「バカやろう。もっと先へ往くんだよ」

 その背中をぐいぐいと押す。

 帰れなくなることなど考えていなかった。たとえそれを考慮に入れていたとしても、彼は迷わなかっただろう。いいや、それよりも面白さを優先し、進み続ける。きっとこの先には果てがあるのだと思い込んで。

 しかしながら、行き着いた先には果てなどなく、いつまで経っても世界の端が見えてこない。そうしていると、いつの間にか風向きが変わってくる。かと思えば、伝聞で見た大地が見えたではないか。

「へー、これが東の果てか」

 満足げに船長は笑う。

 世界の端が見られなかったことは残念だが、代わりにもっと大きな功績を遺せたような気がする。なお、本人はそのことを公表する気がないので、この事実は葬り去られるわけだが、それこそ気にすることはないのだった。

 船には敵船から奪った宝物でいっぱいだ。これを女王に献上できるかと思えば、胸が高鳴る思いになる。あとはのんびり帰るだけだ。そう構えていたとき、空を駆ける鳥の姿に気づく。それは、なんの変哲もない飛行だった。ただ、まっすぐにこちらを目指しているように見えた。

 ひそかに眉をひそめていると、鳥は部下の手元に止まった。

「これは……!」

 足にくくりつけてあった紙を開き、部下は顔をこわばらせる。その様子からして尋常ならざることが起きたらしい。厄介事か危機的状況か。本国から飛んできた鳥だとしたら、緊急事態ということもあり得よう。

「敵襲のようです。ただちに本国に帰還しろとのこと」

「今襲われてたんじゃ間に合わねぇだろ」

 軽く流す。

 本国の存亡などどうでもいいとばかりの態度である。

「いえ、正確にいえば開戦はしていません。ただ、いつ襲撃を受けてもおかしくはないとのこと」

 つまり、緊張状態が高まっているとのこと。

 元から敵国ではあったのだから、いつかは戦いになるだろう。そう不思議なことではない。

 だがしかし、いくらなんでも急ではないか。船長はいぶかしむ。

「いや待てよ。俺たちが略奪した船、あの国のじゃなかったか?」

「ああ、そうです。やりましたね! 国家予算分、消してやりましたよ」

「それだ! だからあいつら怒って攻めてきたんだよ」

 原因が自分たちだと分かり、急に急き立てる船長。

 しかし、彼は自分たちの行いが悪かったとは思っていない。むしろ、痛手を与えられたことに気持ちが盛り上がっている。だから、やってしまったからには責任を取りたいなどという感傷はない。しかし、現最強国とも言える国に喧嘩を売れるのは楽しい。

「よし、さっさと戻ろう。引き返すんじゃないぞ。ここからすっと戻って一周するんだ。分かったな?」

 半ば脅しのように呼びかける。

 乗組員は皆して顔を見合わせる。明らかに逃げたがっている顔だ。

 しかし、彼の決定に逆らえる者はおらず、舵は取られる。

 船は進む。

 帆を張り、波打つ海を走り抜ける。

 かくして彼らは本国へと近づくのだった。


 そして、本国のある島はもう目前である。

 大陸の端を通り、海の途中で船は止まっていた。

 行く先には艦隊が並んでいる。

 まるで待ち受けていたかのような構えだ。

「やめときましょうよ。俺たちが手を指したってろくなもんになりませんよ」

 部下が顔色を伺うように泣き言を吐く。

「言うのがおせぇよ、もうここまで近づいてきちまったじゃねぇか」

 どの道、シーレーンに入ってしまっているのだから、引き返せない。

 逃げようにも故郷を外れてどこへ逃げろというのだろうか。

「相手は最強の艦隊ですよ。一海賊船でどうこうできる相手じゃねぇです」

 泣きそうな顔をして訴えかける。

 賊らしきことをやっているにしてはひどく常識的な意見だった。

 しかし、その常識は船長には通じない。

「それがどうした? あいつらに一撃でも食らわせられりゃあ、万々歳じゃねぇか」

 全くもって聞く耳を持たない。

 その態度に言葉を失いながらも、彼らはまだおろおろと前方の艦隊を見てみる。

「女王との契約ですか? そんな義理はないでしょうよ」

「そんなもののために命を張る価値がりますか? 逃げたほうがいいですって。今ならまだ生き延びられます」

 必死に懇願し、口を激しく動かす。

 その途中、唐突に銃声が鳴った。

「うるせぇ、行くぞ」

 船長が銃を撃ったのだ。

 部下は返事もせずに倒れた。

 船の床の血が広がる。

 それを見て部下たちは勢いよく舵を取り出し操縦を始めた。残りのメンバーも持ち場につき、戦闘の準備を整える。

 ちょうど空には暗雲が垂れ込み、淡く稲光が走った。

 海もまた大波が寄せてくる。嵐の前のような気候だ。

 これぞ海戦といった雰囲気に船長は満足げに笑い、顔を上げる。

 彼は引かない。

 なぜならそちらのほうが面白いからだ。


 それから砲弾が一斉に発射される。

 唐突の攻撃に敵船は対応できず、あっさりと沈んでいく。

「こりゃまた派手にやられてやがる」

 ニヤリと笑う。

 船長は楽しそうに攻めている。

 なお、海の道が開いても、今度は本艦が待ち構えている。端にいるような艦隊とはまるで違う、本命だ。

「へー、あいつら本気で島一つ潰すつもりなんだな」

 このまま放っておけば彼らは上陸し、王都を蹂躙するだろう。

 城もまた破壊尽くされ、女王も殺される。

 こんなとき、赤髪の女王のことが頭に浮かぶのが、自分でも不思議だった。無意識の内に彼女のことを気にかけていたのだろうか。

 実際にここで艦隊を食い止めなければ国は滅ぶ。だからといって自分がそれを阻止する義理はない。あの女とて同じことだ。自分の知らないところで死んだとしても特に気にならない。思い入れなどないのだから、当然だ。

 だが、あの女の顔が脳裏をよぎってしまう。

 それが不思議でならない。

 だが、あの女は美しい。ひと目見ただけで高貴な人間だと分かるオーラを放っていた。彼には分かる。あの女には価値があると。あれならば、代わりに死んでやってもいいというくらいに。

 なんにせよ、戦わない理由はなかった。敗北して海の藻屑に消えるのも、ありはあり。刹那的に生きるのが定めならばそれ以上を望むことはない。彼の意思は固まっていた。

 前方にはずらりと艦隊が並ぶ。そのどれもが砲を構えていた。こちらも参加の船や水軍を引き連れ、相対する。この海戦はいずれ本国にも伝わるだろう。そして、それを伝える狼煙も今、上がった。

 戦いの鐘を鳴らす鬨の声。

 睨み合いは終わった。

「砲撃用意!」

 声と同時に砲が構えられる。

「撃て」

 掛け声と共に大砲が発射された。

 かくして砲撃戦は、始まった。


 01 転


 船長は敵国の強さを理解している。その国そのものに赴いたことはなかったけれど、噂では聞いていたし、海で敵艦隊とやりやったこともある。壊滅はしなくとも、手痛い損傷を負った経験はある。だから、油断はしない。生きて帰れるとも思ってはいない。だが、それがどうしたという話だ。

 そう思ったところで不意に頭をある光景がよぎる。昔から記憶にだけあったもの。それはどこにもあって、どこにもないもの。船で漕ぎ出せばすぐに見える大海原ではあるが、やはり違う。あの、絵画に描いたような神秘的な海は、この世界のどこにもない。いわば夢で見たような、心象風景。

 それは幻であることは分かっている。それでも同じ海であるのなら、似たものは感じる。その上で死ねるのなら本望だ。そのためならば、どんな報いを受けても構わなかった。

 そして彼はまぶたを開ける。

 視界には砲撃の嵐。もうすでに戦いは始まっていた。


 放たれた砲弾は船を破壊し、潰していく。

 硝煙を上げて、艦隊は崩れ、海へと沈む。

 だが、それはほんの一部に過ぎない。後方にはまた数多の船が構えている。倒した船はその盾として立ちはだかっているだけだ。

「数は?」

「一万ほどです」

 部下がそのように言う。

 それは大層な量だ。大してこちらはいかほどか。多く見積もっても一万はない。それほどの大艦隊を率いていたのなら、彼はとっくに世界の海を統べていただろう。

「やめましょうよ。勝てるわけないですって」

「うるせぇ。どうせ、突破させたら潰されるんだよ。押し留めたら勝ちなんだ。お前らは時間を稼ぐ盾となれ」

 そう、全滅させずとも追い払えばいい。

 勝ちはしなくとも、攻めきれないと判断させればいいだけだ。

「誇りに思えよ、国のために死ねるんだぜ」

 船長は口角を釣り上げる。

 その楽しげな顔は狂気を内包し、さながら悪党のごとく。

 実際に賊の長なのだから、間違いではない。

 もっとも彼は悪役を演じるつもりはない。今回はあくまで国を守るものとして、ここにいる。

 国そのものにはなんの恩義も義理もないのに、そんなことを考えてしまうのは不思議だ。だが、戦う理由に国を守るためと答えられるのは、とてもいい。自分に酔うような感覚があって、気持ちがいい。なんならそのために命を懸けてもいいと思えるほどだ。

 それでも一番の目的は面白そうだから。最強国と戦う機会はそうない。それらを駆逐でき、退かせる。一矢報いるだけでもいい。

 もっとも、さすがにこれだけの艦隊を相手に無双することは難しい。端のほうでは味方の船が撃沈していく。砲撃の音が飛んだかと思えば、即座に大きな飛沫が上がる。

 視界に並ぶのは統一された装備を身に着けた水兵たち。船もまた似たような色と装飾を施されている。さすがは軍隊だ。統一されている。動きにも無駄がなく、連携が取れている。対する味方側は烏合の衆。水軍が混じっているとはいえ、大半は賊たちだ。好き放題に暴れるだけで、能がない。彼らにとってはそちらのほうが面白いのだろうし、なにも考えずに死んでいくのなら、それはそれで構わない。だが、なんの役にも立たずに死んでいくのは困る。その者たちの名誉はともかく、なんとか礎になってもらいたいものだと、彼は考える。

 しかし、色々と思考をめぐらしたところで死ぬときは死ぬのだ。

「ああ、めんどくせぇ。突っ込むぞ」

「嘘でしょ!?」

 部下たちが目を飛び出させて驚く。

 無策に突っ込むなど、さすがに無謀ではないか。

 長年付き合ってきた仲間たちも引いている。

 だが、船長は止まらない。

 舵を強引に奪うと、凄まじい勢いで船を加速させた。

「さあ、撃て」

 生き生きとした顔で指示を出す。

 同時に何百もの大砲が打ち出される。

 敵側からすればそれは奇襲のようなものだった。抵抗もできずに撃ち落とされていく。おかげで船の周りには渦を巻くような空白が発生した。

 船長もまた、海獣を相手にするように、船を動かす。

 するとどうだろう。たった一隻の船を相手に、敵は手出しができない。

 近づけば撃ち落とされ、背後に回っても、異なる砲撃が飛んでくる。敵艦隊は恐れ慄き、隊列を崩す。そこを突いてさらなる攻撃を与えれば、あっという間に艦隊が崩れていく。

 とはいえ、そろそろ頃合いだ。不利になる前に引いたほうがいい。そのように考えて、ふと風の流れが変わったことに気づく。温度もいくつか下がった気がする。空を見れば一層暗い色に染まっている。

「退くぞ」

 即、言う。

 船はその場から離れた。

 直後に稲妻が走り、斜めに雨が降り出した。

 そして、彼が離れたのを見はなかったかのように雷が艦隊を襲う。さらには嵐に巻き込まれ、船が崩れていく。

 それは突然のことで、敵は対処ができない。 

 その右往左往する滑稽な光景を、男たちは外側から眺めている。

「なるほど、こいつが海の加護ってやつか」

 船長は納得したようにつぶやいた。

 信仰だなんだ知ったことではないが、頼りになりはするのだなと、感心した次第だ。

 そして、敵艦隊は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。

 嵐が止み、晴れ間が除いたときには船は一隻も残っていない。代わりに木片だけが遺灰のように水面を漂っていた。


 それから船長は部下たちと共に都へ戻ってくる。

「よくやったな。お前たちは英雄だよ」

「銅像を建ててやらんでもないな!」

「そんな余裕あるのか? この田舎みてぇな国に」

 眉をひそめつつ尋ねると、市民の一人は笑顔で答える。

「ないなら奪ってこりゃあいいのさ。そうして生計を立ててるんだろ、この島は」

 爽やかな顔でとんでもないことを言う。

 それに対して、船長は薄く笑みを浮かべ、答えた。

「違いねぇ」

 彼は目を伏せつつ、歩く。

 都は祭りさながらに飾り付けをされている。

 その大通りを歩く彼らは凱旋ムードに包まれている。

 普段は後ろ暗いことをしている彼らでも、今回ばかりは光の中にいる気分だ。こうして祝福されるのは悪くない。だからこそもっと略奪をしたくなるのは矛盾しているだろうか。

 一方、例の国との海戦はなおも続いている。近海ではいくつかの船が沈んでいるようだが、先の戦いで勝ったことに代わりはない。なにせ、まだこの国は存続しているのだから。

 そして、敵を引かせたのは自分の力によるものだ。ならば、伝説を少しくらい盛られてもいいのではないか。真面目な顔をして、そんなことを考える。そんなこと、興味はなかったはずなのだが、少しだけ気持ちよくてほくそ笑んでしまう。


 それから、船長は単独で城に案内された。

 まっすぐにレットカーペットを通り、玉座の間にたどり着く。前方には赤髪の女王が悠然と佇んでいる。表情はない。その無表情さが彼女の美しさを際立たせている。その様はまるで絵画に描かれる聖母のようだった。

「先の戦い、見事でした。あなたがいなければこの島は落とされていたでしょう」

 眉を少し寄せて、笑いかける。

「よせよ。感謝をしたいのはこっちのほうだ。なんせこんな経験、早々できるもんじゃないからな」

 ニヤリと笑い返す。

 それは謙遜でもなんでもない。彼は本気で感謝をしていた。こんな珍しい体験をできた自分は恵まれている。そう本気で思っているのだ。

 彼は本国を守る気などない。だから、国を守るために戦うことはない。

 それは分かっている。彼ならそう言うと納得ができる。

 しかし、彼に否定されては、なんとも言えなくなる。女王はひそかに苦笑いを滲ませ、首を振った。

 彼がなんとも思わずともこちらとしては、なにかを受け取ってもらわねば困る。だったら精一杯もてなそうか。そんなことを考えつつ、複雑な心境が胸に秘め、女王は男と相対するのであった。


 01 結


 穏やかな青に染まった空と、凪いだ海を眺めている。

 このところ情勢は安定している。大陸側は騒がしいが、こちら側は特にちょっかいをかける必要はない。革命が起こる気配もなければ、反乱もない。例の強国とも、いちおう手出しはしない方向性で話し合った。もっとも、駄目と言われようが積荷があるのなら狙うのだが。

 とはいえ、早くに動き出すことはない。たまには都に滞在するのも悪くはないだろう。

 一度海に出れば当分、陸には戻ってこない。この街にいるときくらいはゆったり過ごすべきだ。そのように思いつつ、時間は淡々と流れていった。

 そう、本当になにも起こらない。平和なのはいいのだが、なにも起こらないのも退屈だ。暇潰しとして街をめぐり、喧騒を眺めるくらいしかやることがない。

 ただそこにいるだけで死にそうになる。体から魂が抜けるかと思うほどに渇くのだ。退屈を持て余しすぎて、うっかりすれ違った人を殺そうとしてしまうほどに。

 などと、無闇に殺すほどサイコパスじみているわけではないのだが、うんざりするほど暇なのは確かだ。この際、船に乗って敵国の船を襲いに行こうか。そう考えていると、なにやら見知った影が見えた。形は衛兵か。個性を殺したような雰囲気の男たちだ。それはまさしく影のように動き、音もなく距離を詰めて、こちらの手前で足を止める。

 おおかた城の使者だろうが、なにの目的があってやってきたのか。なにか悪いことでもしただろうか。まだ、なにもやっていないのだが。

 首をひねりつつ、そちらを向く。

「女王陛下がお呼びだ」

 神妙な面持ちで切り出してくる。

 これはまた処刑だろうかと考える。それならそれで構わないのだが。

 自分に残された部下のことは置いておいて、とりあえず彼女に会いに行くことにした。端から見ればほいほいついていっているだけに見えるのだが、実際になにも考えずに歩み寄っているのだから言い逃れがない。強いていえば色々と考えた上で全てがどうでもいいとしているだけなのだが。

 かくして船長は城の中へ入った。かと思えば従者に連れられ居間へ来たかと思えば、豪華な椅子に座らされてる。長テーブルにはご馳走が並んでおり、芳しい香りが漂う。手前には女王が座し、後方ではハープやバイオリンによる演奏が行われている。シャンデリアの橙色の光が幻想的なムードを際立たせていた。

 わけが分からない内にこんなことになっていたのだが、客賓として招かれたということでいいのだろうか。

 それは名誉ではあるが、やや困る。罰を受けるよりずっと緊張する。いちおうステーキにナイフを入れていくのだが、肩に力が入ってしまい、うまくいかない。食べるのもぎこちなければ、味も感じない。

 本当にこれでいいのだろうか。自分は楽しめているのか、彼女はこれでいいと思っているのか。気になって集中できない。だから、思い切って尋ねてみる。

「いつもこんな風につまらなさそうに食べるのか?」

「ええ、儀式のようなものでしょうし」

「もてなすつもりはないってか?」

「いいえ。あなたには感謝してもしきれません。ゆえにこうして」

 指摘するとたちまち女王は狼狽する。

 分かりやすいと感じ、船長は口角を釣り上げる。

「感謝したいのなら、一度その身を俺に預けてみねぇか?」

 気楽な調子で問いかける。

 すると、彼女は張り詰めた顔をする。一気に凍りついたような感じだ。

「身を売れと」

「そうだ。それくらい感謝してるんだろ?」

 嫌らしい問いかけだった。

 いくら貢献しようが、賊は賊だと思ったのだろう。本人も否定はしない。

 対して女王はうつむき、眉を寄せた。

 考え込んだ顔。しかし彼女は顔を上げ、意思を込めた目で彼を見据えた。

「行きます。どこへなりとも連れて行ってくださいまし」

 凛とした声で告げる。

「へー」

 それを聞いて、男は口角を上げたまま、興味深げに目を細めた。


 後日、昼間の街に出た女王は、目を丸くして立っている。現在の彼女は白いローブに身を包んでいる。フードを深くかぶっているのは特徴的な赤髪を隠すためだ。顔は半分くらい隠れて見えないが、それでも高貴な雰囲気がにじみ引き立ててしまっているのは皮肉なものか。

 ともかく彼女は驚いていた。てっきり乱暴されるのかと思っていたが、実際はただ表に出されただけ。これではお忍びで街を歩くようなものだ。そのことに戸惑いを隠せない。

「へー、あんた本当に体を売るつもりで付いてきたんだな。女王なのに軽いっつーか、責任感がないっつーか」

「なんてことをおっしゃるのですか? そんなふしだらなこと、考えるわけが」

「そう覚悟してんだろ? 分かる分かる。それとも、あんたは本当はしてほしかったのが」

「なにをっ」

 挑発的に目を細めると、女王は憤慨した。

「まあいいさ。これからあんたは普通の町娘としてここで過ごす。いいな?」

 そちらのほうが自分もやりやすい。

 それはそれとして、いちおう彼女のためではあるのだが。

「本当に、いいのでしょうか」

 息抜きは許されるのか。

 もちろん許される。

「公務くらい、部下にやらせとけよ」

 少なくとも自分ならそうする。

 楽しめる時に楽しめたほうが得なのだ。

 責任に関してはそのとき対処をすればよい。

「はい。約束、してしまいましたし」

 なぜかしょんぼりと彼女は言う。

 確かに彼女は告げた。自分を捧げると。それを守るためなのだからついていくことは仕方のないことだ。

 かくして二人は街で一時を過ごすことになった。

 最初は戸惑っていた女王も、すぐに街になじんでいく。市場の並ぶ通りではソフトクリームを買い、花に見惚れては、足を止める。そして、誰かの笑い声が聞こえる度に微笑む。

 女王はとても楽しげだった。普通にしていればどこにでもいる少女のように。

 もっとも、細かな所作は高貴な人の面影を残してしまう。

 彼女の正体が女王だと気づくか否かはともかくとして、ただものではないことは分かる。そんな彼女は自然と振る舞っているだけで人の目を惹き付ける。無論、彼女に手を出そうとする、不埒な輩も。

 それは女王が船長から離れて、市場の様子を見に行っていたころのことだ。

 空はすっかり暮れがかっている。もう帰らなければならないと分かった上で、少しは市民の食べ物を買ってみようかと思っていたところだ。

 そこへ、卑しい声がかかる。

「なあ、一緒に行こうや。少しくらいいだろ?」

 無精ひげを生やした男がニヤニヤしながら近づいてくる。

「ごめんなさい。私はあなたのものにはなりません」

「いいや、そんなことはないね。もう目に入った以上、逃げられやしないのさ。分かってるだろ」

 男はしつこい。

 女王はすっと目をそらす。

 しかし、彼は離れてはくれなかった。

「失礼します」

 女王はたまらず駆け出した。

 はしたなさなど考えもせずに、精一杯腕を振り、勢いよく地を蹴った。

 このまま視界から外れてしまえば、諦めてくれるだろうと思った。だからそのときは逃げることのみを考えていた。だから、走った拍子にフードが外れるなどという可能性は、考えられなかった。

「あ……」

 ふわりと、頭から布が外れる感覚があった。

 後方で息を呑むような音がした。

「赤髪……?」

 現実をうまく認識できていなさそうな声がした。

「まさか、お前は」

 女王か。

 そう言いかけて、もごもごともがく。

「おっと、そこまでだ」

 音もなく忍び寄った船長が、男の口を塞ぐ。

 女王が振り返ると、彼は悪そうな顔をして、目線のみで相手を見ていた。

「見なかったことにしろ、分かったな?」

 ナチュラルな声音で、だが、鋭い口調で彼は言う。

 脅すような感覚ではないのに、逆らえない雰囲気があった。

 この一瞬で全てを忘れなければ殺されるという悪寒が走ったのだろう。相手は激しく頷いた。これ以上はなにもしませんと。それを見るや、彼は男を放す。すると男はまたたく間に逃げ出し、この場から消えた。

 二人きりになったところで、改めて相対する。女王はフードをかぶり直し、苦笑いを浮かべた。

「やはり私はこの場にいてはならない者のようですね」

 女王は城を離れるべきではない。

 女王としての彼女の居場所は、地上にはない。

 それを理解しているのか、彼女は諦めた顔をしていた。

「もう、いいでしょう。私は十分に楽しみました」

 儚げな顔で、笑いかける。

 その背後で太陽が沈み、周りを鮮やかな色に染めていく。

 その色合いに染められ、彼女の雰囲気もまた憂いを秘めたものになる。

 自分にはない夢を見るような、つかの間の夢を見ていたかのような。

 そして、次の瞬間には彼女は女王の顔に戻っていた。引き締まった顔でこちらを見澄ます。

 彼女が決めたのならこちらには止める権利はない。そして、彼女を解放するのもまたこちらの役割だ。

「そうだな。これで終わりだ」

 潔く告げ、笑う。

 彼としては未練はなかった。

 この手を離すことにためらいはない。なぜなら二人は住む世界が違う。それは当たり前のこと。理由を問うまでもなく常識的な事実だ。

 ここできっぱり別れることに、恐れはない。

 震えたのは、彼女の心だ。

 ためらったのは、彼女側の手だ。

 けれども、彼女もまたきっぱりと手を引く。ここでお別れだと。そう自分に言い聞かすように。


 それから女王は城に戻ってきた。

 裏口から、何事もなく。

 玉座には影武者を置いていたため、なんの問題もない。最初から彼女は街にいなかったこととして、当たり前のように城は動いていく。

 普通の女として過ごせるのはもう終わりだ。明日からはまた女王としての日々が始まる。

 一瞬、たった半日だけ掴んだ自由。

 それはひどく名残惜しい。

 失ったからこそ輝かしいもののように思えてならない。

 それ以上にきっと、自分はあの男に対して未練があるのだろう。

 そう、女王はあの船長の顔を思い浮かべる。

 そして、彼を思っては苦々しく笑い、目を伏せた。

 自分はきっと、誰の手も取ることはない。

 政略結婚をすることはあっても、そこに愛はない。

 恋などすることはありえない。

 それはもう決まったことだ。

 女王として生きるように決めたときからずっと。

 だから、そのことに後悔はない。憂いはない。悲しくもない。

 それなのに、どうしてこうも心が揺らぐのだろう。

 この心の震えも意味のないことなのに。

 なにもかも、覆ることなどないのに。

 無駄になってしまうのが、なによりもむなしい。

 だから女王は目を伏せる。

 報われない心を弔うように。


 一方、空はすでに暮れきり漆黒の闇にとっぷりと染まっていた。

 街からも明かりは消え、皆は寝静まっている。

 まるで海に沈んだかのようだ。

 そう船の上から男は思う。

 彼は女王のことを思い出していた。彼女は女である以前に女王だ。賊である自分が手を出せるはずがない。いいや、本音を言えば賊だからこそ略奪すればいいとは思っている。そうできるはずだ。それなのに、女王は女王でいてほしいと願う自分もいる。彼女はそのほうが美しいから。だから手を出さないし、手を出そうとも思わない。

 そのままずっと輝き続ければいい。彼の思いはそこにしかないのだ。

 諦観と希望が入り混じったような不思議な感覚。

 だが、悪くはないと思った。

 少なくとも彼は気に入っている。

 これでいいのだと、心の底から思ってしまった。

 その時点で終わりなのだ。

 これ以上先へは進めない。分かってなお、どうでもいいと切り捨てる。彼女はそこにあるだけでよい。これはもう済んだ話だ。だから男は曖昧に笑うだけ。それ以上は考えないことにした。



 02 起


 羅針盤が示す通りに船を動かす。地図もだいぶ埋まってきた。最初は無謀とも思われた航海も、先人たちの力により、安全な航路が出来上がってきた。時々、海獣にも出くわすものの、なんとか対処はできている。

 世界一周にも慣れたものだ。もっとも、遊びで航海をしているだけであるため、専業の商人の動きと比べれば効率が悪い。あちらは荷運びのために世界を何周しているのか分からない。

 あの立派な船には山ほどの香辛料が積まれているのだろう。その袋の中身を想像するとぎっしりと金貨が入っているように感じる。実際に価値で考えると似たようなものだ。

 できるのなら売り買いをすればいいのだろうが、そんなものよりも冒険がしたい。その気になれば強引に奪い取れるし、本人は細かいことは考えていない。

 さて、未開の地はどこだろう。船長は興味深げに新しい地図を広げた。


 それから一行はある港に上陸し、そのまま酒場へまっすぐに向かった。

 ここが他の国の領土であればとやかく言われるだろうが、今回はそうではないため、スルーされた。実質海賊の身分では白い目で見られるのだろうが、いちおうは合法であるため、誰にも文句を言う権利はない。

 というわけで、堂々と大手を切って歩き、席につく。

 カウンターの席に腰掛け、酒を頼む。

 酒なんざ船で飽きるほど飲んでいるが、きちんとした場所で飲む酒は格別だ。普段は水のようにつまらない味だというのに、こちらでは渋く芳しい。だが、船の上では合わないだろう。なんとなく、そんな気がしてきた。


 そんな中、後ろの席がにぎやかになっていることに気づく。見ると、丸いテーブルを囲って、ガラの悪い男たちが笑っていた。彼らの手元にはある本が置かれている。それは、見たことのない包装で彩られていた。

「気になるかい? あれは、ある伝説が描かれたものでな」

 店主は快く話しかけてくる。

 話を振られたからには聞くしかない。というより、興味が出てきた。部下たち共々そちらを向く。

「あるところに島があるんだ。そこにはありとあらゆる幻想が眠っているんだとさ。だが、それを誰も見つけることはできない。なにせ、地図に記された場所に行ってもなにもないからな! ガーハッハッハ」

 最後にオチをつけ、嘲るように彼は声を上げる。

 それを聞いて、船長はかえって真顔になった。

 瞬間、巡ったのは夢の世界の風景だった。絵画のように色鮮やかな島と、ターコイズ色の海。現実にはないからこそ美しく感じるものだった。

 一度、目を伏せる。想像するだけで、あの島とは会える。それが実在するか否かは定かではないが、故郷かもしれない島のことは、最初から知っていた。

「なあ、それは北の海にあるんだろ?」

「ああ、本国より離れた位置にな」

 軽い調子で語りつつ、途中でなにかに気づいたように口を止める。

「まさか、行こうというのか? やめておけ。幻想は幻想であるから美しいのさ。あると証明してしまっては、興ざめだぞ」

「うるせぇ」

 ロマンのない話は聞かない。

「しかしねぇ、実際にそこへ行ってもなにもなかったでしょ」

「噂があるんだ。幻想が時に形作ることもあるんじゃねぇの」

 だからといってないものを探すのは無茶だ。

 しかし、彼は諦めることはしなかった。

「よく話してくれた。それじゃあな」

 代金を払い、席を立つ。

 すっと歩き出し、外へ出ていく。それを追いかけるように部下たちもぞろぞろと店を後にする。店主はその姿を複雑な顔で見送った。


 その島は、正確には故郷というわけではない。魂の故郷ではあるのだが、あくまで彼は船の上で生まれた身。特定の島なんぞで暮らした覚えはない。ただ、両親からは特殊な血を受け継いでいるとは、聞かされた。いわく、古代の一族の末裔だという。そして、彼らは現在はない島で暮らしていた。それから一族は船を出て、各地へと霧散した。今ではすっかり土着し、国の一員として暮らしている。


「つってもただの伝説でしょ。あんたの求めてるものなんて、その頭の中にしかないですよ」

「だからどうした? 神話だろうが伝説だろうが、ありはするんだ。それを確かめずにいられるか」

 熱く語ると、また始まったとばかりに、部下たちは呆れ果てる。

 しかし、今更全てを忘れるわけにはいかない。なにせ彼が海を往く理由は故郷を探すためなのだから。

「逆に尋ねるが、ないからといって、それでお前たちが俺に逆らう理由になるか?」

「そりゃあまあ、ないですけど」

 ごく自然に流れるように答えを繰り出す。

 直後に船長の視線がそちらを向く。

「嫌なら出ていっていいとか、俺は言わねぇからな」

 苦言を呈するように告げる。

 これには部下もびくびくとし、固まってしまった。

「ま、俺もないものを探すような真似はしねぇ。あの島は必ずある。俺の存在がそれを証明してるじゃねぇか」

 だから進むのだと、彼は言う。しかし、部下たちにとってはピンとこない。海を渡るのは単なる遊びだ。大きな目標など知ったことではない。あれば面白いがなくても困らない。部下たちにとってはそんなものだ。

 けれども、船長にとっては切実な想いがある。なにせ、魂の故郷だ。それに会ってみなければ、自分の芯すら保てなくなりそうだ。

「個人で駄目なら国を上げて探しにいきゃいいじゃねぇか。どうせ他国もやってるよ。乗り遅れねぇようにしねぇとな」

 そのように口走りつつ、彼はどこぞへと歩いていった。


 それから彼は船に乗り、本国へ帰還する。

 そしてすぐに城へ行き、女王と対面した。

「そんなわけで、俺の故郷かもしれない島を目指して冒険に行きたい。いいな」

 堂々と胸を張って言い放つ。

 軽い冗談のような口調だった。

 通常であればふざけたものと一蹴される。

 しかし、女王の瞳は震えていた。

「得たものは税のように贈る。いままで通りさ。そういう契約だったろ」

 確認するように言う。

「え、ええ。そうですね」

 なぜか彼女の反応はぎこちない。

 しかし、女王は船長を止める気はないようだった。

「活動資金を与えます。あなたにはあの島を見つけてもらいたいのです」

 そのように申す。

 これは話が早い。

 ニヤリと笑いつつ、背を向ける。

「でも、帰ってくるとは限らねぇから、そのときに恨むんじゃねぇぞ。それじゃあな」

 軽く手を振り、離れていく。

 嵐のようにやってきて去っていった男。

 その姿を女王は見送る。彼女の表情はどこか浮かなく、少し不安げだ。

 なにを心配しているのか。彼が生きて帰らないといったことか、それとも別のなにかを気にしているのか。

 船長には気づかれない。他の衛兵たちも分からない。

 彼女はおのれの気持ちを胸に隠し、目を伏せた。


「よし、許可が降りた。行くぜ」

 船に戻り、喜々として報告する。

「嘘でしょ。女王からですよ」

「本当だぜ。それともお前、わざわざ嘘を行って出港すると思うか?」

「許可が降りなくても黙って行くつもりだったでしょ」

 核心を突く。

「そうそう。だからこれは確認だ。俺たちゃアウトローみたいなところだしさ、関係ねぇんだよ」

 自身に誇りを持っているかのように、にんまりとする。

 しかし、部下たちはどこか釈然としないようで、首をかしげていた。

「しかしよく許してくれましたね」

「そうだ。ありえないと一蹴してもよかったのに」

「不確かなものよりも確実なものを選ぶタイプでしょ、あれ」

 ざわざわと話し声が耳に届く。

 思えばそうだ。

 彼女なら富のほうを優先するだろう。かの島にどれだけの価値があるか分からないが国をあげて動くほどではない。そして、あの反応。あの島が故郷だという話をしたら、うろたえていた。それはなにか思うことがあるという証拠でもある。

「あの女、島の実在を知ってやがったのか?」

 眉をひそめ、口に出す。

「ええっ!?」

 周りがざわめく。

 だが、知ったことではない。

「さっさと行くぞ。長居は無用だ」

 錨を上げ、船を出す。

 夜明けより先に彼らは都を離れていった。


 夜明け前、藍色に満ちた間で、彼女は座す。

 立派な肘掛けに手を置き、周囲はきらびやかな宝石で彩られている。その輝きは夜でもなお美しく映えていた。

 今頃彼らは旅立っただろうかと、女王は考える。あれほどやる気に満ちていたのだ。すぐに行くだろう。

 同時に次のようにも思った。彼らはあの島を見つけるかもしれない。そう、根拠もなく。

 だが、確かにあの男は言ったのだ。あの島こそが魂の故郷だと。それを聞いた瞬間、心臓が震えたのを覚えている。こみ上げてきたのは憤りと悲しみ。彼に恨みをぶつけるでもないが、あのなにも考えていなさを見て、感情を鎮めるのに必死だった。

 だけどきっと彼は自分のことを知らない。知らないことを責めるわけにはいかない。だからぐっとこらえたのだ。

 本音を言うと、島を探してもなににもならないと思っている。航路が定まったとはいえ、まだまだ海は危険だ。長い航海の果てに危険に巻き込まれるかもしれない。二度と帰ってこないかもしれない。そうなった場合、なにを思うか。清々するのか、そんなことはない。怒りを覚えてなお思うのだから、自分の中で彼という存在は膨れ上がっていたのだろう。けれどもきっとあの男は自分の生死を気にしない。本人は冒険の途中で果ててもいいのだ。そう思うとなんともいえない気持ちになる。彼はよくてもこちらは引きずる。なんと無責任なことを。

 皮肉を口にしたくなるが、彼はこの場にはいない。そのことを惜しく思う。

 いいや、たとえ相対したとしても自分はなにも言えない。自分の事情も想いも、秘め隠したままでいい。止めたところで、どうせ彼は往くのだろう。ならばきっと、止められるものなどありはしない。だから、よいのだ、なにもかも。

 あきらめに似た感情が胸に広がる。

 彼女にとってもはやどうでもよいこと。拾い直す価値もない。それは彼も同じだ。あの男は決して振り返らないし、止まりもしない。ならばそれでいいのだろう。

 今できることは女王として座すこと。彼の帰りを待つこと。ただそれだけだ。

 その背後で太陽が上る。透明な光が玉座の間を照らす。女の顔もまた白く浮き上がっている。対して彼女は目を伏せる。その形のよい目を長く伸びたまつ毛が彩った。


 02 承


 まぶたを閉じると黒くなった背景に、昔のことが浮かび上がる。

 昔といっても今からさほど経っていない。

 あれは、冒険のために海を渡っていたときのこと。魂の故郷の島は、伝説も合わせて知っていた。本国より北の海に浮いているはずだと疑わなかった。しかし、実際にそこにいて見つけたのは、凪いだ水面だけだった。そこには空白が広がっている。彼が夢に見た光景など、どこにもなかった。心底落胆したのを覚えている。裏切られた気分さえした。今思えば勝手に期待し、信じただけだ。それでも彼は望みを懸けたかった。結局のところ自分の魂のありどころは、あの島にしかないのだから。

 一方で、彼は一瞬だけ空気が揺れたことに気づいていた。ひんやりとした空気が肌をなで、目の前で透明なカーテンが消える。それはすぐに収まり、なにも起こらなくなった。

 気の所為か首をひねる。以降は特に気にもしなかった。しかし、今となっては重大なヒントだったように思えてならない。あのとき、意地でも手がかりを探そうとしなかったことがひどく惜しいように感じてきた。


 ふたたび目を開ける。

 少し視線を下げた先には樽がある。その上には古びた地図を広げ、先程からにらみ合いを続けている。

「やめましょうよ。ないものを探すことはできませんよ」

「バカ言え。なんのための古の民の血だよ」

 彼は自分の出自を理解している。両親からも毎日の食事のようにしつこく聞かされてきたからだ。以降は伝説と関わることもなく過ごしてきたが、彼の人生は以前としてあの島のために捧げられている。

「普通じゃありえないというのなら、意地でも行く方法を探すしかねぇ。あの島はあったと証明してやるんだよ」

 彼の意思は頑なだった。

 その二対の瞳には鋼鉄の意思が宿るかのごとく、硬い光が漏れる。

 その迫力に押され、部下は言葉を失った。

 相手も理解したのだろう。船長は地図にない島の実在を確信しているのだと。それはとんだ幻想だと鼻で嗤いたくなる。だが、それをしては殺される。それは遊びではないのだと認識させるなにかがあった。だから部下は口を引き結び、顔を伏せた。


「地図から消えたのなら、異界にでも隠れたんだろ。それなら見えない扉を開けばいい。鍵はねぇのか」

「さあ」

 張り詰めた顔で言葉をつむぐ船長。

 部下は曖昧に首をひねる。

「財宝ならあるだろ。探してこい」

 顎で促す。

 部下はひぃとわけもなく怯え、走っていった。

 今のところ、手がかりはない。だが、自分が古代の民の血を引く者なら、反応するものがあるはずだ。そう確信してはいるのだが、どうやらこの船に鍵はないようだった。

 部下が持ってきた財宝にピンと来るものはない。

 各地の海を渡り、ありとあらゆる宝に触れてきたが、ここでもない。

 質に売り飛ばしたものの中に手がかりが残っていただろうか。そんなことを考えつつ、彼はある古物屋がいることを思い出す。


 それは都にいる者だった。

 さっそく船を寄せて、顔を出してみる。

「なんだい、また盗んできたのかい?」

「人聞きの悪いこと言うなよ。なんでも決めつけるのはよくねぇぜ。元より俺は今回、なにも持ち寄っちゃいねぇよ」

「ほう。なら買いたいのかね?」

 耳にかけた厚いレンズが、目の上で光る。

「そうだ。鍵に心当たりはないか?」

「鍵ぃ?」

 なんのことかと眉をひそめる。

 とはいえ、扉を開けるただの鍵を指しているわけではないと、相手は気づいていた。

 心当たりならば一つある。だが、店主の顔は苦々しかった。

「探しても無駄だ。アーティファクトならあるが、普通の人間じゃ使いこなせねぇ」

「へぇ、特別な血でも引いていれば使えるって?」

「選ばれしものだったらな」

 店主は遠回しに、鍵を開ける条件を口にした。

 それを聞いた瞬間、勝ったと確信を得た。自然と男の口角は釣り上がる。

「なあ、なにかやってほしいことはないか?」

 取っ掛かりを得るために、切り出す。

 店主もその言葉の意図を理解したのだろう。

 難しそうな顔をしつつも彼方を見つめ、口に出す。

「奪い返してほしいものがある。ほれ」

 手渡されたのはオーブだった。戴冠式に使うものよりは貧相で、ただの小物のように見える。だが、その宝石部分が淡く光ったのを、彼は見逃さなかった。

「そいつは片割れだ。もう一つはお前のようなやつに奪われてな」

 葉巻をくわえ火をつけつつ、店主は話す。

「光が射すほうへ行けば、いずれオーブがお前を導くだろう。そいつを持っていけば目的も果たされる」

「よし、分かった。永遠に借りておく」

「おいおい、確認取れば盗んでいいというわけじゃないぞ」

 苦々しく尋ねてくる。

「用が済めば返すさ。それでいいだろ」

 堂々と告げる。

 いちおう、本当に返すつもりではある。ただ自分の目的のために必要なので、それまで預かっておく。それだけだ。

「じゃあな」

 かくして片割れを手に船長は店を出ていく。

 店主は追わず、見送った。


 彼はすぐに船に戻った。

 錨を上げ、舵を取る。

 動き出した船に揺られながらオーブを太陽にかざす。うっすらとした光が彼方を指している。それを指針代わりに船は往く。

「本当にこの先になにかいるんですか?」

 部下は半信半疑だ。

「いなかったらこの光はなんになるんだよ」

 オーブの力は本物だ。

 光は延々と続いている。

 その正体は分からないながらも指し示してくれてはいる。

 もっともその光は掴めない。辿っても辿っても遠く離れていくかのよう。まるで虹を見ているようだと感じた。


 それでもめげずに追いかけてみれば、広い海の真ん中に一隻の船がぽつんと漂っているのが見えた。それは嵐の中を突っ切ったかのように荒れている上、海賊旗を掲げている。どこからどう見ても海賊船だ。

 気づくや否や、船長は容赦なく命令した。

「撃て」

 手を上げると、砲弾が発射される。

 それはあっさりと船に直撃する。

「大丈夫ですか、乗り込む前に沈むんじゃ」

「乗組員を引きずり出すまで撃て」

 船長は容赦ない。

 部下たちもまた、それに従う。

 このまま船を沈める勢いで撃ち続ける。

 これにはたまらず、敵船はどよめき、船員たちが甲板に出てきた。

「降参だ。積荷ならやる。許してくれ」

 祈るように手を合わせ、すがりつく。

 そんな彼らを冷たい目で見下ろしつつ、船長は告げる。

「持ってるんだろ、オーブ。お前たちには価値も分からないものだ。そいつを渡せ」

 それで命を見逃すと船長は言う。

 船員たちは互いに顔を見合わせる。

 非情な攻撃の割にぬるいと感じた。なにか罠があるのではないかと疑っている。

 対して船長はあきれたように鼻を鳴らす。彼としては例のオーブ以外は心底どうでもいい。

「さあ、どうする」

 大砲をちらつかせながら、低い声で話しかける。

 たちまち船員たちはどよめき、ごそごそと袋を手探り、適当に放り投げた。

「持ってけ。ただのガラクタだ」

 宙を舞う小物を目を細めながら、追いかける。

 どれも細かく、くだらないもののように見えた。

 その中で光るものは確かに分かる。

 彼はそれを掴み、受け取った。

 そして、手のひらを広げ、見つめる。オーブは彼の前で淡い輝きを放っている。先程まで羅針盤代わりにしていたものと同じ光だ。

「当たりだな」

 口角を吊り上げ、船長は言う。

 手のひらに伝わる硬い感触に満足感を感じつつ、彼は相手に背を向ける。

「さあ、行くぞ」

「敵船は?」

「放っておけば沈むだろ」

 無慈悲に繰り出す。

 途端に敵船から悲鳴に似た「ええー?」という、声が上がる。

 彼らはオーブを渡せば助けてもらえると思ったのだろう。確かに殺しはしないといった。しかし、助けるとは一言も言っていない。部下たちもその意思は一致しているようで、あっさりと舵を動かす。

 船は走り出した。背後ではどたばたと動き回る敵船の様子が見える。船長は欠片も振り返らない。前だけを見ている。オーブの光はなおもてもとで輝き続けていた。


 そして、船は地図に示された場所にやってくる。

 何年振りだろう。

 改めて来てもそこにはなにもない。いつも通りの凪いだ水面だ。しかし、今度こそなにかが起こると確信している。力強い目つきで前を見据える。すると、彼の手元でオーブが光り輝いた。その光に呼応するように、空気が震える。そのとき初めて、彼はおのれが昔得た感覚は気の所為ではなかったと、実感が湧いた。

「おお……」

 部下たちが息を呑む。

 船長は目を離さない。その視線の先で空間が動いた。透明なカーテンが揺れるように軋み、動く。それはさながら結界を解くような、見えない扉が開くような光景だった。

 こうなるとは読めていたが、実際に目の当たりにすると、胸に衝撃が押し寄せてくる。

 ありえないことが起こった気分。

 これが現実であるという感触はあるのに、夢の世界にいるかのよう。

 ついつい感嘆の息が漏れる。

 だが、いつまでも呆けてばかりではいられない。

 この先に異界があるのだろう。今、扉が開いた。

「どうするんですか? 引き返すのなら今ですよ」

 部下たちが指示を求めてくる。

 その顔色はどことなく不安げだ。

「行くぞ。当たり前だろ」

 迷わず告げる。

 口元がまた弧を描く。

 彼の目は希望を見ていた。この先には自分が求めているものがあると信じている。

 部下もまた彼の目を信用している。

 たとえこの先になにが待ち受けていようが、困りはしない。

 そこに道があるのなら、どこへでも行くしかない。

 決意は固い。

 そして、船は動き出す。

 透明な壁に空いた隙間を抜けて、見えない壁の向こう側へと。

 船は希望を乗せ、どこまでも進んでいった。


 02 承


 船に揺られながら、だんだんと島へ近づいていくのを見ている。

 船長は前だけを見ていた。

 そこから目を離さない。きりりと整った眉に引き締まった口元。彼は真剣な表情をしていた。

 実際に彼の想いは切実だった。同時に高揚感にも包まれている。

 あれほどまで夢見た風景が目の前にある。

 仮に上陸したとしたら、その後はどうなるだろうか。そこに人間は住んでいるのか。両親と似た人物とは出逢えるだろうか。自分の記憶の中にあるものと同じものが見られるだろうか。

 考えれば考えるほどに期待が募っていく。

 期待以上のなにかが見られるかもしれないと、確証もなく思ってしまう。

 今、夢が叶おうとしている。それこそ夢にすら見なかったことだ。だけど、自分の予感はあたっていた。夢で見た光景は確かにあったのだ。そう思うと、嬉しくなってくる。自然と口元が釣り上がり、視線が上がる。

 さあ、早く。早く見たくて仕方がない。自分にその光景を見せてくれ。

 船長は船首に寄り、身を乗り出す。もはやいてもたってもいられなかった。


 かくして船は浜辺に到達し、船長は部下を引き連れて上陸した。

 柔らかな砂地を越えて、乾いた大地の上を歩く。

 そこには圧倒的な自然が広がっていた。歩けばすぐに森に突入する。そこには青い泉があり、その水はどこまでも透き通っていた。

 ただ、そこにはなにもない。城はなく、町はなく、民家もない。人の影すらない。まるで無人島だ。

 自分たちの一族は確かにこの土地から生じたはずなのに、その気配すら感じ取ることができない。それは妙に寂しく、ざわざわとした感覚を抱かせる。風がそよぐ度に葉が揺れる。視界の端で緑がちらつく。空はうっすらと曇っている。見上げても太陽の光は曖昧で、こちらまで届いてこないようだった。

 ぼうっとしている間に森を抜けた。しかし、その先に続いているのは開けた土地だった。やはり、人の暮らした痕跡はない。原始的な、枝と布で作ったような家すらない。

 そこにあったのは懐かしい風景ではなかった。世界はなおも淡く彩られているようだったが、やはりきれいなだけだ。自分が本当にほしいものは、ここにはない。それを実感して、無性に胸に風が吹き抜けていくように感じた。

 そのとき、ふわりと花の香りが漂ってくるのに気づいた。この場所には花は咲かないというのに。

「人間が来るなんて久方ぶりね」

 明るい声音だった。

 歓迎の匂いを漂わせながら、心の底では拒絶するような雰囲気がする。花のヴェールを剥がせば後には張り詰めた氷が広がっているような、そんな感覚だ。

 振り返るとそこには人形の生物がいた。さらさらとした髪をした少女の姿。しかし、そのオーラは幻想そのものだ。背に蝶のような羽を生やしていなくとも、彼は相手が人外だと気づいただろう。

「今更なんの用だと聞きたげじゃねぇか。まあ、特に理由はないんだけどさ。強いていうなら、故郷とやらを見物しに来たんだよ」

「そう、あなたは限りなく純血に近いのね。現代じゃ混血が進んじゃって扉も反応しないと踏んでいたし」

 どうやらこちらの目論見はあたっていたらしい。

 一方で部下たちはなにがなにだか分かっていない様子で、目を丸くしている。

「なんですか、これ」

 目をこすりながら仲間の一人が言う。

「妖精だろ」

「なんで当たり前のように認識してるんですか」

「そうとしか見えねぇだろ」

 当たり前のように言う。

 これには部下はしかめっ面で頭を抱えた。

「俺たち妖精なんざ見るの初めてなんですよ」

「俺だって初めてだよ」

 妖精など、物語の中の存在だと思っていた。

 シラフでここにいれば化かされたのではないかと感じるだろう。

 だけど、そういうものが目の前にいるのだから仕方がない。

「ええ、そうよ。私は妖精よ。あなたたちとは相容れないものだわ」

 妖精はくすくすと、ほころぶように笑う。

「あなたたちは私たちを厭うでしょう? だから姿を消したのよ」

 影のある目で見上げつつ、あざ笑うように口角を上げる。

「人間嫌いか」

 ずいぶんと印象が悪そうだが、貴重な情報の提供者だ。

 とりあえず話を聞いてみることにした。

「お前なら分かるんじゃねぇか? どうしてこの島がこうなったのか?」

「あら? さっき聞いた通りよ。分からない? あなたたちと私たちは違う。だから、隔離して見えなくしたの」

「だが最初は共存していたんじゃねぇのか?」

 怪訝げに尋ねる。

「別に。私たちは影から見ていただけよ」

 あっさりと告げる。

「この島に人がいないのは、もう滅んだ後だからよ。あなたたちは勝手に殺し合い、勝手に消えてしまったの」

 試すように聞かされる。

 それで思い出した。

 自分の一族の歴史を。

 確か、島から抜け出した民は各地を巡って定住した。

 そのきっかけがなにか。

 争いが起きたらしい。

 いったいなにが起きたのか。

「北と南で別々に暮らしていた人たちは、気候変動でぶつかり合って、抗争して、逃げ出した人たちが島から離れていく。残った者たちも殺し合って、結果はこのざま」

 残ったのは屍だけだ。

 今頃髑髏すら朽ち果て、土へ帰っていることだろう。

「人間のいないこの島。より一層幻想がはびこったわ。分かるでしょう。もうこの土地は人間の住む場所じゃないのよ」

 妖精は再三言って聞かせるように、話す。

 今にも出て行けと告げているようだった。

 それで船長も納得した。

 自分の故郷は確かにあったが、ここは自分の帰る場所ではないと。

 ならばどこへ向かえばいいのか。そんなものは分からないし、あってもなくてもいい。自分はただ、自分の源流がどのような場所か、知りたかっただけなのだから。

 そう、思考を終わらせようとしたとき、背後でかさっと葉が揺れる音がした。

 船長の代わりに部下が振り向く。そして彼らはざわめき出した。その反応を見て船長も理解した。招かれざる客が来たのだと。

「ここでなにをしている」

 硬い声がした。

 船長は振り返らずに、返す。

「それはこっちのセリフだ。ここは俺の庭だぜ」

「勝手に独り占めしないでほしいのだがね」

 なにか嫌味な声だ。

 ナルシストじみた男を連想する。髪は金色で瞳は青。気取った格好をしていて、前髪をなでつけるような仕草をするような。

 その顔を確かめたくなったとき、相手は自ら歩きだし、回り込むような形でその身を晒した。

「へー、軍が動くとはな」

 感心したようにつぶやく。

 目の前に現れたのは戦闘服に身を包んだ男たちだ。貴族のように着飾っているわけではないが、やはりどことなくおしゃれな空気が漂う。

「そんなんだから弱いんだよ」

 独り言のように吐く。

 途端に相手は眉を吊り上げた。

「賊ごときがなにを言う」

「その賊にボコボコにされてんだろ」

 これは自分のことではない。同業者がいて、彼らと戦ったことがある者もいるということだ。

 さて、相手は何者か。格好からして本国のものではない。

「グラースか、ここでなにをしている」

 あえて最初に掛けられた言葉を返す。

 本人としては挑発のつもりだった。

「お前たちには関係のないことだ。一刻も早く退くがいい」

 厳正な言葉。

 それを聞いて、船長も眉をひそめる。

 これは妙だと感じた。

 この島に上陸したことはいい。探検したくなったのはこちらも同じだ。だが、他者を排除してまでこだわる理由が分からない。

 なにかあるなと感じた。

 一方、部下たちはハラハラとしている。軍隊とは戦いをしたくないらしい。しかし、相手は引く気はないのだから。やるしかないだろう。

「さっきも言ったろ。ここは俺の庭なんだよ。そこに勝手に踏み荒らそうってんなら容赦はしねぇよ」

 たちまち周りがどよめく。

「ちょっと、そこまでにしときましょうよ」

 敵側ではなく、部下たちが慌てだす。

「そうですよ。逃げたほうがいいって」

「こんな島に価値があるとも思えませんし」

 なにげない言葉に妖精は反感を持ったのか、ピクリと額に血管を浮き立たせている。

「バカ言え。明らかになにかあるような感じじゃねぇか」

「そうは言っても相手は敵国ですよ」

 部下たちはなおも止めにかかる。

「関係ねぇ。まずはお前が爆弾になれ」

 迷いはなかった。

 戦いが避けられたとしても、戦ってやる。

 船長はカットラスを抜いた。

「やれやれ、外交問題にはしたくないのだがね」

 男は肩をすくめる。

 薄い口元には笑みがにじんでいる。

 ここで敵を踏み潰し、功績でも上げたいのだろう。

 あいにくとこちらは甘くはない。

「関係ねぇよ。口封じすればいいのさ」

 皆殺しだ。

 敵なのだからそれくらいはやってもいいだろう。

 決めたからには容赦をしない。

 戦気で気持ちが高揚する。いいや、盛り上がっているのは、戦いたいからだけではない。

 きっと、自分はこの島に想いを掛けているのだろう。この島を敵に奪われたくないと。

 半ば独占欲のような気持ちをいだきつつ、相対する。

 こうなってはもはや対立は避けられない。相手もまた銃を抜いた。

「さあ、引いてもらおう」

 退こうが挑みかかろうが、関係ない。徹底的に潰す。

 部下たちは仕方がないとばかりに銃を抜いた。

 皆が順番に武器を構える。

 妖精が見守る中、周りには緊張感が漂う。

 空はグレーに曇り、風が強く吹き付ける。まるで嵐の前のようだ。事実、その通り。今から嵐が始まろうとしている。血風吹き荒れる戦が。それをまぎれもなく船長自身が待ち望んでいる。

 命がけの戦いが始まるのに、不安は全くなかった。危機感くらいは背負っているつもりだが、気持ちの高ぶりに塗りつぶされている。今なら神とだって戦える。たとえ運命が立ちはだかろうと切り裂いて見せる。

 船長はその幕が上がるのを、待っていた。


 02 転


 ピリピリとした空気が漂っている。それはいつ弾けてもおかしくないほどに張り詰めた、緊張感。この静寂が終われば後は銃撃の音が響くだけだ。島の美しさとは似つかないが、それもまた一興だ。

 相手の目的は分からない。なにを求めているのかも不明だ。

 この島には触れさせない。

 どうしてか分からないが彼らに島を蹂躙されると思うと、心がむしゃくしゃする。憤りに似た感情が胸を駆け巡る。銃を握る手にも力がこもる。

 これは損得ではない。実に感情的なものだ。

 その勢いに任せるように、船長は迷いなく引き金を引いた。

 銃弾が発射される。中心人物と思しき相手に命中させる。それはすぐに血にまみれて、倒れた。その終わりを見届ける前に、次の弾丸を放つ。手前から左右に引き金を引き続ける。

 それは実に機械的だった。手加減も容赦もない。ただ的があったから撃った。それほどまでに冷徹で、温度がない。

 足元では屍が積み上がっていく。開戦したかと思いきや即、このざま。相手はざわめき、目を泳がしながら、引き金に手を掛けている。しかし、その動揺こそが命取り。

 何発もの銃弾が放たれ、命中する。壁のようになっていた兵士たちがまとめて片付けられた。

 周りでも銃撃戦が繰り広げられている。そちらを見ずとも状況は分かった。これは優勢だ。部下たちは一人も欠けず、相手ばかりが死んでいく。

「うおらぁ! 死ね」

 一人の兵士が声を上げながら銃を構えた。

 銃口は部下へと向いている。

 船長はすかさず横から撃った。

 銃弾が命中。男は血を流しながら倒れた。

 その様を見て、後方で構える敵兵は、くっと奥歯を噛み締める。

「俺たちはただ探索に来ただけだぞ。なんでったってこんなことになるんだよ」

 銃を構えていない。

 チャンスかと思い、銃口を向ける。

 すると相手はこちらを見上げ、回避した。

「お前らどんだけ血がほしいんだよ、たちが悪いな!」

 血走った目でこちらを見てくる。

 しかし、船長はまるで気にしない。

「お前らが島に立ちいったのが悪いんだぜ」

「それはそちらも同じだろう。我々はこの島に眠る資源を欲していただけで」

「認めてるじゃねぇか」

 資源が目的で探索がしたいということは、島を荒らしたいということなのだろう。

 それならば容赦はしない。

 船長は銃を乱射する。またたく間に周りは血の海に沈んでいく。

「たったこれだけでなにをするつもりだ? 戦争を仕掛けたいなら兵をよこしな」

「だから、俺たちは別に戦争をしたいわけじゃない!」

 さすがに敵兵は焦りだす。

「勘弁してくれ。小競り合いごときで全滅してたまるかよ」

 本人としては本当に戦う意思はないのだろう。

 しかし、それを目の前の船長が許すかと言われると、微妙なのだが。

「どうします?」

 敵兵がびくびくと様子を伺う。

「仕方あるまい。退くぞ」

 相手はそのように指示し、撤退へ赴く。

 船長はそれを見逃しつつ、銃を下ろした。

「いいんですか、逃しても」

「あの人数じゃどうにもならねぇよ」

 こちらは手傷を負わずに退けられたのだ。それでよい。

 船長は特に気にしていなかった。


 とにもかくにも、島は平穏を取り戻した。

 やりたい放題に戦えて、船長としてはすっきりとした気分だ。

 対して部下たちはヒヤヒヤとしている。彼らからしてみればいきなり戦いに巻き込まれて、死ぬかと思ったといったところだろうか。

 一方で、近くで妖精はなんとも冷めた目でこちらを眺めていた。戦いは好きではなかったのか。彼女からしてみれば人間同士の諍いなど理解ができないものだろう。

 などと考えたところで思い出す。妖精は、北と南の民族が争い合い滅んだ歴史を知っていたと。

 もっとも、だからなにだという話だ。相手にどう思われようと知ったことではない。この島には用がないし。早急に船に乗ってしまおうか。そう思った矢先、妖精が声をかける。

「あなたたち、強いのね。用心棒にはちょうどいいかも」

「へー、雇ってくれるのか?」

 口角を上げつつ、言葉を返す。

「放っておいたらあいつらすぐに戻ってきそうだし、兵力の用意はいりますよね」

 部下たちがなにかを話す。

「それは要らないわ。次は結界で阻まれるし、彼らの存在を島自体が拒絶するでしょう」

「じゃあ俺たちも行かなきゃならねぇよな」

 当たり前のことを口に出す。

「その必要はないわよ」

 妖精は真顔で口を動かす。

「あなたが島にいることを許します」

「つまり、島の支配権を得たってこと?」

 妖精は船長を認めたということだろうか。

 しかし、いままで人間を拒んできたというのに、とんだ手のひらの返しようだ。

 文句を言うつもりはないが、皮肉に思う。

「今更俺たち人間がこの島に留まってどうするよ」

 自分たちはもう、なにもすることもないというのに。

「あら、なにもする必要などないのよ。これはただ感謝をしたいだけ。人間はいらないけど、それとこれとは別でしょう?」

 硬い眼差しが船長へ行く。

 妖精はただ義理を果たしたいだけらしい。

 その気持ちは受け取っておく。

 だが、この島は自分の帰る場所ではないのだ。

 なにより彼が仕えるべき対象は、ほかにいる。

「いや、俺がここでなにかを得て、本国へ持っていけば、為になるのか」

 唐突に思い出したように口に出す。

「そうですよ。できるだけ持っていきましょうよ」

 部下たちがノリノリで言ってくる。

「そうだな。よし決めた。なあ妖精、俺たちへの報酬はなにになる? 確か、この島には資源があるんだろう」

「ええ。特別なものがね。ほしいなら好きなだけ持っていけば?」

 人類の強欲さを皮肉るように、妖精は笑う。

 その目つきは相手を嘲るようだった。

 結局、相手は人間の醜い心の証明がしたかったのか。結果的に思うがままになってしまったが、必要なものはもらっておくに限る。こんなところで潔癖さを発揮しても仕方がない。気持ちは受け取ると決めたのだから、ここは好きなだけ掘り起こしておこう。

 思うが早いが、彼らは動き出す。

 島の奥へと入り、洞窟を潜り、あたりを松明で照らす。

「うおー、本当に見たことのない鉱物ばかりですよ。これとか青光りしてるし、燃料になるんじゃないですか?」

「これもいい繊維になりそうですよ」

「お、いい色。顔料にしてしまおう」

「培養して増やそうぜー」

 部下たちは興奮して、採取をしている。

 そうしていると、袋がぱんぱんになり、城を漁ってきたかのような戦利品の数になった。

 いつの間にか空は暮れがかっている。泊まるのもいいが、長居するのも問題だ。自分はこの島に永住する気はないし、やることを済ませたら本国へ戻らなければならない。そう思って、女王に会いたくなっている自分に気づき、意外に思う。いつの間にか彼女への気持ちが膨らんでいたようだ。その感情は悪くはない。船長は満足げに笑みを引いた。

 それから彼らは表に出て、船の元へ戻る。

 そして荷物を倉庫に詰め込んでいった。

 部下たちは船に入って、出港の準備を進めている。

 忙しそうな彼らの様子を眺めつつ、船長は妖精のほうへ振り返る。

「いいのか? お礼とはいえ」

「別に、島に残しておいても仕方がないでしょう」

 妖精はつまらなさそうに口に出す。

 あくまで彼女は義理のために資源を提供している。そこに感謝の気持ちなどないのだろう。その資源も彼女たちにとっては大切なものではない。本人が持っていても意味を為さないものだから。

 だからなんの問題もないのだろう。後ろめたさなどを感じることはない。それよりも、本国の力になることを喜ぶべきだ。

 船長は半ば開き直ったような態度で、前に出る。

「さあ、持てるだけ持ったな。嫌と言われても強引に持っていけ」

 この島から持ち出せるものはなんでもいいから持っていく。

 それでいい。

 それが自分たちのやり方だから。

 なお、船長自身はほしいものなどなく、手ぶらのまま船に乗り込む。

 それから荷物を乗せた船は動き出す。

 舵を取り、羅針盤が示す通りに進んでいく。

 波を立てて、夕日の向こうへ消えていく影。

 妖精はそれを、退屈そうに見送った。彼女の影はいつまでも浜辺にいた。


 02 結


 船に揺られて元来た海路を進む。

 ゆったりと時は流れていく。夜が更ければ月が昇り、朝になれば太陽が照らす。グラデーションのかかった空の下をひたすらに進む。そうして何事もなく本国に戻ってきた。

 王都に入り、まっすぐに城に入る。

 部下たちと共に荷物を引きずり、前に提出する。

 女王の前とは思えないほどラフで、雑な投げ方だった。

 対して女王は眉一つ動かさずに、受け取り、衛兵へと流す。

「よく戻ってきてくれました。あなた方には褒美を与えましょう」

 資源よりも先に、そのことを伝える。

 船長からすれば生きて帰ってくるのは当然のこと。途中で死ぬことなど端から想定していない。ゆえに女王の反応はいささか不思議ではある。

 それはそれとして報酬はありがたく受け取っておく。

 船長は満足げに笑った。

「ご馳走でもくれるってか? じゃあ、さっそく食堂でも覗きに行くか」

 そのような冗談を口にしつつ、背を向ける。

 彼は手を振り、歩き出す。

 部下も後に続く。

 彼らはぞろぞろとレッドカーペットの上を通っていく。

 女王はそれを硬い表情で見送った。


 島の資源は渡したが、それでなにかが変わるわけではないと思っていた。

 だから軽々しく、城に提供した。

 それを売ったところで価値が分からないのだから値のつけようがないだろうと。

 しかし、事態は彼らが思うよりもずっと急速に、大胆に進んでいった。


「なんだこれ!? 肥料ってレベルじゃねぇぞ。植えた端から鳴っていきやがる」

「こんな燃費のいいことはあるのか? これは新しい技術革新だ」

「わぁ、この繊維薄くて硬くてきれいじゃない?」

 資源は職人の手に渡り、様々なものへ加工されていく。

 一秒の間にいままで見たことも想像もしなかった商品が生まれ、流れていく。

 それは店頭に上がることもあれば、ボツになることもある。

 失敗作は当然のように生まれた。

 だが、職人たちは生き生きと開発を続ける。

 農民は普段と変わらず畑を耕し続け、貴族たちは土地を所有する。

 けれども、商人たちは力を増している。

 事態はゆっくりと動き始めている。

 それはまだ表には出てきていない。

 しかし、結界に閉ざされた島の技術が持てこまれた以上、世界はもう以前とは異なるものへと変わった。

 それはまさしく魔法のようだった。


 そうして、その時点で人々の日常は変わった。

 領主は穀物の大量生産のために農地を独占し、農民は都市へと追い出された。

 都で彼らは日夜、働きに暮れる。

 なにのために働いているのかは分からない。

 生きるためにしては過剰なまでの労力を機械に掛け、物を作る。

 毎日毎日、物を作り続ける。

 手元では繊維が紡がれ、裁断される。

 気がつくと空の色が変わっている。

 空腹に気づいても茹でたじゃがいもを口に入れるだけで、なんの楽しみもない。

 けれども生まれた富は国を循環している。

 そして、それらは税として城へと集中していった。


 また、日夜海を船が行く。

 毎日何度も同じ航路を往く。

 蔵には茶葉や綿花が山ほど積まれている。ただし、過剰なほどではない。走行に支障がない程度には押さえられている。

 機械的に船を動かし、機械的に生産を繰り返し。

 大量に生み出された製品は、他国へと渡る。

 侵略して手に入れた土地にも、山のように売った。

 買うほうだった王国はいつの間にか売る側へと回っていた。

 安く手に入れた原料から、より多く高価な品を生み出していく。

 そうしている内に、世界はかの国の製品であふれていった。

 海の通路も整備が行き届き、他国が手出しのできない領域が作られていく。

 いつの間にか王国は海を統べていた。

 一方、自分の知らぬところでとんでもないことになっているのに気づく船長。

 彼はロコモーティブと名付けられた鉄の箱に乗り、線路を進みながら、ぼやく。

「まさか、こんなことになるとはな」

 いったい誰のせいなのか。

 まぎれもなく自分だろうが、商品には一切の関与をしていないため、実感が沸かない。

 分かっていることは一つ、この国は軌道に乗り始めたということ。

 世界を統べるにはあと一息。

 これ以上はもはや止められないだろう。


 そして、船長は車両から降りて、都を歩く。

 行き交う人々は忙しそうに煤にまみれている。

 彼らは仕事に取り憑かれている。

 それは活気に満ちたという空気ではなく、働くために働くといった雰囲気だ。

 普段漂うはずの料理の匂いはない。そこにあるのは鉄の臭いだけだ。

 それを振り払うように歩き、城へと向かう。

 彼はまっすぐに門をくぐり、中へ入っていった。

「あははははは」

 玉座の間につくと女王が帳簿を片手に高笑いをしていた。

 彼女の手には中央に集まった富の数字がある。

 その嬉しそうな反応を見て、船長は察する。この状況こそを彼女は求めていたのだと。

「安上がりだったろ? 奢っただけでそれだけの繁栄を得られて」

 皮肉げに声を掛け、肩をすくめる。

「ええ、そうね。私たちは繁栄します。侵略をもってこの世界を統べるのも時間の問題です」

 女王は悪びれもせずに口にする。

 それを聞いて、彼女は本気なのだと悟る。

 気が引き締まるのを感じる。

 だからこのとき、本来聞くはずだった問いが頭から消え失せたことに、彼は気づかなかった。

「人口は増えるでしょう。もはやこの島にとどめておくこともできないくらい。それならば海を越え、新しい領土へ移ってもらうのです。そちらの土地にはまだまだ有効な資源があるでしょう。市場だってある」

 船長には彼女の言いたいことが分かった。

 自分が同じ立場なら、そうしていたから。

 しかし、この自分と同じことをする女王の思考回路は、いささか恐ろしい。

 思わず息を呑むほどに。

 しかし、今更退くことはなかった。

 彼女がそれを望むのなら、従うまでだ。

 いつの間にか、彼は進んで女王に仕えることを選んでいた。そして、そのあり方を受け入れてもいる。

 目を伏せ頷いてから、彼は切り出す。

「侵略か。いいぜ、手を貸そうじゃないか」

 ニヤリと笑う。

 戦争をするなら、野良の賊も力になれるだろう。

 平時では疎ましいだけの者たちも、敵国には有利に作用する。

 それを最大限に活用してくれるというのなら、願ったりだ。ありがたく活躍の舞台に乗ってみせる。

 彼の心には曇りはなく、実行することに迷いもなかった。


 それからほどなくして近海で軍艦と民間船の衝突事故が起きる。

 結果、本国の民間人が死亡。

 その責任を取らせ、賠償を要求。

 相手国はそれをはねのけた。

 ならば戦争しかあるまい。

 その無駄のない流れで、戦いは始まる。

 なお、結果は圧勝だった。

 波打ち際から一斉に上陸し、首都を破壊した。

 逃げ遅れた民間人は殺され、切り倒された木のように転がる。

 都は血の海になった。

 それに乗じて略奪が横行し、得た宝はひそかに都へ持ち去られる。

 敗戦により相手国は領土を割譲される。

 しかし戦いが終わったからといってそれで全てが丸く収まるわけではない。

 首都が倒されたのだから、その国もまるごといただくことになる。

 かくして支配は完了し、市民は奴隷のように働かされることとなる。

 なお、その必要はないとばかりに本国より移民が流れ込む。

 彼らは肌色の違う者を見るや、またたく間に相手を隷属下に置いた。

 この場においては本国の人間がなによりも偉いのだ。

 元の身分など通用しない。

 貴族も平民も、皆が平等に下等生物。

 自分たちは彼らに文明を伝えに来た。

 この世全てが本国の技術で動いているのだから、自分たちの国がいなくなっては困るだろう。

 そんな言い訳をこぼしつつ、彼らは笑う。

 一時の高揚を永遠に勘違いしたかのように、狂宴は続く。

 以降も侵略は続く。

 増やしたい作物を片っ端から集め、より豪勢なものを作り上げる。

 働かずに済む階級は優雅な一時のために、茶を欲する。

 島国では元の住民を駆逐し、本国の人間を入れる。

 そうして彼らは支配を進める。

 都では様々な人種が集まり、金が動く。

 技術はなおも発展し、便利なものを生み出していく。

 芸術も花開き、美術館には色鮮やかな絵が展示される。

 各地で行われる戦いも、それを加速させていった。

 まさしく黄金期だった。

 かつて味わったような狂乱に、都全体が覆われている。

 人々はまともに暮らしながらも、さらに下にいる者を踏み潰す。

 誰もこの日々が終わるとは思っていない。

 それがなによりもおかしいのだと、船長は内心で気づいていた。

 この繁栄の下、なにかが動きつつあるのだと、不穏な気配を予感していた。


 03 起


 檻から連れ出された罪人が処刑台に上がる。

 罪なのだから仕方がない。それがたとえ自由のためであったとしても、国に仇なす存在なのだから、許してはおけない。女王が駄目だと言えば、なにもかもが黒に染まる。

 だからこの結末は受け入れていた。驚いたのは、その現場に女王自身が立ち会うことだ。

 長い絹のような銀髪を垂らし、氷のように青く冷たい目をした女だ。彼女は聖職者のようなローブをまとい、手には立派な杖を持っている。

「やりなさい」

 静かに告げる。

 それに従い処刑執行人は剣を構える。

「待て。これのなにが正義だ。お前は民のためになにをした? 俺たちから全てを奪ってばかりじゃないか。俺はただ、民衆に笑顔を取り戻したかっただけだ」

 身を乗り出し、訴えかける。

 されども女王の目は冷めている。

「笑わせないで。お前たちのほうこそ、なにが正義だというの? ただ従い生きるだけの人々を殺しておいて」

 彼女の脳裏に浮かんだのは、爆破する建物だ。

 傷つき倒れていく民衆だ。

 彼らはなにか罪があったわけではない。ただ、王都にいただけだ。それを彼らは殺さんとした。ただ政府に従っているというだけで。

「お前たちのようなものがいるから悪いのよ。お前たちが憎しみを抱き矛を向けるのなら、一匹残らず駆逐してやりたい。憎くて憎くてたまらないのよ。それこそ、何体拷問しても満ち足りないくらい」

 だからこうして滅んでゆけ。

 憎しみの元、死刑を告げる。

 囚人は言葉を失った。顔面は蒼白となり身動きすら取れぬままへたり込む。その首元に刃が下ろされる。肉をえぐる音がした。血が飛沫と共に飛び散った。後には惨劇が残るだけである。

 それを女王はくだらないものを見るように眺めていた。



「氷の国は物騒ですね。領土の端には異民族もいるのでしょう。いつまで押さえていられるのかしら」

 玉座の間にて、巷の情報を閲覧しつつ、赤髪の女王が口に出す。

 それは、世間話でもするようなノリだった。

「圧政っつってもお前も似たようなものだろ。君臨している以上はな」

 皮肉のようにつぶやくと、彼女はこちらを向いた。

「私は民を愛しています。これでもいけませんか?」

「別に構いやしないさ。それよりも、外政だ。下のやつらのことばかり考えていたら、周りから押しつぶされる」

 などと言いつつ、本当はこちらから他国を押しつぶす立場にあるのだが。

 しかし、実際のところ大陸の様子はきな臭い。

 技術はあっという間にそちらへと広がり、グレースなどは技術を上げている。大地には鉄道が敷かれ、衣服の大量生産なども可能となる。放っておけば追いつかれる。

「グレースの都もいつの間にか整備されててさ、豪華だったぜ。花の都ってところだ」

「行ったのね、私以外の国に」

「たかが観光だ。貿易だって必要だし、いいだろ?」

 さすがに仲が悪い隣国とはいえ、立ち入ってはならないということはないだろう。

 女王も許してはくれるのではないか。

 様子を見ていると、彼女は黙り込んだ。どうやら口を挟む気はないらしい。

「それに、俺としちゃあこっちのほうがいいな。あっちは華やかすぎるんだよ」

 自分にとっては無骨なほうがいい。

 それこそ夜に歩けばゴーストが出てきそうな雰囲気のほうが。

 そう、本人は気づかないが、遠回しに下げている。それに女王は反応しない。あえてスルーを決め込む様子だ。

「それで、どこまで征しておくつもりだ?」

「必要なところだけ。意図せずに征服してしまったところは、そのままに」

 地図を指し、言う。

「綿花や茶葉が豊富な土地やシーレーン」

 要所は確保しておくべき。

 そして、それは絶対に失ってはならない。それこそ兵力を集中させてでも死守しなければならない。

 などと言いつつ、船長自身は積極的に介入するつもりはない。領土の秩序など軍にまかせておけばよい。自分たちは海で漂うだけだ。

「それじゃあ、海戦がありゃあ呼んでくれや」

 そのように挨拶代わりに告げ、歩き出す。

 なんの憂いもなく外へ出ていく船長。

 女王はそれを真顔で見送った。


 それからほどなくして、船長はグレースの都にやってきていた。

 特に理由はない。単なる趣味であり、冒険の結果だ。なにしろ、世界を巡るために生きていたようなものであるため、各地を出歩くのが自然なのだ。こんなとき、国に縛られない身軽さが利点に思える。なにしろ、好き勝手に動けるからだ。

 こうして、花の都を歩く。放射線状に伸びた道の端には、クリーム色の建物が並び、あちらこちらから香水の匂いが漂ってくる。

 そんな中、ふんわりと紙切れが振ってくるのに気づいた。見上げ受け取って見る。中身はニュースだった。なんでもまた戦争が始まり、終わったらしい。大陸の端は群雄割拠している。どこもかしこも火種だらけ。内にも外にも問題を抱えている。

「なんで強い癖に白旗だけ上げるのが早いんだか、この国は」

 リスペクトできるだけの芸術性はあり、陸でなら強い兵を持っているにもかかわらず、これだ。

 敵からしてみれば強いのだろうが、負ける時は派手に負けるため、呆れてしまう。

 一方、広場ではまた悲鳴に似た声が上がる。

「勘弁してくれ。氷の女王がご乱心だよ」

「即位してからずっとそんな感じでしょう?」

「最近はもっとひどいんだ」

 どれどれと様子を見に行く。

「海に面して半島だよ。ずっとそこを狙ってる」

「奪われたらどうなるんだ?」

「そりゃあ、ゲームセットだろう」

 つまり、氷の国にだけは横暴を許してはならないということだ。

 元よりそのためにかの国は多民族を内包し、領土を広げてきた。事実、地図上での面積は圧が強い。

 じわりじわりと真綿で締められるような不穏さを感じる。


 そうした中、船長が伝えるまでもなく、この件は城へ情報が届いていた。

「同盟を結ぶとまでは行きませんが、協力し合うことはできるでしょう」

「では、半島での戦いに加わると」

「はい」

 女王の命で兵士を動かす。

 彼らはまっすぐに半島へ送られ、銃を放ったという。

 その戦に船長は加わらない。なにせ彼は海の者だ。陸に上がるような真似はしない。やるとしたら海戦だ。

 そして、結果的には加わらなくてよかったといえよう。

 結論から言えば、今回の戦いはこちら側の勝利だ。なにせ、大陸側の国のほとんどが氷の国に反発し、孤立に陥っていた。くわえて技術力でもずいぶんと差が見られた。ぐだぐだなことをやっていたとはいえ、勝てたのは当然だ。逆を言えば、それくらいの戦力差があったとのこと。

 もっとも、だからよいという話ではないが。

 なにせ、帰還してきた者の話がひどいのなんの。

「ありゃあひでぇ作戦だ。戦えるやつは片っ端から前線送り。鉄砲玉かなにかかよ」

 おかげでけが人は続出。

 寒さの中で凍えるものもでてきたとか。

 唯一の救いは、看護婦が懸命な看護をしてきたことか。

 容貌はしなかったが誰もが恋に落ちてしまうほどのものだったらしい。

 船長はそんな話を酒場で聞き流していた。

 食指が動かないのが不思議だった。顔を見てみたいという気すら沸かない。

 これはつまり、そういうことなのかもしれない。

 勝手に納得し、苦笑いをにじませる。


 それはそれとして、一件落着、とはいかない。

 正確には戦いそのものは終わったし、条約も結ばれた。

 互いの領土の境界線を定め、これ以上広げることはないとも決まった。

 一旦は収束を見せたこの局面。

 しかし、世界秩序は明確に歪んだ。転がり始めたものは止まりはしない。それはどのように調停しようと変わりはしないだろう。そうと分かりながらも為政者たちは薄氷の上で政を続けるのだった。


 そして、戦争が鎮まってから、その経過を他人事のように眺めつつ、船長が宿のベランダで黄昏れていた。

 空は濃い赤に染まり、暗い色をした雲が流れていく。

 涼しい風が吹き抜けるも、葉が揺れるだけで、音はしない。

 つくづくこの都には生活感がない。

 ワインを片手に持つことすら風情がなくて、似合わない。もちろん、今はそんなものを持ち込んではいないのだが。

 そうしたところで思い出す。このごろラム酒を飲んでいないと。船に乗っていたころは水のように飲んでいた。それは活動するためには必要なことで、義務的に飲んでいたら癖になっていただけなのだが。

 それはそれとして、彼はすでに女王に仕える身だ。本当の意味で自由だったころが遠い昔のように思えてくる。あのころは海がもっと広く感じられた。洞窟の中を漁る度にワクワクした。未知の場所を探索することが楽しくて仕方がなかった。それが今や地図も埋まり、世界が小さくなったように思う。それこそ、七つの海を統べる帝国と化した今、世界を手中に収めたも同義だ。単独首位に立った以上、世界を管理するしかない。その過程で海を荒らす賊は討伐される。水軍が海を牛耳り、他国すら排斥する。これはもう、そういう時代だ。

 もう、賊の居場所はないのだと、まざまざと見せつけられる。

 かといって、自分のやることは変わらない。善悪も関係なく、やりたいことをやればいいだけ。出る幕がないのなら自分なりの道を進めばいい。彼の意思は固まっていた。

 そして次の日、船長は酒場に行く。カウンターに座り、味のしない酒を呷って、カップを机に戻す。その流れで世間話をするような感覚で、彼は話を切り出した。

「そろそろ解散するぜ、いいな」

 それは唐突だった。

 前振りもなく、思わず聞き返してしまうほどだった。

「ちょっと待ってくださいよ。どうしてそんな」

「どうしてもなにも、海を往く理由はなくなっただろ」

「だからといって解散しなくても」

 部下たちは慌て、ざわめき立つ。

「別に出て行けって言いたいわけじゃないぜ。だが、冒険者としての俺たちは終わってるんだ。目的は果たしたし、行きたい場所にも行った。ほら、やり残したことなんざないじゃねぇか」

 船長は冷静に話をする。

 彼は当たり前のことを言っている。

 正論だと分かっている。好きな道を進んでもいいと、助け舟を出されてもいる。しかし、部下にとっては切り捨てられたような感覚だ。彼についてきたのに、いきなり従わなくてもいいと言われる。本格的な自由が手に入るはずなのに、心の中で納得がいかない。もやもやが胸に広がる。彼らはうつむいてしまった。

「言ったぞ、後はお前ら次第だとな。俺はもう行く。じゃあな」

 勝手に宣言し、席を立つ。

 船長は料金を払い、外へ出ていった。

 流れるような歩み。止められないし、そんな気も起きない。部下たちは取り残されたかのように、そこに留まっていた。


 それから、船長はソロで活動を始める。

 水軍の指揮官として働き、海戦を制する。

 戦が起きたとしても、絶対に敵を倒す。本国には届かせない。

 船の上にいる彼はより一層、生き生きとしていた。

 そして、彼はもう冒険団としての彼には戻れない。かつての部下を探すこともなく、彼は以前とは違う自分に染まっていった。

 一方で、船長は妙な気配にも気づいていた。

 このところ、賊の数が多い。海賊の時代は終わり、後は小粒しか残っていないはずなのだが、増えているように感じる。どこぞで扇動でもしているのだろうか。

 不穏さに眉をひそめつつ、指定された海域へ赴く。

 すると、なにやら見知った船が顔を出す。誰が乗っているのかは分からない。ただ正規の船でないことは分かった。

「撃て」

 容赦なく指示する。

 かくして砲弾は発射される。

 敵船も打ち返し、戦いとなる。

 空は荒れ、雨が斜めに降り出す。嵐に突入しそうな景色の中、撃ち合いが続く。

 なお、それはすぐに収まった。

 敵船は大破し、乗組員が海に投げ出される。

「助けてくれ」

 情けない声が水面から上がる。

 彼らはもがき、手を伸ばす。

 船長はそれを冷徹な目で見下ろしている。

 そうした中、彼の目は別の場所へと向く。

 そこには同じように乗組員が浮いてきていた。その顔に心当たりがあった。それは、どこにでもいる男だ。だが、妙に記憶に焼き付いて離れない。脳裏をよぎったのは冒険の日々。舵を取り、海を行き交ったこと。その記憶の中の自分の隣に、彼はいた。

「あなたは裏切り者だ」

 目を見開き、にらみつける。

 その顔に水がかかる。

 相手は波に呑まれて、姿を消した。

 その光景を目の当たりにして、息が漏れた。

 裏切り者。

 確かにその通りかもしれない。

 自由を裏切り女王に仕える。それを望んだ者はいない。誰だってただ、海を自由に行きたかっただけなのだから。

 ただそれでも、彼はおのれの立場に恥を覚えたりはしない。悔いも心残りもない。

 神秘の島へ帰らず王都に戻ってきた時点で、自身の目的など決定している。

 自分はあの女のために動くと、ほかでもない自分が決めた。

 そしてなにより、この海は自分のものだ。誰にも渡しはしない。

 それがたとえ仲間であったとしてもだ。

 だからこれは、それだけの話。

 一つ言えることがあるとすれば、自分は海のために死に、身を投げるだろうと。

 そう確信を得た。

 今、頭の中にかかっていた靄が晴れた気がする。


 03 承


 かつで黄金の繁栄を築いた西の国は、たった一度の敗北を皮切りに、音を立てるように衰退した。今は内乱を繰り返すばかりで、強国の座からは降りている。

 氷の国は内部粛清と反乱の鎮圧で忙しい。グレースは兵力を強化しているらしい。

 その中間あたりには統一国家ができ、周りの少国家を吸収し、暴れまわっている。技術力もどんどん上がり、兵器を量産。かつて森の都と言われた都市は、今では工業地帯へ成り代わっている。その勢いはとどまることをしない、世界会議を通して、他国はそのシュヴァルツ帝国に釘付けになっていた。


 一方で、こちらも総督を領土に派遣し、反乱の鎮圧に励んでいる。おかげで大陸の出来事に手を出せないこともある。戦い自体はあっさりと終わる。所詮は学問すらない野蛮な民だ。歯向かうことなどできやしない。それはいいのだが、他の強国に遅れを取るのはいただけない。女王は悶々としつつ、地図を見る。そこには領土が赤く色付けされている。新大陸の上半分と、内海と接続する黒の大陸、いちおう東の地帯で主導権を得ているほか、大きめの島国をまとめて手に入れている。

 北と南に引き伸ばしたタイプの地図では分かりにくいが、全ての大地の四分の一が王国のものだ。

「さすがに見るべき場所が多すぎますね」

 女王はこめかみを押さえる。

 世界帝国なら歴史上いくつもあるが、それらはほとんどが途中で分裂している。かの、ヒューゲル家が築いた帝国も、その領土の大きさから二つに分けたのだ。とてもではないが自分の手にあまる。彼女としては、世界を征服する意図はない。ただ、ほしいものを獲得していった結果、こうなっただけだ。また、全てを手放す気にもなれない。領土を切り取られては、覇権を失うからだ。こうなってしまったからには意地でも現状を意地するしかない。

 プレッシャーと責任が重くのしかかる。けれども、この道こそが彼女の望んだものだった。そうであるのなら彼女には逃げるという選択肢はない。そうするしかない。女王は強く決意を固めるのだった。


 それから、宮殿では議会が開かれる。

 そこは王宮とは離れた位置にある。近くを大きな川が通り、橋を渡った先には時計塔が見えるような、そんな場所だ。

 左右二つの席に分かれ、議員たちが意見をぶつけ合う。

「仮想敵国はグレースだ。かの国は大陸において、影響力を残している」

「かつては第一言語に設定されていた国なのでな」

「しかし、ここで潰し合っては第三勢力が得をするだけだろう」

 かの国は本音を言うと潰してしまいたい。

 とはいえ、ここは感情で動くわけにはいかないだろう。

 もっとも、それを抑え込める者が多いわけではなく、議論は錯綜する。

 話はいつまで経ってもまとまらなかった。


 そんな中、都では次のような話が出回っていた。

「大変だ。黒の大陸でぶつかりあったってさ」

「おしまいだ。戦争になるぞ」

 まさしく一触即発という様子。

 ニュースを読んだ民衆はパニックに陥り、髪を振り乱す。

 しかしながら当の現場は実に呑気なのだった。

「損害? 別にいいよ」

「じゃあ、そういうことで」

 荒野で切り株に座り、酒を飲み合う。

 兵士たちは交渉というよりは談笑をするといった態度だった。

 一歩間違えば敵同士になるだろうに、緊張感がまるでない。周りにはゆったりと時間が流れていった。


 それからほどなくして、二国の外交官が互いの首都を行き来するようになる。

 そしてある日のこと、突然城で会見が行われる。

「以上をもってここ千年にも及ぶ敵対関係の解消を宣言する。我らは相互に理解し、互いの目的を妨害しない」

 いくつかの文書に調印が押され、両国の同盟が成立した。

 それはどちらかというと妥協だった。おおかたグレースが戦っても勝ち目がないと悟ったからだろう。その判断は王国にとってもプラスに働いた。

 相手はシュヴァルツへの復讐に燃えている上、こちらも相手国を敵とみなしている。つまり、互いの敵は一致しているのだ。


 対して民衆は大々的な発表にざわめいた。

 つい先日まで敵だといがみ合っていた相手と手を取り合うなど、困惑しかない。

 ましてや大国同士の同盟だ。小国が脅威から逃れるために身を寄せ合うとはわけが違う。これは、勢力図も大きく変わりそうだと、誰もが思った。

 その一方で、水面下で起こる大事には気にもとめなかった。

 それは内海近くの大国の話だ。かつては西側の国を蹂躙し強勢を誇ったが、今では衰退している。そこから離反する国が現れた。南下を目指す氷の国の介入を阻止し、単独で独立を果たした。それを皮切りに、半島全体が揺れ動く。そこに、中央のシュヴァルツなどの圧力もあり、あの場一帯はひどく不安定な様子になっていた。

 そのことに一般市民は気づかない。気づこうとすらしない。

 その中で議会に参加する議員たちだけが、ひそかに頭を抱えていた。


 そして、くすぶっていたものに火が灯るように、事態は加速する。

「俺だって昔は強かったんだ」

「それは俺らだって同じさ」

「この場一帯は俺たちの国だ。返しな」

「いいや、この川の流域は元から住んでた土地だ」

 対岸を挟んでにらみ合いを続ける。

 その内、兵器を持ち出し、ドンパチと撃ち合う。

 派手ではないが、個人同士で戦い、四肢をもぎ合う。

 宗主国をそっちのけてやりあっている。それは傍から見れば同士討ち・仲間割れにしか見えない。

「やめぬか、馬鹿者ども」

 その戦場に、大きく声を張り、現れる大使。

 内海には六籍の船が浮かぶ。どれも外交官が乗っている。

 半島の小競り合いに大国たちが一斉に集い、調停に入る。

 各国はにらみ合いながらも矛を収め、ひとまず場は収まった。


 それから王国の首都で、何度目かの国際会議が開かれる。

「本日の課題は半島の問題だ」

 この議題も何度目か分からない。

「火種を放置すれば炎は大陸全土を包むだろう」

「だからといってどうするのだ。刺激せぬよう気を配っても、やつらは勝手に争い出す」

 大使たちが腕を組み、難しい顔をする。

「あの場一帯は強大な勢力が支配せねば収拾がつかぬのではないか」

 そもそもの原因は砂の国の弱体化だ。

 ただ影響力を失うだけならまだしも、こんなところに影響が出るとは思いもしなかった。

「支配ね、いいじゃないか。俺がそっちへ移ってもいいんだろ?」

 そう、ニヤリと歯を見せたのはシュヴァルツの大使だ。

「ちょうどあっちには俺たちと同じ民族が混じってる。いいじゃないか、まるごと飲み込んでやる」

「待て。それを言うなら、我ら白き民族も同じだ」

 半島は二つの民族が混ざり合っている。

 言語も宗教も違いのだから、こじれるのは仕方がない。

「関係ねぇ。俺たちはいずれ世界島を手に入れる。まずは西から東へと出る。やつらはそのための踏み台だ」 

 国際会議の場であろうことか本性を顕にする大使。

 彼は全く遠慮をしない。

 言うだけ言って、勝ち誇ったかのように高笑いをかます。

 これには氷の国の使者も歯ぎしりをするのだった。

 同時にこれはまずいと王国の使者は考える。なにせ、シュヴァルツの横暴は世界を大戦に導く。なにより、彼らが目指す道はこちらの領土と接触する。つまり、敵対は避けられないのだが、これは今更か。

 いずれにせよ一国に事態をかき回されているような気がして、面白くはないのだった。


 世界会議の一件がきっかけで、両国は緊張体制となった。

 造船所は日夜回転する。

 こちらが一基軍艦を造れば、相手はその倍出してくる。それに対抗し、さらに造船を繰り返す。

 それと平行するように、黒の大地の平定も続く。

 ここ最近、大きな戦いはない。全ては蹂躙と、反乱の鎮圧だ。その数、ゆうに百を越える。それでも世界は平和だ。平等に搾取され、注がれて成立している。

 彼らにとっては今ある秩序こそが全てで、足元で切り捨てられるものには見向きもしない。その癖貧民には寄付をする。にこりと柔らかな帽子をかぶりドレスを身にまとった女性は、笑顔を見せる。

「ほら、私は慈善的でしょう?」

 そう、輝きを振りまく。

 本当の悲劇など見もせずに。自分はよいことをしたと本気で思い、街を練り歩く。その後姿をボロ布をまとった幼い子が、睨みつけていた。


 そうこうしている内に数年が経過した。

「ああ、あの原始人は屈服しないのか」

「どうしてこんなにも、我らは最強であるはずなのに」

 カフェでニュースを読み、客は嘆く。

 黒の大陸での戦況は思わしくない。兵士は虐殺を繰り返しているとは聞くが、手痛い反撃を受けいていると聞く。大国ならばもっと簡単に蹂躙できるはずだ。それを、奥へ奥へと狭い場所に引きずり込まれていく。時間だけが浪費するような感覚だった。

 そんな中、ラジオにノイズが波を描くように走る。客たちは顔を上げ、スピーカーを見上げる。

「皆さん、安心してください。我らの覇権はゆらぎはしません」

 女王は明るい声で呼びかける。

 すると、客の顔にも色が戻る。

 彼女が言うのだから大丈夫だ。

 内心の不安を押し隠すように笑い合う。

 もっともそれは都合が悪い部分を塗りつぶしただけで、事態はなにも変わらない。


 そして、そうしている内に戦費がガリガリと削られていくことに、女王がぞっとする。

「頃合いを見て決着をつけさせなければ……」

 これ以上は不毛なだけだ。

 そもそも、長引かせると分かっていたなら、手を出すべきではなかった。

 どれもこれも調子に乗って喧嘩を売り続けたのが悪い。

 その一方で半島もまた、きな臭い。氷の国とシュヴァルツは険悪なムードで、半島にどちらにつくか語りかけている。

 均衡はとうの昔に崩れている。

 王国の覇権が終われば、世界は乱れる。

 調停は取れず、秩序も保たれない。

 片田舎の王国を納めるはずが、いつの間にか世界を管理していた。

 その運命を皮肉に思う。

 しかし、どうにもならない。

 レールに乗り上げてしまった以上、どこまでも行くしかない。

 それが現実だった。


 その中で、街にはいつものように日が昇り、青空の下で人々は活動をする。

 カフェにはドレスやスーツを着た貴族たちが集う。

 彼らは各々の席につきコーヒーを注文すると、それをゆっくりと飲み始める。

 広場では小説の連載された雑誌を手に、平民たちが興奮する。

「おお、次の事件はこれか」

「なにか矛盾してない?」

「おい、主人公しにやがったぞ、どうするんだ!」

 歓喜や関心、怒号の混じり合う光景。

 それを横目に船長はベンチに腰掛け、ニュースを流し読みする。

 敵対国との緊張、反乱の鎮圧、黒の大陸での戦果。

 彼にとっては面白くもなんともない話が羅列されている。

「いつの間にこんなことになってたんだな」

 自由に海を行き来していたときと比べて、世界は変わった。

 否、国そのものが変わってしまったというべきか。

 ただの田舎だったこの国は今や世界帝国に。

 他の民族は隷属を強いられ、敵対国は正当化をもって駆逐される。

 かといって相手国に同情することはない。なにせ、弱いから善良ではないと知っているからだ。なにぶん、この王国がそうだった。昔から資源が乏しく、まともな作物が育たない土地だ。世界の端にあり、中途半端に大陸と近い。過去に何度も侵略に遭った。支配を受けたことすらある。

 なにもない土地だからこそ、他国から奪い取るしかなかった。

 このまま底辺で終わるくらいなら、蹂躙してしまったほうがいい。武力を嵩に奪い取ればいい。そちらのほうがただ奪われるだけよりもずっと賢い。

 そも善悪にこだわりのない彼からすれば、やったもの勝ちだ。海にいたころはそのようにしていた。思えば自身の存在こそがこの海洋国家を象徴していると言えなくもない。そのことがほんの少しおかしくも誇らしくて、うっすらと笑みを浮かべた。

 しかし、ふと違和感に気づく。

「そういえば、海神の気配がないな」

 雑誌を伏せ、天を見上げる。

 海は近いはずなのに、潮の香りがしない。

 神などいるかも分からぬ存在ゆえ想像しても仕方がないのは分かっている。

 だが、これは不穏だ。それこそ晴天に雲がかかるように。

「あの女王、少し大陸に入れ込みすぎたんじゃないか?」

 眉を寄せ、つぶやく。

 脳裏に赤髪の女の姿が浮かぶ。

 杞憂であればいいのだが、どうにもそうはいかない予感がする。

 嫌な確信が胸を突く。

 なるときはなる。それならばなってしまえばいい。

 半ば投げやりに思う。

 いずれにせよ相応の事が起こるのだろう。運命には期待していないが、宿命はおのれを裏切りはしないと分かっている。彼はそのときを待っていた。いつまでも、いつまでも。そしてそれは近いと、船長は感じ取るのだった。


 03 転



 青年は憤っていた。

 彼に呼称はない。偉業をなしたわけでも、有名だったわけではない。顔も平凡でどこにでもいるという風格。ただ、彼自身は虐げられる側に近かったというだけ。その上で、暴れまわることに対してなんのためらいもなかった。

 そして彼は王侯貴族を嫌い、今ある世界を憎んでいる。

 なぜなら、全てが嘘だから。世界に築いた秩序は彼らの都合で動いている。彼らは常におのれを正義だと考えている。敵を悪とみなし、それを打ち倒す自分たちを勇者だと宣言する。そうして戦争を仕掛け、侵略することは罪にはならない。その過程でどれだけの命が失われようと、構いやしない。都は繁栄するが、下々の民はボロ衣をまとって生活をする。働くばかりで満足に食うこともできない。行き場を失い、居場所を求めてさまようばかり。そういったものたちを誰が鑑みてくれただろう。

 なにが平和だ。本当にそれを願っている者がどこにいる。誰だって自分の都合のいいように事が進めばいいと考えている。悲劇も、被害も手を出す口実に過ぎないのだろう。

 そうして積み上がった秩序になんの価値がある。勝手に決められたルールを押し付けられる。他人の価値観に染められ、従わざるを得なくなる。

 こんなものはいらない。

 静かに、黒い炎が渦巻くのを感じながら、彼は言う。

 混沌さえあればいい。もうなにもかもめちゃくちゃになってしまえ。

 彼は、それだけを求めていた。

 そしてその名はある出来事がきっかけで、永遠に刻まれることとなる。


 それは、白昼堂々の出来事だった。

 青く煤けた空の下、悠然と建つ王宮に銃声が響き渡る。

 下手人は集団で前面から突破した。警備兵は強引に撃ち殺し、前の二人がアタッカーとなり、銃を乱射する。弾丸は玉座の間に座す二人へと命中した。胸元に赤い花が咲き、ふわりと崩れ落ちる。

「きゃあああ!」

 従者の女が口を覆い、叫んだ。

 銃を構える男たちは肩で息をしながら、まだ残っている者をにらみつける。

 この場にいる誰もを生かすつもりはなかった。

 目に映るものは全て殺したかった。

 血走った目がとがる。

 しかし、彼らはもう撃たなかった。

 背後から衛兵がやってきて、速やかに取り押さえたからだ。


 男たちは牢へ送られる。

 都には厳戒令が敷かれ、王宮は騒然とした。

 なお、市民たちはニュースを読んでも顔色一つ変えず、優雅に紅茶を飲んでいる。

 電波を通して残された王族がなにかを話しているようだが、まるで聞いていなかった。


 一方で、ヒューゲル家の納める帝国で起きた事件は、世界中を震撼させた。

「相手は例の小国? よりにもよってヒューゲル王家に手を出すなんて、取り返しのつかないことをしたと、分かっていないのかしら」

 とある貴族は冷ややかな目で語る。

「なんておいたわしい。テロの犠牲になるとは」

「皇帝の感傷は分かります。これは責任を問わなくてはなりません」

 別々の国でも、高貴な者たちが同じようなことを話す。

 一方で、ヒューゲル家の帝国の議会では、冷静になるよう促しながら、話が進んでいた。

「これは乗ってはならぬ。こらえねばならぬ」

「しかし、ここで見逃せばヒューゲル家の名が廃れます」

 宰相が真面目な顔をして訴えかける。

 近代化が進んでいない以上面目などとうの昔に、潰れている。

 今日にいたってはシュヴァルツに従属するような関係で、大きく出れない。

 それでも、彼らの血には誇りがある。ここを突かれてはもはや他に選択肢はない。


 ヒューゲル王家は宣戦を布告した。

 即座に兵力をそちらへ寄せ、小国を潰しにかかる。

 それは反乱を起こした市民を殺すような感覚だった。

 厄介ではあるが、その一帯だけで終わる。そのように考えていた。

 しかし、それを黙って見ていない国もあった。

「ヒューゲル王家ともあろうもとが下賤な真似をするわね。そちらはかねてより我が国の影響下、これ以上の手出しはさせないわ」

 氷の女王は暗い間にて、その瞳を淡く光らせる。

 そして、彼女は全戦力を戦場へ送り込む。

 それを見たシュヴァルツでも動きがあった。

「ああ? 半島は俺のものだ。俺たちの民族で統一するんだよ」

 氷の国には渡さない。

 その思いを持って、中央国側として参戦する。

 すると今度はグレースが動く。

「シュヴァルツめ、調子に乗りよって。よかろう、次こそ潰してくれる」

 挟み撃ちを避けて、仕掛けてくるのは目に見えている。

 ならば、先に動けばよいという判断だ。

 もっともそれは口実であり、本当は私怨である。

 それは軽率は判断であったが、参戦すると宣言してしまった以上、撤回はできない。

 王国側も和平への外交も頓挫し、なし崩し的に参戦が決定した。

 シュヴァルツを包囲するためだったとはいえ、同盟を組むのは間違っていたかもしれない。

 などと思っても、もはや後の祭りである。


 それでもまだ、気は緩んでいたのだろう。

 最悪の事態は避けられると心の底では思っていた。

 いままでのように綱渡りで、なんとかなると。

 元の秩序に戻せると。

 そして最初は陰から撃ち合うだけの小規模の戦闘が続いた。

 しかし、戦争というものは技術革新を生み出すもので、生まれてくる兵器は日増しに強力になっていく。

 それこそ、エスカレートといっていいレベルであった。

 兵器一発で街が焼き払われる。

 森に逃げこべば木々がなぎ倒される。

 半月も経たずに終わると思われた戦いは、すでに一年を越えようとしている。

 その内砂の国も参加してきて、戦いとなる。

 王国軍は内海を通って、上陸を試みる。

 所詮は死にかけの病院だ。放っておけば潰れるだろう。そう甘く見ていたのだが、腐っても大国。手痛い抵抗に遭った上に、属国からも反発が来る。なんとかして、首輪をつけてはいるものの、抑えきるだけの余裕はない。

 また、そうこうしている内にグレースが白旗を上げた。上半分はシュヴァルツに飲み込まれ、下半分には傀儡政権が樹立する。

 シュヴァルツは王国をも狙っている。海があるとはいえ、その幅は狭い。ボートで渡れるくらいである。

 今にも上陸してくる。そう予感がした。

 そして、政務を取る王宮には、張り詰めたような静けさが降りていた。

「よもやこれまで、でしょうか」

「まだそうと決まったわけじゃないだろ。上陸さえ退ければなんとかなる。いままでだって、そうしてきたじゃねぇか」

 落ち着いた態度で話す女王に、船長は反論する。

 しかし、女王は表情を変えない。

 彼女が希望を持つことはない。

 今は夜。薄暗い間には月の光だけが絹糸のように差し込んでいた。

「これが最後と思わなければ、あなたを呼び出したりなどしません」

 女王は真剣な目をしていた。

 船長も、これはしかと聞かねばならないと気を引き締める。

 その、緊張した空気の中、女王は切り出す。

「この国は海賊国家です。元あった王国を滅ぼし、建てた国が、そう」

 目を伏せ、真実を語る。

 それは、歴史に刻まれた当たり前の事実だ。

 だからなにだと、船長は思う。

 自分の国を悪だと言うのか。だから滅んでも仕方がないと。

 あいにくと、それは間違いだ。

 それを口に出す前に、女王は続きを話す。

「私は、その元あった国の王家。その血を引く者です」

 顔を上げ、まっすぐに船長を見据える。

 たちまち、彼は言葉を失った。

 心臓が穿たれるような感覚があった。

 唐突に告げられた言葉であったのに、それは真実味を帯びているように思えた。

 それは妙な納得感。

 その理由を言語化する術を彼は持たない。

 だけど、直感していたのだ。今から言う話は本当のことだと。

「西側の王族など、皆血で繋がり、親戚のようなもの。古代の話を持ち出されても、現代では意味をなさないのでしょう。しかし、私には名字があります」

 彼女はその名を口にする。

「ウェラス」

 それが隠れていた名字だと。

「私は不義の子なのでしょう。外部の人間の娘を王室と子と偽り、育てられました。王位継承権は五位。本来なら別の方が継ぐはずでした。しかし、女王になるはずのお方は死産と共に崩御。私に席が回ってきたのです。これを天命としてなにといいましょう。それと同時に、次のように思ったのです。私は古の王家の血を引く者。それがようやく女王の座を勝ち取った。こうして得た権力なのです。手放してたまるかと」

 最初はそれだけのために玉座に座っていた。

 自分が女王という資格さえあれば、お飾りでも構わなかった。

「だんだんと大きくなっていく国を見て、愛着が湧きました。自分を崇め、信じてくれる民を見て、彼らの期待を裏切りたくないと思いました」

 淡々と自分の気持ちを口にする。

 船長はそれを静かに聞いている。

「私は、彼らのために国を守りたいのです」

 それが女王にとっての確かな思い。

 今の彼女を突き動かしている想いであった。

 そのことに船長は少し安堵する。彼女の心は民のためにあったのだと。それを聞けてよかったと感じた。だから彼は口元を緩めた。

「だったら俺も付き合おう。なに、元より俺は女王にだけ仕える身だ」

 どうせなら彼女のために死ぬ。

 彼の決意は固かった。

 そして、戦いの時は近づいている。

 もう、王の間にはいられない。

 背を向け、歩き出す。

 女王はほのかに笑み、眉を垂らす。

 それから彼はふと、足を止める。

「一つだけ伝えておく。この国の歴史はめちゃくちゃだ。罪は伝えられ、敗者は悪魔のように罵られる。それは、民も同じだ。でも、この国には栄光がある。世界の四分の一を収めた世界帝国。その富を集積し、技術で支配した国。それは伝説になるだろうな」

 光があれば影もある。

 数え切れない罪を犯しても、それでも得たものはある。

 成した事もある。

 それだけは覆せない輝きだ。

「そして、自分の国がどれだけの悪でも、兵士は王国のために戦うだろうよ」

 その心までは否定できない。

 誰も死にゆく人を責めたりなどしないだろう。

 それだけが女王にとっての希望になる。

 そしてそれはある意味の遺言だった。

 しかし、とうの本人は自分が負けるとは考えていない。勝たなければ国が滅ぶと分かっているのだから、勝つしかない。

 彼の心は奮い立つ。

 拳を握りしめながら進む。

 王宮を抜け、軍港へ。

 そして船は海へと旅立った。


 その日の空は曖昧な雲に覆われていた。

 すぐにでも降り出しそうという雰囲気ではない。

 かといって晴れる兆候はない。

 不穏な気配は続いている。

 その中で軍艦は敵を待つ。

 そこへ敵船が近づく。黒地に鷹が描かれた旗はシュヴァルツのものだ。これまで何隻もの船を沈めてきたのだろう。それほどまでに無骨。傷すらなく、艶がある外観。戦いが終わったら永久に保存しておきたいと思うほどだ。惜しむらくはこれを破壊しなければならないということ。

 なにはともあれ、会敵してしまった以上、戦うよりほかない。

「撃て」

 腕を出し、指示を出す。

 いくつかの砲台から弾丸が発射される。

 それは周りの船を吹き飛ばす。

 まさしく弾幕のような、弾の嵐。

 外側の船が剥がれると、本命の船がやってくる。

 船長はそれを引き締まった顔で見据える。

 戦況はこちらが有利だ。まずは落ち着いて対処をすべき。

「囲んで倒すぞ」

 船を動かし、撃破していく。

 ここまですれば相手も諦めるだろう。

 そう思ったのだが、なかなか戦気が落ちない。

 そればかりか弾丸のごとく突っ込んでくる。

 それはまさしく狂気だった。

 本当に上陸し、王国を滅ぼす気でいるのだ。

 それを感じ取り、瞳が揺れる。

 しかし、だからといって引くわけにはいかない。

 相手が本気で本国を滅ぼしに掛かるというのなら、全力を掛けて追い返すべきだ。それこそ、全兵力を結集しても構わない。

 絶対にここで駆逐する。

 その意思を持って、砲弾を放つ。

 全滅はできるはずだった。

 何隻持ってこようと、彼が指揮する艦隊には敵わない。

 いくら相手が攻めてこようと、もはや無意味に散っていくだけだ。

 そう思われたとき、急に別艦隊の通信が途絶えた。

 瞬間、空気が震えたのを感じた。

 一気に場が冷え、空はさらに暗雲と曇る。

 ゆっくりと顔を上げ、見据えると、大波が押し寄せていた。

 艦隊は押し流され、幕を引くように沈んでいく。

 ちょうど目の前を嵐が通過していく。それは通り雨よりももっと狭い範囲を、一線するかのように、横切ったのだ。

 船長は定めを感じた。

 体から力が抜ける。

 他の艦隊はすでにない。

 代わりに敵は別の船を呼び、周囲を囲む。

 逃げ場はなく、味方もない。彼は完全に孤立していた。

「なるほど、そういうことか」

 乾いた笑いをしながら、納得する。

 西の国との海戦で力を借りた海神が、あちらに味方をした。

 それがなにを意味するのか、彼は知っている。

 だから、これは運命なのだろう。

 どうあがいても自分はここで散るしかないと。

 それでも、ただで死ぬつもりはない。

「ちょうどいい。共に沈め」

 力強い目で指示を出す。

 そして彼に従い、部下たちは黙って砲弾を放つ。

 同じタイミングで、敵船も攻撃を繰り出す。

 四方から放たれた砲弾。

 それが命中するのを感じる。

 甲板が揺れ、体制を崩す間もなく、世界が傾く。

 上を見上げ、彼は皮肉げに笑う。

「ああ、まったく――海洋国家が陸に出るんじゃなかったな」

 その言葉もろとも彼の体は海の底へと沈んでいった。


 それから間もなくして、王宮は異様な雰囲気に包まれていた。

 照明はつかず、あたりは薄暗い。

 そのことすら気にならないほどに、その場に集う者には余裕がなかった。

「なんですって。そんなことはありえません。彼に限って、そんなこと」

 汗をかき、瞳を震わしながら、女王は言葉をつむぐ。

 落ち着いて否定しているようで、そのこと自体が彼女の動揺を示している。

「いいえ、敗れたのです。別働隊は確実に上陸してきます。我らで敵を迎え撃たねばなりません」

「なにか、別の戦力にあてはありませんか?」

 すがる思いで呼びかける。

 側近は首を横に振った。

「グレースは敵側に沈み、氷の国も内部のゴタゴタで手出しができません」

 つまり、孤立したということだ。

 しかも、島。

 逃げ場などない。

 女王はぞっとした。背中に悪寒が走るのが分かった。

「あなたはあくまで女王です。今ならばウェヌスと名乗ることもできましょう」

 そうすれば責任から降りることができる。

 自分はこの海賊国家の末裔ではないのだと。

 けれども、それはただのごまかしだ。女王として君臨してきたのは自分。議会が動けども決定権は常に自分にあった。

「いいえ、私は女帝です」

 そのために王位を得たのだ。

 そのためだけに生きてきたのだ。

 まっすぐに側近の顔を見上げる。

 凛とした瞳にはまばゆい光が溢れた。

 彼女の意思を否定できる者はいなかった。それが彼女を破滅に導くとしても、逃げろといえるものはいない。

 たとえ裏口から亡命できたとしても、自分の国を見捨てて逃げる王がどこにいる。

 だから自分はこの国に残る。

 最期を共にするのだ。

 そう、誓いを立てたとき、ガラガラと大きな音が鳴り響いた。

 はっとなって、顔を上げる。

 見ると宮殿の窓ガラスが全て割れていた。

 そして扉が蹴破られ、武器を持った者たちがなだれ込んでくる。

 その装備は見慣れないものだった。シュヴァルツのものでも、国軍のものではない。

「何者だ?」

 呼びかけたところで、女王が息を呑む。

 敵兵にぽつぽつと見える赤髪に、見覚えがあったからだ。

「まさか……」

 震える声。

 口を覆い、固まる。

「そうだ、我らこそが山脈の向こうに追いやられたウェラスの民! 今度こそ、その王位を奪還しに参った」

 彼らは声を揃えて言い放つ。

 それは合唱のように迫力があった。

 敵兵がずらりと並び、武器を構える。

 瞬間、女王の脳裏をよぎったのは、古の伝説だった。

 いわく、この島には王がいた。誰にも抜けぬはずの剣を引き抜き、島を総べた。

 そして、目の前で敵兵は告げる。

「あの伝説は我らのものだ。それを取り返しに来た」

 その言葉には正当性があった。

 この革命にも、おかしくはない。

 だから、ああ――と。

 これこそが宿命だったのだろう。

 すとんと胸に、納得感が降りる。

 雪が降るような静けさの中、四方から武器が突きつけられる。

 側近たちは動けない。完全に囲まれている。

 その中で女王は、ここでおのれの終わりだと理解し、目を閉じた。


 03 結


 真っ暗な中に日の光だけが斜めストライプのように差す部屋の中、軍服を着た男が巻物を持って、駆け込んでくる。

「シュヴァルツより伝令です」

「ああ、そう。行ける時に行くと伝えておけ」

 デスクに肘掛けながら、この場で最も偉そうな男が言う。

 彼は見るからに投げやりで、やる気がない。

 対して伝令を持ってきた者は、困ったように目を動かす。

「それが、帝国が崩壊したようで……」

 ひどく信じられないという顔で、口にする。

「なに?」

 男は一気に姿勢を正し、相手を真剣な目で見据えた。

「情報は錯綜し詳細は掴めなませんが、どうやら首都で暴動が起きたようで。水兵たちが広場に押し寄せ、反乱を起こし」

 現場の様子がありありと伝わってくる。

 それは人の群れ。

 怒りと悲嘆の声。

 渦のような感情に押し流され、帝国は崩壊した。

「王国や氷の国も同じく。そして中央国家もバラバラになりました」

「革命か。いいじゃないか。好都合だ。それで戦いが終わるんだろう。こうしてのらりくらりかわしていたかいがあったじゃないか」

 満足げに男は笑う。

「しかし、長らく続いた戦争の結末がこれか。誰も得をしなかったな。全く、やつらはなんのために戦ってきたのやら」

 呆れたようにこぼしつつ、思いっきり伸びをする。

「まあ、それを言ったら俺たちも同じだが。戦いを収めるために街を焼いて、上から爆弾を投げまくっておきながら、始まる前と後でなに一つ変わらなかったのだからな」

 変わったことといえば自身が総統になったことか。

 その気になれば独裁はできるが、今は適当に国を運営しよう。

 いままで通りのらりくらりとやっていけばいい。

 遠い目をしつつ、男は一日を終えようとしていた。


 そして、それはほとんど同時刻。

 氷の国の首都、雪の降り積もる王宮は、暴徒によって包囲されていた。

「覚悟をしろ。お前が憎しみのために我らを虐げるというのなら、こちらもその恨みを晴らす権利がある」

「ハ。なにを言い出すか。復讐を成したところで、堕ちるだけよ。そんなことをしてなにになるの?」

 白々しく、女王は笑う。

「ああ、そうだ。復讐ならば、そうなる。ならば、断罪はどうだ?」

 淡々と、兵は告げる。

 瞬間、場の空気が凍った。

 ピタッと体が硬直する。

 さながら巣にかかった蜘蛛のように。

 そして、その首元には鋭い刃を突きつけられる。

 女王はいつの間にか四方を敵に囲まれていた。

 彼女は瞠目し張り詰めた顔をしながらも、なにもできない。

 懐まで攻め込まれた以上、どうすることもできないのだ。

「お前は悪だ。地獄へ落ちろ。それで全ては救われる!」

 大きく口を開け、叫ぶ。

 瞬間、刃が振り下ろされる。

「待って。やめて。私はいままで……」

 手を伸ばし、祈るように訴えかける。

「戦いを長引かけてきたのは誰だ。戦費は誰の血から賄われる。その罪を償うときが来たのだ」

 男の声に温度はない。

 女王の顔に絶望が広がる。

「やめて!」

 懇願の声が出る。

 けれどもそれは誰にも届かない。

 直後に鮮血が飛ぶ音が響いた。

 そのことに感傷を抱く者は王宮には残っていなかった。


 同じころ、薄暗い寝室にて。

「私に、政務を……この帝国を」

 ベッドの上で王はわめきごとを吐く。

 彼はすでに病床の身。

 熱は高く、意識すら定まらない。

 身体は痩せ細り、今や全盛期の威厳はない。

 そんな彼に向かってスーツ姿の女は冷徹に告げる。

「いいえ、その必要はありません」

 帝国は形を失い、皇帝は去る。

 それを知らせれ彼は目を大きく見開いた。

「ああ、なんという。かつての大帝国の終わりがこんなにも、あっけない……」

 嘆きの声が落ちて、消える。

 さめざめと失った夢を探すように、皇帝は沈んでいく。

 対して秘書であったはずの女は顔色一つ変えない。

 この結末をただ事務的に受け入れるだけであった。


 帝国の崩壊をもって戦いは終わった。

 兵士たちは武器を下ろし、ぼうぜんと空を見上げる。

 僻所ではなおも小競り合いは続いていたが、他の者はもはや戦う気はなかった。

 突然の終戦、唐突の打ち切り。

 どの都も混乱に陥った。

 市民たちは物資を巡って争い、あちこちを走り回っている。

 その中で、国民へ向かってあるスピーチが伝わった。

「かくして島は我らの手によって取り戻された。しかし、我々はこの地には君臨しない。王権はかの伝説の王へ返却しよう。そう、宣言する」

 厳正な声だった。

 誠実で、落ち着いた言葉がスピーカーを通して、皆に伝わる。

 民衆は虚空を見上げ、耳を傾けた。

「私はあくまで議会の長だ。これより、王政の廃止を宣言する」

 それは一方的な突き放しを含んだものだ。

 いままで王政に満足していた民衆はたちまち動揺した。

「スカーレット様は、かの女王はいずこに?」

 かつての王宮に、ロングヘアの女性が走り寄る。

 彼女はすがりつくように呼びかけ、前のめりになった。

 そんな彼女を衛兵ががっしりと取り押さえる。

「離してください。彼女はどうなったのですか?」

 髪を振り乱しながら、問いかける。

 顔を上げ、潤んだ瞳を向けた。

 彼女の顔は怒りと悲嘆に染まっている。

 けれども衛兵は無表情のままだった。彼らはまるで機械のように女を見据えるだけ。

 そんな彼女のそばである集団の掛け声が迫る。

「新政府、ばんざい!」

「王政打倒を祝して」

「ばんざい」

「ばんざい」

「ばんざい」

 歓喜の声が広がる。

 ぼうぜんとそれを見つめる。

 女性は体から力が抜けて、倒れ込みそうになる。

「さあ、去れ」

 背中に冷たい声が掛かる。

 女はうつむき、奥歯を噛み締めた。

「はい……」

 ぽつりとつぶやき、歩き出す。

 彼女はとぼとぼと帰っていった。

 そんな片隅での出来事はさておき、大通りのカフェではニュースを手に、貴族たちがスコーンをかじっている。

「あの女王が退位されるとは、なんともはや」

「誰がこの国を育て上げたと思っているのか」

「これはただの王位簒奪者だ。王がいなければいいとでも思っているのか」

 グチグチと声が聞こえる。

 されども、新政府の支持者の耳には届かない。

 彼らは胸を張って都を闊歩する。

 後日、新政府樹立を期してパレードが開かれるとのこと。

 反対意見や不満は封殺される。

 時代の流れには誰も逆らえない。

 誰も彼もが受け入れるしかなかった。

 機械と向き合い続ける平民も、畑を耕す農民も、立派なドレスをまとう貴族も。

 皆はただ、唖然としながら彼方を見据え続けた。


 一方、負けたはずのグレースは、大戦でどの国も勝たなかったことにより、負けなかったこととなり、平然と国としての活動を再会した。

 今日も花の都ではいつも通りの日々が始まる。

 街は人であふれ、にぎわっていた。

 その大きな通りで爆発が起きる。

 観光客も含めて、人々が焼けながら、這い出てくる。

 かしこで悲鳴が上がったり、それを傍観したり。

 隣のレストランでも、他人事のようにその出来事の話をしている客もいた。

「なに?」

「テロだってさ」

 オリーブオイルのかかったソテーを切りながら、話をする。

「黒の大陸のだろ? あいつら恩を仇で返しやがって。誰がインフラ整えてやったと思ってるんだ」

「まあ、いつかは手放さなきゃならなかっただろ。というか、整備するだけ無駄だし。投資したって返ってこないわ、赤字経営だわ」

 男は盛大にため息をつく。

「王国に追いつこうとしたのはよかったけど、空回りしてたよな」

「うん。あれだったら有益な場所を狙ったほうがよかった」

 結果的に勝ちだったにも関わらず、反省会を始める二人。

 それから流れるように別の話に切り替わる。

「そういえば氷の国はどうなった? 女王が処刑されてからとんと話を聞かないな」

「情報統制敷かれてるんだよ。革命軍が政権奪取した結果、もともとやべぇ国がもっとやべぇ国になった。氷から鉄だよ」

 ひぇぇと怪談を語るように、話し手は震える。

「噂ばかりで内情は伺えしれんが、これだけは確かだ。やつら、またとんでもねぇ兵器を開発したらしい」

「まじかよ。あいつらの庭場はただでさえ治安が悪いのに」

 氷の国と王国が接触し合ったゾーンは、政情不安が続いている。

 内海に面した半島は火薬庫が爆発し切り、盛大な内乱の果てに小さな国に分裂したという。

 今では国境線が定まったが、世界ではいまだに明確な線を引かれずに争い続けている国家もある。

「というか飯が悪くなるな、この話題」

「そうだな、やめよう」

 すっかりナイフとフォークを止めていた二人。

 急にうんざりとした表情となり、無言で食事を再開する。

 それっきり、その席には沈黙が流れ続けた。


 それから、十年が経った。

 くすんだ色をした王宮では、議員たちが集まり、並んでいる。

 中央の立派な椅子には議長が座し、会議を仕切る。

 面々は昔とは様変わりしている。髪も瞳の色も違う。同じ顔がいないくらいだ。

 それなのに、議題は数十年前と変わらない。

「かの国との関係の修復を求め、ここで議題を」

「砂の国より西の領域ではいまだ争いが耐えない。この件についてなにかご考えを」

「次なる税は」

「テロ対策を」

「いいや、鼠がうるさい。議会はここまでとしよう」

 そんな唐突な宣言を持って、一旦の解散を迎え、議員たちはばらばらとなった。

 終戦後、政府はまるごと転換した。

 かつては世界帝国を築いた国も、今ではただの島国だ。それでも金融や綿製品は生きているため富は集まるのだが、超大国の地位は陥落した。貴族は落ちぶれ、土地や調度品を売る日々が続く。

 平民たちはレシートとにらみ合い、苦々しい顔をしつつ、生活をしている。

 いちおう帝国と今の国は別物だ。生まれ変わったというべき代物だが、帝国時代の栄光は遺産として消費している。くわえて、各地に散りばめた火種まで継承し、議員は頭を抱える日々だ。

 かつて帝国が領土とした場所には、新たな国が設立させる。いくつかの国はそこからさらに分裂したが、西側の大陸はきれいに真っ二つに分かれたまま、今日まで友好的な関係を築いている。

 かつて七つの海を結びつけ君臨した女王はいない。しかし、帝国の継承国は繁栄を続けている。都は近代的に整い、文化的な建物が並び建つ。昼間はカメラを手にした異国の人であふれ、オフィスにも肌色の異なる人間が混じっている。製品は日々消費され、廃棄される。ゴミ箱には山のような残飯が押し込められ、蓋を閉められ、封じられる。

 夕方には家族と共に温かなシチューを飲み、夜になれば毛布にくるんで眠る。朝に目が覚めることが当たり前のように、ぐっすりと。

 その彼方の地では絶えず銃声が響き渡る。荒れた土地では雑草を掴み、ご馳走のように食べる。傍らを濁った川が流れ、子供はバケツいっぱいにそれを汲み、運んでいく。

 都会の人にとって戦争は遠い昔の話だ。

 大戦などとっくに終わったものと考えている。

 だから、ニュースで淡々と伝えられる情報を聞き流し、笑顔で友達や家族と向き合い、昼を謳歌する。

 しかし、世界で起きている戦いは、大戦の残滓だ。戦争はまだ続いている。

 そこへ、ある少女が歩く。彼女は広場を通り、ニュースを読みふけっていた。

「どうして世界は平和にならないのかしら」

 不意に顔を上げ、つぶやく。

 眉を寄せ、無垢な顔をして。



 各地の情報は、遠く離れた国にも届く。

 それこそ四方を海に囲まれた孤島にも。

 そこには森と平原しかなかった。人の気配はない。動物すらもいない。ただ海辺には一軒の小屋がある。それはかろうじて住めそうなくらいに狭く、貧相だった。

 庭にはわずかながらに花を植えてある。

 そしてその手前にある女性が腰掛けていた。目元は優しげで、くすんでなお美しさがにじみ出ている。服は昔の農民のような単で、その背には赤髪が揺れている。

「世界は変わっていくようで、変わらないのね」

 顔を上げる。

 彼方を見つめれば、くすんだ空。

 その脳裏には十年以上前の記憶が蘇る。

 あの日、王宮を攻め込まれて敗北を悟った。山脈の外から来た反乱軍に城を落とされ、死ぬものかと。

 しかし、彼らは女王を生かした。代わりに彼女は島流しとなり、ここで罰を受けている。

 氷の女王のように無惨に殺さなかったのは同族への慈悲か、それとも、世界の様を見せつけたほうが罪と思ったのか。

 確かにあれで終わればきれいだった。滅びる帝国も、薄れていく栄光も見ずに済んだ。そしてなにより世界に撒いた火種が、おのれの罪を思い出させてくる。

 それでも、皮肉だと思う。帝国は滅びても、継承国は繁栄を続けた。大国はいつまでも大国だ。

 そして、女王の座を降り、肩の荷がすっかり下りてしまった。かつての責任も世界を統べる権力も、彼女にはない。それを時々思いだし、時代に取り残された気になる。

 けれども、その過去すらも今となってはむなしいだけだ。

 確かに彼女は女帝だった。世界の四分の一を総べた女だ。

 しかし、反乱軍の赤髪を思い出す度、胸が締め付けられる思いに駆られる。

 彼女の祖は古の国。女帝にこそなれど、もはや島には戻れない。彼女は全てを手に入れたが、本当にほしいものは得られなかった。戴冠式に使うカーテナは今や宝物庫の奥深くに封じられている。

 そして頭を離れないのが、自分に仕えた船長。

 彼は海に沈んだが、敵国は上陸を果たさなかった。彼がいなければ反乱が成功したとしても、あの島は国として成立していなかっただろう。

 お礼を言いたい。

 感謝の気持ちを伝えたい。

 国を守ってくれてありがとうと。

 その声は誰にも届かない。

 会うことはないと分かる。

 だから、あの別れが深く胸に沁みるのだ。

 悔いても仕方がないとはいえ、孤島に残る自分には、そうすることしかできない。

 過去の人間は追憶に浸ることしか許されない。

 女王にとってはあの男だけが心残りでならなかった。


 結局、船長の死体は上がらなかった。

 海峡にはいくつもの探索隊が出されたが、なにも得られなかった。

 それでも彼の伝説は語り継がれる。

 あるときは誇張されまたあるときは改変され。

 広場で詩人が歌を吟じ、子どもたちが笑顔でその内容を語り合う。

 それは創作の中の出来事のようだった。

 本当にそんな出来事があったのか。

 作り話ではないか。

 けれども、国が滅びなかったことだけが確かであり、それこそがかの船長が遺した功績だ。

 そしてその海辺には墓が掘られている。

 棺は空っぽだ。

 拾う骨すらない。

 そんな墓の前に一人の少女が立ち寄る。

 彼女はおもむろにポピーの花を一輪備え、姿勢を正して、去っていった。

 その背景に飛沫の音が迫る。

 風が吹けば海の香りがする。

 浜辺に波が打ち寄せては返っていく。

 足跡は消え、またなめらかな砂に戻る。

 後には潮騒が残るのみだった。




第一幕 非合法のやり方でトップに躍り出る。 (アルマダ・スペイン)

国家総出で海賊。他国の積み荷を奪いまくる。

当時の強国を撃破(海の神が味方した)することで、明暗を分ける。

そのとき、海賊の長を海軍に入れる。

第二章 幻の島。 (フランス)

主人公の故郷にあるとされる島を目指す。

異界にあるらしい。

扉を開くのに必要な宝珠を得るために略奪と侵略をする。

他国との競争を制してそちらへ赴く。

冒険を終わらせ、特別な技術を手に入れる。

その製品はやがて他国にもめぐる。

第三幕 大戦

市場を稼ぐために領土を広げる。

他国もそれに乗っかる。

大陸の強国とのグレートゲーム。

他国が強くなりだして覇権の維持が難しくなる。と、極東と対等な同盟を結ぶ。

競い合いが激化し、大戦に発展。

属州での反乱。

防衛戦の海戦で海の神が味方せず沈没。海洋帝国が陸に上がるんじゃなかったなと思いつつ、笑って逝く。

女王は原住民に近いポジションだったが、女帝として生きる道を選び、城を落とされて死ぬ。死体は見つからず。彼女は裏切り者として死んだ。

後の島には元あった国が復活。属州は解放される。

超大陸は地上から消えた。


 *


 因果応報、皮肉を意識する。すっきりとは終わらない。

赤髪の女王:先祖が反乱軍を指揮した女王。赤髪を持つ。先祖返り。処女。島流しにされて終わる。二度と島へ戻れないのが罪となる。(氷の女王が悲惨な終わり方なので、対比にする)世界を統べる王となったが、本当になりたいものにはなれなかった。(彼女は確かに元の島の王族ではあったが、世界帝国の長になることを選んだ)

島側:赤髪の女王を排斥し、自らの国を取り戻す。大戦でめちゃくちゃになった島で、山脈に隔てられた空間(追いやられた地域)だけは無事だった。

氷の女王:反乱分子を抑圧する。復讐のために王となり、殺した(憎しみに支配された者が民間人にまで手を出し、殺すから)、攻撃をしてきた者は容赦なく殺した。それで反撃する意思すら奪った。本当は皆殺しにすべきだった。だが、憎しみのために生かさず殺さずを保った。その影響で反乱軍を生かしてしまい、最終的には殺される。そのことに関して、復讐を為したいのなら全員残らず殺せばよかった。統べようとしたのが間違いだと指摘される。


 弱いから善良だ、強いから横暴だ。そんなものは判官贔屓に過ぎない。我が国がそれを証明している。我が国は資源が乏しく、いつ外敵に飲み込まれてもおかしくない場所だった。現に何度も侵略の憂き目に遭っている。だからこそだ。強くなるためにすべてを蹂躙するしかなかった。それが、この世界の端の田舎国が覇権を握った方法だ。


 大戦は氷の女王側から仕掛けた。後に引けなくなってじりじりと長引く。暗殺すれば終わらせられるのではないかと思い、反乱。



 *


 起:他国の積荷を略奪している男がいる。女王の軍と出会って激突。後に女王本人がやってきて自分と契約を結ばないかと持ちかける。面白いと感じて政府公認の海賊となる。

 承:海を渡る。航海を乗り越えて、略奪して回る。順風満帆。そんなときに本国から呼び出される。西国との小競り合い。攻められそうになっているとのこと。半分自業自得だけど、助けに行く。いざ、海戦。

 転:相手は最強の艦隊。追い詰められる。そこへ海賊の船が到着。一気に船を沈めていく。くわえて、嵐まで吹き荒れる。逃げていく船まで沈んでいった。辛勝とはいえ、勝利は勝利。都では祭りが開かれた。

 結:褒美としてナイトの位を授かる。覇者を倒し、国は着々と成長をはじめていた。


 起:大航海時代が始まってしばらく。新しい島を発見。伝説にある島を目指して船は進む。実はその島は故郷であると判明。正確にはそんな記憶はない。魂の故郷というもの。それを聞いて、女王は「え?」という反応を見せる。ともかく行きたいから自分に頼まれてくれないかと言い出す。とりあえず了承。送り出す。

 起:島は間違いなく異界にある。情報収集しつつ行くと、落とした海賊が秘宝を持っていた。実際に島のある場所へ行って見ると、島自体はないが、なにか光が差し込んでカーテンのようになっていた。立っていると扉が開き、中へ船を漕ぎ出し突入する。

 承:上陸するも島にはなにもない。人間の影すらない。ただ遺構だけがそこに残っている。探索しようとしたところ、陸軍がやってくる。そいつらと奪い合うこととなる。

 転:戦いを征して、島の支配権を手に入れる。無論、財宝や材質なども彼らのものとなる。

 結:荷物を持って、元の世界へ戻ってくる。新しい物質を使った製品が流行り出す。燃料革命が起きて、列車が島を走り出した。


 起:版図を拡大。市場を増やすための領土を広げる。他国とのにらみ合いが続いていた。

 承:世界の四分の一を統べる超大国。世界の管理を続ける。反乱を沈めたり、均衡を保ったり。南下政策を続ける大陸国との衝突。同盟関係の形成。だが、利害は対立。半島全域が火薬庫。その時点で自分たちは国ではなく世界を運営しているのだと気付かされた。

 転:大戦に突入。優位性は崩れる。最後に伝説の国の一族の血を引く者だと伝える。女王として立ち続けることを選び、互いに別れを交わす。

 結:四方を囲まれ、船が沈む。内部(山を越えた先にある地区)から反乱され、捕らえられた。島流しに遭った先で寂しく生涯を終える。島国にはついぞ王は誕生しなかった。そして、自分はすべてを手に入れたが(国の最大版図)、本当にほしかったものは得られなかったと回想する。



 王家になった経緯は名誉革命と同じ。

 王政を打倒してから再び、王政に戻す。そのために血の繋がりのある家からよこした。

 女王誕生。その過程で父から教えてもらう。自分の名字はウェラスだと。隠し通すはずだったもの。それを伝えられた意味を悟り、王を目指す。

 そして勝ち取るも、法によって権力は制限される。あくまで政治を司るのは議会だと。それでも構わないから君臨することを選んだ。

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