彼なりの復讐劇

都市


★世界観説明・ルール


 王朝はクーデターによって滅び、敷かれた秩序は消失した。

 今ではアウトローたちがのさばる無法地帯。

 強者のみが自由を手に入れ、弱者は虐げられる。

 欲しいものがあるのなら殺してでも手に入れろ。

 それをモットーに人々は生きる。

 この世界に法はない。

 ただ黒魔術という存在だけは禁忌で、それを扱うには対価が必要であることだけは、皆が知っていた。


★独自の法


 ルールがないなら作ればいい。

 都市ではリーダーが現れ、彼ら独自の法を築く。

 彼らは悪を裁き、その格に応じた額を受け取って、生活をしていた。

 その連合組合――ギルドに青年たちは所属し、救世主と呼び慕われている男と組んで、活動をしていた。


 国家が崩壊してからというもの、どこの都市もこの有様である。

 さっさと新たに王を備え付けて法をしけばよいのに、どこもかしこも反乱だらけ。

 トップに立とうものなら、またたく間に潰され、下ろされる。

 そんなものだから治安が安定しない。


 だからこうして彼らのような討伐隊が治安を守るよう、努めている。

 もっとも、悪人を捕らえて処刑したところで、それは私刑に過ぎない。

 自分たちの行いは正しくないのだ。

 決して間違ったことではないはずなのに。

 その矛盾が常に胸にさいなんでいた。


★復讐達成


「うるせぇんだよ。この世に法はねぇ。だったらなにをやったって自由じゃねぇか! 強い者が勝つんだ。弱者はおとなしく地べたを這いつくばってな」

 盗賊が大声を出す。

 彼はナイフを片手に挑みかかってきた。

「ああ」

 彼の台詞を肯定しつつ、こちらも剣を抜く。

「強さこそが正義。だからこそ、こっちもこっちの正義を押し付ける」

 刃がひらめく。

 一閃。

 刹那、盗賊が倒れる。

 なにが起きたのか分からないまま。

 血を流し。

 バタリと。

 眼を丸くして。

「お前が言ったことだ。強い者が勝つと。悪が世界を支配するなら、それを倒す者が世界を塗り替えたっていいはずだ」

 そう冷たく言い放つ。

 その言葉は果たして聞こえているか否か。

 どちらでもいい。

 とかくこの世は治安が悪い。

 どこもかしこも戦いばかり。

 血が流れてばかりいる。


 まさしく乱世。

 だが、これが定め。

 受け入れるよりあるまい。



 倒れた男をよく見ると、見覚えがあった。



 一瞬、かつての記憶が蘇る。


 過去に倒した敵がした。

 彼は昔、人を殺せなかった。

 止めを刺すのが怖くて撃退するに止めた。

 すると、それは次の殺しをした。


 家に帰ると死体があった。

 床には血が広がっている。


 どさりとカバンが落ちる。

 体から力が抜けて、崩れ落ちそうになった。


 後に知ったのだ。

 父と母を殺した犯人は、自分が取り逃がした男だったのだと。

 彼は悟った。

 自分のせいで両親が死んだ。

 自分が甘かったばかりに。


 以来、青年は甘さを捨て去った。

 どのような敵に対しても容赦なく立ち向かい、殺し、止めを刺すようになる。

 そうして彼は修羅に落ちていったのだった。



 そして、目の前に転がっているのは、おのれの両親を奪った敵。

 そのほくろと傷を見れば、一目瞭然。

 つまり、仇を討ったことになる。

 だけど、今さら感慨は浮かばない。

 喜べばいいのか、満たされればよいのか。

 思いがけない展開。

 心は虚無に染まっている。

 どのような反応をすればよいか分からぬまま、青年は立ち尽くした。


 忘れたことはなかった。

 できるのなら殺すべきだし、決着はつけるべきだと考えていた。

 だけど、真なる仇は自分自身だ。

 自分のせいで両親は死んだようなもの。

 だからこそ、この結末はすっきりとはしなかった。





 息の根は止まっている。

 それを確認してから、静かに刃を治めて、屍に背を向ける。

 もう目の前の男に用はなかった。



★ヒーロー


「きゃあああ!」

 少女が悲鳴を上げる。

 彼女は路地裏で縮こまり、泣き出しそうになっていた。

 そこへ襲いかかるのは薄汚い男たち。

 彼らは今まさに少女をくらわんとしていた。

「おっと、失礼」

 そのとき和やかな声がした。

 この暗い場にはふさわしくないほどに爽やかに軽いノリで。

「なんだ?」

 男が振り返る。

 瞬間、殴られ、飛ばされた。

「やあ、助けに来たよ」

 少女は目をパチパチと瞬かせながら、相手を見上げた。

 彼は優しく笑いかける。

 実にさっぱりとした雰囲気の男だった。


「なにかお礼を」

 助けられた若い女性。

 誠意を持って彼を見上げた。

 けれども青年はそれを払いのける。

「必要ないさ。なにかを得るためにあなたを助けたわけではない。私はただ、そうしたかっただけなのだから」

 そうまっとうに告げる。

 途端に女は固まった。

 まだなにか言いたりない。

 そんな態度。

 そのもどかしい空気を振り払うように男は歩き出した。

 彼もそこに続く。


 夕日を背に女はそこに残された。


 彼には欲がない。

 ただ自分がやりたいから人を助けている。

 無償で。


 彼のようなあり方は自分とは違う。

 こちらはただ憎しみを晴らしているだけだ。


 彼と比べると恥ずかしく思えてくる。

 それでも、仕方がないのだ。

 自分はただ殺したい。

 それだけでしか剣を振るえない。


 守るためだなんて。

 そんなことはできない。


ヒーローについて


★命の恩人


 最初の出会いはある雪の多い地方だった。

 息を荒げて彼は白銀の世界を歩いていた。

 血に濡れた体を引きずって、ただ救いを求めて。


 復讐のために悪を斬りつけ続けた日々だった。

 彼は強かったけれど、無敵ではない。

 悪を追い詰め深追いして、手痛い反撃を食らった。

 そのときは無事に仕留められたけれど、傷は深い。


 治癒の魔法は使えないし、包帯を巻いたのはいいものの、体力は消耗するばかり。

 せめてどこか休めるところはないかと探し、歩いて。

 そうしている内に力尽きる。

 ばったりと倒れて。


 そんな彼の元に影が迫る。

 足音も立てずに静かに。


「君、大丈夫?」

 上から声がかかる。

 青年は顔を上げる。

 目が合った。

 爽やかな外見をした男がそこにいた。


 彼は黙って手のひらを青年にかざす。

 その内まばゆい光が溢れ出し。

 いつの間にか、痛みが消え、楽になっていた。

 またたく間に傷が癒えていた。

 わけが分からないまま。


「よかった。大したことはなかったみたいだ」

 そう晴れやかに笑う。

 屈託もなかった。


 その日、彼は礼を求めなかった。

 こちらが無言でいても、なにも。

 そうしてあの日の出来事に関してなにもないまま、日々は流れていった。


★最初のやり取り


 事情を話すと、相手はかすかに眉を曇らせた。

「君の気持ちは分かるよ。俺だって悪を許せない。だからといって君が同じところまで堕ちる必要はないんだよ」

「関係ない。俺にはこうするしかないんだ」

 彼の意見をはねのける。

 自分は復讐のために生きてきた。

 それができるのならばどれほど汚れても構わない。

 どのような結末でも受け入れるつもりだ。

 だから今はただ、この心を埋め尽くす怒りを払いたくて仕方がなかった。

 そこになんの意味がないと分かっていながら。

 彼はいまだに前世の感情に支配されている。


★立ち位置 尊敬


 彼が愚痴を吐いているところを見たことがない。

 彼は皆から慕われ、憧れの感情を向けられていた。


★土産


 ある日、ヒーローは久しぶりに職場に戻ってきた。

「ああ、そうだ。この間、買ってきたんだ。みんなで食べるといいさ」

 男は箱を取り出し、机に上げる。

 すると皆は飴に群がる蟻のように、そちらに集まった。

 箱を開けるとそこには菓子が入っていた。

「おおー!」

 皆で盛り上がり、袋を開ける。

 その様子を尻目に彼は基地を出ていった。



★慰め


 敵を斜めに切り裂いた。

 相手はあっけなく倒れた。

 流れた血が飛び散り、床を汚した。

 ひとまず剣を収めて、振り返る。

 被害者の無事を確かめるために。

 けれどもそれは部屋の隅で固まって、震えていた。

 瞳が揺れ動く。

 顔は青ざめ、唇がプルプルと動いていた。

 その様を見て、彼は悟る。

 今の自分は彼らにとって、シリアルキラーよりも恐ろしいものなのだと。

 所詮は人殺し。

 どのような理由があっても、殺しは殺し。

 そんなものだ。

 受け入れていたつもりだった。


 その日は黙って現場から立ち去った。

 彼はとりあえず窓の外を眺めて過ごす。

 空は曇っている。

 気持ちも同じくすっきりとしない。


 自分はこのままでいいのか。

 こんなことをしていて、なんの意味があるのか。

 うっかり、仇を殺してしまった。

 復讐なんて意味はないのに。


 様々な思考が頭を巡った。

 それはとりとめもなく、解答を求めても、どうしようもないものだった。


 無意味に時間が流れていく。 

 そんなある日、ふと思い立って、酒場へ行った。

 店の中に入って、カウンターの席に座る。

「やあ」

 そこには相棒がいた。

 珍しく、酒を飲んでいる。

「最近は君の活躍を聞かないけど」

「別に。俺なんか動いても死体が増えるだけだろ」

 つぶやきつつ、指で酒を注文する。

「人殺しなんだ。おとなしくしていたほうが得に決まってる。お前だって、殺しは否定してるじゃないか」

「なんだ。よくしゃべるじゃないか。いいさ、全部打ち明けてみろよ」

 そう彼は誘う。

 うっかり、熱くなってしまったらしい。

 本当は全て胸の中に収めておくつもりだった。

 けれども本心の一端を口にしてしまったのだから、ごまかしは聞かない。

 せっかくの機会だ。

 全て話してしまおう。

 そうして彼は口を開き、ぽつりぽつりと話し始めた。

 いままで起きたことを、全て。



「普通のやつにとって、俺も悪人だ。俺のやってることに意味なんてない」

 意味を求めてはならない。

 そんなものはすでに失われているはずなのだから。


 しばらくの間、相手は無言だった。

 ややあって彼は言う。

「君は、君のやりたいようにやればいいさ。誰も止めはしない」

 やや冷めた言い方だった。

「ああ、でも、肝心なのは君がどうありたいかだ。きれいな者でいたいのなら、それらしく振る舞えばいい。別に運命を全部、受け入れなくたっていいさ。殺しなんてしなくたっていい」

 そう、言う。

 その言葉は妙に胸に響いた。


 殺してもいいし殺さなくてもいい。

 今はもうなにもいらない。

 他人の命なんて不要。

 空虚だった。


 ああ、ただそれでいいのなら。

 この宿命から解放されていいのなら。

 自分はその道を選ぶだろう。

 日の当たる道へ。

 だが、それでもまだ、剣を捨てる気にはなれなかった。

 頭に思い浮かんだのはよき老夫婦。

 あの貴族が街に住んでいるのなら、自分はこの役職に留まる義務がある。

 結局、自分は人を護るために、剣を振るうのだろう。


 そんなことを考えている内に、酒は空になっていた。

「話を聞かせてもらった礼だ。代金は俺が払うさ」

「いいのかよ」

「ああ」

 あっさりと彼は言う。

 ならばそれに乗るまでだが。

 少しだけ申し訳なく思うが、彼は腰を上げる。

 そのまま金を払わずに外に出ていった。



★喧嘩の仲裁


 街で喧嘩が起きている。

 二人の男女。

 痴話喧嘩のようだ。

 いつものことだと傍観していると、一人の男が間に入る。

「はいはい。仲良くしよう」

 そう言われるとフンと互いに顔をそむけ合い、言い合いをやめた。

 なにはともあれ一件落着といってよいのだろうか。

 微妙な気がするが、騒ぎは治まった。


 半笑いをしつつ彼は離れる。

 あたりにはゆったりとした風が吹き抜けていった。


 彼は色々と忙しそうだ。

 だが、人々を救う彼は輝きに満ちていて、羨ましい。

 自分にはないものを手に入れている気がして。


 こちらはこんなにも薄汚れているのに。

 闇でしかないのに。

 彼はどうしようもないほどに光なのだ。


 だが、それが性に合っているというものなのかもしれない。

 あの男は自分にはないものを持っている。

 ただ、それだけの話。

 彼は殺すよりも救うほうが向いている。


 対して自分はどうあがいても人を救えない。

 だからなにもかもを諦めるしかなかった。



★貴族によくしてもらう


 貴族の家に上がり込む。

「さあ、ゆっくりしていって」

 中年の夫婦に出迎えられ、リビングに上がる。

 ソファに腰掛けると菓子と紅茶を差し出された。

「今日はどんなことがあったのかしら?」

「別に大したことはありませんよ」

 ただ今日も同じように人を殺しただけだ。

 それに対する後ろめたさはある。

 本当は彼らと一緒の、日の当たる場所にいてはならない。

 目の前の老夫婦はこの荒れた世の中において貴重な、誠実なる人々なのだから。

 それでも甘えてしまうのは、すがってしまうのは、彼らが良き人間であるからなのだろう。

 だからほんの少しの希望を抱いて、まだこちら側にいてもいいのかと、そんな可能性を抱いてしまう。


 結局、その日は特にこれといった出来事は起きず、真っ直ぐ家に帰って一日を終えるのだった。



★幻惑使いを倒す


 目の前に地獄が広がった。

 両親が殺される情景。

 積み上がる屍。

 死体の山。

 だけどそれははっきりと過去と認識できる程度のもの。

 そんなものは今はない。

 分かっているからこそ、容赦なく切り捨てられる。


 剣を振るう。

 前方に広がる幻ごと、彼は相手を切り裂いた。

 血が吹き出る。

 視界が赤く染まる。

 敵が力なく倒れていく。

 さらに追撃。

 止めを刺そうと近づいて。


 その腕を後ろから掴まれる。

「おっと」

 軽い声。

 視線をそちらへ向けると相棒がいた。

「言ってるだろ。殺させはしないと」

 いつものことだ。

 どうせ殺すのなら今殺しても同じだろうに。

 うんざりとしつつも剣を収める。

 これで今回の戦いは終了。

 後は帰るだけだ。


 そう思った矢先、不意に相手が口を開く。

「別に、命を助ける必要はないんだよ」

 低く、冷たい声だった。

「俺は悪を懲らしめたい。その闇を払うべきだと考えている。ただ、それだけさ」

 そう、言葉をつむぐ。

 その淡々とした様子はいままでの彼とは少し違う。

 予想外の響きもあって、思わず瞠目してしまった。


「でも、それをしてしまったらさ、俺もそっち側の人間になってしまう。それは許されないことだよな」

 口角を上げて、彼は言う。

 男は笑っていた。

「俺、君みたいな悪には染まらないって思ってたんだ。でも、もういいかなって」

「お前、なに言って……」

 どういうことなのか、分からない。

 彼がなにを言っているのか。

 なにをする気なのか。

 どうしたいのか。


「別に、どうも。ただ俺は今のいままで抑圧してきただけだってことさ。本当は悪なんてこの手で殺したほうが早いのにって」

 どうしようもない矛盾を抱えて、だけどその本質を正体を一言も漏らさぬまま、彼は口を閉じた。

「じゃあ、俺はこいつを連れて行く。今は殺す気はないから、そのつもりで」

 言いつつ、彼は転がっている相手へと近づき、その肉体を掴んで背負う。

 歩き出す。

 都市へと。

 その姿を青年はただ無言で見送った。



★魔剣を手に入れる


 刃がずいぶんと荒れている。

 気に入っていた短剣だが、酷使しすぎたようだ。

「買い替えたほうがいいかもね」

「だろうな」

 なんとなく答えておく。

 そんなときに通りがかったのは、謎の遺跡だった。

 苔むした岩場に剣が刺さっている。


 青年は引き寄せられるようにそちらへ赴いた。

「おい、待つんだ」

 後ろから相手が呼びかける。

 だが、彼は止まらない。

 なぜか心がざわめいていた。

 動揺に似たドキドキ感。

 それはまるでずっと探していた宝物に出会ったような。


 そして彼は衝動が赴くままに、剣を掴む。

「待て。乗っ取られるぞ!」

 焦った声が飛ぶ。

「え?」

 困惑の顔と共に、間の抜けた声を出す。


 止められたがもう遅い。

 彼はすでに柄を掴んでいた。

 けれども、なにも起きない。

 変化はなかった。


 青年は首をかしげる。

 これはいったいなにだというのか。

 相手も説明はつかず、ただただ立ち尽くす。

 そこには気の抜けた風が吹き抜けていった。


★変化


 以来、相手の態度が変化したような気がする。

 ギルドで会っても言葉を交わすことはなく、話しかけても無視される。

 いったいなにだというのか。

 原因が魔剣にあるのは確かだろう。

 しかし、手に入れてしまったのは確かだが、あれを使いこなす気にはなれない。

 見るからに不気味だし血を吸ったような色をしている。

 振るえば最期呪われてしまいそうで、不安になった。

 青年は早くも台座から魔剣を抜いてしまったことを後悔しつつあった。


★嫌いだと言われる


 魔剣を振るう度に力があふれてくる。

 今日も人を斬った。

 斬れば血が流れるし、死ぬ。

 その当たり前の光景を無感情に眺めていた。

 そこにすっと影が近づく。


「いつまでこんなことを続けるつもりだ?」


 ヒーローだった。

 青年は振り返らずに、口を開く。


「別にいいだろ、相手は悪だ」

「人殺しは人殺しさ」

「なにがいいたいんだ」

「別になにも」


 わざとはぐらかすように言う。

 かすかな苛立ちを覚えた。


「ただ俺は悪が嫌いだ」


 切り出す。


「前にも言ったよな。人を殺せばどんな事情であれ、相手と同列に堕ちてしまうって」

「確かに。でも俺はそうしたいと思ったんだ」

「目的は済んだだろ」


 肩をすくめる。

 冷めた言い方だった。


「今の君には目的がない。ただ人を殺しているだけじゃないか」


 あきれたような物言い。

 ならばいったいなにをすればいいのか。

 心にかすかなささくれが立つ。


「分からないなら言ってあげようか。俺は君のあり方が最初から気に食わなかったんだ」


 そうあっさりと言い捨てる。

 それはあまりにも自然で当たり前のような響きだったから、自分を否定されているとは、気づけなかった。

 だけど、分かった瞬間、心を冷たい風が吹き抜けるのが分かった。

 終わった。

 確かな亀裂を感じて、立ち尽くす。


「まあせいぜいあがけばいいよ」


 手を振り、別れる。

 彼の姿は遠ざかっていく。

 また別の場所へ旅立つのだろう。

 彼の行き先は知らない。

 誰にも。


★憧れの人


 いつか語った。

 自分には憧れの人がいると。

 そういう人になりたいのだと彼は言った。

 それに関して深く語ったことはない。

 いったい誰なのだろう。

 彼が惹かれたのだからそれは崇高な者なのだろう。

 けれども青年の矮小な頭では皆目、見当もつかなかった。


 彼はなにかを探している。

 時々旅に出かけては、今回も外れだったとひとりごちる。

 宝でも探しているのだろうか。

 気にはなったがわざわざ尋ねるまでもない。

 人の事情に首を突っ込んでも仕方がないため、黙っていることにした。


★初期はまともそうだった宿敵


 最初に会ったころはまともだと思った。

 魔獣を倒すために手を組んで、共に戦った。

 フォローをしてくれたし、一緒にいても違和感はなかった。

 彼のほうが強いし、偉いと分かっている。

 それでも彼は気安く接してくれた。

 おごってもくれた。

 それなのに、なぜ急にあれほどまで冷たくなったのか。

 彼には理解ができなかった。


★命を助ける 利用するため


 湿っぽい檻のドアが開く。

「どうも」

 手前に立つ男はにこやかに手を振った。

「お前は」

 囚人は相手を見上げる。

 彼は確か、自分の命を留め、檻まで連れてきた男だった。

「話はいいからさ、とりあえず外に出てみない?」

 それが今、表に連れ出そうとしている。

 どういう風の吹き回しか。

 彼はいったいなにを考えているのか。

 戸惑いながらも立ち上がり、表に出てくる。

「君にはやってほしいことがあるんだ。なに、簡単なことさ。君の得意なこと」

 そう言い、男はニヤリと口角を上げた。


★貴族が殺される


 その他もろもろの相談をしに貴族の屋敷へと向かう。

 門をくぐって、扉が開くのを待つ。

 だが、中からの反応はない。

 一向に。

 まだまだ待つ。

 しかし、結果は同じ。

 しびれを切らして扉を開ける。

 鍵は開いていた。


 首をかしげながらも廊下を上がる。

 恐る恐る慎重に。

 嫌な予感を振り払うように。


 そしてリビングの扉を開けて、中に入ろうとした、まさにそのとき――


 目に飛び込んだものは到底、信じられるものではなかった。


 青年は愕然と立ち尽くす。

 前方にはおびただしい量の血。

 これが現実だとはとうてい信じられず、硬直してしまう。


 これはいったい、なんだというのか。


 倒れている。

 人が。

 それは。

 その中年の夫婦はいままで自分がよくしてもらったもので、大切にしなければならない相手だった。

 それを誰が。

 いったいなにのために。


 怒りたいのに現実に心が追いつかない。

 まだ目の前の光景を受け入れられずにいる。

 脳は空白に染まっていた。


★逃走


 そこへ迫りくる足音と影。

 チラリと視線をそちらへ向ける。

「そこを動くな!」

 緊迫感のある声が放たれる。

 青年は改めて振り返った。

 後ろに立っていたのは見慣れた人物だった。

 同じギルドの同僚。それがダラダラと汗をかきながら、張り詰めた表情で、刃を突き付けている。

「お前だな、犯人は」

「は?」

 素直に分からないと返す。

 だが、相手は聞かなかった。

「知っているんだ。お前が侵入するところを。今からお前を始末する!」

 相手は剣を脱いた。

 わけが分からないが、逃げるしかない。

 青年は窓まで駆け寄ると、ガラスを割って、脱出した。

「追え。追え!」

 上から声がかかる。

 黒服たちが寄ってきた。


 彼は逃げた。

 街の出口まで。



★始末


「ご苦労さま」

 仕事を終わらせた男に声をかける。

 相手はなんの気なしに振り返る。

 さて、報酬は。

 これから先なにが起きるのか。

 そんなことを気楽に考えていると。

「でも、残念」

 口を動かす。

 声が遅れて聞こえた。

「君は用済みさ」

 瞬間、男は破裂した。

 痛みを感じる暇もなく、目の前で弾け飛んだのだ。

「さてと」

 彼は彼方を見つめる。

 その目の先には空。

 夜が明けて、白みつつ。

 太陽が昇る。

 全てはここからはじまる。

 希望と期待に胸をふくらませて、彼は歩き出した。


★追い詰めに来る


 そこへ現れたのはとある男。


「○○! そこをどいてくれ! 俺は今!」

「知ってるさ」

 彼は言う。

 その口角をつり上げて。

「全部、俺が仕組んだことだからな」

「え……?」

 青年は耳を疑った。


「俺はお前を陥れたくて仕方がなかったのさ。いままでだってそうさ。俺は別に気が変わったわけじゃない。ずっとお前をもどかしく思っていたのさ」

 ベラベラと語る。

「だからやってやった。お前に容疑が行くように仕組んで、あの貴族を殺してやったのさ」


 自分がやったと自白した。

 その意味を呑み込めない。

 ただ一つ分かったことがある。


 いままで友人と――相棒と思っていた相手がヘラヘラと嘲るように笑いながら、近づいてきた。


「どうだ? これで街にはいられなくなっただろ?」

「お前、どうして……?」

 それはどういう意味を持つのか。

 彼は悟る。

 おそらく今回の件は相手が仕組んだことなのだと。

「なんでお前がこんなことを……!」

 声を張り上げて問いかける。

 だが、相手は押し殺すように笑うだけだった。


★本性をあらわにする


「ははははは! だからお前は間抜けなんだよ」

 哄笑と共に罵倒する。

 その様はいままで見た彼の姿とは異なる。

 印象が大きく覆った。

「まさかそれがお前の本性だったのか?」

 唖然としてつぶやく。

「ああ、そうだ。俺ぁもうどうでもよくなっちまったのさ。繕う必要はねぇ。ああ、どうしようもねぇんだからな」

 両手を広げ堂々と主張する。

 そしてまた彼は高らかに笑い出した。


★助太刀


 そこへ駆けつけたのは友人だった。

 彼は剣を抜くなり、刃を向けた。

 青年ではなくヒーローに。

「お前はこいつを貶しれようとしている」

 厳正な面持ちで突きつける。

「濡れ衣だ」

 激しい口調で言葉を浴びせた。


★旅立ち


「濡れ衣だと? いいや、違うな。お前は人殺しだ」

「なに?」

 食いつくように問う。

「事実だろ。お前は人殺しだ。それともこの期に及んで自分の手が汚れていないとでも言うつもりか? それこそ人でなしだな」

 煽りに煽る。

 否定できず、口をつぐむ。

「仮にそいつが獲物だったら、お前は殺したはずだ。なあ、そうだろ?」

 そうだ。

 確かに。

 よくしてもらったのは事実。

 慰めを得たことも事実。

 それはそれとして仕事はこなす。

 彼はそういう人間だ。

 だからなにも言い返せなかった。

「分かったら行っちまいな。二度と帰ってくるな」

 また、嘲るように言う。

「ああ、行ってやる」

 逃してくれるのならそれにこしたことはない。

 代わりにこの街には二度と戻らない。

 そう硬く決意を決めて。


 そして彼は歩き出す。

 街に背を向け、彼方を目指して。


 その後、彼を失った街がまたたく間に治安が悪くなり、滅んだのは言うまでもない。


☆村


起:村で平和に過ごす

承:村を守るために力を振るう。

承:宿敵と再会、ギャフンと言わせる

転:村が魔王軍に襲撃を受ける

結:魔剣を屈服、復讐を誓う


 歩く

 剣に話しかけられる

 村に着く

 受け入れられる

 少女と出会う

 ドラゴン

 自分の正体は何なのか

 凄い奴だっていうのは分かった。村を守るために戦おう

 図書館へ行く

 再会

 振る

 魔族の襲撃

 剣を屈服

 復讐を誓う


★剣に導かれて


 平原を歩いていると、体の奥底から不気味な声が響いた。

『我の力を浴びて、染まらずにいるとはな』

「誰だ?」

『ここだ』

 呼びかける謎の声。

 それに導かれるように手元へ。

 自分が手にしているのは剣だ。

 禍々しいオーラを放った剣。

 まさか、これが。

『貴様、前世で聖剣でも手にしたか?』

「なにの話だ?」

『通常、我を扱う者は魔の力に取り憑かれる。だが、貴様にはそれがない。聖なる力に守られているようなのだ』

「聖なる力……」

 イマイチピンと来ないがそれが自分の前世と繋がっていることは分かる。

 自分は確かにそういったものを扱って、世界を救ったのかもしれない。

『だが、目的を果たしたいのなら、そのままではいけない』

「なんでだよ」

『殺戮をせよ。心の思うがままに戦え。その怒りを受け入れ解放するのだ。そうでなければ道は開かれまい』

 分かっている。

 この心には怒りが眠っている。

 前世で残した感情。

 自分が果たせなかった思い。

 それが今の彼を縛り付けるものである。

 だが、それでも。

 そんなことはできるのか。

 自重してしまう。おとなしくしてしまう。

「できないよ」

 素直に告げる。

『ならば闇へと堕ちてゆけ』

 それっきり、声は静まった。


★村


 村に着いた。

 辺鄙なところだ。

 人影はまばらで、畑ばかりが広がるのどかな場所だった。

 堂々と歩いていっても誰も声をかけてこない。

 畑仕事や世間話に忙しいようだ。


 ただ、外部の人間に無関心な者ではないらしく、子どもは寄ってくる。

 事情を聞かれて素直に答えた。

 街を出る羽目になったこと。

 自分の居場所がないことなどを。

 濡れ衣を着せられた件に関しては伏せて。


 すると相手はあっさりと受け入れた。

 彼はある家で泊まることになる。

 それから彼の日常は始まった。


★剣を振り回す少女


 朝、食事を取ってから外へ出る。

 ブンブンという謎の音。

 見ると少女が木剣を振り回していた。

「なにやってんだ?」

「いいの! 私は修行するの! 強くなって、みんなを護るんだから」

「護るっつったって、そんなことをする必要はないだろ?」

 困惑しつつも話に応じる。

 すると彼女はキッとこちらを睨みつける。

「私は戦うの! そうと決めたんだから」

 頑なに告げる。

 周りでは村人たちが困った顔をしている。

「いいからおよしなさい」

 他の者たちもなだめるように言う。

 少女はいちおうはおとなしくなったものの、まだまだ機嫌が直らないらしい。


★ドラゴン


 村での日々は平穏に過ぎていく。

 停滞だ。

 なにもすることがない。

 だけど、そんな日々を気に入っていた。


 そして、その停滞が続くかと思われたとき。


 村が騒がしい。

 民家の窓から顔を出して、様子を伺う。

 上空。

 鮮やかな青を背負って、巨大な羽を広げる影があった。

 蜥蜴とかげの体に鋭い牙を爪を持つ存在。

 あれは古より伝わるドラゴン。

 なぜ、それがこんなところに。

 戸惑いながらも表に出る。


 皆、悲鳴を上げたり縮こまったりしている。

 誰もこの場にいる者で対象が可能な者はいない。

 で、あるのなら、自分が動くしかなかった。


 青年は魔剣を抜いた。

 刃を向ける。

 ドラゴンが襲いかかってくる。

 また誰かが悲鳴を上げた。

 殺される。

 血に染まる。

 誰もがそう思ったのだろう。


 されども青年は構わずに剣を振るった。

 両断。

 目の前でドラゴンが真っ二つに割れ、墜落する。


 建物が倒壊したような大きな音。

 地震が起きたよな衝撃が地面に伝わる。


 皆、息を呑んだ。

 青年は静かに剣を収める。

 これにて終了。

 そんな淡々とした様子だった。


「凄いわ」


 そこへ一人の少女が駆けてくる。

「あなた勇者の生まれ変わりだったりしない? ええ、そうよ。そうに違いないわ」

 そう、キラキラとした目で言うのだった。

 勇者?

 生まれ変わり。

 そうであったのなら喜ばしいが、それは決して自分ではない。

 なんとなくそう思いながらも、もしかしてという予感があった。

「だって現世での力量は前世の力によって決まるもの。そう運命に定められているんだもの」

 要はなにもにないところから芽は出ないと。

 だから、そうと分かっているのなら、かすかな希望を見出して。

 青年は少し、自分の前世に興味が出た。


★自分の正体


 その折、ふと魔法の話題になって、ためしに繰り出してみることにした。

 自分の内側に意識を集中させ、心の奥底に眠る力を放出する。

 すると、オーラとして表されたそれが、大きく広がっていった。

 途端に周りにいる者たちは目を大きくし、息をついた。

 信じられない。

 そんな様子だった。

「すごいな、お前。前世はよほどすごいやつだったんだろう」

「そんなまさか」

 記憶にはないからよく分からない。

 思い出せない。


 あの日から自分が何者かに関して、考えががよぎる。

 だけど、なにも分からない。

 生きている。

 この村で生活をしている。

 だけど、肝心なところがぼやけていて、とらえどころがない。

 それは他人から見ても同じことだったようだ。

 影でこそこそと話をしているところを見たことがある。

「あの人、謎だよね」

「うん。なにを考えているのか分からないんだよ」

 なにを考えているのか分からない。

 謎。

 それは自分とて同じだ。

 軽い苛立ちを感じつつ、空を見上げる。

 記憶は思い出せそうにない。そもそも、前世の記憶なんて誰も持っていないのだから、思い出さなくてもよいことだ。

 それなのに、なぜ固執するのか。

 そこにアイデンティティがあるわけでも、おのれの全てが詰まっているわけでもあるまいし。

 それでも気になって仕方がなかった。


★村を守るために力を振るう


 自分が何者なのかはいい。

 興味があるが今は関係ない。

 自分に力があるのなら、この村を守るために使う。

 そう誓って、剣を振るった。

 街に入り込む害獣を始末し、侵入してくる盗賊たちを追い払う。

 そんな日々は充実していた。

 自分がよいことをしていると実感が湧くと、気持ちも明るくなる。

 まっとうな道――光差す道へと進んでいけるかもしれない。

 青年は前向きに人生を歩んでいた。


★煽り


 決意を定めたところで、また体の奥から声がした。


『なんだ、つまらぬな』

 体の内側から声が響く。

 なんだはこちらの台詞である。

『復讐に生きるのではなかったのか?』

「もう終わったことだ」

 仇は討った。

 自分が悪を懲らしめる理由はない。

 もうなにもかもをやり切った気分なのだ。

 これ以上のことは望まないし、やろうとも思わない。


 そんな彼を内なる声は退屈そうに見つめていた。


『お前に道はない。一度堕ちれば後は転がり落ちるのみ。平穏など訪れぬと理解しておけ』


 それを最後に声は途絶えた。

 対して青年は鼻で笑う。

 何度勧誘を受けようと、乗っかる気はない。

 そちら側へは堕ちない。

 もう二度と。

 彼は堅く決意を固めていた。


★魔王を倒しに行ってこい


 その内、ロゼッタの父親に嫌味混じりで次のようなことを言われた。

「そんだけ戦えるなら、魔王を倒しに行ってこいや」

「まあ、なんて無茶なことを。死ににいけと言ってるようなものよ」

「だがよぉ」

 魔王。

 そういえばそんなものもいたのだったと思い出す。

 辺境の地では噂になる程度で、いまだに詳細は見えてこない。

 ただ、非常に強く恐ろしい存在であるとは分かっている。

 だが、自分が関係することはないだろう。

「そういうの興味はないから」

 魔王を倒せば栄光が手に入ると聞くが、心の底からどうでもよかった。


★図書館


「でもあなたは魔王に匹敵する力を持ってると思うの」

 少女が唐突に口を開く。

「自分の正体、確かめてみたいと思わない?」

「思うけど、なにも見つからないだろ」

「ろくに調べてないのに?」

「調べたぞ。図書館へ行って」

「都市には行ったの?」

 口ごもる。

 言ってない。

 実質、出禁であるため、そもそも行けないのだ。

「ああ、無理だったわね。ごめんなさい」

 素直に謝る。

 それはいいとして。

「でも、図書館がある街ならほかにもあるわよ」

 自信を持って彼女は言う。

「ちょうど近所だし。行きましょう」

 少女が腕を引っ張る。

 釣られて足が動く。

 そのまま村を出た。

 かくして二人は隣町へと行くことになるのだった


★自分の正体は勇者?


 ヒロキは馬車を借りて、都市へと赴く。

 そこには本当に大きな図書館があった。

 魔王に関する書籍は数多く並んでいた。

 雑に目を通して、いくつか借りてから、道路を歩く。

「勇者様、無事かしら……」

「無理なんじゃない。もう一五年よ」

「でも、きっとどこかで生きているはず」

「魔王が健在なのよ。希望を持っても無駄」

 祈りを捧げる主婦に対して、隣の者は現実を見たような態度を持っている。

 そんな彼女らをチラリと見つつ、素通りする。


★村を離れての活動


 街で活動をしていた。

 自分に関して調べられるのなら、ありとあらゆる場所を巡るべきだと考えたのだ。

 こちらの図書館でもろくな情報が手に入らない。

 やはり都市に戻るべきだろうか。


 いちおう手配書の男がいるらしく探して見たが、結局、別の誰かに倒されていたらしい。

 ――『ああ、そうだ。例の殺人鬼は俺がきちんと片付けておいた。お前の代わりにさ。感謝しとけよ』

 自慢げに語った彼の顔が思い浮かぶ。

 きちんと浄化を受けたということは、宿敵が倒したのだろう。

 お株を奪われたことに悔しさを感じるものの、手を汚さずに済んでいるのは確かだ。

 こうしてこのまま戦わずに済むように、全ては流れていくのだろうか。

 そんな期待をしてしまう。


 そんなとき、唐突に声が響いた。

「大変だー!」

 また、声がする。

「前世の記憶があるらしい。そいつはさっき死んだ殺人鬼だってよぉ!」

「なんだと?」

 ドアをバンと開けて飛び出す影。

 そちらへ続々と人が集まる。

「ついさっきだぞ、そいつを殺したのは」

「どうする?」

「待て。赤ん坊だぞ」

 なにやら騒がしい。

 だが、自分には関係のないことだ。

 うるさいのは好きではないため、早々に立ち去る。

 足を速め、思考を止めようとした矢先、いや……とまた頭を動かす。


 ついさっきと言った。

 つまり転生は即、行われる。

 自分の年齢が分かれば死んだ齢も分かる。

 ヒロキの齢は一五だ。一五年前といえば勇者が姿を消したタイミングだ。

 まさか。

 そんな可能性が浮かんで眉を寄せた。


★再会


 草原を歩く男を見つける。

 都市で努めていたはずの相手がなぜここにいるのか。

 緊張感を高めながら、青年も足を止めた。


 一方で宿敵はおもむろに口を開いた。

「いやー、まいったぜ。お前をはめたせいでこちとら追われる身だ。よかったな、仲間が増えたぞ」

「は?」

 なにのことを言っているのか分からない。

「だからさ、お前への幻惑はすぐにバレたんだよ。雑にやったからな、色々と。そりゃあ、バレる」

「だからどういうことなんだよ」

 なぜここに彼がいるのか。

 それは街にいられなかったことだ。

 しかし、目の前の男がなにもせずにいられるのか。

 本性が人でなしだと判明した男はなにも信じられない。

「あいつらは、街の奴らはどうしたんだ?」

「ああ、あれか」

 少し考えるように視線を動かしつつ、彼は自身の持つ剣に触れる。

 鞘から剣を抜く。

 露出した刃は清らかな光を放っていた。

「全員、殺しちまった」

 そして彼はそう、晴れやかな顔でいったのだった。

「え……」

 途端に青年は言葉を失う。

 今、相手がなにを言ったのか分からなかった。

「だから殺しちまったんだよ。逃げるためだ。あいつらみんなまとめてな。どうだ? きれいな仕事だと思わねぇか?」

 にやにやと笑いかける。

 途端に全身の血が凍りついたような感覚を抱く。

 とにかく恐ろしくてたまらない。

 たまらず彼は走り出していた。


★無事だった


 街へ引き返す。

 だがそれをするには遠すぎる。

 だから彼は魔道具を使って連絡を取った。

 棒状に切り取ったクリスタルを耳に当てると、魔力を帯びて発光した。

 相手はすぐに応じた。

「なあ、お前、いるのか?」

 手引きをしてくれた者は連絡に出た。

「おう。久しぶりだな。全員元気してるぜ」

 返ってきたのは実に平和な返事だった。

 途端に頭が混乱する。

 魔道具が拾った生活音も特に問題がない。

 街では普通の日常が流れているようだ。

「どうなってんだ?お前ら全員、殺されたって」

「いやお前、なに言ってんだ?」

 気の抜けた声が鼓膜を揺らす。

「じゃ、じゃあ、あいつは○○は」

「あー、あいつはお前をはめた罪で追放された。ざまぁねぇな。同じことをされるとはな。だが、お前さえ追放できればそれでよかったんだから、気にもとめてないんだろうが」

 話を聞いて、一気に体から力が抜ける。

 つまり、先ほど聞いた話はまやかしだった。

 相手がこちらをからかっていただけだったのだ。

 青年はゆっくりと駆け足をやめて、歩きになった。

「分かった、ありがとう」

「どうも。で、お前のところはどうなんだ? おい」

 相手が話しかけてくるが答える前に通信を切る。

 今はそれどころではなく、相手の声すら脳を通過しない。

 そして彼は足を止め、下を向く。

 拳を強く握りしめてからまた、顔を上げる。

「あの野郎! ふざけやがって!」

 どこまでおちょくれば気が済むのか。

 今度あったら殴ってやる。

 そう心に決め、ふたたび走り出した。


★振った


 草原を歩いていると男が近づいてきた。

 彼は平然と話しかけてくる。

「俺はこれから旅に出かける。魔物どもを退治するんだ。いいだろう?」

 優越感を持って見下しにかかる。

 けれどもこちらの心は凪いでいた。

「お前は英雄になる気はないのか?」

「ないな」

 あっさりと返す。

 はねのけるように。

「へー。皆にちやほやさせたいとか、そういう願望はないんだ?」

「あるわけないだろ。俺にはそんなもの、必要ない」

 今の自分に剣などいらない。

 富も名声も。

 平穏さえあればよかった。

「そうか。じゃあ、そこの娘に聞こう」

「え?」

 話を振られて、少女は固まる。

「俺と一緒に来い。こいつは命令だ。分かるだろ?」

 問答無用で問いかける。

 そして広げた手のひらを差し出す。


 ドキドキと鼓動が早まる。

 彼女もそちらへと行ってしまうのだろうか。

 それは嫌だと感じた。

 だけど、仕方がない。

 自分では力になれないのだから。

 そう思ったとき。

「嫌よ」

 気の強い目をして彼女は言った。

「誰があんたのところになんて行くものですか! 私は悪者になびく気はないのよ!」

 そう強く主張する。

 途端に目の前がぱあっと軽くなったような感覚がした。

「へぇ、言うじゃねぇか。だがもったいないな。お前、見る目がねぇよ。本当によぉ。よりにもよって、プププ。こいつなんかと一緒にいるって? ああ、バカらしい」

「バカで結構。でも、あなたについて行くほうがよっぽど見る目がないと思うわ。だって私は見た目よりも内面を見るタイプなんだもの」

 からかうように嗤う男に対して、ハッキリと主張を返す少女。

 彼女がそう言ってくれたおかげで少し救われたような気がした。

「ああ、くだらねぇ! こっちだってお前みてぇな小娘、願い下げだ。俺にはもっと重要な、秘宝のような探し人――いや、追いかけているやつがいるんでな」

 そう告げると背を向ける。

 彼は堂々と去っていった。

 結局、彼はなにだったのか。

 なにがしたいのか。

 なにのために姿を現したのか。

 分からない。

 だが――

「行きましょう。あんな奴、放っておけばいいのよ」

 彼女に腕を引かれ、うなずいた。

 そう、いいのだ。

 今はなにも考えずとも、今の平穏な生活がある。

 自分はそれを手に入れたのだから。


 一方そのころ、男は荒野を一人で歩いていた。

「ああ! くだらねぇ! なんなんだあの小娘! 振られたのなんか初めてだぞ!」

 それもそのはず。

 今の今まで彼はヒーローの皮を被っていたのだから。

「しかも、よりにもよってあの男を選んだだぁ! なんなんだよ、あいつ! ふざけんなよ。あー、本当に嫌。本気で殺す。殺してぇわ」

 彼の嘆きとも取れる愚痴は夜空に響く。

 なお、それを聞き届けた者はいなかった。


★惨状


 最近、獣の数が多い。

 くわえて魔力の攻撃を放っている個体も目立つ。

 初見ではあっけに取られたが、すぐに慣れた。

 らくらくと獣を倒し、片付ける。


 とにもかくにも故郷に戻ってくる。

 さあ、皆で一緒に夕食を食べよう。

 そんなことを考えながら歩いていたのだが、なにやら煙の臭い。

 村から鉄の臭いがする。

 入り口から中に入ると、そこは血の海だった。

 地面に人が倒れている。

 仲良くしていた者。

 兄弟のように接していた者。

 よくしてくれた道具屋の店主。

 獣をさばいてくれた料理人。

 誰も彼も、一人残らず殺されている。

 ヒロキは信じられなかった。

 これは夢かと疑いたくなる。

 だけど、濡れた土を踏みしめる感触だけは確かで。

 背筋をぞっとしたものが走った。

 なにも考えられぬまま、足だけを進める。

 よく見た家の近く。

 少女が倒れていた。

 白い服が赤く染まっている。

 どうして、こんな……。

 怒りや恐怖、悲しみを通り越して、無になる。

 彼女を抱き上げて、ただなにもできず、固まった。

 流れる血に触れる。

 手が赤く染まる。

 赤、あのときのような……。

 あのとき?

 瞬間、脳内を電光のようなものが走った。

 暗闇の中にいくつかの映像が浮かぶ。

 死んでいる。

 横たわる影。

 傍らには一人の女が倒れている。

 手には長い剣。

 血に濡れていた。

 白いローブも返り血で真っ赤に染まっていた。

 それを最後に黒く遠ざかる意識。

 閉じていく視界。

 その中でぽたりと露が垂れるような音が聞こえた。

 そう、死んでいるのは自分。

 殺されたのだ。

 理解した瞬間、全身の血が沸騰するような感覚がした。

 彼の心には様々な感情が宿る。

 悲しみ、やるせなさ、怒り。

 これまでの停滞から脱却する。

 死んでいた体に魂が宿り、ようやくここから全てが始まるような、そんな気配。


★報い


 彼は元より復讐鬼。

 両親を悪人によって殺されてからというもの、煮えたぎるような激情に駆られて生きてきた。

 断罪という大義名分を背負ってさえいれば、悪人を殺してもいい。

 それを目的に組織に属していた。


 それがよき村人たちによって心が救われ、安寧を手に入れてもいいように思えてきた。

 だが、運命は彼を許さなかった。


 結局、こうなる。

 目の前に広がるのは屍の山。

 村人たちが倒れている。

 家屋が壊され、地面には血痕がこびりついていた。


「ああ、ああ……」


 うまく声を出せない。

 表情が強張る。

 みるみる内に顔が青ざめ、体が冷えていくのが分かった。


 救いを、希望を求めるように村を彷徨う。

 けれども生き残りはいなかった。

 いるのは自分のみ。

 自分だけがそこにいた。


「○○……?」


 ふと、自分を呼ぶ声がした。

 かすかな、か細い、今にも消え入りそうな少女の声。

 すぐさま駆けつける。


 そこにはボロボロになった彼女がいた。

 全身、傷だらけ。

 その青白い肌は赤黒い色に染まっていた。


「ねえ、お願い。倒して。私たちの代わりに、この世界を。みんなを」


 手を伸ばす。

 青年は屈んだ。

 そして、その手を受け取る。


 心が震えている。

 どの面下げてという言葉が浮かぶ。

 人を殺してきた自分が平穏を求めた。

 けれどもそれは打ち砕かれる。

 怒りと悲しみ。

 むなしさ。

 さまざまな感情が入り混じった心境。


 それでも彼は口を開く。

 無理やりにでも声を出さずにはいられなかった。


「ああ、分かったよ」


 確かな返事を聞いて少女は口元を緩める。

 ああ、よかったと。

 そのままだらりと腕を下ろす。

 手のひらが地面に落ちた。

 眼を閉じ、顔を下げる。

 そして彼女は動かなくなった。


 生命を終わらせた少女を見下ろし、彼は無言になった。


 また、これか。

 また、修羅の道に突き落とされる。

 それがおのれの運命。

 おのれが犯した罪の意味。


 頭を抱えた。

 髪をかきむしらずを得ない。


 それでも、自然と心は凪いでいる。

 ぽたりぽたりと雫が垂れる。

 心に。

 その身に。


 仕方がない。

 そう受け入れるしかなかった。


 顔を上げ、腰を上げる。


 彼は荒れ果てた大地の上に立った。


 頭上には煤けた空。

 今なお炎と煙は収まらない。

 血の臭いとくすぶった臭いが鼻につく。


 彼は静かに彼方を見つめた。

 その先に魔王の城があると信じて、その先へと。

 そして彼は歩き出した。


★剣の精を倒して、自分のものにする


 気がつくと最初に剣を手にした場所へと戻っていた。

 自身がどのような道を進んでいたのかは分からない。

 ただ気がつくと目の前に古の祠に墓があった。

 そこに剣から這い出た魂が飛び、人の形を作る。

『魔の力を操りたければ、我と戦い勝利せよ』

 厳かな声でそれはそう告げた。


 勝利した後、亡霊の体は薄れていった。

『我に勝つか。ならばその力、存分に使い、修羅に落ちるがいい』

 そう告げ、相手は完全に消えた。

 青年は一人残り、そこには寂れた風が吹き抜けていった。


 修羅に落ちる。

 ここから先、それしか許されない。

 戦いに戦いを重ねるしかない。

 それが自分で決めた道だから。

 青年は覚悟を決めて、前を向いた。


★魔王復活


 どこもかしもの戦い戦い。

 新たなリーダーが立候補をしても、またたく間に潰される。

 いつまでこのようなことをやっているのやら。

 情勢の悪化は仕方がないにしても、いい加減にうんざりしていた。


 そんなとき、青年はある情報を耳にする。


「魔王が復活したんだ……」

 絶望と共に繰り出された言葉。

 途端に彼も瞠目する。

「なんで?」

 ぼうぜんと繰り出す。

 この無政府状態で魔王まで蘇っては、為す術がなくなる。

 これで皆で一致団結してまとまればよいが、そううまくはいかない。

 間違いなく根絶やしにされる。

 青年は危機感を持っていた。

「なんでこういうときに、こういう地域で」

 この国で封印してしまったのだから当然のことだが、もっと時期を選んでほしかった。

 たとえば勇者が誕生しているときなど。


 そこでふとよぎったのは宿敵の存在。

 だが、すぐに頭から抹消した。

 あれに頼ってはいけない。

 むしろ自ら殺さねばならない相手だ。

 殺してやる。

 絶対に。

 この自分が殺せなかった。取り逃がした。

 そんなことは許されない。

 だからいつか決着をつけねばならない。


 それでもきっと自分は彼を殺し切れないのだろう。

 なんとなく、そんな予感がしていた。




 村が滅んだのは魔王が蘇ったから。

 魔王が蘇れば、魔が活性化する。

 彼らは力を持ち、徒党を組み、人間を襲った。

 ちくしょう。

 心の中でつぶやいた。

 いったい誰が封印を解いたのか。

 その対象を彼は絶対に許せない。

 封印さえ解かれなければ今ごろ皆は平和に暮らせたはずなのに。

 どうしようもなくやるせなく胸にはほろ苦い感情が広がった。


★復讐心


 村の住民に手をかけた者なら、何人も逃さない。

 一人ずつ調べて殺していく。

 そうでなければならない。

 そうでなければ許されない。

 関わっていないのなら許されると?

 いいや、違う。

 どの道、全員、殺すのだ。

 慈悲はいらない。

 鬼になり果てた。

 そうでなければ復讐は果たせない。

 堕ちてもいい。

 地獄へ、悲惨な末路が待っていても構わない。

 自分は行く。

 奈落へと。

 その先へ。

 そのために全てを殺す。

 それが彼の決意だった。


「全員、殺してやる」

 魔物なら全員。

 後はなにも残さない。

 煮えたぎるような思いに駆り立てられるように、強い感情を持って、前を向く。

 今、前世から託された思いを果たす時が来たのだ。


 斬り殺して回った。

 刃がえぐった箇所から血が噴き出す。

 地面に屍が積み上がる。

 あたりは凄惨な有様。

 魔物のうめき声が上がる。

 だが、彼の耳には届かない。

 全て殺した。

 言葉の通り、おのれの意思が赴く限りに。


 返り血を浴びて立ち尽くす男。

 足元に散らばる屍を踏み越えて、何処へと。

 まだだ……まだ。

 心の中でつぶやいた。

 頭上には漆黒の空。

 浮かぶ月。

 青白く冷たい光が彼を照らす。

 その姿は血にまみれていた。


 血の臭いが肌に染み付いている。

 手についた血を流しても、刃が肉をえぐった感触が消えない。

 本当に堕ちてしまったのだと実感する。

 だけど、いいのだ、もう。

 これで。

 自分にはそれしか残されていない。

 自分がこの世界で生きる理由はたったそれだけなのだから。


 もう帰れない。

 在りし日の故郷を想う。

 仮に自分が手を汚さなかったとしても結果は変わらないだろう。

 もうあの村はこの世界にはないのだから。


 村での生活は気に入っていた。

 平穏で豊かで。

 いつまでもこのような生活が続くと思っていた。

 だがそんな甘いことは許されるわけもなく。

 分かっていた。

 最初から。

 許されないことくらい。

 だから、もういいのだ。

 いっそ、自棄になり、吹っ切れる。

 自分は二度と、日の当たる道を選べない。

 一度剣を取った以上、最後までやり抜くしかない。

 その果てに自分は地獄へ堕ちるのだ。

 普通の人間のような生き方は許されていない。

 これ以上の間違いを犯すつもりもない。

 ただ魔物にやられてただ黙っていることなどできない。

 ましてや自分一人、のうのうと暮らすなんて。

 だから人殺しという汚名を背負い、魔物を斬り殺す。

 顔を上げ、鋭く目を光らせる。

 彼は前を向く。

 これが自分の意思だと定め、力強く立ち上がった。


 報いは受けた。

 人を殺め続けた罰がこれだというのなら、もう二度と人は殺せない。

 それがたとえ罪人であったとしても。

 けれども、魔物は関係ない。

 死んでいった彼らのためにも、必ず魔王を倒す。

 自分を助けて死んでいった者たちの意思を継ぐ。

 それこそが報いるということ。

 ゆえに彼は立ち上がった。


★呪い


★最初の出会い


 森の中を歩いていると、駆けてくる足音が聞こえてくる。

 そちらを向くと女の姿。

 勢いよくぶつかってきた彼女と衝突する。

 彼女は慌ててこちらから離れて、頭を下げた。

「申し訳ありません」

 謝る彼女に対して、青年は無反応。

 それから女は顔を上げ、互いに向き合う。

 相手が視線を落とした。

「なんだ?」

「いえ、なんでもありません」

 それっきり、沈黙が広がる。

 気まずい間だった。


★聖女


 カラスがカーカーと鳴いている。

 日は陰り、空は急速に暗くなる。

「わっ」

 女が声を上げる。

 見ると、暗闇に白い影がふわふわと漂っていた。

 ゴースト。

 魔剣であれば切り裂ける。

 戦闘に赴こうとしたところ、女が前に出た。

「ここは私が」

 彼女が杖を構える。

 詠唱を唱えると杖の先から透明な光が漏れて、ゴーストを襲った。

 ゴーストが目の前で消滅する。

 あたりにはふたたび闇が戻った。

 あれはいったい……。

 宿敵が扱う光と似ているが、彼女のそれは彼のものよりもひんやりとしていて、清らかだった。

 気づいた瞬間、脳内に電光が走る。

「お前、聖女だな?」

 女の背中に呼びかける。

 彼女は無言だった。

 けれどもついに口を開く。

「はい」

 凛とした返事。

「お前、俺と一緒に来い」

 上から容赦のない口調で求める。

「浄化の力は対魔王に都合がいい。使わせてもらう」

 ややあって彼女は振り返る。

 そして決意を秘めた表情で答えた。

「分かりました。私はあなに従います」

 まっすぐな目付きだった。

「その代わり、お願いがあります」

「なんだ?」

 青年が眉を上げる。

 反対に彼女は眉を垂らし、申し訳なさそうに口にした。

「追われているのです」

「は?」

 冗談かと思ったが、そうではないらしい。

 彼女は真剣な顔をしている。

 事情は汲み取れないが、要は敵は倒せばいいだけだ。

 簡単なこと。考えるまでもない。

「分かったよ。考慮に入れておく」

 頭をかきながら答える。

 なおも彼女は表情を曇らせたままだった。

 いったいなんなのだろう。

 もやもやとしたものを感じるけれど、深く考えないことにする。

 こうして空はさらに暗くなるのだった。


★恵む


 二人は行動を共にする。

 森を抜けて都市へ。

 歩いていると不意に誰かの影が迫る。

 見ると男が立っていた。

「そいつを恵んでくれ」

 乞食のような目をして、欠片を指す。

「浄化の石なんだろ? それがあれば呪いが解ける。俺には必要なんだ」

「なんだ、探知機にはならないのか」

 相手の言葉を聞いて、がっかりしたように肩を落とす。

「いいや」

 ほいを投げる。

「おう、感謝するぞ」

 欠片をキャッチすると、男は逃げるように去っていった。


★占い師


 それから二人は買い物をする。

 ロープやランタン・食糧など、旅に必要なものは買い揃えた。

 さあ、旅の続きだ。

 と思ったのだが、指針を失ってしまった。

 魔王の居場所が分からないのだから、どこへ向かえばいいのかも分からない。

 どうしたものかと足を止めると、どこからかしわがれた声が聞こえてくる。

「そこの者、ちょいと寄っていくかい?」

 振り返ると、老婆がいた。

 彼女はテントの中から顔を出して、手招きする。

 釣られてそちらへ行く。

 聖女も後に続いた。


★占い


「彼女、呪われているね」

 老婆が告げる。

「え?」

 青年は固まった。

 聖女は特に反応を示さなかった。

「それも、魔王の気配がする」

「じゃあ、それって」

 魔王が呪いをかけたのか。

 彼女も魔王の被害者だったのか。

「彼女の運命を話そう」

 老婆がゆっくりと唇を動かす。

 聖女は表情を動かさない。

 ただ厳正に静かに、現実を受け入れるように、話を聞く。

「君の死は絶対だ」

 ただ真実のみを話す。

 それを聞いて、なぜか動揺している自分に気づく。

 彼女とはほぼ初対面だ。思い入れはない。

 それなのに他人の死を口にされると、どうにも不快な気分になる。

 冷淡な自分なのに。

 他人のことなどどうでもいいと思っているはずなのに。

 対して彼女は落ち着いている。

 そんな未来最初から分かっていたというように。

「分かっています。でも、いいのです」

「運命を受け入れると?」

「はい。私にはそうしなければならない責務があります」

 冷静な口調で言う。

 途端に無性にイライラとしてきた。

 体の奥から煮えたぎるような感情が、湧いてきた。

 それでも口には出さなかった。

 彼はそのままテントを離れ、歩き出す。


★責める


「どうして言わなかったんだ?」

 低い声で呼びかける。

「お前、自分が呪われていることを知ってたんだろ? あの欠片は呪いを浄化するものだ。あれさえあれば、自分は助かる。そうと分かっていたのに、どうして」

 どうして彼女はそれを許したのか。

 こちらが欠片を手放すことを。

 あまつさえそれを「ください」と言い出しもせずに。

 聖女はしばらくの間、口をつぐんでいた。

 だがついに答える。

「私はどうなっても構いません」

 そうあっさりと。

 笑いながら。

 気に食わない。

 ムカムカとした感情がこみ上げてきた。


 だが、自分には関係ない。

 関係のないことなのだから、いちいち指摘するのもおこがましい。

 黙って歩き続け、市街地を抜け、郊外にやってきた。

「あ、ちょっと待ってください」

 途中で彼女が足を止めたかと思うと、別の方角へ向かっていく。

 そこには怪我人が倒れていた。

 森から逃げてきたようだ。

 聖女は彼に近づくと手のひらを押し当てる。

 その手のひらから光があふれ、傷を癒やす。

 相手の顔色がよくなったのを確認して、聖女は立ち上がる。

「さあ、行きましょう」


 彼らはふたたび歩き出した。

 青年は前だけを向いている。

 なにも考えたくはない。

 魔王を倒すことだけに集中していたかった。

 それなのに聖女は先ほどの相手のことを口に出す。

「彼、大丈夫かしら」

 そう、心配そうに。

 気に留めている様子の聖女。

 彼女を見ていると、イライラしてくる。

 だからつい口走ってしまった。

「お前はなんなんだよ。他人他人。自分のことはどうした?」

 声を荒げると、途端に女は瞠目する。

「いったいなにを考えてるんだ。俺はお前を信じられない」

 ハッキリと突きつける。

「まさか、自分のことはどうでもいいと考えてるんじゃないだろうな? そんなこと、信じられるか。そういうやつに限って、本当は打算ばかり。与えたら返してくれるとでも考えてるんだろう。分かってるんだよ、そんなこと」

 頭をよぎったのはヒーロー然としていた男のこと。

 誰に対してもよく接し、人を救った。

 けれどもあの男の本質は、悪だ。

 人を人とも思わぬ人でなし。

 彼女もきっと、そうなのだろう。

 対して、聖女は黙り込んだ。

 うつむき、視線を落として。

 それからまた、小さく口を開く。

「そう、ですね。私といると、あなたに煩わしさを抱かせるかもしれません」

「はあ? 俺はそういうことを言ったんだじゃ」

「いいんです」

 顔を上げた。

「私はあなたに言えないようなやましいことを抱えています。聖女なんて本当は胸を張って、言えないんです」

 少女は柔らかく笑いかけた。

「だから……」

 だからなんなんだ。

 聖女らしい振る舞いをしておきながらそれを否定するのか。

 わけが分からない。

 認めたくない。

 困惑と怒りの混じった感情が胸を渦巻く。

 だが、どうだっていい。

 彼女の事情など知ったことか。

「好きにしろ」

 ついに彼は背を向ける。

 歩き出す。

 女は動かない。

 彼女は遠ざかっていく姿を見送った。



★庇う


 単独行動を始める。

 彼の今の目的は自分が逃した悪人を捕まえることだ。

 討伐隊に勤めていた者としての責任は果たす。

 相手は洞窟に入っていったと聞いたため、そちらに赴く。

 そして、洞窟に侵入。水晶が目立つ鍾乳洞のような場所だった。

 奥へと進んでいくと、男はいた。

 彼は絶望し切っていた。

「使えんな。永らえることはできても、消し去ることは不可能とは」

 なにやらブツブツと言っている。

「あーあー、嫌になるぜ。愛には愛でしか対抗できんか」

 なにのことだか分からないが、関係ない。

 相手がどのような事情を抱えているにせよ、斬り伏せるだけだ。

「お前だな、欠片を受け取った者は」

 声に反応して相手が振り返る。

 彼は白けた目をしていた。

「ああ、そうだよ。俺は嫁を殺して呪いを受けた身だ」

「自業自得だな。救われる価値はない」

 無慈悲に吐き捨てる。

「欠片は役に立たないだろ? じゃあ、こっちによこせ」

 脅すように口にする。

 相手は睨むようにこちらを見た。

 どんよりと濁った目をしている。

「だったらあの女をこちらに渡せ。やつなら俺を愛してくれる」

「知るか」

 冷たくはねのける。

「あの女はもうどこにもいない」

 そして慈悲を与える必要はない。

「殺す」

 剣を抜く。

 刃を振り上げ、斬りかかる。

 敵もすぐに手のひらを広げた。

 その手の先から闇が放たれる。

 呪いだ。

「逃げてください!」

 刹那、絹を裂くような高い声が響いた。

 たちまち、心がどよめく。

 目を見開き、後ろへ視線を向ける。

 瞬間、手前に広がる漆黒。

 飛び出す影。

 彼女が両手を広げて攻撃の前に立ちはだかる。

 これには相手も目を見開き、ぼうぜんとする。

 衝撃がこちらまでたどり着く。

 息を呑みこんだ。

 そして目の前で少女が倒れる。

「おい」

 すぐさま駆け寄り、呼びかけた。

「大丈夫です」

 気丈にも彼女は笑っている。

 だけど呪いは侵食していた。

 否、その程度で済んでいた。自身が呪いに蝕まれている身だからこそ、耐性ができていたのだ。


「余計な真似しやがって」

 噛みしめるように言う。

「お前が声をかけなきゃ、かわせたんだぞ」

 震える声で呼びかける。

「でも、私ならどんなに傷ついても平気だから」

 彼女が笑う。

 それで余計に傷ついた気分になった。


★助けと宿敵


 しかし、回復が間に合わないことは確か。

 呪いも解けない。

 どうすればいい。絶望感と焦りが募る。

 直後に後ろから魔法が飛んでくる。

 まばゆい光が全体に広がった。


「勝手に手ぇ出してんじゃねぇよ」

 声が響いた。

「お前ごときの呪いでそいつの命を奪えるとでも思ったのか。もっと厄介なことになるじゃねぇか」

 青年は目をカッと見開いて、そちらを向く。

 よく見知った影が現れた。


★水晶 嘲笑う


 相手が驚いている間に、宿敵は接近。

 蹴り飛ばし、その手から欠片を奪う。

 足蹴りにしつつ、あざ笑う。


「返してくれ、それさえあれば救われる」

「嫌だね」

 口角をつり上げ、彼は言う。

「石一個じゃお前は助からねぇ。だからもっと大きな力にすがるために洞窟に着たんだろ? だが、残念」

 声を張り上げる。

 喜色が混じった口調だった。

「ここは封印の洞窟。大本のクリスタルは俺が壊して使えねぇ。お前がここに着た意味はねぇんだよ! 後はせいぜい踊れや。陸に上った魚のようになぁ!」

 楽しげに嗤う。

 高笑いが響く。


★対立


 気圧されて立ち尽くしている間に、男は死ぬ。動けなくなった。

 それを確認してから相手がこちらを向く。

 改めて相対する

 聖女は起き上がって青年の陰に隠れた。

「渡せ」

 と要求。

 彼女のほうを見る。

 狙いは聖女だと理解する。

「どういうつもりだ? なにが目的か?」

 相手は鼻で笑う。

「殺すんだよ」

 口角を上げて答えた。

 青年は無言。真剣な表情で向き合ったまま。

「いいから素直にいうことに従えよ。巻き添えを食らいたくはねぇだろ?」

 蔑むような目。楽しげな笑い方。

 青年は言う。

「断る」

 どうしてか、いなくなってほしくないと思った。目の前で彼女が死ぬのが怖い。自分の手から離れないでほしい。

 それは自分の中で確かに芽生えた想いだった。

「くだらねぇ」

 と冷笑。


 戦いが始まろうとしていた。


★戦い


 彼が与える死は絶対だ。

 たとえ相手が全ての魔力を相殺する術式を持っていたとして、それすらも打ち消してしまう。

 だからこそ相性はよいはずだった。 

 それこそ天敵にありえるくらいに。

 だがしかし。

 男は立っていた。

 平然と。

 何事もなかったかのように。

 その全身から煙を放ちながらも顔色一つ変えない。

 これはいったいどういうことなのか。

 当たったはずだ。

 このナイフえ突き刺したはず。

 傷もついた。

 いや、傷しかついていない。

 即死が発動しなかったのだ。


 混乱する。

 いままでこんなことはなかった。

 これはいったい……。


 だが、関係ない。

 能力が通じないのなら、物理で殴ればいいだけの話だ。

 構わず突っ込む。

 そして、斬りつけた。

 血が噴き出す。


「テメェ! ふざけやがって!」

 理不尽だとばかりに吐き出された言葉。

 それはこちらの台詞だと返したくなる。


「なんでお前生きてんだよ!」

「教えてやる義理はねぇなぁ!」

 こちらも叫び返す。

 どうでもいい。

 だが分かった。

 これ以上やっても無駄だ。

 どうあがいてもこの男は倒せない。

 まさか不死身というわけではあるまい。

 なんらかのからくりがあるはずだ。

 それを見抜けない限り、決定だはない。

 ここで相手をサンドバックにしたところで、こちらの気が晴れるだけだ。


★休戦


「だがまあ、なるほど今の俺ではお前に勝てないと。分かった」

 剣を下ろす。

 彼はあっさりと勝負から身を引く。

「休戦を申し込もう」

 そう、簡単に言い出した。

 これには青年も困惑する。

「なんでだよ? 俺を殺すんじゃなかったのか?」

「殺すさ。いつかな。だが、今はそのときではない」

 というより、できないのだから仕方がない。

「お前にとってもいい提案だろ? どうせ殺しきれねぇんだろ? 見逃さなくても結果は変わらねぇよ。ほら、受け入れろ。勝てねぇんだろ。諦めろよ。それ以上、粘ったところで時間の無駄だぜ」

 煽るように言葉を重ねる。

 これではどちらが負けたか勝ったか分からない。

 なんだか負けたような気がするのが癪だが、ここは状況を受け入れるしかないらしい。

「分かった。代わりにいいんだな? お前はこの女に手を出さないと」

 こちらにしてはいい提案ではあった。

 相手が彼女を狙って追ってこないと分かっただけでも。

「ああ。だが、諦めたわけじゃねぇよ。そこを頭に入れておけ。でないといつか、足元をすくわれる羽目になるからな」

 にやりと笑い、視線を向ける。

 そして彼は高笑いを上げながら、歩き出す。

 その不気味な姿を見送り、ぞっとするものを感じた。


★一緒にいてもいい


「あの、私……」

 宿敵が去った後、彼女は口を開く。

 おそるおそるといった態度だった。

「あなたのそばにいてもいいのでしょうか?」

 言われて気づく。

 そういえば自分は彼女を突き放していたのだと。

 でも、考えると、どうでもいいように思えてきた。

 彼女がそうしたいのなら着いてこればいい。去りたいのなら、去ればいい。

「勝手にしろ」

 彼は歩き出した。

 本音を言うと、彼女にはそばにいてほしかった。

 もう二度と、失いたくない。自分のそばで死なれることだけはごめんだ。 

 なぜだかそんな気持ちがあふれ出す。

 その理由は分からない。

「はい!」

 明るい声を背中に聞く。

 彼女は勢いよく駆けてきた。


 また彼らは旅を続ける。

 二人は歩き出した。


★城


 そんなこんなで道なりに進むと巨大な城が見えてきた。

 潜入。

 存外、中は静かだった。

 上へ上へと上ってもなにも起きない。

 さすがにおかしい。

 外れだろうか。

 疑いながらも引き返すわけにはいかず、上を目指す。

 ついに玉座の間に到着する。

 そこは空席だった。

 中には誰もいない。

 やはり。


 いつの間にか聖女の姿がない。

 彼女はいったいどこへ行ったのやら。

 気にはなるがこの静謐なる城だ。

 敵も現れないし大丈夫だろう。

 青年は特に気にしなかった。


 そう思ったとき、後ろに謎の気配が生じた。

「どなたですか?」

 視線のみでそちらを向く。

 立っていたのは堅い格好をした女だった。

「魔王ならいませんよ」

 彼女は厳正な態度で口に出す。

「逃げたか?」

「さあ」

 女はそっけなく返す。

「言っておきますけど、世界に滅びをもたらさんとしているのは魔王ではありません」

「なに?」

 ありえない言葉。

 眉間にシワを寄せ、聞き返す。

「あの人は悪い人ではありません」

 まっすぐな眼で伝える。

 しかしそれはとうてい、信じられるものではなかった。

 魔王が悪い人ではないだなんて、いままでの所業を見ていると、そうは思えない。

「信じてくださらないのなら、それで結構です。では、私はこれで。用があれば会いに行きます」

 口にした瞬間、秘書は光に包まれて、姿が消えた。

「転移か」

 目の前で起きた事象の名称を口にした。


「あの……」

 声がした。

 振り返る。

 入口から恐る恐る姿を見せたのは聖女だった。

「お前、いままでなにをやっていたんだ?」

「それは、その……」

 気まずそうに目をそらす。

 どうせどこかではぐれただけなのだろう。

 心配していなかったのだから、構いやしない。

「まあいい。帰るぞ」

 そう言い切って、玉座の間から出ていく。

 後を聖女も追いかける。

 かくして二人は魔王城を後にするのだった。


★逆恨み


★行く


 別々に動くことになり、こちらはこちらで勝手に進む。

 相手のことは気になるが今のところは追ってこない。

 それはありがたいのだが、いまいち信用ならない。

 いつ襲撃をしてきてもいいように、気を引き締める。

 そうこうしている内に近づいてきた。

 村だった。


★村に着く


 村に着く。

 そこは花にあふれた場所だった。

 辺境の地にあった村と同じく牧歌的で平穏な空気が流れている。

 だけど少しだけ華があって、いい雰囲気だ。

 それだけに不安が漂う。


★夫婦に世話になる


 最初に宿を探したが、どうやらここにはないらしい。

 仕方がないためうろついていると、快く引き受けてくれる場所があった。

 そこはある夫婦の住む場所。

 広いため、居心地はよかった。

 しばらくはここを拠点に過ごすか、滞在してもよいと思うほどだ。


★村の周辺を嗅ぎ回る影


 村の周囲を影がうろついている。

 それは刃を持って人に近づこうとしていた。

 とっさに駆けつけ、止める。

 だが、その数は多い。

 村が危ない。

 彼は奥へと駆けていった。


★襲う


「きゃっ」

 悲鳴を上げて、身を固くする。

「動くんじゃないわよ」

 低い女の声を背中に聞く。

 恐る恐る視線を滑らすと、そこには魔族の女がいた。

「あんたはこれからあたしのもの」

 あがきたいならあがけばいい。

 どれほどもがこうと、こちらは彼女を逃さない。

 女は口角をつり上げた。


★聖女がいない


 気がつくと聖女がいない。

 どこを探しても見つからなかった。

「お困りかい?」

 不意に声がかかる。 

 そちらを向くと宿敵が木の幹を背に、立っていた。

「お前の仕業か?」

「なんの話だ?」

 緊張した面持ちで問いかけると、相手は問い返す。

 張り詰めた空気で二人はにらみ合う。

 だが、こんなことをしていても無駄なのは分かっていた。

 宿敵は冷笑を浮かべると、口を開いた。

「バカじゃねぇの? なんでもかんでも俺の仕業にすれば済むと思ってんのか? だからお前は無能なんだ」

「なんだと?」

 露骨な挑発に乗る。

「焦るなよ」

 宿敵は冷静に告げた。

 やけに低い声だった。

「俺はあの女の魔力を辿れる。着いてこい」

 彼は言う。

 背を向けて歩き出した。

 それを、信じてもいいのか。

 分からない。

 心が騒ぐ。

 宿敵なんざに頼りたくはない。

 それでも、今は彼の力が必要だ。

 青年は渋々歩き出した。


★自分の醜さに対する嫉妬と痛めつけ


「私はただあんたと痛めつけたいだけ。そこに大義も名分もないのよ」

 ナイフを振るいながら女は叫ぶ。

「あんたがそこにいることが我慢できない。こっちの気も知らないできれいに振る舞って。それがどれだけこちらの劣等感を強めるのかも知らずに!」

 尖った刃が肉をえぐる。

 血が飛び散り、こちらの服を汚す。

 汚れていく。

 醜く歪む。

 その表情も、濁った瞳も。

 額に生えた角も。

 なにもかもが醜い。

 人の形をしておきながら人ならざるものである。

 それなのに、なぜ相手はそうではないのか。

 なぜ当たり前のようにきれいなのか。

 認められない。

 認められない。

 嫉妬の炎を燃やしながら、彼女は嗤う。

「あんたは醜いものを知らないから、触れたことすらないから、平気な顔をしていられるの。なにもかもきれいなままでいられるのよ。ほら、もっと本性を出しなさいよ。自分でも知らない醜い中身をさらけ出しなさいよ!」

 口角をつり上げ、大きく声を張り上げる。


 手首を鎖でつないで、魔力を封じた。

 回復は使えない。

 血が流れていく。

 痛みが体を貫いた。

 脳が麻痺する。

 思考が回らない。

 だけど、相手の言葉は自然と耳に入ってきた。

「なんだ……結局あなた、自分が嫌いなだけだったんですね……」

 やっとのことで言葉を繰り出す。

 途端に女は目をキッとつり上げ、刃のごとき眼光が放たれた。

「でも、安心してください。私は確かに聖女です。ですが本当の私はそうではない。その正体は、普通の少女ではない。私がきれいな人間でないことくらい、私が一番分かっているのです。本当はこの世にいてはならない人間であることも」

 彼女はなにを言っているのか。

 相手の女には分からない。

「だからなによ。あんたは聖女。それは確かなことなんでしょ?」

 わけが分からない。

 相手がきれいだからこちらは憤っている。

 こちらにとっては彼女が彼女であることが我慢できない。

 受け継いだ清らかさを我が物顔で振る舞う彼女が。

 そうであると定められただけなのに。

 なにも、醜さを知らない癖に。


★窮地を助ける


「でも、いいんですよ……私はあなたを享受します。いくら醜くても……認められなくても……それが人なのだから。あなたのそれは、人の持つ感情です」

 瞬間、女は目を大きく見開いた。

 分からない。

 分からない。

 なのに、心が波立っている。

 震えている。

 胸に衝動が突き抜ける。

 それを抑えることはできず。

 ただ思うがままに口を開け、叫んだ。

「ああああああああ!」

 思いのままにナイフを振り下ろす。

 その刃は聖女の腹部に刺さった。


 灼熱の痛みが襲いかかる。

 刺さったままであるため、血は派手には吹き出さない。

 だけど、聖女には分かった。

 これは致命的な傷になる。

 起き上がれない。

 起き上がる気力すらない。

 生命力が失われていくような気配。


 視界の端が黒くなる。


「どんなにあがいたってもう終わりなのよ。あんたはここで死ぬのよ」

 女は声を荒げる。

 けれども、聖女は笑った。

 希望はない。

 そのはずなのに。

 それでもその少女はまだ、瞳に光を宿していた。


「彼は、来ますよ」

 口の端から血が流れる。

 それでも彼女は言う。

「私が彼を想うから」


 瞬間、女の背に影が立つ。

 相手は目を見開いた。

 そして刃が視界に飛び込む。


「離れろ。俺は女でも容赦しない」

 冷徹な声。

 女が震えた。

 殺される。

 確かにそう思った。


★回復魔法


 女は命の危険を感じて、逃げ去った。

 入れ替わる形で、青年は聖女に駆け寄る。


「おい、さっさと起きろ」


 両の手首についた鎖を切り、すがるように呼びかける。


「意識さえあれば治せるんだろ? なあ? 抱え落ちなんざ笑えんぞ」


 頬にふれる。

 聖女の顔は青ざめ、目は固く閉ざされていた。

 完全に意識がない。

 そうしている間に血は流れていく。

 生命力が失われていく。

 このままでは本当に……。


 察した瞬間、背筋にぞっとしたものが走った。

 直後、彼の背後に影が現れる。

 青年は振り返らずに、口を開く。


「おい、さっさとしろ。お前ならできるんだろ?」

「よりにもよって俺に命令するのかい?」


 宿敵は口角をつり上げ、挑発するように言った。


「早くしろ。そうでないと殺す機会すら失われるぞ」


 このままでは止めを刺せないし、手を出すことも彼は許さない。


「回復魔法を使え。そうでないとお前を殺す」

「その脅しは通用しねぇよ。お前じゃ俺を殺さねぇ」


 あざ笑うかのような笑み。

 その瞳に冷たい光が宿った。


 青年は舌打ちをした。

 彼は言うことを聞かない。

 だったらどうすれば……。


 そう思ったとき、急に彼は言う。


「分かったさ」


 そっと近づくなり、術を発動させる。

 手のひらから溢れた光が体を包む。


「う……」


 聖女の唇が動く。


「お前……どういう風の吹き回しだ?」


 瞠目しつつ問いただす。


「わざわざやってくれた者に対する口に聞き方じゃ、ねぇよな?」

「どうでもいい。答えろ」

「理由? なにも。ただ殺すのはここじゃぁない。少なくともこんな辺鄙な土地の端っこで命を落とすこともねぇだろ。俺はそいつにふさわし死を届ける。そのためにそいつをさらう」

「させないぞ」


 睨みつける。

 だが相手は余裕の態度を崩さなかった。


「お前を排除したら必ず連れ去る。せいぜい、そのタイミングが来るまでビクビクとしながら待っていろ」


 それは青年に対する宣戦布告だった。


★救われてしまった


 魔族の女は逃げて、村から距離を取る。


 ここまでこれば大丈夫。

 分かっていても、心が波立つ。

 ドキドキとしている。


 その理由は緊張でも恐れでもない。

 それは決して悪い感情ではない。

 後ろ暗い感情の中にかすかに希望の灯火がともったような。


 あんなきれいなだけの女の言葉に動揺するなんて。

 だけど、それで救われた部分があった。

 人間らしい感情。

 自分は人間だと。

 そう言ってくれたおかげで、受け入れられた。

 自分は確かに人だった。


 どれだけ醜くてもそれは確かに人なのだと。

 よりにもよって憎くて仕方のない相手に言われるなんて。

 悔しさを噛みしめる。


 だけど、本当は分かっていた。

 こんなことをしても意味はない。

 暴力をふるってもこちらの醜さが証明されるだけ。

 なんの意味もなことなのだと。


 複雑な感情をいだきながら、女は雲の広がる夜空を見上げた。


★平穏が壊れる


 村に炎が上がる。

 人々が切り裂かれ、倒れていく。

 まるであの日の再来のよう。

 その日、平穏が崩れた。


★手当たり次第に殺戮


 そこにいたのは手当たり次第に人を殺す怪物だった。

 見た目は人に似ている。

 ただ、肌の色は黒く角が生えている。

 それだけで人ではないと分かった。

 人と中途半端に似ている。

 それゆえに恐ろしさが増していた。


★事情を話す


 その中で一人、棒立ちになっている娘がいた。

 最初は青年も戦う気でいた。

 けれども彼女は一向に動かなかった。

 だから青年も武器を下ろすことになる。


「私、本当はもう戦いたくないんです」

 相手は視線を落とし、語る。

 その手にはナイフは握られていない。

 戦う意思はなかった。

「なんのためにこんなことをやっているのか。いくらリーダーのためとはいえ、私には人間に対する恨みはないというのに」

 彼女は知っていた。

 皆が皆、愚かな存在ではないことを。

 自分たちは所詮は悪。

 その事実を受け入れている。

 ただの人として生きることはできない。

 それでもなお、線を引くことで、戦い合わずに済むこともできるのではないかと。


 そう、顔を上げて。

 一縷の希望にすがるように、青年を見た。


★足蹴にして冷笑する


 やり直せるかもしれない。

 相手はかすかな希望を抱いた。

 これから先になにが起きても大丈夫。

 そんな予感がした。


 直後にそれは起きた。

「はははは、ひゃっははははは!」

 哄笑が轟いた。

 男は相手を蹴り飛ばし、その肉体を地面に倒し、また蹴った。


 楽しそうに楽しそうに彼は相手をいたぶる。


 唐突かつ異様な出来事。

 ぽかんと立ち尽くす。


「やり直せるって? バカ言ってんじゃねぇよ。お前はもう間違いを犯したんだ。それをどうこうできるわけがねぇよなぁ!?」

 大きな口を開けて呼びかける。

 それはまた楽しげで。

 高く張り上げた声に快楽の色が混じっていた。


 生じるうめき声。

 すると、急に冷めたのか男は、真顔になる。

「ちょうどいい。実験台だ」

 刃を取り出す。

 それは禍々しい光を帯びていた。

 彼は剣を振り下ろす。

 ザッと重たい音。

 途端に相手は身震いしたが、あっさりと動かなくなる。


 そして、もう二度と。


 一撃の元、相手は絶命した。


 青年はなにもできずに見ていた。突っ立ってしまう。



★後に意趣返しを食らう悪女


 影が迫る。

「お前、あの女を散々痛めつけたんだっけ?」

 爽やかに笑いながら男が迫る。

 その細めた目には光が宿っておらず、不穏なものを感じた。

「違うの! あれは……!」

 反射的に叫んで言い訳を繰り出そうとするも、言葉が続かない。

 理由も説明も虚空に消えた。

 焦りと動揺で頭が真っ白になる。

 目がぐるぐると周り、瞳は泳ぐ。

「意趣返しだ。お前も同じ痛みを味わってもらおうか」

 手首を掴んで、ナイフを手に取る。

 そして男は女を押し倒し、聖女がされたのと同じように、刃を振り下ろした。


★嬲る


 彼は人を殺さない。

 やろうと思えば殺せるが、これはそういう類のものではない。

「ほら、苦しめ」

 男の口角が醜く歪む。

 かと思うと、彼は思いっきりナイフを女の腹に突き立てた。

「ウッ!」

 悲鳴が上がる。

 それから何度も何度も切り刻むように、刃を突き立てる。

 その度に女は声を上げた。

 視界が赤く染まる。

 もうなにも聞こえない。

 感じるのは痛みだけ。

 体の中心に走る灼熱の痛みは和らぐことなく、彼女の身を貫いた。


「はぁ……はぁ……」

 息を荒げたまま倒れている。

 目の端には涙さえ浮かんで。

「はは、ははははは!」

 哄笑だけが部屋に轟く。

 彼は嘲笑っていた。

 そしてまた刃を突き立てる。

 その行為に意味はない。

 ただの遊び。

 それでしかなかった。


★そちらへ向かう


 割り込もうかと思った。

 だが、動けなかった。

 相手は所詮は魔物だ。

 こちらに仇なすものでしかない。

 それを始末しようとしている。傷つけている。

 それを止めることは自分にとっては正しくはない。

 かといって、これは……。

 いっそう、思い切りよく殺してしまったほうがいい。

 だから近づこうとして。

 剣を抜いた。


 そのとき、女の声が響いた。

 そちらへ意識を向ける。

 悲鳴にも似た泣き声。


 それは街でよくしてもらった婦人のものだ。

 彼女のもの。

 それに気づいた瞬間、頭を覆っていた雲が晴れる。

 青年はまっすぐにそちらへと走っていった。


★殺される


「死ね!」

 敵は剣を振るった。

 男は傷つき、血を流しながら、崩れる。

 その肉体が宙を舞い、地に落ちた。


 その様を遠くから女が見ていた。

 唖然と、目を見開いて。


★夫が死ぬ


 目の前に倒れ伏した男を見て、女は崩れ落ちた。

 それが夫であると分かったからだ。

 守れなかった。

 救えなかった。

 あれほどまでに走り回ったのに。

 熱い思いを抱えていたのに。

 それが今、吹ききれて。

 もうなにも。

 立ち上がることすらできそうにない。


★慟哭


 慟哭が響き渡る。

 失ったものへすがりつくように。

 女はうなだれ、泣き叫んだ。

 その頬を濡らすのは雨が涙か。

 鈍色の空は厚い雲で覆われ、雫が降り注いでいた。


★高笑い


 藍の感情が胸を染めた。

 体から力が抜けて、がっくりと膝をつく。

 悲しいのか嘆きたいのか。

 空虚なのか。

 自分は今なにを考えている。

 どんなリアクションを取ればいい。

 ただ重苦しい空気だけが強くなっていく。

 その厚く垂れ込めた幕を斬り裂くように、高い男の声が響いた。

「アッハハハハハ、アヒャヒャヒャ、ハハハハハ!」

 大きな口を開けて笑っている。

 その声は実に楽しげに、愉悦を持って繰り出された。



★割り込む


 男が迫る。

「次はお前だ!」

 女を殺そうとしている。

 そこへ駆けつける足音。

「そうはさせない」

 攻撃へと割り込む。

「なんだ?」

 相手が不快げに顔を歪めた。

 青年は体勢を整え、改めて相手と相対する。

 戦いが始まろうとしていた。


★仇だと判明


「なるほど、なるほどなぁ!」

 男は高らかに笑い出した。

「お前らが俺を恨むのは分かる。なんせ俺はいままで散々村をぶっ潰してきたからな!」

「なんだと……?」

 唐突に繰り出した言葉に、青年は低い声を出す。

「ああ、そうだ。最初はどこだっけ? 辺境の地まで行ったな。人間を全員残らず食い尽くしてきた。だが、構いやしねぇだろ? さんざん俺たちを追いやってきた報いだ」

 ペラペラと語る口。

 聞いていて、うまく頭に入ってこない。

 だけど、分かった。

 目の前にいる男が仇だ。

 あの村を潰したのはこの敵だ。


 心の中をうずまく感情は激しさを巻く。

 マグマが沸騰し、より強い思いとなって、胸にこみ上げてくる。

「お前が、そうか」

 大きく口を開け、思いを吐き出す。


 これまで散々、耐えた。

 仇を討つために、約束を果たすために。

 それだけを考えていた。


 だが、もういい。

 こらえる必要などない。

 その思いのまま足を踏み出す。

 大きく、力強く。

 そして彼は剣を振るった。


 何度も何度も、めちゃくちゃに。

 原型を止めなくなるほどに。

 そして敵はあっけなく地に伏せた。

 そこには血まみれの男が倒れている。

 かろうじて息はある様子だ。


 それならばちょうどいい。

 最後に聞いておきたいことがあった。


★殺意をむき出しにする


「殺してやる……!」

 苛立ちを吐き出す。

 殺したくてたまらない。

 その思いが刃のように心を貫き、殺気を放った。


★瞬殺


 決着は早かった。

 一度、交差したかと思えば、相手は倒れている。

 まさに一瞬の決着。


★逆恨み


「お前はいったいなにがしたかったんだ」

 冷たい目で相手を見下ろす。

 そこには一切の感情がなく、闇色に濁っていた。


 やがて彼はゆっくりと語り出す。

 その口元に皮肉げな笑みを浮かべて。

「俺は人間に家族を殺された」

「だから自分もやり返したって?」

「ああ、そうだ」

 魔物は何食わぬ顔で言い切った。

 その飄々とした態度を見ていると、胸糞が悪くなる。

 そんな者のために。

 確かに相手はつらい思いをして憎しみを抱いたことだろう。

 だが、あの村の者たちが何をした。

 まるで関係がない。

 彼らはただ生きていただけ。

 相手と敵対した者たちと同族だっただけ。

 なにの意味もない。

 ただ無意味に傷つき倒れただけではないか。

「憎しみに駆られたやらかした結果がこの始末。お前も気をつけろよ。復讐なんざしたところで、結末は見えている」

 忠告をするように相手は言う。

 それは聞き入れた。

 だが、全て承知した上だ。

 彼は躊躇なく刃を振り下ろした。

 ザクッと無慈悲な音。

 地面に血が流れ、広がっていく。

 止めを刺して、立ち上がる。

 彼はまた歩き出した。



★天罰


「勘弁してくれ。俺はもう一人なんだ」

 リーダーを倒され、戦意喪失した格下の男。

 彼は青年を見るや、逃げ出した。

「おい待て」

 すぐさまそちらを向いて追いかけようとする青年。

 だがその前に暗黒色の空から雷が降る。

 それはまっすぐに男に当たった。

「おぎゃあああ!」

 喜劇のような絶叫を上げて、男は倒れる。

 彼は黒焦げになっていた。


 近づき、死を確かめた。

 あっけに取られながらも、息を吐く。 

 天は見ている。

 裁きは下ったのだと腑に落ちた。


★拷問


 宿敵は傲慢を称して相手を傷つけ続けた。

「私たちのリーダーは……北にいます……」

 息も絶え絶えに言葉をつむぐ。

「へー、そう?」

 宿敵は口角をつり上げた。

「だから、お願い。助けて……命だけは……」

 彼を見上げ、懇願するように告げる。

 しかし、宿敵の目は冷めていた。

「は? 助けるわけねぇだろ」

 そして彼は容赦なく剣で女の首を斬った。

 ためらいはない。

 貴重な情報を聞き出せたのだから後はどうでもいい。

 用済みだと言わんばかり。


 胴体と頭を切り離され、相手は動かなくなった。

 草原には赤い血が線を描き、転がった首は目を見開いたまま、硬直している。

 女は死してなおこちらを見ていた。

 呪いを残すように。


★いたぶる


「あなたは私を甚振ってるだけなんでしょ? そうよね。だったら命だけは助けてくれるわよね」

 口からよだれを垂らし、涙すら流しながら彼女は懇願する。

 青年はきょとんとしながら顔を傾ける。

「もちろん殺すよ」

 無慈悲なほどにあっさりとした返事。

 たちまち女は愕然とする。

「そんなッ!」

「当たり前だろ。君らは生かしちゃいけない存在なんだからさ」

 目を細め、慈しむように、彼女を見下ろす。

 女はただただ表情を強張らせる。

 蒼白に染まった肌を汗が滑り落ちていった。

「じっくりと殺していくんだ。足の先から、だんだんと上げていく感じで。でも、俺って優しいからさ。意識だけは最後に残して上げる。頭だけは生かしておくのさ」

「やめて……お願い!」

 悲痛な叫びが上がる。

「あああああああ!」

 そして森には女の絶叫が響いた。


★聞き出したぞ


「ほら、聞き出したぞ。次は北だってよ」

 剣をしまい、女に背を向け、宿敵は語りかける。

 先ほど殺しをしたばかりだと思えないほどさっぱりとした態度。

 それでいて、自慢げだ。

 自分がお前の代わりにやってやったのだと、恩を着せているかのようであった。

「それで感謝すると思ったのか、俺が」

 頑なな態度で相手と接する。

「なんだよ、釣れねぇな。俺がやってやらねぇと情報を聞き出せないばかりか、敵を見逃していたんだぜ」

 それを聞くと言い返せない。

 過程や心情はどうあれ、相手はこちら側の役に立っている。

 人間側として行動をしている。

 それだ最も腹立たしい。

 イライラが胸の中で膨れ上がっていく。

「もういい」

 これ以上相手と顔を合わせる気はない。

 どうせ隙を見せれば殺しにかかってくる。

 そんな相手からは早々に逃げるに限る。

 そうして青年は去っていった。


★風邪


 長らく雨に当たりすぎて、風邪を引いてしまったらしい。

 おかげで数日間、ベッドの上で過ごす羽目になった。

「なんでお前はなんともないんだよ」

 理不尽だというように呼びかけると彼女はくすっと笑った。

「私には聖なる加護がありますから」

 なんだそれと心の中でつぶやく。

 結局、そういう素質のな者はどうしようもないのだ。

 そう受け入れることにした。


★後ろ暗さ


 彼女のことを知りたかった。

 その前に自分の隠していることを言わねばならない。

 他人の秘密に介入するのだ。それくらいはする義務がある。

「俺、人を殺してたんだ」

 うつむき、ぽつりぽつりと語り出す。

「悪人だ。俺はそれを殺していた。きちんと止めを刺して。絶対に逃さないと誓ったから」

 それを彼女は静かに聞いていた。

「悪人は殺されてしかるべきだ。あんな連中、他人を犠牲にして生きるような奴に、平気な顔をして生きる資格はない。でも、この国に法はないんだろ。俺らがやってることは、私刑だ。別にやったら駄目だって書いてない。でも、だったら、俺たちもあいつらと同じ。同じ人殺しなんだ」

 口を閉じる。

 奥歯を噛み締め、拳を震わせた。

「俺だって悪いんだよ。悪いやつなんだよ」

 声を震わす。

 彼は暗殺者としてのおのれを恥じていた。

 本当なら耐えなければならなかった。

 どのようなことをされても、やり返してはならない。

 それがこの世界の美徳だ。

 それに逆らった。

 やり返してしまった。

 理不尽に刃をふるって、自分とは関係のない悪を裁き続けた。

 相手が悪だというだけで、その生命を奪い取る。

 その行いは本当に正しかったのか。

 少なくとも倫理的には、よいとは言えないものだった。


「そうですね」

 聖女は口を開く。

「あなたはいけないことをしたと自覚をしているのですね?」

 柔らかな声が、太陽の光のように、彼に届く。

「どのようなことであれ他者を殺めるべきではなかった。刃を向けなければ被害者のまま、哀れな存在のままでいられたのに」

 そう、犯した時点で自身も同じ立場に立ってしまう。

 奪われる側から奪う側へ。

 自身が憎む相手と同じ場所へ。

「でも、私はあなたを憎みません。蔑みません。あなたがあなたであるのなら」

 そっと女は微笑みかけた。

 罪を罪と認めながらも彼女は青年を否定しない。

「それでも私はあなたの中にある光を信じます」

 そう、彼の中にある人間性だけは正しいのだと。

「あなたは後ろ暗さを抱えている。罪悪感を持っている。それはきっと尊い感情。単なる悪が持ち得ないものです」

 だから誇ってもいいのだと。

 そう告げた。


 途端に彼の心がぐらつく。

 暗黒に染まっていた視界に光が差し込んだようだった。

 ただこれ以上はなにも言えない。

 青年はただ、頭を抱えた。


「お返しです。私のこと、ほんの少し、教えます」

 彼女は言う。

「私は本当は死んでもよかったのです」

 淡々と、冷静に彼女は告げた。


 青年は顔を上げる。

 ぱっと目を見開いて、彼女を見た。

 聖女は平然とそこにいて当たり前のような顔で、こちらを向いている。

「この世からいなくならなければならない。一人だけ生き残ってはならない。私は死ぬべきなんです」

 落ち着いた口調で彼女は伝える。

 たちまち、青年は混乱した。

「おい、どういうことだ?」

 ぼうぜんと問うた。

 聖女は目をそらす。

「ごめんなさい。私は秘密を抱えて生きています。これだけはどうしても伝えられない。あなたの前でだけはきれいでいたい。だから」

 顔を上げる。

 まっすぐに彼を見つめた。

 特別な想いを秘めて、彼にだけ届くように。

 けれども、青年には分からない。

 彼女が抱えているものが。

 その想いの正体が。


 ややあって聖女は苦笑した。

「無理、ですよね。隠し事をしている時点で、きれいだなんて、そんなものからは離れているのに」

 どうあがいても自分は清らかな存在にはなれない。

 そう諦めたような雰囲気。

 聖女はただ、笑った。

 今にも壊れそうな、儚い、ガラス細工のような笑い方だった。


 分からない。

 青年にとって彼女は聖女だ。

 どうすればいい。

 なんと返せばいい。

 分からない。

 彼女を救う方法はないのだろうか。

 考えた。

 考えたけれど。

 青年の頭は灰色の雲で覆われており、うまく答えが浮かばない。

 言葉すら混沌の渦の中へ消えていく。

 長い沈黙が流れた。


★許されない


 彼女を救う資格は自分にはない。

「俺はきっと許されないよ」

 ベッドの上で弱音を吐く。

「どうして?」

 きょとんと彼女は尋ねた。

「だって、俺は人を殺してたんだ。あいつらと同類だよ」

 彼はつぶやく。

「お前、言ってたじゃないか。復讐なんてしたって、意味はない。加害者と同じ位置に堕ちるだけだって。ああ、そうなんだ。俺はそんな奴なんだ。どうでもいいと思っていた。堕ちてもいい。天罰が下ってもいい。それでもただ暴れたかっただけなんだ」

 この鬱憤を晴らしたかった。

 それは、その動機は、その行いは。

 人を殺めて楽しんでいた彼らと変わらない。

「そうですね……」

 彼女は言葉を落とす。

 顔をうつむけ、ぽつりと。

「あなたがどれほど逃げようとしても、私はあなたの罪を赦さない」

 紛れもなく彼自身のために。

「それでもあなた自身には、救われてほしいのです。幸せになってほしいのです」

 彼女は顔を上げ、真摯な目で訴えた。

 その言葉は妙に胸に響く。

 ドクンと音がして、心の内側に波が立った。

 また、顔を覆いたくなる。

 どうして彼女はこれほどまでに自分の欲している言葉を与えてくれるのか。

 彼女にそばにいてほしい。

 救われたい。

 そんなことは許されないと分かっているのに。

 個人の幸せなんていらない。

 報いなんて必要としていない。

 自分は目的を失って、他人の想いに突き動かされているだけの、亡霊だ。

 そんな自分はここにいてもいいのか。

 普通に生きていて、よいのだろうか。

 分からない。

 だけどまだ、役割があるはずなのだ。

 自分にしかできないはずのなにかが。

 そのために前世の自分に想いを託されたはず。

 それを思い出せない。

 なにも。

 かすりすらしていない。

 そうして、夜は明けていく。

 空は白みつつあった。


★嗜虐心


 薄暗い部屋の中。

 体温のような温かさが下りる。

 少女はぷっくらとした唇を、ゆっくりと開いた。


「そんな、悩ましげな顔をしないでください。私、耐えられない」


 唇を震わす。

 だがその声色にはかすかな喜色が混じっているような気がした。


「あなたの罪の意識がまるで自分のもののように思えて、その辛さが身にしみてしまう。それが気持ちよくて、たまらない」


 かすかな静寂。

 その反応が予想外で、青年は目を大きくした。


「私は苦しんでいるあなたが好き」


 据わった目でつぶやいた。

 その瞳はガラス玉のように震え、頬はほんのりと紅に染まっている。


「だからあなたにはもっと、苦しんでほしいのです」


 その唇が弧を描く。

 その瞬間、初めて彼女の本質を知った。

 そうだ、彼女は。

 他人の苦しみに共感し、同情してしまう。

 そしてその苦痛を自分のもののように感じ取る。

 その苦しみが好きなのだ。

 悲しみが気持ちよくてたまらない。

 聖女はマゾヒストでありサディストだった。


★出発


 風邪は治った。

 パーティも行った。

 村は守り抜けたけれども、どうにも哀しいような雰囲気。

 埋め立てられた墓が嫌な存在感を放つ。

 その重たい空気を拭いきれぬまま、出発の時が訪れた。


★感謝される


「ありがとう」

 婦人は気丈にも笑いかけた。

「この街が生き残れたのはあなたのおかげです」

 誠意を込めて思いを伝える。

 青年はなにも言えなかった。

 守った。

 確かにそうかもしれない。

 敵を倒したのは自分だ。

 けれども、守りきれない命もあった。

 見放してしまったものもあった。

 それなのに、どうして、そんな感謝を。

 受け入れられない。

 気持ちよく終わることができない。

 苦々しい感情が胸に広がった。

 今はただ、彼女の感謝を受け入れることで精一杯だった。


★株を落とす


「おやー? 俺はどうしたよ? こっちもなかなかに頑張ったはずだぜ?」

 のこのこと宿敵が姿を現す。

 皆は一斉にそちらを向いた。

 けれども彼らの視線は冷たい。

 軽蔑の眼差しだった。

「昔のあなたは知りません。しかし今のあなたはいたずらに弱者をもてあそぶだけ」

 婦人は厳正な態度で告げる。

「今のあなたを英雄とは認めません」

 ハッキリと、そう。

 瞬間、男は固まった。

 けれどもすぐにケッという顔をした。


★見送られて退場


 いつの間にか宿敵の姿は消えていた。

 だが、彼のことはどうでもいい。

 今後、関わることはあろうが今は。


 それから青年と聖女は皆に見送られて街を出た。


★共闘


★北へ


 宿敵は言った。

「俺は拷問をして情報を手に入れた。北だ」

 堂々と。

「騙すつもりじゃないだろうな?」

「嘘をついて俺になんの得がある? 言っとくけど、俺は人間の味方だぜ? 悪は滅する。それだけさ。そのためにはお前の力も必要なのさ」

 よく言う。

 相変わらずなにを考えているのか分からない男だ。

「いいから俺に従えよ」

 苦笑をにじませ、彼は言う。

「彼は魔力探知を得意としています。私のときもそれでまっすぐに追ってきました」

「ストーカーかよ」

 ドン引きである。

「人聞きの悪いことを言うな。ただのスキルだ」

 などと言っているが、実際に追い詰めにかかっているのだから、言い訳はできない。


 とにもかくにも相手に従ってさえいれば目的の場所にたどり着く。

 そう信じた彼らは相手に先導を任せ、進むのであった。


★魔の領域に到達。


 魔の領域に到達した。

 周囲は霧で覆われていて、よく見渡せない。

 明らかに危険だが、ここから先にはなにががある。

 そんな予感に突き動かされるように、一行は前に進んだ。


★聖女と離れ離れ


「あれ?」

 進んでいく内に近くから気配がなくなっていることに気づく。

 聖女だ。

 白いローブを身に着けた彼女の姿がない。

「この霧だ。言わんこっちゃねぇな」

「言うもなにも、そんなこと聞いてないぞ」

「知らねぇな」

 軽くかわす。

 そのまま彼はどんどん突き進んでしまう。

 はぐれてもいいとばかりに。

 こちらも彼とは離れても構わない。

 むしろ離れたいくらいだ。

 それよりも彼女のことが気になる。

 だがしかし、無闇に動いてもどうしようもない。

 聖女なら魔には有利に立ち回れるだろう。

 そう信じて、彼は前に進んだ。


★共闘


「共闘しようぜ」

「はぁ?」

 いきなりそんなことを言い出した。

 いったいどんな風の吹き回しなのやら。

「お前なんざ信用できるか!」

「これは心外だな。これでも俺、ヒーローって言われてたんだぜ?」

「昔の話だろ」

「最近だろう?」

 とぼけたように言う。

 確かに昔というほど昔ではないが、そういう問題ではない。

 とにかく相手は得体が知れない。

 悪だとは分かっている。

 そんな者に背中を預けられるか。

 ためらっている間にも相手は先に進んでしまう。

 城から入り口へと。

「なら俺が先に殲滅してやらぁ」

「おい、待て」

 慌てて追いかける。

 相手を野放しにするとなにが起きるか分からない。

 かくしてなし崩し的に共闘が始まった。


★正義気取りの人殺し


「言っとくが、俺はお前が嫌いだ。その気になればその首、切り落とそうと思っている」

「そいつは俺だってそうさ。邪魔だからね」

 当たり前のように彼は言う。

 バチバチと。

 共闘しているとは思わないほどに刺々しい雰囲気。

「今はいい。それにお前を殺さなくても目的は達成できるさ」

 彼は言う。

 青年は分からないというように気の抜けた顔をした。

 その様を見て、相手はからかうように笑う。

「あくまで殺したいのは女のほうなんだ。勝手に意識してくれるなよ、正義気取りの人殺し」

 冷たいほどに低い声で宿敵は言い、歩き去っていった。


★お前はいったいなんなんだ


「お前はいったいなんなんだ」

 歩いていると、不意に前方の男が口を開いた。

「俺はお前自身の意思を聞いちゃいねぇぞ」

「それは……」

 前々から言っている。

 それは。

「俺はみんなの意思を継いでここにいる。魔王を倒す。そのために俺は」

「そうじゃねぇ」

 誠実に語りだそうとする青年を、宿敵は制止する。

「お前、耳ついてんのかよ? 俺は『お前がなにをやりたいのか』を聞いてるんだぜ」

 一つひとつの単語を強調するように、彼は言う。

「なにって……」

 口ごもる。

 自分の意思は決まっている。

 魔王を倒す。

 村で少女と交わした約束を守る。

 ただ、それだけ。

 それしかなかった。


 分かった瞬間、頭が真っ白になるのが分かった。

 そうだ、自分は最初から前世に残された感情に支配されて生きてきた。

 それに従って生きてきた。


「お前は空っぽの人間なんだよ。分かるか? 自分がねぇ。これをしなきゃいけない、やらなきゃいけない。そればっかりだ。誰かに言われたとか、感情に支配されたとか、好き放題言いやがって。全部、ただの言い訳じゃねぇか。いい加減に素直になれよ。本当のことを話してみたらどうなんだ?」

 彼は早口でまくしたてる。

 その勢いに圧倒されて、青年は言葉をなくした。

「本当はただ暴れたいだけなんだろ。鬱憤晴らしをしたいだけなんだ」

「それは……」

 それは確かだ。

 いままでだって自分は復讐を殺人の口実に使ってきた。

 だけど罪は罪。

 そんなことは分かっているはずだった。

 ああ、だからこそ。

 それが悪ではないと、許されてよいことなのだと、正当なのだと。

 ずっと誰かに言ってほしかった。

 そうすれば安心できるのに。


「同列なんだよ。お前はな」

 それくらいにまで堕ちているのだと、彼は言う。

「自分の気持ちに素直になれねぇやつなんざ、下の下だ。悪は悪だが、俺らよりもよっぽどくだらねぇ。気に食わねぇ野郎だな」

 吐き捨てるように言うと、彼は背を向ける。

 そうして宿敵はどんどん奥へと進んでしまう。

 それに遅れて彼も歩き出した。



★特攻してこい


「回復が俺がやる。さっさと突っ込んでこい」

「言われなくても全員薙ぎ払ってやる」

 迎え来る敵を打ち倒す。

 多少の傷は問題ない。

 ここには白魔道士もいるのだから。

 しかし彼に傷を治されるのはどうにも癪だ。

 気に食わない。

 憤りすら覚えながら彼は戦闘を進めていった。


★押し付ける


 どうにも数が多い。

「おい、お前に全部押しつけるぞ」

 青年は思い切った声を上げる。

「はぁ!? お前、なに言って?」

 彼は困惑して、あんぐりと口を開ける。

 言うが早いか、青年は走り出した。

「ああ! テメェ、逃げやがったな」

「大人数の相手ならお前のほうが得意だろうが」


 それがそうだが……。

 そんな声が聞こえた気がしたが、無視した。

 とにかくここは急がなければならない。

 そして彼は走った。


★追いつかれる


「勝手に逃げんなや」


 急に男がドロップキックを仕掛けてきた。

 思わずよろけず。

 体勢を立て直しながら、そちらを睨む。

「なんだよ、もう来たのかよ」

 あれだけの数の敵を薙ぎ払ったのはさすがというべきか。

 なんて褒める気にはなれない。

 彼とはあまり出遭いたくなかった。

 早々に再会してしまったのは、がっかり感すらあった。


★霧の元凶と接触。


「おっと、そろそろだな」

 彼が足を止める。

 そこには大きな影。

「その口ぶり、見えているのか?」

「ああ、ばっちりな」

 ニヤリと宿敵が笑う。

「お前だろ、この霧の正体」

 自信を持って尋ねる。

 相手は無言だったが、やがて、はぐらかそうとしても無駄だと悟ったらしい。

「いかにも」

「お前を倒せばこの霧は解除される」

 倒すぞ。

 そう暗に言う。

 こちらもそのつもりだ。

 青年はダガーを構えた。


 相手が近づく。

 半径二メートル。

 その姿が見て取れる。


 互いに武器を構え、殺気が交錯。

 戦いが始まろうとしていた。


★戦いと結果


 こちらが一方的の勝負だった。

 数で有利を取っている上に、回復と攻撃を両方できる。

 宿敵が攻撃をひきつけている間に、青年が攻め、即死を当てた。

 相手の命は失われた。


★人間のときの記憶がある魔物


 魔物には走馬灯がよぎっていた。

 それは幸せだったころの記憶。

 彼には恋人がいた。

 自分を愛してくれる女がいた。

 彼女とは一緒に街を歩いて、食事をした。

 特別な日にはより豪勢なディナーを取り、高い指輪をプレゼントした。

 だけどあるとき、彼女は別の男に連れ去られた。


 彼女を探した。

 様々な街を巡った。

 そしてついに彼女と出会う。

 そのとき、その女は自分とは別の男と歩いていた。


 瞬間、ショックが体を貫く。

 裏切られたと思った。

 視界の端が暗くなっていくような感覚がした。


 二人はデートを終えて、帰る。

 一人切りになったところを狙って、接触を仕掛けた。


「おい、お前はなんなのだと」


 男に問い詰めた。

 それは自分にとっての友人だった。


「あの女が気に入った。だから奪ってやったんだ」


 相手はふてぶてしく吐いた。


「悔しいか? だったら奪い返して見ろよ。どうせお前なんか大したもんでもなかったんだ。だからこうして裏切られ、女にも捨てられる。ざまぁねぇぜ!」


 男は大きな口を開けて笑う。

 高笑いは街に広がった。


 聞いていて、いらだちを覚えた。

 それだけではない。

 頭がカッと熱くなる。

 憤りを隠せなかった。

 自分の信じていた相手はただの外道だった。

 気がついたら男を殴っていた。

 殴り飛ばされ倒れた男は頭を強く打って、気絶した。

 地面に血が流れる。

 それを見て、心が冷めていくのが分かった。

 もうなにもかもがどうでもいい。


 男は裏切り者。

 女だってそうだ。

 自分というものがいながら他人になびいた彼女も許せない。


 だから彼女も追い詰めて、殺した。


★倒すと霧が晴れた。


 相手が倒れると同時に霧が晴れた。

 森の中はハッキリと見渡せるようになる。

 だけど青年はそれよりも気になって仕方のないことがあった。


★魔物は元人間


 シエル。

 それは女の名だ。

 だけど、聞いたことがある。

 以前、話に聞いた。

 男に殺された男女の話だ。

 あれは自業自得だと切り捨てられたが、もしや……。


 思わずぞわっとした感覚が走る。


「おい、今の、どういうことだ?」


 ほとんど反射的に叫んでいた。

 どうせなら答えなくてもいい。

 真実なんて知りたくもない。

 けれどもその現実は彼の足元にまで忍び寄る。


「彼らは元人間だ」


 厳正な声だった。


「我々は負の感情をもてあました存在。魔王の復活によって負の力は強まり、浄化は解かれ、人は魔物へと転ずる」


 奥の方から人の影。

 魔王。

 魔物を束ねるリーダーが目の前に現れ、そして彼はあっさりと真実を口に出した。



★聖女との合流


 そこへ聖女が駆けてくる。

 どうやら思いのほか、近くにいたらしい。

 霧が晴れればこんなもの。

 すぐに合流できた。


★魔は元は人間


「俺たちは元は人間だ」

 相手は淡々と語った。

「負の感情は人を侵し、魔へと変化させる。そうして伝染していった者たちは、徒党を組んで、世界に憤る」

 ただそれだけ。

 そう語る。

「俺とて列記とした魔王だ。たとえ真なる魔王がこの世界に潜んでいたとしても、この怒りの感情が引き出した力は本物だ」

 そう彼は主張する。

 その迫力に圧倒され、青年はなにも言えなかった。


「待てよ」

 ただそれだけ、小さく口を開いて。

「じゃあ、俺たちはなにを倒してきたんだ」

 魔物を倒すのが正しいと思った。

 魔の属性を冠する者たちは人類の敵だ。

 人間でもない彼らにかける慈悲はない。

 しかし、本当は……。


 自分は殺めてはならないものを殺めてしまったのではないか。

 心に暗い影が忍び寄る。


「知らんな」


 感傷を切り裂くように冷淡な声が、心を揺るがす。

「どちらにしろ、貴様に与えるものは死のみだ」

 鋭い目付きで見据える。

 その瞳は硬い光を宿していた。


★魔王と戦って勝利する


 魔王の攻撃。

 こちらが防御。

 隙あり。

 即死が発動。

 死が確定した。

 その生命が完全に止まる前に彼は口を開いた。


★魔物にも魔物の正義がある


「我らにも我らの正義があるのだ」

 相手は毅然として主張した。

「私は人間から奪還する。この大地を。魔のものとする」

 そのために生きてきた。

 だがすでに死に体。

 相手に止めを刺されるよりは。

 自ら手を下したほうがいい。

 矜持を守るために、彼は自身の首に刃を突きつける。

 迷いはなかった。

 思わず息を呑む。

 次の瞬間、血が噴き出す。

 相手はばったりと倒れた。

 その身が血に濡れる。

 青年はそれをぼうぜんと見下ろしていた。


★自覚と葛藤


 本当は分かっていた。

 自分も彼らと同じだ。

 復讐復讐と言いながら、やっているのはただの殺戮。

 真っ赤に濡れた手を見つめる。

 染み付いたように赤黒い手のひら。

 指先、爪の中まで汚れている。


 どの道、終わりだ。

 堕ちている。


 彼らのために罪を犯した。

 最も嫌いに思う、殺したいと思う者たちと同列に堕ちている。

 それでもいいと思った。

 地獄に堕ちても構わない。

 だからこそ刃を振るってきた。

 だけど、それは本当に正しいのか。


 忍び耐えねばならなかったのか。

 なにをすればよかったのだろう。

 心の中に渦巻く感情だけを信じてきた。

 怒りに従え。

 復讐心を持って立ち向かえ。

 それこそが唯一頼りになるものだったから。


 だけど、分からない。

 自分はいったい何者だったのか。

 なにをするのが正解だったのか。


 このまま一人、敗者のまま終わってでも、潔白を守るべきだったのか。


 頭を抱えた。

 もやもやとした思いが全身を駆け巡った。


★魔物に対する葛藤


 果たして自分のやってきたことは正しかったのだろうか。

 自分が殺めてきた魔物の中にも、善なる者がいたかもしれない。

 特別な事情を抱えてきた者がいた場合も。

 いいや。

 葛藤のすえに首を横に振る。

 やってしまったことは仕方がない。

 その言い方はあまりにも残酷で冷淡だが、今はただ割り切るしかない。

 ただそれでも心に刻まれ、離れない。

 あの魔物の最期は。

 だから、これ以上の殺戮はやめよう。


 だが、これから先、自分はなにをすればよいのか。

 この刃の先はどこへ向けるべきなのか。

 前世から受け継いだ感情を昇華するために旅をしてきた。

 その指針が今、途絶えた。

 寂れた風が吹く。

 急に空虚な気持ちになる。

 この広い世界に一人ぼっちになったように。


★真実


★不意打ちで闇の魔力が露呈


 不意に放った斬撃。

 いち早く反応したのは聖女だった。

 彼女は手のひらから氷を放つ。

 攻撃と攻撃が相殺。

 衝撃が発生。

 しかし青年は無傷だった。

 だが、これは……。

 暫時。

 感知したのは闇の波動。

 先ほど倒したはずの魔力が、なぜ。

 恐る恐る隣を向く。

 そこには聖女がいた。

 彼女はなにか思いつめたような気まずげな表情で立っていた。

「庇わなかったか。そっちのほうが楽に潰せたんだがな」

 ニヤリと口角をつり上げて、男が言う。

「お前、どういうつもりだ?」

 そちらを向いて、問いかける。

「どういうつもりもなにも、俺ぁ最初からお前らの味方じゃねぇよ。むしろ、殺すつもりだった。今回の共闘はたまたまさ。俺も魔の王を潰したかった。ただそれだけさ」

 しれっと語る。

 それは確かに真実なのだろう。

 だがそれよりも大きな、信じられない信じたくもない事柄を、相手は知っている。

 目の前の男だけが、最初から。

 その上で相手はニヤリと笑っている。

 幼子をもてあそぶように、からかうように、あざ笑うように。

 その瞳は爛々と輝いていた。


★暴露


「お前、知らないのか? バカだな、いままで連れ歩いていたやつが最大の仇とも知らねぇでさ」

「なんだと?」

 軽々しく言い放った言葉を拾って、問い返す。

「聞こえなかったか? もう一回言ってやろう。今度はわかりやすく、ハッキリとな」

 ニヤリと男が笑う。

「そいつこそが魔王。お前が殺したがっていた堕ちた聖女だ」

 その言葉が空に漂う。

 今、なんと言った?

 言葉として認識できるのに、頭に入ってこない。

 白に染まった大地に一人で突っ立っているような。

 視界も耳も鼻も、全ての感覚が透明に溶けていくようだった。


★正体


 ローブを無理やりに剥いだ。

 フードが外れる。

 そこには大きな角が生えていた。

 露出した腕には黒い紋様が刻まれている。

 呪われし者。

 魔王の証だった。

「お前だったのか」

 問いかけに答えず目をそらす。

「お前が魔王だったんだな。俺をいままで騙していた! そうだな!」

 怒鳴りつける。

 けれども彼女は反応しなかった。

 静寂が流れる。

 ややあって彼女は口を開く。

「ごめんなさい。あなたに真実を伝えればきっと私を殺すでしょう」

 淡々と彼女は語る。

 次第に怒りがこみ上げてくる。

 今、敵が目の前にいる。

 彼女を殺せば自分も報われる。

 ゆっくりと剣を向けた。

 しかし刃の先が震えていた。 

 ためらっている。

 それは分からない。

 ただ彼女だけは殺せない。

 それが異様なまでに腹立たしかった。

「もういい」

 剣を下ろす。

「去ってくれ」

 蔑むような目、冷たい眼差しで彼女をとらえた。

 彼女は一瞬、瞳を震わす。

 けれども、潔く身を引いた。

「はい」

 そう告げ、去っていく。

 その姿は遠く、海のほうへ遠ざかっていった。


★真実


 いままで彼女は呪われているものと思っていた。

 占い師も言っていた、魔王の気配がすると。

 しかし、それは違った。

 魔王に呪われているのではなく、彼女が呪いそのものだったのだ。

 確かに嘘はついていない。

 だが、これはとんだ詐欺だ。

 青年は悔しさを噛み締めた。


★仮死状態


「ちょうどいい。お前ら殺し合え。やらねぇなら俺も加勢するぜ。いいだろ?」

 両手を鳴らし、煽るように言う。

 これは闘いは避けられない。

 だがどうしてか、目の前の女だけは手にかける自信がなかった。

 これほどに憤っているのに。

 裏切られたというショックが全身を包んでいるのに。

 まだ、なお、体が動かない。

 そのとき――

「ごめんなさい」

 眼前に女が迫る。

 瞬間、闇が目の前に広がった。



 (回想終わって)


 気がつくと城の中に転がっていた。

 自分はまだ生きている。

 仮死状態かと結論づける。


 暫時、夢を見ていた。


 やはり彼女は敵だった。

 攻撃を仕掛けてきたじゃないかと一瞬思う。

 だが、違うのだ。


 本当は殺せた。

 それなのに殺さなかった。

 それはつまり。


「助けられたんだ……」


 ポツリとつぶやいた先から声が抜ける。

 彼はただ力なく、うなだれた。


★過去


★回想の導入


 彼の意識は暗闇に閉じたまま、夢を見始めた。

 それは実際に起きた出来事。

 記憶の淵に追いやっていた、灼熱の記憶だった。


★憎しみから魔王へ転じた


 彼は憎しみから魔王に転じた。

 領土争いで友を奪われ、両親を殺され、国が滅んだ。

 この荒れた世界を恨んだ。

 なぜこの世界はこれほどまでに秩序がないのか。

 なぜ争いがやまないのか。

 なにもかもに憤っていた。

 ならばと思う。

 自分が王になればよいのだと。

 そして支配してやる。

 それこそが自分のできる最大の復讐であると。

 そう彼は考えたのであった。


★聖女と出会った


 あるとき彼は聖女と出会った。

 真っ先に戦闘になると思ったが、彼女にその気はなかった。

 確かに彼女は世界を魔王から守るために派遣された者だが、彼を倒す気はない。

 それよりも、もっと楽な方法で世界を救うことができると知っていたからだ。

 それを為すために、彼は一緒に世界を旅して回った。


★神に仕える聖女


 彼女は神に仕える聖女だった。

 主に尽くし、使命を果たせるのなら、自分はどうなっても構わないと彼女は言った。

 それこそが聖女にとっての誇りであり、為すべきことなのだと。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 彼女は救われない。

 世界を救っても、それでは意味がない。


 そんな方法で世界を救っても、自分にとっての大切な人を守れないのなら、勝ち取った平和に価値はない。

 ゆえに彼は魔王になった。

 勇者である誇りも聖なる剣も捨てて、ただ一人を救うために、黒く染まったのだ。


★憎しみを抱かない


 いつか尋ねたことがある。

 なぜ憎しみを抱かないのかと。

 彼女は答えた。

 ただ、そちら側に堕ちても仕方がないからと。

 自身が恨む者と同じことをしても、本末転倒。

 彼らにそれだけの価値はないと。


★憎しみを手放す


 自分がやりたいことは世界への復讐。

 だけどそれをしたところで自分はなにも手に入らない。

 むなしいだけだ。

 支配をしたところで、それで終わりになってしまうのだから。

 それよりも今は大切なものが手に入った。

 ただ一人の大切な女のために命を懸ける。

 それだけが確かな絶対的なものであると彼は気づいた。

 そのために魔王は憎しみを手放した。


★彼女を狙う誰か


 彼女を狙う者がいる。

 森で出会っては追い詰めに来る。

 そのために退けてきたが、いい加減に鬱陶しい。

 止めを刺してしまおうかと思った。


★事実を確認


 それから彼らは敵を退けて、二人切りになる。

「あれは本当なのか?」

 改めて問いかける。

 長い沈黙の後、彼女は重たい口を開ける。

「はい」

 聞き出して力が抜けた。

「お前はそれでいいのかよ?」

 いいわけがないと言ってほしい。

 泣き言を吐いてほしい。

 このまま彼女が死ぬなんておかしいから。

 けれども彼女は苦笑いを浮かべて言うだけだった。

「いいのです。私の命で世界が救われるのなら。それは光栄なことなのです」

 聞いて、ムカムカとした感情が湧き上がってきた。

 許せない。

 それは絶対に認められない事柄だった。


★生贄の事実を知る


「そいつを引き渡せ」

 しつこく相手は主張する。

「どうしてだ?」

 耐えきれなくなって問いかける。

 すると彼は次のように答えた。

「そいつは生贄だ。神に捧げられる存在だ。そいつを俺は認められねぇ!」

 男は叫んだ。

 それは新たに聞く情報。

 衝撃的な事実。

 到底、信じられる話ではなかった。

 なにがなんだか分からない。

 彼女のほうを見る。

 相手は答えなかった。唇を堅く引き結んでいる。


★生贄


 聖女は神へ生贄に捧げられるために、旅をしていた。

 この地に充満する負の心から人々を守るには、彼女を犠牲に浄化をするしかない。

 それでもいつかはその結界も切れてしまう。

 また新たに魔王が誕生するだけだ。

 そうと分かっていても一時の平穏のために、聖女はおのれの身を捧げ続けた。


★彼女を思って自死


 彼女は必ず死んでしまう。

 神によって捧げられて、世界のために犠牲になる。

 だけど、それ以外でも世界を救う方法はあったのだ。


「○○……」


 彼女の名を呼ぶ。

 聖女はゆっくりと振り返った。


 丸い目が震えている。

 これより起こることの全てを察したらしい。


 ただ、それは今この場でなくてもいい。

 魔王は彼女に背を向けた。


「待って!」


 声が飛びかかってくる。


「私は、あなたを……」


 救いたいと。

 救えたらよかったらと。


 そんな想いはしかと彼に届いていた。

 だからこそ、彼はただ一人の女を選んだのだ。


「お前に俺は殺せない」


 そう、当たり前の言葉を口にする。

 ならば自ら殺すしかない。

 だから彼は自身の剣に触れた。


「私はそのようなこと、認められません」


 彼女は激しく首を横に振った。

 瞳が震え、潤んでいる。


「あなたを犠牲に生き残ることなど……!」


 ただそれだけしかないのに。

 そうすることでしか運命を切り開けないのに。

 それでもなお、抵抗を見せる。


「私だけがきれいなままでいるなんて、耐えられません」


 震えるように胸に両手を当て、訴える。


「だから、どうか私を呪ってください」


 震える声で訴えかけた。

 それを聞いて彼の心がかすかに波立った。

 どうしようもないほど、熱い想いが胸にあふれてくる。


 覚えていなくてもいいのに。

 彼女を救うことだけが今の自分の全てだったのに。

 なにもいらない。

 ただまっさらになってしまえばよかった。

 全て更地になってしまえば、やり直すのも簡単だろう。


 ああ、どうしてか。

 それでもまだ、彼女に自分を焼き付けたいと思う自分もいた。

 愛していた。

 その愛だけを覚えていてほしかった。


 ただ、それだけだったのに。


 ああ、嫌だ。

 これだけしかできないなんて。

 彼女に与えられるものは自分の死だけ。


 そして彼は剣を自身の首に突き付けた。

 派手に血が噴き出す。

 視界に赤が散った。


 目の前で少女が目を見開く。


 彼女はただぼうぜんと立ち尽くす。


 ゆっくりと体が傾く。

 全身から冷えて、暗くなっていくのを感じた。

 その中でぽたりと音を聞く。

 彼女の顔をとらえる。

 聖女は、泣いていた。



★許せなかった


 救われなければならない。

 心の底から幸せになってほしいと願った女。

 そんな彼女がいまだに救われずに、その罪を背負ったまま生きている。


 それを許せなかった。

 憤りを隠せなかった。

 彼女の運命に。


 ああ、だから。

 その事実自体に復讐をしたかった。

 彼女の運命を変えたかった。

 それだけが真実だった。


★愛


 前世の記憶を引き出しの中から引っ張り出す。

 彼は怒りを覚えていた。

 闇の中ではいまだに炎が燃えている。

 今の自分にたくして息絶えた過去の自分。

 彼の想いを引き継ぎ、守ろうと前に進んできた。

 だけど自分は肝心なところを勘違いしていたのかもしれない。

 確かに怒りは覚えた。

 だけど、それは憎しみなどではなかった。

 赤の中に青が交じる。 

 哀れみ。

 悲しみ。

 ああ、そうか。

 その感情の正体は、愛だった。


★魔の王だと認める


 今まで目をそらし続けきた。

 自身を自分ではないものとして認識し、普通の人のように生きてきた。

 だけどこの空っぽの箱の中にはどす黒く赤い炎が滾っている。

 聖女の加護こそ受け取っているものの、彼の本質は魔そのもの。


 もういい加減に認めてもいいころだ。

 自分は魔王。

 それ以外の正体はない。

 今ここにいるのも、立っているのも、彼女を愛したのも。

 全てが自分だった。


 天を仰ぐ。

 暗黒色の闇を見つめる。

 だけどそこに雲はかからず、空は妙にすっきりと、澄んでいた。

 彼は歩き出す。

 瞬く星と月の光に導かれるように。


★助けに行く


 彼女を愛していた。

 ゆえにその思いが現世にとどまり、彼女を呪った。

 その後悔を思いを、彼女に焼き付けて。


 それが今世に引き継いだ感情の正体。

 そのために自分は生きてきた。


 気づいてしまった。

 彼女は仇なのではない。

 むしろ大切な人。

 自身が一番に愛していた者だったと。

 それならば行かねばならない。

 前を向いて、歩きだした。


★純愛


★その場所へ飛ぶ。


 しかし、男は彼女をどこへ連れ去ったのだろう。

 殺すだけならその場で構わなかった。

 それをしなかったということは、その場所でなければならない理由があったということ。

 いいや、そんな大層なものではない。

 これは単なるこだわりなのだ。

 散らすのならその場所がふさわしいと。


 思い出す。

 彼がなにを言っていたのか。

「魔王を潰すのなら城でなけりゃあ、ならねぇ」


 瞬間、脳内に電光が走る。

 一つだけ、思い当たる場所があった。

 彼女を処刑するのなら、それにふさわしい場所でなければならない。

 そこは魔王城。

 男は聖女を魔王として殺すつもりなのだ。

 彼女が本来、居るべき場所だったところで。

「△△!」

「なんでしょう?」

 顔を上げ、呼びかける。

「俺を飛ばしてくれ、魔王城へ!」

 彼の声に相手は瞠目する。

 だがすぐに覚悟を決めて、はっきりとうなずいた。

「分かりました」

 手のひらをかざす。

 足元に陣が刻まれ、光が発生。

 術が発動する。

 瞬間、青年の姿は消え、その場には転移師のみが残された。


★悪を嫌う理由


 彼の本質は懲悪だ。

 自身が思いやりのない、非人間である自覚はある。

 人間なんて皆、同じ。

 誰に対しても優しい言葉をかけてやる価値はない。

 それでも自分は他の者と同じようにはなりたくなかった。

 そのはずだった。


 世間では悪がはびこる。

 盗賊、人斬り。

 やりたい放題。

 自分が生き残るために他者を蹴落とす有様。

 優しさは欠けている。

 皆、自己中心。

 それもそのはず。

 そうでなければ生きていられないから。


 最初は彼だってそうだった。

 弱肉強食の名の元に、人を殺した。

 それでもいつか思い知る。

 自身と同じように人を殺めては嗤う者たちを。

 そのとき分かった。

 ああ、これが自分かと。


 鏡で見た自分の姿はひどく汚れて見えた。


★宿敵の心情


 正しい人間になれると思っていた。

 おのれの内面が醜く浅ましいことくらいは分かっていた。

 それでも演じれば、繕うことはできよう。

 伝説に残りしあの聖女のように、振る舞うことはできるだろう。

 だから、こう信じたのだ。

 精一杯、よい人間を演じた。

 完璧であろうとした。

 特別な人間であるのならそれらしく、高潔にと。

 だが、結果はこのザマ。

 聖女ですら闇に染まってしまう。

 堕ちてしまう。

 ならばこの世に希望はない。

 自分もいずれ、同じように堕ちる。

 宿命には逆らえない。

 だったら好きにやろう。

 完全に吹っ切れた。

 清々しい気分だ。

 かくして彼はおのれをとらえていた枷を外し、暴れまわるようになった。


★対策


 聖女を殺すにはあの青年を倒さねばならない。

 それはまた厄介な問題だ。

 幸いにもこちらは当分、死ぬことはない。

 猶予の試行回数も山程ある。

 だが、それを成したところで意味はない。

 なんらかの突破口が欲しいところだ。


 とはいえ、考えてみれば簡単な話だ。

 彼個人への恨みはあるが、力を借りたくないと言い切るほど、狭量でもない。

 とことんまで彼を利用する。

 引き剥がす方法もある。

 だからこそ彼はゆったりと構えていた。


 くわえて相手の力の仕組みも分かっている。

 あれは殺しに特化した力だ。

 いちおう、格上には効かないと聞いている。

 要は限度があるのだ。

 対処をするには実は単純。

 こちらが相手を上回ればよいだけの話である。


 用意自体は整っている。

 後はそのときを迎えてから事に起こせばよい。



★青年に対して


 あの青年が仮にまともな人格だったら……。

 他者の命を奪わずに人々を救い続けていたら。

 清らかな精神のまま闇に染まることなく生きていたら。

 どうでもよかったのかもしれない。

 たとえ気に入らない箇所があったとしても、無視できた。

 だけど結局のところ彼は復讐鬼でしかない。

 堕ちてしまった彼は魔と同類だ。

 ならば斬る価値がある。

 それを殺さなければならない。

 その意思で男は動いていた。

彼女を模して生きてきた


「ずっとお前だけに憧れていた」

 宿敵は告げる。

「お前の書物を見た。お前の評価を聞いて回った。お前のようになるにはどうすればいいか考え、学んだ」

 彼は目をカッと見開いた。

「俺はお前を模した生き方をしてきたんだ。それなのに」

 裏切られた。

 その理不尽な怒りは抑え込んだ。

 それでも憤りはかくしきれない。

 目の前の女は聖女ではない。

 堕ちた存在でしかないのだと。

 そう主張するように。


★憎愛


「どうしようもなく惹かれたのさ」

 視線を上げ、なにかを思い出すように語る。

 それは死んでしまった者を思うような態度だった。

「俺がどうしようもなく悪だから、聖なる気持ちを持った女に憧れた。だが、そいつは偶像だった。俺の憧れた女はここにはいない。こいつは堕ちた。魔王を名乗る資格すらある。そいつを許せずにいられるか!」

 大きな愛憎を持って彼は叫んだ。


★殺そうとする


「聖女ではないお前は不要だ。死ね」

 殺意を持って剣を向ける。

 その刃が鋭く光った。


★助けに着た


「させないぞ」

 声が聞こえた。

 ゆっくりと目を開ける。

 揺らぐ視界。

 クリアになっていく景色の中に、青年が立っていた。

 彼が剣を持っている。

 彼がなにのためにここに着たのか悟ったとき、彼女の中から言い知れぬ感情があふれてきた。

「○○さん!」

 敵の腕の中で、女が声を上げる。

 彼女は今にも泣き出しそうになっていた。


★ぶっ飛ばす


 へらへらと笑う男を思いっきり殴り飛ばした。

 相手は派手に吹き飛んで、地面に転がった。

「てめぇ、このやろう」

 ぶたれた場所を抑えながら、睨む男。

 その悔しげな態度に少しは溜飲が下がった。

 とはいえ彼への怒りはなかなか収まる気配を見せなかった。


★勝ち誇る男


「だが、残念だったなぁ!」

 両腕を広げて、彼はあざ笑う。

「俺は必ず勝つ。あの女を救う術ならこの俺が持っているのさ!」

 堂々と主張する。

 その方法は分からない。

 ただ、よからぬことを企てていることは分かる。

 この男が全うな方法を取るわけがない。

「今に見ていろ。あの女を救えるのは俺だけなんだ」

 指差す。

 そして背を向け、去っていく。

 高らかな笑い声だけが天に響き渡っった。


★彼女を殺して救う


「救う方法ならあるんだよ」

 低い声を出しくくくと押し殺したように、彼は笑った。

「終わらせればいい。今ある醜い女を消せばいい。そうすりゃ偶像は保たれる。なあ、そうだろう?」

 口角を歪め、目を爛々と輝かせる。

 ぞっとしたものが背中を走った。

「お前を殺して聖女を救う!」

 男は刃を振り上げ、襲いかかった。

「やめろ!」

 青年は叫ぶ。

 手を伸ばし、駆け出そうとした。



★思い続けていたという謝罪と告白


「ごめんなさい」

 少女が振り返る。

「私、ずっと最初から、最初に出会ったときから、あなたを知っていました」

 ゆっくりと誠実に彼女は語る。

 その瞳は前世の彼を映していた。

「あなたのことを私が殺した彼だと分かった上で、黙って接していました」

 口元がゆるやかに弧を描く。

 この思いに後悔はない。

 この終わりに悔いはない。

 だから晴れやかに彼女は言う。

「私はあなたを思い続けていました」

 ただそれだけを言いたかった。

 ただそれだけ、言えたらよかった。

 それ以上は望まない。

 そして彼女は口を閉じる。

 これが最後だ。

 そう受け入れるように。


 彼に別れを告げた。


★ただ一つを選ぶ


 罪を犯した。

 何度も間違った道を進み続けた。

 未来はない。

 きっともうどこにも救えない。

 それでも一筋の光があるのなら。

 彼が選ぶべきものは一つだけある。

「俺はお前だけを救う」

 そう確かな誓いを持って、宣言した。


★宣言と怒り


「それならどうか私の手で殺されてください。自分のせいであなたを死なせておきながら、手を汚さないなんて、できない」

 そう言って彼女は彼を殺した。

 今なら分かる。

 あのときの憤りを。

 その感情の正体を。

「俺を殺したお前は泣いていた。救われなかったお前を許さない。だから今、お前を救って笑わせる。これが俺なりの復讐劇だ」

 堂々と口を開いて、告げる。

 途端に彼女は目を見開く。

 両の目から真珠のような雫がこぼれ落ちた。


 対して男は眉を釣り上げ、口を曲げた。

「救うだと? ふざけんじゃねぇよ。お前にできんのか? なあ!?」

 ドスの利いた声を出す。

 対して彼は答えた。

 ハッキリと。

「できる」

 迷いはなかった。

 ゆっくりと彼女に迫る。

 そして彼はキスを交わした。

 光があふれる。

 呪いが解けたのだ。


★罪を背負ってお前と共に生きる


「俺はもう逃げない」

 ハッキリとした声で宣言する。

「お前と一緒にこの罪と贖い、償いながら生きていく」

 それが彼の選んだ道だ。

 だから彼はもう二度と、光差す道から逃れない。

 彼女がいる限り、もう大丈夫。

 どれほどの困難があっても、その先に暗闇しか待っていなかったとしても、生きていける。

 幸せになるための努力をしたっていいはずだ。

 そう教えてくれた彼女のために、彼はその道を選んだ。


★解呪


「お前は俺を救えていたんだよ!」

 彼の叫びを聞いて女の目から涙が溢れ、頬を伝った。

 そのまま彼は彼女に近づき、キスをした。

 瞬間、まばゆい光があふれる。

 その神々しいまでの光は、彼女の着ている衣を黒から白に染め上げた。

 肌を覆っていた紋様が消えていく。

 今は透き通った皮膚が見えるだけ。

 呪いが解けたのだ。

「ああ」

 白い腕を見つめ、女は感嘆の声を上げる。

「ああ、よかった」

 これで彼女は死なずに済む。

 心の底からの喜びがあふれ出た。


★彼なりの復讐劇


 残酷無慈悲な魔王が聖女より愛を与えられ、浄化された。

 なれば今度こそ同じ愛を返し、彼女を救う。

 それが彼なりの復讐劇だ。


★ダイヤモンド


 柱はこわれ、窓は砕けた。

 空いた空間から外の空間が覗く。


 夜が明け始めた。

 淡い藍色に染まった空に太陽が昇る。

 かすかな静寂。


 その光はダイヤモンドかプラチナ。

 真っ白な輝き。

 黒く染まった逆光の中で、二人はキスを交わした。


★決戦


★救われた彼女を見て、ショックを受ける


「そん、な……」

 だらりと手を伸ばす。

 右の手のひらからナイフがこぼれ落ちる。

 彼にとってはそれだけが希望だったのだろう。

 自分なら聖女を救える。

 そのために殺せばよかった。

 だけど今、聖女は救われた。自分の手ではなく、別の者の手で。

 心をよぎったのは憤り。

 いや、むなしさか。

 いずれにせよ、男は蚊帳の外。

 二人の間に近づくことすらできなかった。


 それから彼の姿を見た者はいない。


★恨み節


「なんでなんだよ」

 うつむき、拳を作った片手で顔を覆う。

「なんでお前ばっかりがそうなんだ! どうしてお前だけが、こいつを救えるんだ」

 口の中から濁っただけど、熱い思いを吐き出す。

「俺はずっとお前が憎かったのさ!」

 刃を突き付け、男は叫ぶ。

「魔剣に触れても平気だっただろ? 今も憎しみに支配されず、闇の属性に染まらずにいる。そいつがなぜだか分かるか?」

 怒号にも似た声。

 その瞳は血走り、憎悪にあふれていた。

「最初に見た時、確信した。こいつは聖女の加護を受けてやがるとな!」

 大きな声ではなった言葉。

 衝撃の事実に青年は目を大きくした。

「許せねぇ。よりにもよってお前が聖女と関わりを持っていたとは」

 怨みつらみを吐き出す。

 それは確かだ。

 ならばきっと自分は彼女に救われていた。

 守られていた。

 だから―― 

 ああ、彼女のおかげだったのか。

 自身がいまだに白く保っていられたのは。

 特別な透明で熱い感情が胸の底からこみ上げてきた。

 それは実に感慨深い思いだった。


★最大の敵と認めよう


「ああもう、仕方ねぇな」

 首をかたむける。

 淡く声を放つ。

 彼は割り切ったように言う。

「お前を最大の敵と認めよう」

 今この瞬間。

 このためだけに自分はいると、彼は言う。

 ああ、その通りだ。

 目の前の男は絶対に倒さなければならない。

 おのれの矜持にかけて。

 奇しくも青年も目の前の敵と同じ気持ちだった。


★悪魔召喚で2vs2


「どうでもいい。ああ、どうでもいいんだよ。結末は変わらねぇ」

 下を向き、低い声を出す。

 瞬間、明確に周囲の温度が変わった。

 禍々しい風が吹き荒れる。

 彼は片手を横へ伸ばし、宣言した。

「殺す。この命、燃やし尽くしてでも」


 瞬間、彼の隣に魔法陣が出現。

 禍々しくも巨大で黒い影が召喚された。


★からくり


 悪魔との契約。

 それを見てはっとする。

 ああ、そういう仕組みだったのか。

 感嘆すると同時に薄ら寒さを覚えた。

 彼は悪魔と契約し寿命を捧げている。

 その数字が消えれば自分も死ぬ。

 裏を返せばそのタイミングがこなければ自分は死なない。

 ゆえに彼は今のいままで生きていられたのだ。

 止めを刺されずに。


★時間切れ


 刃を振りかざす。

 圧倒的な闇に立ち向かう。

 二つの魔力がぶつかり合う。

 こちらは防ぐだけで精一杯。

 とてもではないが、打ち返せない。


 と、そのとき。

 刃にひびが入る。

 青年は眼を大きく見開いた。


 そしてひびは大きくなり、彼の目の前で砕け散る。

 軽くなった手元。


 迫る闇。

 死ぬと思った。

 鼓動が加速する。

 回る視界。

 目の前がスローモーションになる。


 だが、攻撃は彼には届かない。

 彼女の光が前方に入り込む。

 それもすぐに飲み込まれるも。

 彼に迫る直前で消失した。


 時間切れだ。

 前方で男は息を切らして立っていた。

 体は血に濡れている。

 顔には大きな傷が刻まれていた。


 相手に強大な魔力は使えない。

 悪魔も消えた。

 だがこちらも剣がない。

 刃はとうに砕け散った。

 だが、それがどうした。

 まだ、この身がある。

 自分の足でこの地をこの物語を歩いてきた自分が。

 この自分が。

 だから彼は迷わなかった。

 勢いよく、拳を作り、挑みかかる。

 そして、拳を振り上げ、殴り飛ばした。


 男の肉体はあっけなく吹き飛んだ。

 そして彼は地面に倒れ伏す。

 決着が着いたのだ。


★運の尽き


「俺にとっちゃ、救うってことは天職だったんだ」

 皮肉げに彼は言う。

「救う救うと言いながら殺す方に転じた。その時点で堕ちる運命にあったんだな」

 こぼし、笑った。


★報いを受ける


 倒れ伏した男は顔を片手で覆い、ただ嘆いた。

「ああ、認めたくはねぇな。これが報いだってな。でも本当は分かっていたんだ」

 ただただ弱々しく、悲しむように。

「俺が悪だってことはな」

 それだけが事実だというように。

 それゆえにこの結末に至ったということを。

 ただ一つ認めて。


 夜は明け。

 天に日は昇っていった。


★恨み言のように


「どうせなら君が本当に悪い子ならよかったのに」

 そう彼は恨み言のように吐き捨てた。


★夕日


 オレンジ色の瞳を閉じる。

 太陽はすでに落ちた。

 視界には暗闇が広がる。


★脱出


 崩壊する城。

 周りはすでに炎で覆われている。

 青年と聖女は急いで逃げる。

 手を差し出す彼。

 それを受け取る聖女。

 入り口にまで来て、振り返る。

 炎の周りにはいまだに男が倒れている。

 彼に対して思うことは少なからずある。

 たとえ相手が悪であったとしてもだ。

 それでも。

 いいや、もういい。

 彼に対して呼びかける言葉も、差し出す手もない。

 背を向け、走り出す。

 二人で手を取り合って、新鮮な空気が漂う外へと。


 その姿は森へと消えていった。

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