暗黙の了解

 保育園から小学校に上がるとき、私はなにも知らなかった。

 やらなければならないこと、やってはならないこと。暗黙の了解。そんなもの、誰も教えてはくれなかった。


 夏、川に行った時、皆で水着の色について話題になった。ほかが黒や紺といった色をあげる中、私はピンクと言った。


「ダメだよ」


 女子が告げる。

 じゃあ、水色。


「そういうのは着ちゃ、いけないんだよ」


 それでは自分の着れるものがない。それ以外の水着なんてもっていなかった。私はついに泣き出してしまった。


「きれいな色のものが着たいんだよね。分かるよ。でも、いけないんだよ」


 わがままを言う子どもをあやすように、彼女たちは言う。

 だけど、違うのだ。私の涙の意味は違う。

 私はただなにも知らなかった。ただそれだけのことだった。



 小学校では基本的に、他人に対してさん・くん付けをする。

 私はなにも知らなかったから、ちゃん付けをした。一回目は注意を受けた。


「小学校からはさん付けなんだよ」


 それに習って、私は周りに合わせていく。


 自分なりに準備は進めていた。

 周りに置いていかれないように、漢字を事前に覚えておく。それを机の上に広げて、皆は言う。


「カタカナがある」

「漢字じゃないじゃん」


 口々に指差す字は夕、台、回。

 誰も知らなかった。

 バカにされるのはいつも私。

 私一人だけが浮いていた。


 思えば、なんて理不尽なのだろう。

 なぜ一人だけ、こんな感じだったのだろう。


 そしてなにより唖然としたのは、中学校に上がったときのことだ。


「○○ちゃん」


 そう、他の小学校から入ってきた子たちが、呼び合っていた。

 なんだ、ちゃん付けでもいいじゃないか。

 安心したような悲しいような、なんともいえない感情を抱いたことを覚えている。


 ああ、本当に、どうしてだったのだろう。

 なぜ、そうでなければならなかったのか。

 そんなものは分からない。

 ただ一つ言えるのは、私はそれに振り回されたというだけのこと。なにも知らなかったのに、謎の規則に縛られた。常識に従わざるを得なかった。

 誰も味方なんていなかった。一人だけ、逆らうわけにはいかなかった。


 白い校舎の中で、私はある意味、孤独だった。孤立していた。誰も助けてはくれない。アウェーの状況の中、もがき続けた。


 これほどまでに苦しみ、嘆いてきたのに。

 この気持ちを受け入れてくれる者など、誰もいない。

 誰の目も冷めていた。

 勝手に順応して馴染んでいく。一人なのは私だけ。

 どうしようもなく悔しくて、むなしくて、たまらなかった。

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