子守唄のように。――壱
それが僕の名前だ。古風にいうのならば、時鏡家の次期当主――長男である我が父の、またその長男であると、ただそれを指すだけの言葉――ではある。由緒あると表現して間違いではない時鏡家なので、相応に親戚筋は多く存在している。つまり、体面があるということで……そのお通夜に僕は出席しないわけにはいかなかった。ただ、いくら家系のことを疎ましく感じている僕でも。体面など関係なく、その日は参列しなくてはならないと、そう感じた。
亡くなったのは、我が父の弟――僕から見れば叔父に当たる、時鏡
厳格で気難しい雰囲気の兄――
時鏡家の多くが務めている部類の仕事……中でも響基さんは、学者職に就いていたはずだ。何であれ仕事の最中に命を失ったのならば、これはおそらく殉職なのだろうか。学者とはいえ、仕事が仕事……世間一般の教授職とは一線を画し、ファンタジーがごとき分野を扱っていたはずである。お決まりに爆発が起きたわけではないだろうけど。
しかし、響基さんともはや話すことはないのだと思うと、さすがに少しこみあげてくるものがある。本当に良くして頂いた。自分の父が彼であったら良かったなどと思ったことは、一度や二度ではなかったのだ。優しいという言葉が無個性を主張するのであれば、彼のことはこう表現すべきかもしれない。
折り合いをつけるのが上手い人、と。
事態を受け止め、受け入れ、少なくとも周囲は幸福であるように、纏める事の出来る人。板ばさみにされたところで苦しいとは口にせず、最後には周囲を笑顔にしてくれた。個性がないわけでなく、主張がないわけでもなく。確かに、積極的に事態を打破していく英雄のような人間では、なかったけれども。それでも、失われて気づくほどに、僕にとってかけがえのない人だった。
そして、僕にとって以上に。
響基さんの家族にとって、かけがえのない人物だったろう。
つつがなく式が進む中、僕はそんなことを考えていた。
喪主を務める響基さんの配偶者、時鏡
やがて式が終わり、通夜ぶるまいとなる。
移動の過程で、僕は
「……やあ、奏手。刻深」
最初に振りかえったのは、弟である刻深の方だった。
「ああ。謡依さん……」
確か歳は、二・三離れていたから、今は中学生だろう。中学の二年ごろ、か。短く整えてある髪、すらりとし始めた手足。喪服として、ブレザーの制服を着こんでいる。年齢の割に大人びた印象。明瞭な声色と発音、発言のテンポ。落ち着いた雰囲気において、僕は刻深に勝る同年代を見たことがない。
彼は頭を下げて言った。
「今日はお越しいただき、ありがとうございます」
「心底お悔やみ申し上げるよ。響基さんのことは……。うん。ええと、大丈夫かい?」
「はい。俺は平気です。でも、姉さんが」
「私が何よ、刻深」
そこでやっと奏手はこちらを向き、口を開いた。
少し癖のある巻き毛を、肩口過ぎあたりにまで伸ばしている。学年は僕と同じはずであるから、高校二年生のはずだ。こちらも制服を着ている。身内びいきかもしれないが、整った顔立ち。しかし、弟と良く似たつりあがった目つきが、睨まれると怖い印象を与える。目元が少し赤い。
「私も平気よ。平気これ極まりないわ」
気丈に言ってくれる。
「目元が赤いよ」
「今は泣いてないでしょ。……ふん、なぁに、謡依。髪伸ばしてるわけ? 女の子みたいに見えて気持ち悪いわ、華奢なんだから。刻深みたいに短くしたらいいのに」
「悪いね。でも170をとうに超えてる女の子が、そういるとは思わないけれどさ」
「それは男女差別じゃないかしら。女性を代表して貴方を叩きつぶすわよ。そうしたら身長も低くなるじゃないの。何を思って伸ばしてるの? ただでさえ悪い目が、余計に悪くなるわよ。牛乳瓶の底みたいな眼鏡になっても知らないからね」
「いつの時代だよ」
「目つきも悪いのにね」
「お互い様だろう」
「ふん」
そこで一旦言葉が途切れた。
見計らったように、刻深が口をはさむ。
「姉さん、謡依さん。そろそろ行かないと」
「わかってるわ」
「うんうん、刻深はいつでも時間に正確な良い奴だな。奏手とは――」
「父さんの葬式で一緒に埋葬するわよ、謡依」
「……、ま、行こうか」
「はい」
「ええ」
食卓へ向かう。
* * *
「ねぇ、謡依。この世界のことを、どう思う?」
隣り合った右側の席で、奏手はそう、話し始めた。
親戚一同つつましやかな食事をしながら、小さめの声で。
父親を亡くしたとはいえ、奏手も刻深もまだ飲酒すら制限されている子供だ。大人達もあまり話題を振ってはこない。もっぱら、近い世代の僕等いとこ同士、小声で会話を続けていた。僕の両親もそれを止めたりなどはしない。
「突然何を言い出すんだろうね。世界とはまた大きな話題を持ち出してきたじゃないか」
「父さんが話してたのよ」
「響基さんが?」
興味を示したような僕を受け、奏手は頷き、話を続ける。
「謡依は、この世界が。厳密にいえば、人間共が、って感じだけれど……、どうしようもない救いようのない、突き詰めればくそったれの、ろくでもない代物だと思う?」
「さすがにそんなにまで言い切るほど、世の中に絶望してないよ」
「それじゃ、この世界は素晴らしくて最高で、素敵で幸福に満ちた、これ以上を望むなんてとんでもない完成形だなんて思うわけ?」
「まさか。夢にすら思わないさ」
「じゃ、どう思うわけよ」
一種投げやりなような奏手の物言いに、僕は一度箸を置く。
「あのさぁ、そんな善か悪か白か黒かのような二元論で、世界が語れるわけがないだろう? 限りなく灰色じゃないか。気分次第、考え方次第。明日の吹く風次第なんだろ、要は。それとも奏手は僕のことを、0か1かの演算で世界を割り出す、電子製品コンピュータだとでも思っているのかい?」
「思ってないわ。二元論で語れるとも、ちっとも思ってない。……だから、なんですって」
「だから?」
奏手は食事を咀嚼しながら頷き、飲み込んでから言った。
「だから、『世界をより良く』――つまりは『自分をより良く』――、明日をより良く。皆をより良く、そう思えることこそが、『生きる』という言葉の意味だって」
「……ふぅん」
「とりわけ人間にとってはね。そう考えられない人は、生きているのではなく死んでいる途中なだけなんだって……、そんなことを話してたわ」
「成程ね」
響基さんの言いそうなことだ、と。僕は箸を手に取り、食事を再開した。
奏手の方は、まだ話が終わってなかったらしい。
「……でもそんなの、こんな世界じゃとっても難しいじゃないのよ、って私は反論したわ」
「ごもっともだね。考えるだけで難しい」
「ええ。だけど難しいのは何故か、って訊き返されたわ。ソクラテスじゃないんだから訊き返さないでよ、とか思ったけど。考えてみたら、それはきっと――」
「不信かい」
「……そうね」
話を横から聞いているのか、奏手の向こう側の刻深が、ちらりとこちらを見た。
「自分を信じられない、他人を信じられない。徒労に終わるのではないか、裏切られるのではないか。全てが無駄に帰すんじゃないか――その恐怖。そして事実、しょっちゅうその恐怖は肯定され続けるわけよ」
「それも『生きる』って、ことなんじゃないか?」
「まぁね。でもそれに打ちひしがれて、折れたらあとは『死んでいく』だけなのよ」
「かもしれないな」
流れが見えないので、適当に相槌を打つ。奏手が小さい、しかし持ち前の美声――名前のままに奏でるかのような涼やかな声で、言いたいことを吐き出しきるのを待つ。内容に興味も在ったし、聞いて受け止めることが……、弔いであり、慰めではないかと思ったからだ。そんな理由づけをする自分を、厚かましくも感じるけどね。
「つまりは価値を信じられないからなのよ。世界の価値を、自分の価値を。努力の価値を、あるいは徒労の価値を。それは仕方ないと思う。だから父さんは、価値を――構築、確立しうる研究を――父さんの大切な友人と行ってるって……そう……」
「……うん?」
父親のことを思い出してしまったのか、そこで俯いてしまった奏手。背を、慰めるように軽く撫でてやってみる。
やれやれ。
「……ごめん。ありがと。それとやらしいわね。自然に触ってんじゃないわよ」
「お前な……、別にいいけどね。失笑させられるなぁ、いつもいつも、どうも」
「ふん。まぁ、そういうことだったらしいわ。その研究の途中の事故だったらしいわよ。完成間近だったんじゃないかと思うけれどね」
「そうなのか」
「詳しいところは秘密よ」
「機密の間違いじゃないかい?」
「そうね。いつものことよ。私達には知る権利がないの。ね、刻深。酷い話だわ」
「なぜそこで俺に振るんだ、姉さん」
当惑したそぶりすら見せず、しかし台詞だけは抗議口調で刻深が言う。
「別に。謡依とばっかり話してたら、ご飯が不味くなるじゃない」
「はは、そもそも味を楽しむための食事じゃないと、僕なんかは邪推するんだけれどね」
「その言い方が腹立たしい、っていってんのよ。万事食事は美味しくあるべきだわ。それが生きてるってことでしょ、刻深」
「だから俺に振らないでくれ、姉さん」
僕は再び失笑しつつ、奏手と刻深を、そして奥にいる彼らの母、弾嬉さんを眺める。
傷ついてはいるし、喪失感もあるだろうけれど、さすがは響基さんのご家族だと思った。
「……なんて、まるで偽善者ぶった善人のようだね」
隣にすら聞こえないような吐息で、僕はそう呟き……、食事を終らせに取り掛かった。
* * *
翌日のお葬式。
行程を詳しく記したところで、得する人物など居やしないだろうということで、大幅に割愛。平穏無事に響基さんは埋葬されていったと、それだけの文章で事足りる。彼の冥福を、心より祈った。
ひと段落がつき、各自帰路につき始めていたタイミングで、
「どうも、謡依君」
と、声をかけられた。
視点をそちらの方へ向ける。
小柄な人物が、こちらを見ていた。
「ああ、弾嬉さん。この度は……ご愁傷様でしたね……。そしてお疲れ様です」
「ええ……。昨日今日と、ありがとうね。あの人も喜んでると思うし、奏手も、刻深も……謡依君と話せて、少し落ち着いたみたいだから」
そう、弾嬉さんは可愛らしく微笑む。少し安堵したような、悲しみつつも前向きさを失わない……複雑にして心地よい笑顔だった。
時鏡弾嬉。
響基さんに嫁ぎ、時鏡家に参入することとなった女性。その容姿は、驚くほどに若い。若々しいというのではなく、ともすれば幼いと表現されかねないほどだ。小柄な体型、ショートボブの髪型、猫のように大きめの瞳も手伝って、中学生にすら見えてしまう。二子(しかも上は高校生)の母親だと、信じてもらう方が難しい。しかし中身は年齢(実年齢までは知らないが)相応かそれ以上に成熟していて、礼儀をわきまえ機知に富んで落ち着き払い、何より彼女は百の微笑を使い分ける。
微笑んでいない弾嬉さんを、僕は見たことがない。
この底知れないちぐはぐさに、飄々とした高校生と名高い僕でさえ、向かい合うといつもたじたじさせられてしまう。ましてやこのような場面にあっては、だ。
「いえ……、僕の出来ることなんて少ないものですよ」
仕方がないので、詰まらない発言を並べて場をしのぐ。
「長さで喩えれば数ミリあるかどうかです。思わずミクロン表示にしたくなるほどです。せめて身長程度の度量は持ちたいもの、なんですが。……、奏手とも刻深とも、昨日ちょこっと話しただけですしね。格言めいた慰めすら言えませんでした」
「それでいいのよ。気を置かずに話せる相手って、ありがたいものなんだから」
目の前の人は、彼女にとってのその相手を一人……亡くしてしまったのだと。気づいてしまい、またもやかける言葉を失う。必要以上の同情はわずらわしいだけだし、かといってここで無邪気な発言は不躾が過ぎるだろう。……と。そんな僕の思考を見抜いたのか、弾嬉さんは安心させるように頬を緩ませる。
「大丈夫。ふふ、謡依君はいつも鋭くて思慮深いわね。響基さんもそう言ってた。――優れた刃物のような子。切れ味の危険さまで知っていて、だからいつでも鞘をして、使いどころを探してる――ってそんなようなこと」
「褒めすぎですね。褒められたところで、可愛くもない照れ笑いくらいしか出せるものはありゃしません。それに、あっさり頭の内側を看破されてから言われたんじゃ、気恥ずかしくってたまりませんよ」
敵わないと心底感じ、僕は両手をひらひらさせる。
「あらそう」
弾嬉さんが今度はころころと笑う。容貌に似合った、爛漫らしい笑い方だった。
「話せて良かったわ。なかなか忙しくて、声を掛けられなかったの。また……七七日もお願いするわね」
「はい。また」
「気をつけてお帰りなさいな」
最後に大人っぽい、引き締まったような笑みを見せて。弾嬉さんは喪主の務めの続きだろう――葬儀場の方へ戻っていった。
何とはなしに見送る。
小柄で真面目で気丈で良く働いて、微笑んで。凄い自制心と精力だなぁ、と思う。
「お母さんと話してたの?」
「おぅ!」
感想文を心の中で述べてたところで、背後から声をかけられた。少し驚いた。
奏手……と、その後ろに刻深だった。
「何よ、未亡人狙いなわけ?」
「人をスケコマシみたいにいわないでおくれよ。そんな設定は持ってないんだ、僕は」
「ああ、そういえばそうだったわね。謡依ってば、彼女の一人もいないもんね」
「悪いかい?」
向き直って、おどけてみせる。
ついでに開き直ってもいる。
「私は別に不都合を被ったりしないけど、時鏡家を受け継ぐ者としては深刻なんじゃない? 跡取りが出来なかったら、揮居伯父さんきっと五月蠅いわよ。あ、わかった。あれじゃない、もしかしたら謡依、周囲から男に見られてなかったりしてね。どう、刻深に娶ってもらう?」
「気持ちの悪いことを言わないでくれ」
「まったくだ。姉さん、冗談としても悪い類の物だ。それは」
僕と刻深がそろって不満を呈す。はっきりいってふざけんな。
「そもそも何なんだい? いきなり背後から声をかけてくれてさ。僕が敏腕スナイパーだったらどうするつもりだよ。悪態をつきに来たんだったら、刻深君に向かってやってくれないか」
「謡依さん、さりげなく水を向けないでください。そこで姉さんがその気になったら、どうするつもりですか」
「そうよ。もっと言ってやりなさい、刻深」
「姉さんも。そこで乗るのはおかしい」
「どうするつもりかって? 僕としては万々歳さ」
「俺も怒りますよ」
「ごめんね」
「悪かったわ」
年下に謝る僕等だった。刻深が本気で怒ると結構怖い。彼は淡々と……、緩まず手を抜かず怒りを表現し、着実に恐怖心を浸透させてくるのだ。良くある話で、からかって楽しい相手上位にして、怒らすと怖い相手上位という、まぁ、そう、何事もほどほどが一番ってことだ。
そこで気持ちを切り替えたように、奏手が口を開いた。
「母さんがね」
「うん?」
「母さんが一番泣いてたわ」
「…………」
いつ、とも、どこで、とも、なんで、とすら、訊く気はしない。言わずもがな、だ。
「改めて凄いね、弾嬉さんは」
ただそう感想を抱いて感心し、口に出した。
奏手も頷き、刻深も頷いた。
「だから私も、弱音はもはや吐かないわ。母さんと父さんの娘だものね」
「へぇ」
「うちは共働きだったし、だから母さんも働いてるし。節操ある生活してるし、だから蓄えもあるし。時鏡家の結束は強いし、だから助けてもらえるし。感傷以外で悩ましいことなんかないんだから。私はしっかり『生きて』ゆく」
「恰好良いね」
「でしょう?」
奏手はにやりと笑って――彼女らしい微笑み方を、やっと見られた気がする――僕に向かってそう言った。大方、宣言を誰かに聞いてもらいたくて、声をかけてきたというところだろう。良いように使われているなぁ、と思わなくはないが。
「というわけで、私も働くことにしたわ」
「え?」
聞き違えたかと思った。
「おいおい、いつから? どこで? なんでだい?」
「言わずもがなでしょそんなの。時鏡家のお仕事、よ。父さんもそこで働いてたわけだし、母さんもそこで働いてるもの」
「正気かい? 学生の内から?」
これ見よがしに奏手は髪の毛をふわっとかきあげ、両腕を広げるようにした。
「この業界では、珍しいことじゃないはずよ。既に私は適性があるって、わかってるし、ね」
「恐れ多くも忠告させてもらうけれど、やめておいた方が良いぜ。世の中において、群を抜いてろくでもない世界だろう。絶対後悔する。若気の至りに任せるのはやめたまえ、だ。刻深、君も言ってやりなよ。お姉さんがご乱心だよ」
「悪いけれど謡依さん。俺もそこの面では、姉さんに同意してるんです」
「……君もかい。このシスコンめ」
「否定はしませんよ。そして姉さんはブラコンだ」
「仲良し姉弟でしょ」
ふぅ、と思わずため息を漏らしてしまう。願わくば、いとこであり幼馴染でもある彼らの間違った奇行を止めてやりたいところだったけれど、残念なことに決意が岩のように恐ろしく固そうだ。梃子でも動かないとは、こういうことを指すんだろう。
信じられない。
死にに行くようなものだ。
だからこの一族が苦手なんだ、僕は。
「何だい……、響基さんの死因でも詳しく知りたくなったのかな?」
「違うわ。興味がないとは言わないけれど、殊更それを知るために、選んだ選択肢じゃない」
「それじゃ、なんで?」
「父さんが価値あることをしていたと、信じるからよ」
「……」
強い意志が、奏手の瞳から垣間見えた。
「それに私達って、きっと優秀だって思わない? 優秀な才能はより活かせる場面で、生かすべきなのよ。才能、方針、意志に境遇、揃っているのに、それでも謡依は止めるわけ?」
「止めるね。……いいや、止めない。好きにするがいいさ。好んで禁忌に縛られる奴らのことなんか知りもしないさ。自らの選択に骨でも埋めるがいいさ。決して僕はそれを拾いやしないさ。精々前途に幸多からんことを」
僕はお手上げの姿勢を取る。はん、別に。良く知った人間が死地に向かおうとしているのは喜ばしい話ではないが、かといって止める権利も持ってはいまい。加えて、労力を割いたところで無駄だろうし。もっといえば、僕はそこまで情に厚く思いやり深い人間でもない。飄々としているのさ。
「そう。許可してくれて嬉しいわ、謡依君」
「いえいえ、お嬢様におぼっちゃま。ただし、僕を引き込まないとだけは約束してくれ」
「誰が謡依なんかを。頼まれたって嫌だわ」
「ならば重畳」
僕は諦めのため息を、もう一度吐いた。
懐から件の濃い青をした小箱を取り出し、中に入っている白くて細長い奴を取り出す。式の最中はさすがに我慢していたのだが、いい加減あの味が恋しくて仕方がない。すなわち、愛すべき駄菓子のココアシガレット。
口に咥える。
「ぶっ、謡依、まだそんな子供っぽいの食べてたの?」
「構わないだろう? それとも奏手や刻深はやめちゃったのかい。だったらあの勝負――」
「まさか」
そう言って奏手は細長い筒のシルエット――マーブルチョコを取り出し。
刻深の方は青い顆粒の入ったプラスチックケース――ミンツを取り出す。
二人揃って中身を手に取り、口に放り込んで見せた。
さっきのことを忘れたかのように、三人ともうっかり吹き出してしまった。
「一番最初に飽きた人の負け――、一途に駄菓子好きアピールゲーム。まだまだ継続中よ」
「言いだしっぺは、謡依さんでしたっけね」
「ははん。良く覚えているね」
お互い、つまらない意地の張り合いが随分とまぁ、続いているものだ。既に10年近いんじゃなかろうか。いけないな、場からしたら不謹慎であるのに、愉快で下らない笑いが止まらない。
そこで刻深が、しれっと言った。
「俺は、また三人でセッションをしたいとも、思ってます」
かつて三人でバンドもどきをしていた、そんな話だ。
「……そんな機会は多分、もうないさ。美しき中学の頃の思い出としておきなよ」
「俺は小学生でした」
「どっちでも構わないよ。機会がないことには変わらないからね。……そろそろ、帰るよ。父親も母親も、おそらく待ちくたびれている」
僕はいい加減会話を切り上げる。あとは帰るだけというところで、妙に時間を食ってしまった。他の部分は不可抗力としても、聞き捨てならない爆弾発言をしてくれたせいでのロスだ。いいけれどもね。直後の笑い話で流しておくさ。
歩き出そうとしたところで、往生際悪く。
「謡依」
奏手が言った。
「……何だい?」
「ありがと」
そっぽを向いていた。
ゆえに僕も背を向ける。
「どういたしまして。またの公演をご期待下さい」
最大限そっけなく告げてから、帰路につく。
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