子守唄のように。――弐

 我等が紙燭灯しそくび高等学校は、東京都啼草なきくさ市を所在地とする、とりあえずは進学校と評価されし教育機関だ。敷地面積、総生徒数、進学率……それらを書き並べることに意味はないだろう(知りもしない)が、それぞれ一般の水準を凌駕している確信はある。僕こと時鏡ときかがみ謡依うたいはその頃、紙燭灯高等学校の二年四組に所属していた。奏手かなで、そして刻深きざみとは同じ中学に通っていたのだけれども、高校受験を経て、彼らに別れを告げ、この学校に入学したのだった。なんて、大仰にいってみても大したドラマなわけでもない。先のお葬式のようにして、何かの拍子に会うことも多いわけだしね。

 受験した理由は、僕自身にも定かではない。

 体質に合う校風を探していた気もするし、なあなあな中学時代の記憶から逃亡したかっただけかもしれない。あるいはただの結果として流れ着いただけとか。理由は何にせよ間違いなく、僕はその学校でかけがえのない友人たちと出会うこととなった。

 大それた表現を用いるなら、それら出会いは決定的だったのだろう。何にとってかは当然、僕の人生について、だ。これから説明するあいつの文言ではないが、人を決定し構築してゆくのは、各々の過去と経験、記憶なのだから。

 したがって、出会いは人の構築にとってかけがえない。

 時鏡謡依について述べるのに、彼の存在は不可欠だ。

 その名を、続末ついまつしきみといった。

 身長は僕と同じ程度。だが奏手に揶揄されるほどに華奢な僕と違って、閾の体格はそこそこ良い。ちょうど良い、という表現の方が適正かもしれない。細過ぎず太過ぎず、時代によっては細マッチョとか呼ばれかねない程度に、均整がとれている。勉学はそこそこといった程度、対して体育の時は結構な活躍をする。快活で人当たりの良い好青年だ。しかし、ただの好青年であったのなら、僕にここまで影響を与えることはなかっただろう。

 閾の顔には火傷の痕があった。

 小さなものではなく、ほとんど顔面の右半分……面積でいうのなら、所感四割弱程度。おかげで右側の髪も、生えているところはまばらだ。元の造形としてはすらりとした――好青年に相応しい美顔なだけに、火傷痕の存在感は凄絶な物がある。だのに閾は、顔を隠そうともせず、その痕を恥じらいもしない。活発に人と交流し、元気良く日々を過ごし、冗談を――時にはブラックジョークさえ――飛ばす。

 勿論、閾は火災に見舞われた経験があるわけだが、その際に失ったのは何も見栄えの良い顔だけではない。母親も。父親も。弟さえも。中学三年生を半分ほど過ぎた頃に、失っている。一家全焼だ。辛うじて彼は……彼だけは、命を取り留めた、ということらしい。親戚――父方の伯母に引き取られた関係で、こちらの方に越してきたそうだ。以前は関西の方にいたと聞いている。

 酷い話だ、可哀そうだと、誰もが言う。

 口には出さなかったが、僕もそう思った。

 トラウマ――精神的外傷というのは、勝手な意見でも無責任な感想でもないのだ。間違いなく閾は、それに類するものを背負っているはずだろう。表に出したり、そのことで沈みきったまま帰ってこなかったりは、しないだけで。

 閾は独自の人生観を持っている。

 こいつは馬鹿だとか、記憶喪失だとか、もしくは家族をなんとも思っていない冷血だったとか、そんなわけではない。なのに何故、塞ぎ込まずに毎日を送れるのかと、僕は最初不思議だった。言葉を交わすようになった動機は、そのあたりなのだけれど……仲良くなって、気が付いた。彼は克服したわけではないのだ、と。凄惨な体験を過去の物として葬ったりは、決してしていないのだと。

 おそらく、探っているのだ。探し続けているんだろう。自分がそんな仕打ちを受けた理由を、その意味を。世間と接し合っているのではなく、接し方を保留し続けているだけ。決めあぐねているだけだ。そつなく保留し続け、内面と外面との状況関係を維持し続けている様子が、快活で元気な好青年に見えているだけなのだ。

 さりげなく踏み込ませず、さりとて踏み込みもせず。深く関係せず、無視もしない。誰とでも仲良くなるのではなく、誰とも必要以上に仲良くならない。そうして保留をしながら、独自の人生観を構築し続けている。

 それが、僕の感じた閾の人間像だった。

 もし、彼が踏み込んだ人間、あるいは踏み込ませた人間がいるとしたら、火災の記憶より前か――それか、僕くらいのものだろう。

 閾の方が僕のことを最初どう思ったか、その印象がどんな風に変化していったかはわからない。僕のことを変な奴だと表現はしたが、それ以上詳しく具体的な評価をされた覚えはない。

 しかし何処かで、確かに。

 時鏡謡依は続末閾のさりげない拒絶を無視して踏み込んだのだろうし、続末閾の方もまた、時鏡謡依に必要以上に踏み込んだのだ。

 やがていつしか――高校に入学してから一年も経過した頃には、僕等は二人でいることが多くなり、互いに詰まらないことやややこしいことを語り合う仲になった。

 そんな感じの二人のある日の昼休み。

 確か、二学期目が始まり、秋らしい気配が漂ってきた頃だったか。

「よお、謡依。早速だが俺のジョークを聞いてくれ。さっきの授業の最中に考えたんだ」

 詰襟学ランを着こんだ僕に、まだワイシャツ姿から脱していない閾が、机に腰掛けて会話を始めてきた。

 母親が丁寧にも毎朝作って下さる弁当の包みを開きつつ、受ける。

「おいおい、僕の貴重なお昼休みをそうやって侵犯するのかい? 食事をしながらで失礼するけど、聞いてあげても良いよ。ただし面白くなかったら、それなりの覚悟はしておいてほしいね」

「おう、任せておけ。ええと、よし。こんな話だ。そろそろ寒さも本格的に増してきた頃、ジャックがお洒落なウィンドブレーカーを着てきたんだ。友人のボブはそれを見て言った。『ヘイ、ジャック! 縦のストライプがクールなウィンドブレーカーを着ているーネ!』」

「『オウ、イエス、ボブ! ナイキで980エンでオカイドクだったのサ!』」

「安っ! 叩き売りじゃねーかジャック!」

「『ハッハー、このくらい御茶の子さいさいサー!』」

「ジャック続けるのかよ! いや、かまわないけどな……。ボブはそこで、『オーグッド! 僕も今日ナイキへ行って、横ストライプのを買うYO! 明日会うのを楽しみにしてるんだZE!』てな具合でな。その日は別れたわけだ」

「『オー、リアリィ?』」

「ジャックはもういいってんだよ!」

「オゥ、マイ、ゴーッド。……で? 全然面白くないんだけどね」

 オーバー気味に肩をすくめて、僕はそう言う。閾は人差し指を立てチッチッチと振る、苛立たせるためとしか思えないアクションをしてみせた。

「次の日ボブがジャックの前に現れた」

「『ヘロー、ボブ! クールなウィンドブレーカーはショッピングできたかい?』」

「ノリノリだなお前」

「内容が期待外れっぽいから、盛り上げてあげてるんじゃないか」

「失礼な奴だな。まぁ、ボブは言うのさ。『オフコースさジャック! これを見てくれ! ルックディス、ルックディス!』と、そう得意げに、白いマスクを指して見せるんだ。ああ勿論、ウィンドブレーカーは着ちゃいない」

「ワッツ? マスクってあれかい、くしゃみとかでツバキが飛ぶのを防ぐ」

「その通り」

「どういうことさ。何を間違えてしまったんだい」

「考えてみろよ」

 ニヤニヤ笑って閾は言う。

 僕はお弁当箱の蓋を開けながら、考えてみた。

 ウィンドブレーカーで。縦ストライプ……ああ、ボブは横ストライプのを買うとか言ってたんだっけ。横ストライプ。それはまぁ、横縞柄ってことだろうな。横縞なウィンドブレーカー……。よこしま……っておいおいおい、こらこらこらこら……。

 口に何か入れる前に気付けて良かった。

「……、閾君、下らない駄洒落を自慢げに話すものじゃないよ……」

「なんだと。お前笑ってるじゃないか。肩が揺れてるぜ」

「はっはっは、いやいやまあまあ。横ストライプ、横縞、よこしま、邪。で、ウィンドブレーカーね。風邪防ぐわけだな。つっ、詰まらない。あははははは」

「受けてんじゃないか謡依。俺の勝ちってこった」

「勝負じゃないだろう」

「褒美くらいよこせよ。ほら、いただき!」

 閾が手を伸ばして、僕の卵焼きをつまみとった。

 驚いて顔を上げた時には既に、味の染みた黄色いおかずは彼の口に消えている。

「なっ! なんてことをするんだ! 横暴じゃないか!」

「かっかっか。なかなか美味しかったぜ。料理が上手いなお袋さん」

「ち。褒めたところで、これ以上やらないよ」

 取られないうちに、昼食を開始する。

 あー、本当に下らない。なんで笑ってしまったんだ。己を恥じるばかりだ。精進が必要だ。

 そのままさらに他愛のない会話へ突入する。いつものことだ。

「英語の授業中にピンと思いついたんだな、これが」

「先生が聞いたら泣いてしまわれるよ。しかし、ウィンドと風邪ね。だから似非外国人だったわけだ」

「助長したのはそっちだろ。まー、風邪だ。インフルエンザウィルスだ。感染拡大だ。日本沈没だ」

「風邪とウィルスは、今では別物として扱われてるんだよ」

「細かいところを突っ込む奴だな。そういや、インフルエンザのワクチンって結構信用ならないんだってな」

「毎年ウィルスは新しくなるからね。そのたびにワクチンを予想して先回りしなくちゃならない。はずれると大流行するんだよ」

「ふぅん」

 頷いて。閾は売店で買ったのだろう、菓子パンを開く。

 僕は梅干しを箸で千切り、お米と一緒に口にする。梅干しを発明した人間は至高だ。

「なんていったっけ……袋固いんだよな、コレ……、そうゆー追いかけっこみたいなの。入れ子構造?」

「マトリョーシカかい?」

「どんな鹿だよ。真っ赤な御鼻なのか。おお、開いた」

「突っ込みどころしかない発言をしないでくれよ。ロシアの伝統的なおもちゃさ。女の子の形をした人形を開けると、中に似たような人形が入っていて、それをまた開くと中にさらに小さな人形が……って。君も見たことあるだろう? そして鼻が赤いのはトナカイであって鹿じゃないよ」

「ふもふもふ」

「聞きなよ」

 マイペースにパンを頬張る閾。仕方がないので僕も食事を続ける。

 お昼休み。食事をしている生徒が大部分だが、食堂へ出かける者もいれば、教室で別のことをしている者もいる。共通しているのは、大体お決まりの人間同士で集団と集合を作り、学生生活を謳歌しているということだ。そして僕ら二人は、それら群に埋もれることが少ない。

 一通り咀嚼し、飲み込んだのか、閾が言う。

「ん……で、その鹿みたいな構造を、入れ子っていうんだな。じゃ、追いかけっこはなんだよ?」

「いたちごっこかい?」

「鹿だったりいたちだったり動物が好きだな」

「鹿じゃないってばさ。そんなに鹿が見たければ奈良にでも行くが良いよ。あそこには古墳と大仏と鹿しか存在しないと聞くからね」

「お前今すぐ奈良県民に土下座しろ。……いたちごっこね。英語でなんていうんだろうな」

「また冗談の種にでもするつもりかい? vicious circleだよ」

「あれこれと良く知っていやがる奴だぜ。ヴィシャス? シド・ヴィシャスのヴィシャスか?」

「悪いとか邪悪とか、そんな意味だね」

「ヴィシャス・サークルで悪循環ってことか。成程ねぇ……。だが、いたちごっこと悪循環だと、若干意味合いが違う気もするよな」

「全くだね。言語翻訳の限界という奴さ。ない物はない……文化が違うのだから、いたしかたない。けれどウィルスもvirusと書くし、語呂っぽい物は合いそうだ。何にせよ、インフルエンザウィルスも風邪も、うがい・手洗い・規則正しい生活で大半は防げるものさ」

「横ストライプのウィンドブレーカーも忘れずにな」

「そのジョーク、本当に下らないから他のところで話さない方が良いと思うね」

「ツボってたくせによ」

 駄話にそこで切りがつき、お互い食事に専念し始める。パンを食べ終わった閾は、今度はパック牛乳をのんびりと飲み始めた。僕の弁当箱もあらかた空になり、にわかに午後の授業へ意識が移行し始めたあたりで。

「ね、ねぇ……あの、二人とも……」

 声を。

 かけられた。

 二人してそっちを見ると、それは珍しい相手だった。

「おう、一文字。どうした?」

 たなごころ一文字いちもんじ

 身長は平均かそれより少し低い程度だが、体重の方は僕や閾を大きく上回るだろう。ふくよかな体躯――デリカシーのない呼称を使えば、デブという部類だ。眼鏡はかけていないが、小さめの目がおどおどと、彼の気弱そうな性格を良く表している。ただ、体質なのか髪だけは良質で、大した手入れはしていないとは本人の言だが、ほど良い光沢とサラサラ感を纏って掌君の頭の上に鎮座している。奏手あたりが聞いたら、ずるい・もったいない・私によこせ、と憤慨するだろう。あいつの癖っ毛は、寝不足と湿気が重なると、手をつけられない状態になってしまうから。

 ちなみに掌一文字君と僕とは、そこまでの交流はない。言葉を交わしたことは何度かあるが、仲の良い友人という程では、とてもじゃないがない。閾の方も、普段捌くように付き合っている人間の内の一人でしかないのだろう。

 それなのに何故?

 ジョークでも話しに来たのだろうか。

 太い両手の指を腹部のあたりで交差させながら、掌君は言った。

「あの、二人とも……ふ、二人にそ、相談したいことがあるん……だけど、いいかな……」

「はぁ?」

「相談だって?」

 僕と閾は、思わず顔を見合わせる。確認するように掌君の方を見やれば、彼は落ち着かなそうに頷いて見せた。

「こ。ここ、古里井さんのことで……」




*   *   *




 古里井こりい女苗おみなえ

 その名前はもはや、この紙燭灯高等学校には属していない。

 というのも、ちょうど一週間ほど前――僕が響基さんの葬儀に参列し、学校を休んでいた時――に、彼女は引っ越してしまっているからだ。少し奇妙な話ではあった。親御さんの都合だろうか、かなり突然に引っ越しが決まったらしく……親しい友人達も、その日まで引っ越すことを知らなかったらしいのだ。先生曰く、東北のどこかへ行かれた、とのことらしいが。

 古里井さんは垂れ目がちでおっとりとした印象だったが、利発そうな雰囲気も持っていた。セミロングの黒髪を、よく小さな装飾のみの色つきピンで留めていたのを覚えている。物腰は柔らかで他人に対して優しい性格。もし粗悪な校風であるのなら、いじめられてしまいそうな小動物的な彼女だったが、幸いこのクラスでは男女問わず人気があった。

 まぁ、有り体にいえば、可愛らしい清純系女子……そんなところか。

「で、その古里井さんがどうしたんだよ」

 昼休みは終わりかけだったし、掌君も人が多いと話しづらいだろうということで、僕等は放課後まで待った。その木曜日は三人とも部活動――閾は卓球部、僕はパズル同好会、掌君は確かコンピューター部――がなかったので、教室が空疎になってから話を聞くことにした。

 掌一文字君は言う。

「こ、古里井さんが、消えちゃった……んだ」

「はぁ? 消えたぁ?」

 なんだそれは。

 僕もそう思ったが。これ見よがしに首をかしげて見せる閾に、掌君は困ったように首をすくめてしまった。仕方がないので、僕の方から話を引き出すことにする。

「ちょっと待ってくれないかい、掌君。順を追って話してくれないと、相談にならないよ。まず、彼女――古里井女苗さんは、先週引っ越したはずだけれど。そのことは知っているよね?」

「う、うん……いや、その……別に引っ越したから消えちゃったって言ってるんじゃなくて、引っ越したところから消えちゃったって言ってるわけで、あの……」

「はっきりしろよな、一文字。ちんぷんかんぷんってやつだぜ」

「漢字で書けるかい、閾。ちんぷんかんぷん。そんな風に君が怖い顔でせっついたら、掌君だって話せるものも話せないさ」

「……おう」

 閾が引き下がる。

 ちなみに、書き方はいくつもあるけれど、一例としては珍粉漢粉だ。

「……で、どういった事情なんだい? 確かに引っ越した状況が、少しばかり不思議だって話は聞いているけれども」

「そ、そうなんだよ! 不思議だと思って、えっと、ぼくも調べてみたんだ、けど……」

「けど?」

「どうも……どうも、引っ越し先には、誰も住んでない……っていうか、住所がほとんどでたらめ、みたいで……」

「古里井さんの行方が不明瞭だと」

「う、うん。それが言いたかったんだ」

 掌君は、意図が伝わって安堵したのか、頷いて見せた。

 対して閾は肩をすくめてから、僕にノートの切れ端を押しつけて、掌君の方を向いた。

「確かに話自体はおかしなことだと思うけれどよ。それをなんで、俺たちに相談するんだよ?」

 ノートの切れ端には、『陳腐乾布』と書いてあった。

 どんな乾布なのだ。摩擦するのか。

「それは……あのぅ……。二人って、何だか、凄そう、だから……」

「はぁあ?」

 なんなんだそれは。

 僕もそう大いに感じたが。ほとんどチンピラみたいに掌君へ詰め寄る閾を見て、我に返った。これまた仕方がないので、またもや僕の方から話を引き出すことにする。僕が引き出す役、閾が睨みをきかせる役。って、取り調べかい?

「う、うぅ……」

「掌君、何が凄いと感じたんだい? 別に僕等はホームズとワトスンがごとく、ベーカー街に居を構えているわけじゃないんだけれどさ。事件らしきものを解決したことはないはずだよ」

「そうじゃなくて……ふ、雰囲気、っていうのかな。続末のその顔も……」

「ケロイドっていうんだぜ。文句あるか?」

「ひ、いやっ! ごめん、そんなつもりじゃ……」

「閾。君そろそろ面白がってるんじゃないかい? 可哀そうだし話が進まないよ」

「おう」

「まったく……」

 僕はかぶりを振る。

 遠慮がちに指摘されたところで、今さら気にもしないだろうに。ましてや相手はクラスメイトだ。今さら過ぎるんだよ、閾君。悪い子だ。

 さておき。

「それで?」

「えっと……、続末って、その……火傷の痕もあるのに……みんなと打ち解けてて、凄いと思うんだ……。と、時鏡もさ。あまり話したことない、けれど……あの、じ、自分の? 自分の世界を持ってて……。で、で、二人は何ていうか、他の奴らみたいに…………なんだ、一緒にいない? 二人だけの世界っていうか」

「やめろ気持ち悪い」

「僕もその表現はやめてほしいな」

 なんか似たような対応を、最近した気がするな。

 嫌なデジャ・ヴだ。

 嫌過ぎるデジャ・ヴだ。

 三度目はないことを祈る。

「ご、ごめん。良い表現が……」

「群れてない、ってことかな?」

「あ、それ。そんな感じ。えっと、二人は他の奴らみたいに……群れてない……。孤高、とか」

「ただ単に浮いてるだけだと思うけれどね」

「変人な謡依と一緒にすんなよ」

「地球上に住まいし遍く全ての生物にそう評されたとて、君にだけは言われたくないなぁ、閾。君も十分変わり者じゃないかい?」

「なんだって? 言うに事欠いて俺を変人扱いしようってのか? 一文字の話をちゃんと聞いてやってくれよ。俺はみんなと打ち解けてる一般人だぜ」

「君こそ良く聞いてなかったのかい? 掌君に失礼じゃないか。君はもっと同胞たるクラスメイトに敬意を払うべきだと思うね。閾も孤高だとか、正しくは孤立だとか、言われているじゃないか」

「孤立とまでは」

「あ、あの!」

 おっと。

 掌君から制止がかかった。危うくメインゲストを放っておいて番組進行をしてしまうところだった。これでは視聴率が稼げない。じゃない。取り調べしてたんだった。というわけでもない。そうそう、えっと、それで何だったか。

「悪いな、一文字。謡依が変な奴で」

「こちらこそ悪いね、掌君。閾がもう少しましな奴だったら」

「…………」

「冗談さ。お互いにね。そうだろ、閾?」

「おう。そういうことにしといてやるさ。んで、結論聞いてないぜ。なんで俺たちなんだ」

「うんと……二人だったら、ぼくのこと……わ、笑わないでくれると、思って……。い、言いふらしたりしないだろうって」

「あー」

「成程」

 僕と閾、二人して首肯する。納得の理由だった。

 まあ、結局凄いだとかいうのは誤解でしかないのだろうけれども。僕にしても閾にしても、噂を広めたり、陰口を叩いたり、その場にいない人間を揶揄したりしてまで、他人のご機嫌をとろうなどとは考えない人種だ。

 その点で、掌君の判断は正しい。

 ……に、しても。彼の話はやはりいくつか、すんなり了承しがたいところがある。

「しかし一文字よぉ。まあ……そこまでは良いぜ。俺も謡依も、この話を殊更吹聴したりはしないだろうし、お前の妙な必死さ、真面目さは伝わってきた。別にからかってるわけでも、罰ゲームでこんなことさせられてるんでもねーんだろ。でも気になる部分があるんだな」

「な、何?」

「警察だよ。ケーサツ。俺等しがない学生ぼっちとは比べ物にならないほどの組織力、機密性、そして実力を持った機関があるんだぜ。何故、警察のおじさん達に任せないんだ? 何のために俺達の父ちゃん母ちゃん、税金払ってるんだよ」

 俺にはもういないけれどな。

 なんて、そんなひねた台詞を吐くほど、閾は悪い性格をしていない。が、言っていることはもっともだ。もしそれが異常事態であるなら、少年探偵団なんか結成していない、ましてやSOS団ですらない僕等より前に、警察へ行くはずだ。

「い、行ったよ……。け、けど、ほとんど取り合ってもらえなかったんだ……」

「んー、成程、そうか」

 閾は軽く、僕の方へ目配せをした。

「まぁ、そうだろうね。地方警察じゃそんな、他県にまたがった事情にまで詳しいわけじゃないだろうし。引っ越しをすると報告はしっかり入ってるんだから、事件として扱うのも難しいだろうね。何十件も似たような話が報告されているのならまだしも、だ」

「うん……。きっと住所の報告間違いとかじゃないか、って」

「けれどそうすると、もう一つ不思議な点が出てくるんだよね。掌君」

「え、な、なんだろう……」

 僕は閾の方を顔だけ向けて、自分を指さしてから、手をひらひらと振ってみた。

 閾は閾で、眉根を少しよせて見せたが、まあいいかと諦めるように首を傾けてみせた。

「悪いな。だが気になっちまって不眠症になっちまったら困る」

「……?」

「お前、なんでそんな必死なんだよ」

「う…………」

 俯いてしまう掌君。

 閾が尋ねてくれたので、僕も訊きやすくなった。いや、返答を半分くらいは予想できるんだけれどね。そしてそれを訪ねることの無粋さも。それでも僕等が――クラスというコミュニティから外れかけてる僕等が動こうとするのに、建前のような動機が欲しいのだ。

「普通だったら、警察の方に断られた時点で引き下がるだろうしね。元クラスメイトとはいえども。そもそも、わざわざ引っ越し先の住所を確認しようとしている時点で、不思議だよ」

「まだ一週間しか経ってねーんだからな。同窓会にしちゃ早すぎる」

「そ、そそそ、それは……」

 掌君は、少し後ずさって、喉をごくりと鳴らした。そのまま、しばらくの沈黙。

 嫌だなぁ。なんかもう、追いつめてるみたいじゃないか。追いつめてるんだけれども。

 僕は将来、取調室のお世話になることだけはしまい。どちらにとっても、こんな気分は味わいたいものじゃないだろう。

 やがて、掌君がおずおずと口を開いた。

 俯いたまま。

「それは……、えっと、ぼくが……、こ、古里井さんが……。んと。ぼ、ぼくは古里井さんが…………す、好きだったから……」

「…………」

「…………おう」

 ゆっくりと、彼は顔を上げる。

「ず、ずっと好きだったんだ、古里井さんのこと。や、優しくしてくれたし……、話、き、聞いてくれたし……笑って、くれたんだ。今も、まだ、ず、ず、ずっと好きなままで……な、なのに、言えなくって。突然のっ……ひ、引っ越しで……ず、ずっと言えなかった、けど、も、もしかしたらもう会えないかも……って思ったら、い、い、いてもたってもっ、いられなかった、から……つ、伝えないとって……」

 僕は閾の方を、眼の動きだけで見た。

 閾も僕の方を、横目で見てきていた。

 揃って、軽くため息。

「……オッケーだ。一文字」

「そうだね。だったら受けないわけにはいかないさ」

「え……」

「ここまでの情熱持たれちゃってたらな。まー、やらいでかって奴だろ」

「僕等がキューピッドのように……とはいかないけれど。これ切りってのはいささか無念が過ぎるよねぇ」

「なあ?」

「だろう?」

「あ……、ありがとう! 続末、時鏡!」

 ここで閾は、おどけるように笑ってみせる。

「かっかっか。お礼を言うのはまだ早いぜ。めでたしめでたしとまでなったら、聞かせてくれな」

「労働報酬ってことだね」

「う、うぅ、は、話して良かったよぉ……ふ、二人とも……」

「つか泣くな! 鬱陶しいだろ!」

「あははは」

 珍しく照れた顔の閾に、思わず笑ってしまう僕だった。掌君は何に感動したのか(と、とぼけて見せるのは精一杯の自制だ)、本当に涙を流してしまっているようだった。面倒くさい話だが、悪い気はしない。

 僕も閾も、そこまで純粋に他人を好きになったことが、まだないのだろうから。

 一種の憧れ。一種の願望。願わくば、彼の思いが無駄にならないでほしい。

 青臭くて仕方ないけれども、そのくらいは良いだろう?

 ――さて。

 僕は手のひらを鳴らす。

「とりあえずは、情報を集めないとね」

「当たるべき場所はどこだろうな、謡依?」

「まずは先生方。そして仲の良かった女子達だろうね。どちらも手ごたえなしの場合、市役所やらの公共機関に手を出すことになる」

「そうか。じゃ、先生側頼むぜ。お前、先生受けは良いはずだろ」

「物怖じしないだけだと思うけれどね。なら、女子関係は君に頼むさ、閾。色男だろう?」

「お前それは馬鹿にしているのか? 俺の顔を捕まえてよ。まぁ……女子っつーと晦日みそかあたりからか。あいつ女子の話題には詳しいだろうからな」

「ぼ、ぼく……並尼ならびにさん苦手……」

 遠慮がちに掌君が言う。

 閾は彼の肉付きの良い頬を、掌でぺちぺちと軽くはたいた。

「だから俺等が請け負ったんだろ。安心しろ。あいつが一文字を馬鹿にしたら殴ってやる」

「な、並尼さん、女の子だよ……?」

「関係あるかよ」

「閾はフェミニストじゃないからね。それじゃ、明日から活動開始で良いかな?」

「うーっす」

「あ、う、うん……」

 と。

 僕等が帰り支度を始めた、その瞬間。


 ガタッ!


「!?」

「!」

「ぅぉ!?」

 おかしな、音がした。

 全員がどきっとして、音のした方向を向く。

 掃除用具入れだった。

 掃除用具入れの扉がきぃぃい、と開いて、中から……。

「……千々泡さん?」

「おい切子! そんなところで何やってんだ!」

 千々泡ちぢわ切子ぎりこ

 僕等が群れないと表現されるのであれば、彼女は間違いなく『浮いている』としか表現できないであろう。ショートカットのヘア。何処を見ているか分からないまなざし。それは彼女が、涼やかで切れ長の目である、というのもあるが、何を考えているのか外からほとんど推察できないからこそ、そう感じさせられる。焦点があってないような、不透明な印象。両眼の下に、頬へまたがるよう三つずつ、ほくろが縦に並んでいる。

 美少女のようであり。

 人形のようであり。

 そして宇宙人であるかのような。

 学年――いやさこの学校一の、変わり者生徒。

 堂々とここに登場、だった。

「衛生環境を保全・持続するべく、恒常的に毎日行われる伝統的行為、それは公平さを期し効率化を狙うべく、予め決定された割り振りを元に、生徒達が交代で行う――すなわち掃除当番と呼称されし機構である。私は正に今日この日、一週間における第五日目――日曜日を第一日目と仮定した場合であるが――木曜日の担当であったため、完了させるべきその任務を遂行したのち、使用した諸道具を片付けるべく所定の地点――つまり掃除用具入れへ近づき、次いで私的な目的を達成すべく、他の一般常識に照らし合わせて不自然とされない行為を偽装しつつ、木箱の中へとその身を隠密させたということである」

 彼女は言った。

 一息で言った。

 わけがわからなかった。

「え、ええ、え? えっと?」

「ああん?」

「つまり……僕等の話を盗み聞くため、掃除が終わった後、道具を片付けるふりをしながら、用具入れの中に隠れた……ってことかい?」

「否定する要素は見当たらない」

 何やってるんだ女子高生。

 掃除用具入れに好んで入り込む女子高生なんて、聞いたことないよ。

「ややっっっこしいってんだよ!」

 閾が声を荒らげて突っ込みを入れた。

 漫画だったら、吹き出しで攻撃ができただろう。

「加えて何盗み聞きしてんだ! 殴るぞ切子!」

「懸念には値しない。私もまた、掌一文字氏、並びに古里井女苗氏の個人情報については黙秘を決め込む。万が一私がこの約束を破棄したところで、諸氏はこれを信用することはないだろう」

「千々泡さんの言うことなんか、誰も聞いてないってことだね」

「否定する要素は見当たらない」

「……だぁっ、そうかもしれねーが……」

 出鼻をくじかれたからか、それとも殴ったところでどうせ無駄だと思ったからか、閾は諦めたように近くの机へ体重をかけた。掌君の方を向いて、顎をしゃくる。

「おい、一文字! お前は何かないのかよ、このへんてこりんな女に対してよ!」

「え……? えっと……、ち、千々泡さん」

「いかなる貴君の質疑にも応答する用意がある」

「……な、なんでぼくの話を聞こうと思ったの……?」

「貴君等の食事、つまりここに於いては勿論、先の、一日に於いてその中間とされる時間帯になされる栄養補給――通称されるところの昼食時。その会話を耳にしたからに他ならない」

 僕はいい加減ため息をついて。先回りをした。

「僕等の昼休みの会話に興味をひかれた、ってことね。とんだ野次馬根性だねぇ」

「否定する点が一ヶ所存在する。私は馬ではない」

「謡依は本当に動物が好きだな」

「そこで君は千々泡さんに乗るのかい」

 やれやれ。僕は手のひらを肩まで上げ、首を大げさに振った。

 オーバーアクションもとりたくなるというものだ。

「それではいかなる応答義務も、もはやこの場にはその存在を残してはいないと見なして宜しいか」

「はいはい。質問はもうありませんよ。決して言いふらしたりしないでくれよ」

「契約の有効期間は無期限とする。私は然るべき生活圏へと移動を開始しよう」

「お疲れ様。帰り道気をつけてね。明日また学校で」

「否定する点が一ヶ所存在する。私は表現を必要とするほど疲労していない」

 彼女はそう言って、鉄面皮のような顔で頷くと、鞄を持って教室を出ていった。

 見送る男子三名。

 ややあって。

「……帰るか」

「そうだね」

「う、うん……」

 我に返った僕等は、校舎を後にした。

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