第6話 あーんを御所望かしら?

 ふんわりと暖かく包み込まれて、レオはぼんやりとした意識でここは天国だろうかと考えた。覚醒を嫌がる自分がいて、どうしても目を開ける気になれない。

 目を開いたらまたケンバルに怒鳴られる。それを思い出してレオははっとして飛び起きた。もう明るい。こんな時間まで寝ていたなんて、きっとケンバルに殴られてしまう。

 慌ててベッドを出ようとしてついた手が、柔らかな布団やシーツに触れる。豪奢なカーペットが敷かれた部屋。触ったら汚してしまいそうな調度品。少し離れたところにある空のベッド。

 そこで天使のような寝顔を見せていた少女を思い出して、一気に体温が上がる。

 レオはもうケンバルたちとは縁が切れたのだとほっとする。が、同時に自分がジョゼフィンの奴隷であることも思い出した。

 焦ったレオは急いで着替えを済ませ、ジョゼフィンの姿を探して寝室のドアを開けた。


「あら。おはよう、レオ君」


 ジョゼフィンは居間のテーブルで優雅に紅茶を飲みながら本を読んでいた。

 綺麗に梳かされた白金の髪は淡い光を放ち、ティーカップを持つ白い指先には繊細な細工のような薄紅色の爪。華奢な肢体を包む上品なドレスは花びらのようで、唯一モノクルだけが昨日と変わらない。

 どう見てもどこぞのお姫様だった。


「あっ、あの」


 主人より寝坊する奴隷がどこにいるのか。ひどく叱責されるのではないかとレオはびくついた。そんなレオをジョゼフィンは手招きする。


「お腹すいたでしょ。もうすぐお昼だからとりあえずお菓子でも食べてなさい」


 クッキーの乗った皿を差し出されて、レオは混乱する。ジョゼフィンは乱暴な主ではないが、それでも明らかにレオは失態を犯している。怒ってはいないのだろうか。

 レオが戸惑っていると、ジョゼフィンはクッキーを取ってぽいっとレオの口に放り込む。


「あーんを御所望かしら?」


 悪戯っぽく笑うジョゼフィンに、レオは焦って否定しようとしてクッキーに咳き込んだ。笑い声を上げたジョゼフィンは、向かいの席に座るようレオを促した。


「じゃあ改めて。おはよう、レオ君」

「お、おはようございます」

「この時間だから今日はこのままゆっくりしましょう。貴方も疲れてるだろうしね」

「あの、でも僕……仕事は」


 ジョゼフィンは小さく首を傾げて考え込む。


「なるほど。何かしないと落ち着かないのね」

「奴隷ですし」

「でも、何ができるの?」


 モノクル越しの視線を受けてレオは言葉に詰まる。治癒師ヒーラーとして使い物にならないのは思い知っているし、この宿のメイドたちを見た後では雑用すらできるとは言えなかった。


「だから、勉強しましょう。まずは読み書きと計算かしら」

「お嬢様!?」


 それは仕事ではない。昨日から食事も寝床も分不相応なほどいただいているのだ。待遇が良すぎて怖くなる。


「勘違いしないで。これは投資よ」

「とう、し?」

「貴方の才能を私は知っているの。だからこのままじゃ勿体無いと思ってる。言っておくけど、すでに貴方の購入金額以上に私はお金を使ってるからね?」


 レオは青くなって自分の着ている肌触りのいいシャツやズボンを見る。ベッドの脇に用意されていたものだ。昨日着ていた奴隷商の服はどこにもなかったので、仕方なく着ることにしたのだが、明らかに高級品だった。


「たとえ奴隷であっても、私のそばにいて恥ずかしくないようになさい。仕事以前の話よ」

「ごめ……申し訳ありません」

「下を向くのをやめて姿勢の悪さを直しなさい。相手の目を見て話しなさい。強くなるために必要な武装は全部私が整えてあげる」


 レオはジョゼフィンの言うことが完全には理解できないながらも頷いた。


「そして貴方が望みどおり強くなったら……」


 ジョゼフィンはそこでふと目を伏せた。


「私を守って」



◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 迷宮で戦う。ジョゼフィンの持つ収納の腕輪のお陰で、荷物を気にせずドロップ品を回収できる。

 たった二人のパーティだが、ジョゼフィンの魔法で自分の実力が底上げされていることをレオは理解していた。そのせいで、二人とは思えないペースで探索ができている。

 索敵はジョゼフィン任せだ。どうしてそんなことが可能なのかと思うが、聞いていいものかどうか判断がつかないので、レオは尋ねるのを控えている。

 魔法にしても何にしても、ジョゼフィンは謎が多い。快活で何事も自信満々に押し切る気の強さと、華奢で繊細な美貌はその落差に驚かされる。金持ちで人を使うことに慣れている様子からして、きっと高い身分の生まれだろう。

 レオはジョゼフィンの言葉が気になっていた。

 私を守って、と言ったときの彼女は、なんだかとても儚く見えてしまい、レオは切ない気持ちに胸を引っかかれた気分だった。

 それはきっと、ジョゼフィンが一人で迷宮都市に来たことや、冒険者なんかになったことと関係している。


「そろそろ帰りましょうか」


 ジョゼフィンは取り出した懐中時計を見て帰還を告げた。

 彼女はリスク管理にうるさくて、冒険者を名乗りつつも絶対に冒険はしなかった。勝てる相手とだけ戦う。イレギュラーが起これば安全マージンを取る。

 レオはジョゼフィンの計画性と分析力に驚いたし、先日まで自分がいた【栄光の鍵】がいかにいい加減で適当だったのかを思い知った。


「そもそも二人しかいないんだもの。想定外に対処する能力はほとんどないでしょう? 迷宮で死ぬ気なんてさらさらないんだから。急がなきゃならない事情もないのだもの」


 ジョゼフィンはそう言って戦う相手を選び、レオが窮地に陥るような探索はしなかった。

 冒険者ギルドに戻れば、ヴィエラが笑顔で二人を迎えた。


「お疲れ様です。ジョゼさん、レオ君」

「ただいま戻りました。ヴィエラさん」


 最初こそジョゼフィンを警戒していたヴィエラだが、何度も迷宮に通ううちに大丈夫だと信用したらしい。

 レオの身なりが別人のようにさっぱりし、血色も良くなり、背筋も伸びてちゃんと前を向くようになった。その上ゆっくりとだがレベルが上がり、表情も明るくなった。剣と盾にはまだ疑問が残るが、実際にレオは後に残るような怪我もなく帰ってくる。

 明らかに以前より待遇がいいのは確かで、そうなれば文句を言う筋合いはない。


「更新をお願いね。あとこれが今日の戦利品」

「お預かりします」


 ヴィエラは魔石や素材は査定の担当へ回し、ギルドカードを魔道機械にかけて記録のチェックを始めた。

 冒険者登録の時に作成するギルドカードは、本人の身分証明書であると同時に、迷宮内での戦果を記録する魔道具でもある。

 カードはギルドにある特別な魔道機械で作られる。元々は迷宮で見つかったアーティファクトで、研究者が複製に成功し、ギルドができてから各地でずっと使われているものだ。

 都度チェックするのは冒険者同士のトラブルを見逃さないためでもある。戦利品と戦闘記録がかみ合わなければ何かがあったということだ。

 カードには迷宮内の魔力変化が記録されており、そのパターンでどんな魔物と戦ったのかわかるようになっている。階段や転送の魔力変動も記録されるので、行った階層も把握できる。


「もう10階を越えたんですか? 人数が人数ですし、メンバーを増やすことをお勧めします」

「そうなのよね。ギルドで斡旋とかはしていないかしら?」

「メンバー募集の用紙がありますから、希望の条件を記入して提出していただければお手伝いできますよ」

「考えてみるわ」


 二人で探索活動をしている冒険者パーティはない。一般的には偵察をする斥候スカウト、前衛の戦士が二人、治癒師ヒーラーに後衛の魔術師メイジ弓術士アーチャー。最低でも四、五人になるのが普通だ。

 ヴィエラは人数だけでなく、治癒師ヒーラー付与術師エンチャンターのコンビという部分も懸念していた。明らかに色々と足りていない。本当なら危険を鑑みて活動停止を勧告するところだが、実績が上がっているので強くは言えないでいる。


「えっ」


 記録の読み取りが終わり、記載事項が更新されたギルドカードを見て思わずヴィエラは声を上げる。もう一度更新をやり直して、ヴィエラはカードを見ながら難しい顔で考え込んだ。


「何かあったんですか?」

「それが、更新してみたらカードの表示がおかしいんです」


 ギルドカードに記載されるのは持ち主の名前と職業、レベル、ギルドの評価ランクだ。


「レオ君の職業が……」


 ヴィエラはレオにカードを見せた。横からジョゼフィンも覗き込む。


「あれ? どうして」

「……ふうん」


 レオは首をかしげ、ジョゼフィンは口元に拳を当てて小さく頷く。レオのカードの職業欄には、治癒師ではなく戦士と記載されていた。

 レオはきょとんとして思わず自分の装備を見直す。腰には剣。背中には盾を背負い、防具は金属補強の皮鎧。どう見ても駆け出しの戦士という姿だ。


「でも、僕ずっと〈ファストヒール〉使ってるんですけど」


 戦士が治癒魔法を使えるはずはない。剣を持って戦うようになった今も、一番頻繁に使うのは治癒師が最初に覚える呪文だ。


「誤作動でも起こしたのかしら。とりあえず原因がわかるまで、このままこのカードを使って下さい。上に報告して点検してもらいます。受付には注意事項として周知します」

「わかりました」

「職業の誤表記なんて大事故になりかねませんし、レオ君も何か気づいたことがあったらすぐ連絡して下さい。遠慮は要りませんから」

「はい。ありがとうございます」


 ヴィエラはジョゼフィンとレオにギルドカードを返し、査定から戻ってきた買取金を渡した。

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