第5話 『命令』

「ああ、レオ君! よかった、無事なのね!」


 冒険者ギルドに戻ると、焦った様子のヴィエラが出迎えた。冒険者の帰還ラッシュが終わった頃。外はもう完全に日が落ちているが、夜更けと言うにはまだまだ余裕のある時間。心配されるほど遅いわけでもない。

 ダークブラウンの髪はいつも通りきちっと編み込まれて首の後ろで結ばれているが、顔色は青かった。きりりとした美貌が不安げに揺れているのを見て、レオは戸惑う。

 ヴィエラはいつもレオに親切だったが、普段は落ち着いた様子でてきぱきと仕事をこなしている。こんなに感情をあらわにしたのを見るのは初めてだった。


「怪我はしてませんか? 本当に無茶なことをして」

「大丈夫です、ヴィエラさん」


 レオの返事にヴィエラはほっと息をつき、それから普段と違う装備に眉をひそめる。目を上げるとジョゼフィンを見て固い声で言った。


「貴女が【導きの星】のパーティリーダーですね?」

「ええ、そうだけど」

「申し訳ありませんが、手続きに不備があるので来て下さい」

「あら?」


 ジョゼフィンはカウンターに目を向ける。ピンクブロンドの受付嬢が首を縮めた。ジョゼフィンが手続きを進めた時、担当したのはその受付嬢だった。ヴィエラは不在だったので初対面だ。


「だって先輩。奴隷を含むパーティは別の手続きが必要だなんて知らなかったんです」

「コレット!」


 ヴィエラはぴしりとコレットの言い訳を封じた。


「迷宮は命がけの戦場です。一回ごとに探索許可を出すのは、万全の態勢であることをギルド側で確認するためなんですよ?」

「ごめんなさい」

「あとでみっちり教えてあげます。お二人はこちらへ」


 大分普段の調子に戻って、ヴィエラはレオとジョゼフィンを別室へ案内する。


「まずは当ギルドが手続きを間違ったことをお詫びします。申し訳ありませんでした」


 テーブルを挟んで向かい合ったヴィエラはそう言って頭を下げた。


「わたしはヴィエラといいます。付与術師エンチャンターのジョゼフィンさんで間違いありませんね?」

「ええ。それで、不備があるとのことだけど」

「はい。レオ君が……」


 そうしてヴィエラはわずかに悲しげな色を滲ませてレオの方を見る。


「奴隷になってしまったというのは本当ですか?」

「ええ。私が買い取ったわ。元のパーティに借金があったとかで身売りすることになったと聞いたのだけど」

「【栄光の鍵】の皆さんですね。もっと早く相談してくれれば手もあったのに」

「無理だと思うわ。どうやら騙されたみたいだから」

「何ですって?」


 ヴィエラに問われてレオは今朝方のことを説明する。自分の回復力が足りずに治療代がかかったことを、借金にされたこと。仕事の斡旋所だと言われて連れて行かれたのが奴隷商だったこと。


「事情はわかりました。今更ギルド側で何をすることも出来ませんが、彼らには気をつけておきます」

「随分レオ君に入れ込んでるのね?」


 ジョゼフィンの言葉にぴくりとしたヴィエラは、しばしの沈黙の後口を開いた。


「冒険者ギルドは魔物の脅威と戦うための国際組織です。冒険者が十全に活動するための支援を行うのが職員の仕事です。無法を見過ごして健全な活動が阻害されるのは本意ではありません。わたし個人の私情は関係ありません」


 ジョゼフィンはヴィエラから隣で悄然としているレオに目を向ける。ダークブラウンの髪と黄緑色の目のヴィエラと、黒髪に緑の瞳を持つレオ。なんとなく似通った色目の二人を見て、ジョゼフィンは猫のような目を引っ込めた。


「話が逸れました。奴隷は契約の関係で、強制命令オーダーを出される可能性があります。当然御存知ですね?」

「ええ」

「人々を魔物から守ることを理念とする冒険者ギルドは、奴隷が強制命令で犠牲を強要されることを許容しません。そのことをきちんと説明し、主が最大限安全を考慮するという誓約書をいただいております」

「随分先進的な考え方ね」


 ジョゼフィンはそう言って笑みを浮かべた。


「何事かあった場合、ギルドカードの記録を読み取って、戦闘経過をこちらで判断することになります。違法行為があればしかるべき対応をとるでしょう。納得していただけたなら、誓約書をお願いします」

「もし出さなければ?」

「探索許可は出せません。これはレオ君だからではなく、ギルドのルールですので御了承下さい」


 迷宮の入り口前では無許可で入り込む者が出ないよう、詰め所で監視員がチェックしている。万が一迷宮の魔物が溢れた時に素早く警告を出すためでもある。


「結構よ。誓約書の用紙をいただけるかしら」

「こちらです」


 ヴィエラから用紙を受け取ったジョゼフィンは、すでに書き込まれている文面に目を通す。レオにも見せたが、彼は首を振った。


「レオ君」

「あ……僕はその、読めないので」

「わかったわ」


 ジョゼフィンは誓約書を口頭で読み上げる。無理矢理に囮にしたり、盾にすることなどを禁ずる旨が記されていた。レオにしてみれば、奴隷になったほうがよほど安全に保護されているというなんとも言えない結果だ。ジョゼフィンは読み終わるとさらさらと誓約書にサインし、ヴィエラに渡した。


「ご協力ありがとうございます。それで、早速ですが」

「何でしょう?」

「これは、強制的に魔物の盾としているのではないのですか?」


 ヴィエラはレオの剣や盾を指してジョゼフィンに詰め寄った。



◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 『命令オーダー』を使う羽目になったジョゼフィンは、ギルドの帰り道面白そうに笑っていた。レオの証言がなければヴィエラが納得しなかったのだ。事前に口裏を合わせるよう『命令』されていないか、『命令』を使わせて確認する念の入れようだった。


「まさか初の『命令』をすることになるなんて」

「ヴィエラさん、真面目なんですよ」

「そうね。よかったわね、ちゃんと守ってくれる人がいて」


 そう言われてレオは頷いた後、微妙な表情になる。ヴィエラが気にかけてくれるのは嬉しいが、強くなろうと決心したばかりなのを思い出したのだ。


「どこへ行くんですか?」

「どこって、宿よ。もう部屋を取ってあるの。……あ」


 ジョゼフィンはそこでレオのことを宿に話していないことを思い出した。昨日からバルトシークに滞在しているが、レオを買ったのは今日のことだ。


「どうしよう」

「僕は馬小屋でも」

「伝統的すぎるでしょ!」


 他愛もない会話を交わしながらジョゼフィンが足を止めたのは上町にある瀟洒な建物の前だった。


「え?」


 昨日までレオがいたのは下町の安宿だ。しかも宿代をケチるために本当に馬小屋の藁で寝ていた。幸い馬を持つほどの客がくるような宿ではなく、小屋はレオが独占していたのだが。


「お帰りなさいませ」


 磨きこまれたカウンターで、制服のコンシェルジュが挨拶をする。ふんだんに設置された明かりの魔道具。飾られた生け花。壁も床も汚れ一つなく、メイド服の女性がワゴンを押して通り過ぎる。中央の階段は絨毯が敷かれ、手すりには芸術的な彫刻がなされていた。

 あまりにも場違いなところに来たとレオが挙動不審になっている間に、ジョゼフィンはコンシェルジュと話を終え、振り返った。


「レオ君、行くわよ」

「えっ? 僕も?」

「当然でしょう。ベッドは用意してもらうように手配したわ。まずはお風呂ね」

「お風呂っ!?」


 多量の水と燃料を必要とする風呂は庶民にとっては贅沢の筆頭だ。レオは生まれてこの方水浴びしかしたことがない。

 唖然としているレオを見て察したのか、ジョゼフィンは通りかかったメイドをつかまえてごく自然にチップを渡す。


「この子にお風呂の使い方を教えて磨き上げて。私と食事ができる程度にはね」

「かしこまりました」

「ええっ」


 レオは狼狽えている間に、メイドと男性スタッフに浴室へと連れて行かれた。あれよあれよと言う間に上から下まで洗われたレオは、内容に天と地ほどの差があるとはいえ、奴隷商で水洗いされたことを思い出した。同時に髪を整えられ爪の手入れもされて呆然とするしかない。

 食事は食べたこともないような御馳走で、ジョゼフィンがカトラリーの使い方を教えてくれた。もっとも個室でジョゼフィンと二人という状況で、味わう余裕はなかった。

 そしてレオは雪崩のような運命に襲われたこの日、最後の試練に見舞われる。


「レオ君はそっちのベッドを使って」

「あのっ!?」


 レースと天鵞絨ビロードの二重のカーテン。床に敷かれた絵画のようなカーペット。そして距離を保って置かれた二つのベッド。ジョゼフィンは続き部屋でさっさと着替え、片方のベッドに潜り込む。


「あ、信用しないわけじゃないけど、一応。『命令オーダー・私が寝ている時は1メートル以内に近づかないでね』。じゃ、おやすみなさい」


 気持ち良さそうに布団に埋もれるジョゼフィンを眺めて、レオはしばらく固まったままだった。

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