第7話 世界が知らないだけ

 レオの職業表示がおかしくなってからまた数日。結局魔道機械に異常は見つからず、レオ以外に誤表記が起こることもなかったため、ギルドカードはそのまま使うこととなった。

 起床してジョゼフィンと朝食を摂り、冒険者ギルドに行って迷宮へ。帰還後は夕食や風呂の前後の時間で礼儀作法や読み書きを習う。数日置きに休み、ジョゼフィンの買い物の共をしたり、勉強時間をゆっくり取ったり。

 最近のレオの生活サイクルはそんな感じだ。見よう見まねでジョゼフィンのためにお茶のおかわりを淹れたり、エスコートの真似事をしたり。想像もしたことのない生活だが、充実感もあり楽しい。文字を知ることで知識も増える。それがそのまま自分の世界を広げていくようで、レオは嬉しかった。

 迷宮で戦うことも慣れた。度胸をつけるためにと、最近はジョゼフィンが士気高揚の魔法を省き始めた。素の状態で見たゴブリンの飛び掛ってくる様に気圧されて、ジョゼフィンから怒られたりした。事前に聞いていたのに心構えが甘かったとその時は平謝りだった。

 そうしてレオがやっと背中を丸めなくなった頃。



◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 いつも通り迷宮探索を終えたレオとジョゼフィンが、カウンターで探索報告と精算を済ませて帰ろうとした時だった。


「ああ、畜生! 碌な稼ぎにもなりゃしねえ」

「一杯やろうぜ。飲まなきゃやってられねえって」

「お前があそこでヘマしたのが……」

「俺のせいにすんな!」


 喧嘩腰の言い合いをしながら入ってきたのは、ケンバルを始めとした【栄光の鍵】の面々だった。

 思わずレオの足が止まる。体が強張って手足が冷たくなるのがわかった。


「レオ?」


 ジョゼフィンの呼ぶ声が何故か遠い。

 ケンバルや他のメンバーが酒場の方へ行こうとした時、カウンターへ向かおうとしたカンドスがレオに気付いた。


「レオ!?」


 驚いたカンドスの声で、ケンバルたちが立ち止まる。

 レオはこちらを見たカンドスの様子を見て、背筋がぞっとするのを感じた。

 目の下には隈ができ、顔色も悪く肌は荒れている。何よりも目つきが荒んでいた。だらしなく開いたシャツの前から、ちらりと腹に痣があるのが見えた。戦士だったカンドスは、以前より痩せていた。

 レオはすぐに察した。自分がいなくなったことで、カンドスが代わりにされたのだと。そして外から見ることであのパーティの異常さがはっきりとわかった。


「何で奴隷のお前がここにいるんだ?」

「レオ? 嘘だろ?」

「どうしてお前そんなに小奇麗なんだよ!?」


 ケンバルが疑問の声を上げ、仲間たちが追従する。レオの知らないローブの男はしかめっ面でこちらを胡散臭そうに見ていた。


「おい。お前、あれっぽっちで借金がなくなったと思ってんじゃないだろな?」


 レオを上から下まで舐め回すように見て、ケンバルがニヤリと笑った。


「良さそうな剣じゃねえか。治癒師ヒーラーが持っても飾りだろ。よこせ」


 ケンバルが手を伸ばす。

 レオの身なりを見て金回りが良さそうだと思ったのだろう。嫌悪感で吐きそうになるが、それ以上に染み付いた恐怖で体が動かない。


「お下がり、無礼者!」


 ジョゼフィンの声がして、ケンバルの手がぱしりと叩かれた。


「それは私が私の騎士に与えた剣よ。こそ泥ごときが触れるんじゃないわ」

「なんだと!?」


 レオとケンバルの間にジョゼフィンが立ちふさがる。主にかばわれてレオはようやく体の感覚を取り戻した。


「お嬢、様……」

「女?」


 ケンバルはやにわにジョゼフィンのフードをめくり上げた。輝くような白金の髪が零れ落ちる。


「おおっ」


 あらわになったジョゼフィンの美貌に、ケンバルが絶句する。他の連中も、カンドスも目を見張った。騒ぎに気付いてこちらを見ていた酒場の男たちから歓声と口笛が上がった。宝飾品のような美少女に、ギルドがざわざわとし始める。


「その汚らわしい手を放しなさい」


 冷笑を浮かべたジョゼフィンは、その容貌からは考えられない行動に出た。いきなりケンバルに膝蹴りをぶちかましたのだ。

 もちろん華奢な少女の蹴りで戦士であるケンバルが怯むはずはなかった。普通なら。


「っぐ……!?」


 ケンバルは声も出せずに股間を押さえて蹲った。


「行くわよ、レオ」


 床で顔色を赤くしたり白くしたりしているケンバル。呆気に取られて硬直する少年たち。

 その隙にジョゼフィンはレオの手をつかんで外に走り出た。辻馬車を捕まえて飛び乗る。遠回りで上町の宿に向かうよう御者に言って、ジョゼフィンはレオを振り返る。


「大丈夫?」

「申し訳ありません」


 まだかすかに震える声でレオは謝った。ケンバルがどんな奴か自分はよく知っている。なのに、主であるジョゼフィンを矢面に立たせてしまった。

 ギルドの中の話だから、騒ぎになれば職員が駆けつけるだろう。でもその間にジョゼフィンが怪我をしたかもしれない。

 情けない。少しは強くなれたと思ったのに、あんな男一人に立ち向かうこともできなかった。


「随分、重い傷を負わされたのね」


 頭を撫でるジョゼフィンの手を、レオは振り払う。


「甘やかさないで下さい。僕が悪いんです」


 せめてもの矜持でレオは言った。ジョゼフィンは優しい。今もレオを責めることもなく、逆に気遣ってくれる。どうして彼女のようなお嬢様が奴隷の自分をこんなに大事にしてくれるのかわからないが、役立たずを露呈してしまったレオはその気遣いが辛い。


「心の傷は治すのが大変なのよ。体の怪我なら貴方は自分で治せるでしょうけど」


 それ以降は馬車の中は沈黙に包まれたままだった。



◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇



 翌日、早朝にジョゼフィンはレオを伴って迷宮へ入った。まだ他の冒険者も動き出していない時間。

 ひとしきり戦闘をこなして、休憩に入った時ジョゼフィンは言った。


「引きずってはいないみたいね」

「余計なことを考えていたら危険ですから」


 ジョゼフィンは鈴を転がすようにころころと笑った。


「ねえ、レオ。それって、あいつのことは貴方にとってはもう『余計なこと』でしかないってことよね?」

「えっ……」


 指摘されてレオはぽかんとする。

 言われて気づいた。確かに昨日ずっと考えていたのは、どうしたらあんな無様を晒さないで済むのか、もっと強くなるにはどうすればいいのか、そんなことばかりだった。恐怖に怯えていたわけではないのだ。


「どう? 次は戦える?」

「もちろん!」


 気持ちがすっきりと整理された気がした。動けなかったのは思い出したからだ。あの声で怒鳴られ、あの目で見下され、逆らえずに踏みつけられるしかなかった自分を。

 今もそうなのか。そんなわけはない。置き去りにされて魔物から逃げるしかなかったあの頃とは違う。こうして敵を切り伏せ、前に立って迷宮を進んでいるではないか。

 水筒を傾けて喉を潤しているジョゼフィンに、レオは感謝の目を向ける。


「お嬢様。ありがとうございます」

「いいのよ。武装は全部用意してあげるって言ったでしょう?」

「あはは。一体お嬢様にいくら使わせるのか、考えたくないです」

「その分頑張ってもらうからいいわ」

「僕はお嬢様の期待に応えられるほど強くなれるでしょうか」


 ギルドカードの表示は戦士になってしまった。だがレオは治癒師ヒーラーであり、この先どこまで戦えるのかわからない。気持ちだけその気になっても、実際に通用するのかは不確定だ。

 レオが不安を口にすると、ジョゼフィンは躊躇うことなく言った。


「貴方はもっともっと強くなるわ」


 ジョゼフィンを振り向いたレオの目を覗き込むと、彼女はまるで予言を語る巫女のように謎めいた微笑で告げた。


「世界が知らないだけ。でも私は知っているの」

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