第3話 汝の望み、確かに聞き届けた
「はい、ちゃっちゃと進む!」
「無理! 無理です! 僕は戦士じゃない!」
レオの目の前にはもう見慣れた階段。背後には笑みを浮かべながら背中を押すジョゼフィン。
ここは迷宮の入り口。バルトシークを迷宮都市と呼ばせる、その由来となった場所だ。世界のあちこちに迷宮はあるが、バルトシークの迷宮は俗に大迷宮と呼ばれるほどの規模を誇る。現在最大到達階は76階。まだ底が見えない未攻略の迷宮である。
「戦うなんて無理です!」
「ええ? 元々冒険者でしょ」
「死んじゃいます!」
「やってみなきゃわからないじゃない」
「
「大丈夫大丈夫。レオ君はやればできる子」
レオがいくら訴えてもジョゼフィンは聞く耳を持たなかった。
治癒師が剣を使えないというのは、戦士が魔法を使えないのと同じレベルの常識だ。戦士が聞き覚えた呪文を唱えるのは自由だが、それで魔法が発動することは絶対にない。同様に剣を手に持ったりポーズをつけたりはできるが、戦えるほどに効果的に使うことは他の職業では不可能だ。
まるで遊びに行くような気軽さで、ジョゼフィンはレオを階段へ押し込んだ。
迷宮地下一階。
抵抗空しく通路に降り立ったレオは、びくびくしながら剣と盾を手に辺りを見回した。
「何もいないわよ」
「だって、オオネズミとかピルバグが出るかもしれないじゃないですか」
「そうだけど、近くには何もいないから安心して」
「そんなの……」
「大丈夫よ。本当」
下層への通り道になる通路の魔物は狩り尽されて静かなものだが、ジョゼフィンの言葉をそのまま信じるわけには行かなかった。
彼女は奴隷商に来た時と同じ、ローブにベルトポーチ、ブーツという姿。魔術師っぽいと思ったのも間違いではなくて、ジョゼフィンは付与術師だった。冒険者として登録したのは今朝、奴隷商に来る直前だったらしい。
レオを買い取ったジョゼフィンは、そのまますぐに冒険者ギルドに向かうと【導きの星】と言う名でパーティの登録をし、迷宮探索の許可を求めた。
本当なら登録初日のジョゼフィンがいきなり迷宮探索の許可を得るのは難しいが、レオにはまがりなりにも今までの実績がある。経験者が同行するからと理屈をつけて、ジョゼフィンは探索許可をもぎ取った。
そして併設されている備品販売窓口で戦士の初心者用装備を購入し、レオに着せるとまっすぐ迷宮へ突撃したのである。
たった二人のパーティ。レベルはお察し。治癒師が剣と盾を持ち、片割れはたいした攻撃魔法も持たない付与術師。安心できる要素がない。
いつもびくびくしながら迷宮に通っていたレオだが、こうして誰もいない通路の暗がりを目にしていると、まるで暗闇に飲み込まれるような気がした。
行く道が見えない。暗がりに自分を引き裂こうと待ち構えている魔物がいる。恐怖で足が震え、レオは躓いて転んだ。
「大丈夫? 明かり出すわね」
「……だ……」
「え?」
「嫌だ……死にたくない。もう、痛いのは嫌だ……」
レオは壁際に蹲って頭を抱えた。もう一歩も進むことができない。
誰の姿も見えない暗闇を見て、思い出してしまった。
うっかり手に負えない数の魔物をリンクさせてしまい、逃げると決めたケンバルは最初にレオを突き飛ばした。転んで逃げ遅れたレオは、自分に〈ファストヒール〉をかけながら死に物狂いで走った。
噛み付かれ、爪で裂かれ、体当たりで息が止まり、慌てて床を転がって追撃を逃れた。
血みどろになって真っ暗闇の中を逃げ回った。その時の記憶がまざまざと蘇って震えが止まらない。
「ねえ、一体何があったの?」
「魔物が、たくさん来て」
「うん」
「置いて、いかれた……僕だけ」
「怖かったのね」
「一杯、血を流して」
「痛かったのね」
レオは頷いた。
「頑張ったのね」
暖かくて柔らかいものに包まれて、レオは泣いた。泣きながら今までのことを訴えた。殴られたこと、罵られたこと、当り散らされたこと。怒鳴られて、脅されて、怖くて逆らえなかったこと。騙されて売られたこと。涙で言葉を詰まらせながら、胸の内を吐き出した。
髪を撫でる優しい手に身を委ねて、やがてレオの意識は途切れた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
気付いたレオは、ぼんやりと目を開いた。
「目が覚めた?」
小鳥が囀るような声に目を上げるとすぐそばでジョゼフィンが見つめていて、レオは驚いて身を引いた。
彼女は崩れた石ブロックの上に座っていた。迷宮の一室のようだ。思い返して考えるに、自分は彼女の胸に抱かれて眠っていたらしいと気付いてレオは狼狽えた。
「ご、ごめんなさい!」
今日会ったばかりの、自分の主人である、しかもこんな美少女に寄りかかって眠ってしまった。顔が赤くなったり青くなったりと慌てふためくレオに、ジョゼフィンは微笑みながら言った。
「目上に謝罪する時は『申し訳ありません』だと思うわよ?」
「ごっ……も、申し訳ありません!」
「よろしい」
うふふふ、と可愛らしく笑う姿に、レオの心臓はばくばくと脈打っている。
「あの……」
「何かしら」
「怒らない、んですか?」
「どうして?」
「その、僕は奴隷で、それが主に対してこんなことを」
「私は別に奴隷が欲しかったわけじゃないから」
「え?」
ジョゼフィンはレオを見上げて言った。
「迷宮に入る仲間が必要なの。まあ、普段でも女一人だから護衛は欲しいけど」
「でも、僕は……」
奴隷商で「護衛としても使えない」とか公言していなかったかとレオは首を傾げる。
「えっ? あ、ごめんなさい。あのこと? あれは単なる値段交渉だから気にしないで。自分を買い戻す時もなるべく安い方がいいでしょ?」
「買い戻させてもらえるんですか?」
「ええ。すぐに解放してあげてもいいけど、お金も払っちゃったしその分は働いて欲しいわ」
「働くって、迷宮で?」
そこでジョゼフィンは少し困ったように思案顔になった。
「貴方が例えば、心に傷を負っていて、どうしても迷宮には入りたくないと言うなら、仕方ないわね」
レオはさっき恐怖に駆られて色々とぶちまけてしまったことを思い出した。
「それは……」
「私が要求してるのは前衛として戦うことよ?」
ジョゼフィンが念押しする。それを聞いてレオは体を強張らせた。ジョゼフィンは自分を買い戻すチャンスをくれると言ったが、ケンバルにされたように、騙されているのではないか。そんなことをちらりと考えた。
だが、自分が自失している間ずっと抱いていてくれたことを思い出す。無茶な要求をしているが、ケンバルたちとは違う気がした。それに、迷宮に入る時あれほど抵抗したのに、彼女は
「僕なんかに、そんなことできるんですか?」
ジョゼフィンに問いかける。何だってこの少女がこんな常識外れなことを考えるのか不思議だった。
「できるわ。私の騎士だもの」
一瞬の迷いもなくジョゼフィンは言った。それでレオの心は決まった。
「やってみます。だから……」
捨てないで、と言いそうになってレオは口ごもる。両親は捨てたわけではないけれど、自分を残して流行り病で亡くなった。ケンバルたちには迷宮に置き去りにされたし、売り飛ばされた。伸ばした手を取ってくれる人はいなかった。そしてレオはいつも蹲って泣くばかりだった。
「どうしたの? 何か望みがあるなら言って御覧なさい」
空を映したような青い瞳が、まっすぐにレオの目を射抜く。それは嘘や誤魔化しを許さないように思えた。
「強く、なりたいです」
ずっと心の奥底に眠っていた思いを、初めて言葉にした。今まで自分の弱さを嘆きながら、諦めながら生きてきた。後悔ばかりで、このままは嫌だと思った。
それを聞いたジョゼフィンの唇が緩やかに吊り上がり弧を描く。まるで運命を告げる女神のように、厳かに彼女は告げた。
「汝の望み、確かに聞き届けた」
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