第2話 お嬢様とお呼びなさい

「どうでしょう? まだ若いしいくらでも使い道は……」

「でも”能無し”なんでしょ」


 蹲った監房の鉄格子の向こうから声が聞こえてきて、レオははっとする。ケンバルに騙されて、奴隷になってしまったショックで呆然としていたのだ。

 どうして、どうしてと同じ言葉ばかりがぐるぐると頭の中を回っていた。ただ嘆くだけの一歩も前に進んでいない時間がどれほど続いていたのか。

 目を上げればレオの入れられた監房の前で、二人の人物が言い争っていた。


「高すぎるわ」

「いやいや、これでも〈ファストヒール〉が使えるんですよ?」

「〈ファストヒール〉だけ、でしょ。知らないとでも?」

「いやいや、でもですね」


 片方はきちっとした身なりの男。片方はフードを被った小柄な姿。声からして若い女性のようだ。言い争いに思えたが、交渉だったらしい。しかも内容から察するに自分のことだ。


「随分暗い目をしてるわね。なんだかすぐ死にそうよ?」


 監房を覗き込んだ女性が呆れた様子を隠さない。目が合ってしまったレオはびっくりして固まった。フードの中は光が射したような美貌の、レオとそう変わらない歳の少女だったのだ。


「昨日まで迷宮に潜ってた冒険者ですよ。生きの良さなら一級品ですって」

「これのどこが生きがいいのよ」


 固まっていたレオは少女が男に向き直ったことで我に返る。そして少女の容赦のない貶しっぷりに萎縮して小さくなった。


「ほら、塩を撒かれたナメクジじゃあるまいし」


 言うに事欠いてナメクジだ。でもナメクジ並みかも、とレオは落ち込んだ。強い者に言われるまま迷宮都市まで連れて来られ、迷宮に引きずり込まれた。そしていらなくなって叩き売られる。自分で自分が情けなくて、思考がマイナス方向にしか向かない。

 フードの少女はレオが”能無し”でまともにレベルが上がらないことを指摘し、若い男だからといって護衛になるわけでもなく、治癒師としても難があり、いわば不良品だと言って奴隷商と壮絶な値切り合戦を繰り広げた。


「昨日まで冒険者だったって言っても、レベルは一桁なのよ? その上気力も意欲もなさそうなんだもの。気が利くようにも見えないわ」

「その通りです……」


 目の前でいかに無価値であるかを延々と説かれて、思わずレオは同意してしまった。

 侃侃諤諤やりあっていた二人は、レオを振り向く。空白の一呼吸の後、少女が勝ち誇ったように言った。


「本人が認めてるわよ」

「ぐぬぬ」


 交渉は少女の勝利で終わったらしい。


「ぐ……わかりました。ではこの値段で」

「奴隷契約の手数料はもちろんサービスよね?」

「勘弁してください……」

「はいはい。じゃフード付きのマントを一枚つけてくれる? この辛気臭い顔を見ないで済むように」

「わかりました。準備するので少々お待ちを」


 少女は別室へと案内されていく。

 その後姿を呆然と見ていたレオは、少女が去ってからようやく彼女が自分の主になることに気づいた。一体何者なのか全然見当がつかない。

 年齢は同じくらい。はきはきと容赦ない喋り方や、奴隷商を言い負かす口達者な様子は商人ともとれる。でもフードつきローブにベルトポーチ、ブーツという出で立ちは魔法使いの定番衣装だ。

 ひとつだけわかるのは、彼女がお金持ちだということだった。服の質は良さそうだし、汚れも破れもなかった。少なくとも奴隷を買うだけの財力がある。いよいよ何者なのかわからなくなった。


「いいか、さっきのお客様がお前をお買い上げだ。十年の契約期間中に、購入金額を返済できれば奴隷から解放される」

「返済って、どうやって……」

「主人が給金を決めてくれるだろう。最低限の衣食住を保証する義務があるから、その分はさっぴかれるかもしれないがな」

「か、返せなかったら?」

「さあな。損失補填のためにまた売られるか、そのまま奴隷として使ってくれるかは知らん」


 つまりは彼女次第と言うことだ。

 農村生まれのレオは、飢饉や不作で身売りするという話を聞いたことはあったが、幸いにして身近にそういった者はいなかった。そのため実際の奴隷と言うものがどういったものかは今初めて知ったことになる。

 ちゃんとしたいい主に買われたなら、いつか自由の身になることもあるだろう。だが、人でなしに買われたらいつまでも奴隷のまま最底辺の生活をするしかないのではないか。

 だが、そこでレオは主が奴隷の生活を保証する義務があると聞いたことを思い出す。飢えて死ぬことがないのなら、まだましだ。村で暮らしていた時も、冒険者だった時も、腹一杯食べられたわけではない。

 自由を失ったことはショックだが、これ以上落ちる事もないと思えば諦めがついた。


「せいぜい気に入られるように努力しろ。そうすれば幸せになれるぞ」


 奴隷商の男はそう言って、警備員を呼ぶとレオを監房から出させた。手っ取り早く裸に剥かれ、水をかけられて洗われた後に粗い布の服を着せられる。

 そうして連れて行かれたのは、床に複雑な魔法陣が刻まれた小部屋だった。そこで待っていたのは主になる少女と奴隷商。


「お客様は奴隷を買うのは初めてでしょうか?」

「ええ」

「では説明させていただきます。こちらの魔道具に魔力を流していただければ、隷属術式の魔法陣が起動します。契約条件はどういたしましょう?」

「どんな条件があるの?」

「主に強制命令関係ですね。従わなかった場合に自動的に奴隷に処罰が与えられるのですが、内容に違いがあります」

「逃亡阻止のための麻痺や鞭がわりに苦痛を与える効果……何段階かあるのね」

「はい。びりっとする程度から、泣き叫ぶレベルまでございます。『命令オーダー・黙れ』といった風に内容の前に『命令』とつけていただければ、強制命令が発動します」


 枷をつけられて警備員に挟まれているレオは、それを聞いてびくびくしながら待つしかなかった。泣き叫ぶような苦痛というのはあまり考えたくない。


「じゃあこれで」


 少女は奴隷商の並べた契約書から一枚を選び、レオに向かってひらひらと揺らして見せた。部屋のあちらとこちらなのでもちろん内容は見えないし、見えたとしてもレオは読めない。


「じゃあ始めましょうか」


 そう言った少女は魔法陣に歩み寄り、魔道具に触れて起動させた。警備員に押し出されてレオは魔法陣の中に踏み込む。少女はレオと向かい合うように魔法陣の中に立ち、さらりとフードを跳ね除ける。

 レオは、まるで雲間から陽が射したようだと思った。

 淡い白金の髪に飾られた整った美貌。目は澄んだ青で、白い肌に花びらのような唇。近くで見れば手足も華奢で、黄金とガラスでできた装飾品を思わせる少女だった。細い鎖飾りのついたモノクルが、不思議と似合っている。


「契約書を奴隷の心臓の位置に押し当ててください」


 奴隷商の指示で警備員がレオのシャツをはだけ、少女が胸へと手を伸ばした。予想外に強い力で押されて、レオは少し仰け反るような感じになる。そうするとレオの視線は少女を少し見下ろすような位置にきてしまい、なんとなく居心地が悪い。


「名前は?」

「レオ……です」

わたくしはジョゼフィン。お嬢様とお呼びなさい」


 細い頤を上げてレオと目を合わせたジョゼフィンは、堂々とした態度で微笑んだ。足元の魔法陣から光が立ち昇り、二人を包み込む。契約書が魔法の光に炙られて燃え上がり、レオの胸に契約紋を刻んで灰になった。

 光が収まると、ジョゼフィンはレオの胸から手を放した。その白い指先の感触を名残惜しく感じてレオはどきりとする。彼女は満足そうに笑った。


「これで貴方は私の騎士よ」


 その言葉の意味をレオが正確に理解するのは、まだしばらく先のことだった。

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