第2話ー3 枯渇の如く(下)

 しばらく行ってからリュウは背後を恐る恐る振り返った。

「ねえ、あれ、鯉だった?」

「多分な」

「山を降りてきた、とかなんとか言ってたけどさ、なんでそんなんが、その姉ちゃんの口から出てくることになんの?」

「そうだな」

 その姉ちゃん、の一言に、炎は背負っている少女の顔をちらりと見た。寝ていると言うより昏睡していると表現する方があっている強張った顔と、きつく閉じられた瞼は、二度とあかないのではないかと心配させられる。先ほどは自分で大丈夫だと言っておきながら、炎は一抹の不安を感じた。

 そうした不安を、頭を振って脳裏から振り落とし、炎はリュウの質問に対して適した言葉を探す。

 必要なのはお護りに関する知識の乏しい子供に分かりやすく説明するための言葉だった。

 それを見つけるために、炎は頭を絞る。それは炎の能力と権限の外にある事柄のような気がして、この場で軽々しく講釈を垂れるのには少し躊躇いもあった。

 それでも炎は言葉を続けた。続けることを決めた。

「あいつはあの霊山から降りたがっていた。その理由が、あのふざけた宣託とやらをこの村に伝えるためなのか、ただ単に逃げるためなのか、それとも、他に理由があるのか、理由がないのか、それは分からない。分からないが、その目的を達成するために、あいつには必要なものがあった。水と、道だ」

 合わせて『ミズチ』。

「川が健在であれば、それを辿って如何様にも、あの鯉野郎はここまで降りてこられただろう。しかし、今はそれがない、だから、人間という山道を道とできる生物、それも体内の多くが水である生物の体内に入り込むことで、移動手段を手に入れた」

 それは自分自身でも考えながらの講釈だったがしっくりとくる落としどころを炎は見つけることが出来た。

「つまるところ『魚が生きるのには水が不可欠』。その『条件』を奴は乗り越えられなかった」

「条件? なんでそんなもんがお護りにも必要なの?」

 リュウの疑問はもっともらしい。お護りが基本的には人間業だと言うことを忘却しがちな非お護り使いらしい疑問だった。

 手厳しい言い方をすれば、お護りのこともお護り使いのこともちっとも分かっていない人間らしい疑問だった。

「まず、お護りというのは万能じゃないからだ。お護りは神秘の御業でも何でもない。言ってしまえばただの技術だ」

「まあ、人間が使うものは限界があるんだろうけど……あの魚はお護りって言うか神だったんだよね? 自称でも」

「ああ。でもそこは大して問題にはならない。お護りも神も、元を辿れば一緒なんだ。起源も原動力もいっしょという意味で」

「起源と原動力」

「そうだ。全てのお護りは海から生まれ、とある蛇によって定着した。その蛇と海を人は神ともお護りとも呼んだ。俺たち・・・の分類では単身の人間が使うのがお護り。それ以外は野良お護りまたは神と呼称して扱っている。これは俺たちにとって信仰する神ではない。そこにただいるという種類の神だ」

「信仰する神」

「基本お護りというのは、人の認識で動く事象の総称だ。お護りは有り得ない事を成し遂げる力だと思っている連中もお護り使い以外には多いが、実の所、お護りは有り得ることしか出来ない」

「え? いや、焔を出したりなんて、有り得ることじゃ全然ないじゃん」

「でも、実際に『ある』だろう? マッチや何かを使えば火はおこせる。そして俺はお前の前で実際に焔を出して見せた」

「それはでも、お護りの力だから……」

「そのお護りの力を引き出すのにこそ、確信……信じる心が必要なんだ」


 リュウに言ったように、一般的にお護りは有り得ない力の総称のように使われてしまっているが、平たく言ってしまえば、お護りとは人の認識で動く事象の総称だ。

 お護りを主体的に動かす者たちはお護り使いと呼ばれ彼らの使うお護りは無限にある。

 お護りがあると言うよりお護りが作られると言うべきかもしれない。

 認識さえすれば、お護りは無尽蔵にその姿を顕現できる。

 その代わり、人が形を作ってやらなければ、お護りはなんの影響力も世界に及ぼせない。

 だから、お護り使いの強さはひとえにその意志の強さになる。もしお護り使いが具体的にお護りを信じることが出来なければ、お護りはただちに効力を失ってしまう。

 その姿を顕現できなくなる。

 人がお護りを必要とするのか、お護りが人を必要とするのか、お護りに関わる者にとって、それは永遠の命題でもある。

 なんにせよ、強力なお護りを扱う代わりに、お護りに命を預けることも多いお護り使いにとって、お護りを具体的に認識できなくなる、お護りを使えなくなるのは、何よりも恐ろしいこととなる。

 だから、彼らは基本的には徒党を組む。

 一人でお護りだと思う事象にかかずらわると、時に彼らはその力が何に起因するものか分からなくなってしまうのだという。

 

「……だというって、なんか他人事みたいに言うんだね」

「俺は生まれた頃からお護り使いってやつでね、あんまりお護りがないって感覚が理解できねえんだ」

「ふーん?」

 リュウは指を折りながら炎の言葉を復唱した。

「えーと、お護り使いは信じる心からお護りを発動する」

「うんうん」

「だから信じるどころか何も気絶しちゃったその姉ちゃんはお護り使いじゃないって分かったんだ?」

「あくまであの魚のお護り使いではないというだけの話だけどな。何者かであるのも間違いなさそうだ。魚の主ではないと言うだけでなんらかのお護り使いの可能性もあるたとえば……いや必要以上の憶測はよそう」

 炎は再びあの風を思い出した。しかしリュウに対してはそれを告げるのをやめた。

 憶測を広めるのはよくないことだ。

 先入観に場が支配されることほど危ういこともない。

「ふうん? でも結局、今のそれって人に使われているお護りの話だよね? あの魚もお護りだっていうのが分からないよ」

「ここで起源と原動力の話だ。神は神でてめえをてめえとして保つために、お護り使いがお護りに対してしてやってるのを自らやらなきゃならねえ。神は自分が神だと信じてやらなければならない。自己肯定。そのための環境を整えてやらなければならない」

「環境……?」

「魚がお護りなのではない。お護りが魚の形を取ったんだ」

「自分の姿を選べるお護り……」

「あいつはあいつを自分自身で魚の姿をした神だと定めた。だから魚の摂理に従う。魚は水がなければ生きられない。魚は水の中しか泳げない」

「難しいよ……」

 リュウは困った顔をした。

 炎も困った。これ以上に解説しろと言われてもそれはもう炎の領分ではない。

 研究者たちに聞いてくれと言うほかない。

「……最後に聞きたいんだけどさ」

「ああ」

「なんでお護りはお護りって言うの?」

「それは」

 それは、つまりと、炎は言い澱んだ。なぜお護りはわざわざお護りなどという名前がついたのか、炎も昔は不思議に思った、お護り使いなら、誰もが不思議に思った経験もあることだろう。それも、お護り使いの登竜門に於いて。そう、なぜお護りがお護りという名になったのか。

「……自分をその力が護ってくれると信じられなければお護りは発動しない。だからこそお護りはお護りという名前になった。誰が呼んだかは知らないが」

 どうして自分がそう呼び続けられるのかも。

 どうして信じていられるのかも。

 炎には分からないのだ。

「大変そうだね、お護り使うのも」

「まあな……」

 そんな具合に話が途切れ、なんともなしに炎は少女の様子をうかがった。

 未だに目を覚ます気配の無い少女。

 少女は気を失う直前にクチナワと呟いていた。

クチナワと言えばそれは『蛇』クチナワのことだろう。『蛇』クチナワとはお護りを使うためにお護りの使い手が作った組織だった。孤独な使い手たちを集結させる集合体。お護り使いの力の象徴。お護りを信じるために一人では信じられないお護り使いのために作られた組織。

 心と力の拠り所。

 恐らく、炎の羽織の首元にある蛇の紋を見て少女は彼を『蛇』クチナワと結び付けたのだろう。

 それは『蛇』クチナワに所属するお護り使いを区別するための印であると同時に、彼らを『蛇』クチナワのお護り使いでいさせ続けるための枷だ。

 少女が何を知っているのかは分からないが、この村に迫っている危機に対応するとっかかりぐらいにはなるだろう。

「なってくれねえと、困る」

 小さく呟き、炎は少女を背負い直した。

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