第2話ー1 枯渇の如く(上)

 目覚めれば粗末な馬小屋に寝ていた。髪を掻き上げようとうなじに伸ばした指先は、乱雑に切られた後ろ髪に当たった。そうだ髪は短くしてあった。そんなことも失念していた。自分が夢を見ていたのだと気付いたほむら灯理あかりは自らを嘲るような笑みを口の端に浮かべた。

 夢など、ここ数年はぼんやりとも見なかったと言うのに。

 目元に手をやったが夢とは違い、彼の目には涙一つ浮かんではいなかった。

 そのことが余計に炎を自嘲的にさせた。


 やはりこの村は駄目なのだ。そう思う。

 雨が降らず水の絶えた村。渇いた村。死が背中まで迫る村。彼にとってはそこに居続けること自体が既に死活問題だった。

 早く、片付けなくてはいけない。そう決意して立ち上がろうとしたところで炎は馬小屋の戸の前に気配を感じた。

「誰だ?」

 慌てず現時点では唯一と言ってよい持ち物の刀に手を伸ばす。

 気配から読み取れる相手の体型は小柄。と言うか極端に小さい。いくらか緊張はしているようだが気配を隠す様子もない。すぐに相手の正体が分かった。

「……………………」

 大股に駆け寄り、ガラリと戸を引けば彼の居る馬小屋の家の娘がいた。まだ幼い。歳は十より前だろう。彼女は小柄な体で一生懸命なにやら盆を抱えていた。

「おは、よう、ございます」

 つっかえつっかえ、俯き加減で少女は言った。

「……おはよう」

 いささか虚をつかれた炎は、なるだけぶっきらぼうにならないようにと自分に言い聞かせながら挨拶を返す。

「少ないですけど、どうぞ召し上がってください」

 少女は盆を炎に突きだしながらそんなことを言う。その言葉は謙遜でも何でもなかった。盆の上の食事は確かに少ない上に粗末であった。しかし、その量もこの村の現状と照らし合わせれば、見知らぬよそ者に与えるにはじゅうぶんすぎる量のはずだと炎は知っていた。

 この干上がった村においては、食料品はとてつもない貴重品のはずだ。

「……いや一晩宿を借りれただけでも十分だ。こんな食事までいただくのはあまりに申し訳ない」

 断ろうとした炎にずいと盆を差し出し、少女は赤面しながらつたない言葉を紡ぐ。

「で、でも、ちゃんと渡さないと、私がお母さんたちに怒られる、んです」

「……………………」

 この言い回しは親の入れ知恵だろう、と炎は思った。

 昨晩、彼が宿を乞うて訪ねたのは女ばかり三人で暮らしている一家だった。祖母、娘、孫、の関係だろうと思われる三人家族。その三人が夜分遅くにいきなり訪ねてきた不躾者を怪訝そうな顔で迎えたとき、さすがに炎も選択を間違えたと思った。その家は三人が肩を寄せ合いながら暮らしている、というにふさわしかった。日照りの村で宿を乞うのだから慎重に家を選ばなければならない。そうだというのに炎の選択は失敗だった。だから挨拶もそこそこに炎は別の家を訪ねます、と彼女たちに背を向けようとした。

 しかし、少女の母親であると思われる三十ぐらいの女性は外の馬小屋でよろしければどうぞ、と言ってくれた。

 炎は思わずいいんですか、と聞き返した。構いません、どうせもう馬のいなくなった馬小屋ですから、と彼女は答えた。

 いなくなった馬はこの困窮の中、売られてしまったのか死んでしまったのかあるいは食べてしまったのか。とにもかくにも炎はそうして一晩を屋根の下で明かすことができた。この厚遇に対して食事までもらうのは図々しすぎるというものだろう。

 しかし、入れ知恵、と言い切ってしまうにはあまりに気遣いに満ちた少女たちの行動には、炎も素直にそれを受け取らざるを得ない気分になった。

「……いただきます」

 炎がそう言って盆を受け取ると、少女は安堵の表情を浮かべた。

「どうぞ召し上がってください!」

 そう言うと彼女は去って行った。

「…………」

 盆に改めていただきますと手を合わせてから炎は食事に手をつけた。

 味わって食べた。

 とても美味しかった。


 そもそも、名前すらないその村は雨の降らない村だったのだという。

 地形によるものなのか別の何かによるものなのかそれは分からない。

 それでも村の近所にはれいざんと呼ばれる山があった。その山から流れてくる豊かな川のおかげで、住民が水に困ることは一切なかった。霊山の湧き水から続いていると伝わる川は村の広範囲を流れ、住民の生活を潤していた。雨が降らなくても村は健やかに存続するための水を十分に確保できていた。

 原因が何かが気にならないほどに雨が降らないことはその村における自然でなおかつ障害ではなかったのだ。


 しかし突如としてその川は枯れた。

 

 村の広範囲を流れる恵みの川が一ヶ月ほど前から完全に干上がってしまった。

 水は人にとって生命線だ。それが絶えるとはどういうことなのか。赤子でも分かる。少なくとも炎に食事を運んできた幼子にも分かっていることだろう。

 この村は雨が降るか川が元に戻るかしないかぎりおしまいなのである。


 炎はそんな風に予習を終え、村に来る前のことを思い出した。

『雨降らしの龍すら避けざるをえないような何か、があるらしい、んだな』

 炎の指揮官に当たる、その人は物憂げにそう言った。

『地元の人が霊山って呼んでる山? 正式な名前こそ無いらしいんだけど……名前は大事だよね……そこに何か、がある。それは間違いない、らしい』

 雨降らしの龍。単語一つでいささか眉唾物であるその話をしかし炎は身じろぎもせずに聞いていた。

『まあ、なんかそんな訳分かんない感じなんだけどさあ。ぱぱ~って行ってさ、ぱぱ~って解決してきてよ、炎』

 さすがに無茶苦茶な指示だとは思った。しかし炎は文句も言わず旅路についた。この上司に対する文句が暖簾に腕押しだということは長年の経験でよく分かっていたからだ。

 無茶苦茶だろうがなんだろうが与えられた以上、任務は任務。彼が組織の一員としてこなさなければならない義務だ。


 ただ、これは自分向きの任務ではないとは思った。身に帯びている刀からも分かるように炎は根っからの武闘派だ。こういう異常気象の調査は学者どもが手がけるべき任務であるはずだ。炎向きでは断じてない。

 しかし、入村して二日目。昨晩に入村したときには明かりを頼りに進むしかなかった炎が改めてしっかりと村を見まわることとなった今現在。これは自分で正解かも知れないと思うようになっていた。

 宿として借りた馬小屋から出ていくらもしない内に見えてきた村の現状は、正直に言って暗澹たるものだった。外見からして既に死臭がする。

 今辛うじて住民が生き延びているのは、川の流れていた豊かだった頃の蓄えを切り崩して生活しているからだ。たとえば必要最小限の水を手に入れるために隣の村から水を運んでいる。それにかかる作業者への人件費や隣の村へのお礼金などはその蓄えから払っている。しかし水不足では穀物も育たないためその収入もやがては絶える。

 元々村内での自給自足が成り立っていた土地が、村外との取り引きを始める。それだけでも一苦労だったろうに、そのうちそれすら不可能になるのだ。

 雨が降らない、川が枯れたそれだけで。

 そうなれば村はおしまい。廃村だ。すでに隣の村とは村長同士の話し合いが始まっているらしい。転村のための話し合いが。

 生まれ育った土地だろうに。代々継いできた家もあろうに。そこに居るだけで想起される思い出は数知れないだろうに。

 だから、炎で正解だ。さすがの炎の感性も、村の窮状を見てなんにも思えないほどには枯れていない。

 学者たちではそうもいかないだろう。

 探究者たる彼らなら、村が窮地に陥った原因を綿密に紐解こうとするだろう。川の水源があるという霊山、地元の人々にとっての禁山に土足で踏み込もうとするかもしれない。あるいは雨降らしの龍が避けるものとやらを探し出そうとするのかもしれない。

 ただしそれらはどちらも解決のためではない。あくまでその目的は事態の解明だ。だから彼らは原因を突き止めるまでは梃子でも動かないだろう。その代わりに原因を突き止めるのにどれほど時間がかかろうか気になどするまい。もはやその解明こそを一生の仕事と見なす者までいるだろう。

 その間に村が枯れようが、彼らには関係がない。炎の仲間であるはずの学者というのはそういう情のない連中だった。

 だから炎で正解だ。炎は学者たちとは違う。炎は水不足の原因には興味がない。

 炎の仕事は原因の解明にはない。炎の目的は村を襲う危機の解決にある。解明は必要ない。だから求められているのは結果だ。

 

 炎の目的は枯れた川により渇いた村を救うことだ。


 だから、実行者である炎を炎の上司は選んだのだ。

「………………………………」

 そうは言っても、という気分だった。

 馬小屋から村をそぞろ歩いて炎はすぐにその場所にたどり着いた。村の窮地の主な要因となる干上がった川のほとりに炎は立っていた。

 今となっては川のほとりだったはずの場所に立っていた、とでも言うべきだろうか。

 それはもはや元が川のほとりだったというのが悪い冗談のようだった。

 言うなればそれは村の中心を走る大きな亀裂のほとりだった。その周辺に生えていたのだろう草は根こそぎ色を失い、生物の気配というものが一切なかった。

 それはさながらこの村全体の縮図のようでもあった。

 川の跡自体からは、特に何かを感じるわけでもない。

 炎たちが専門とする例のモノは一見しただけだとそこには無いように見える。異変も違和感もあるようには思えない。川が流れていた場所そのものに問題が生じたわけでは無さそうだった。それならば問題の発端は霊山にあるという川の始点、湧き水のほうにこそあるのだろうか。

 雨降らしの龍すら避ける何かも霊山にある、というのが事前に行われた関係者からの聞き取り調査の結果だ。ちゃらんぽらんな上司の言でもそこは信用していいだろう。

 やはり霊山の方に入ってみた方が良いのだろうか。

 当座はとりあえず村で水が確保出来ればいいのだ。たとえば雨降らしの龍すら避ける何かが、実力行使で駆逐できる範囲の問題ならば炎の得意分野になる。すぐにどうこうしてしまえる。

 炎がなんとかしなくてはいけないのだ。すべてが手遅れになる前に。

 しかし川の跡同様、霊山に関しても遠くからでは何かを感じるわけではない。

「隠れているのか隠しているのか本当に何にもないのか、か……」

 問題の発端となっているとは言え、そこは霊山。村の人々から敬いと畏れの対象となっている禁山へと、好き勝手によそ者の炎が入っていってしまっては、地元住民との軋轢を生みかねない。

 そもそも炎の知っている村の窮地に関する話にしても、事前の調べによるものだ。炎は未だあの親切な一家以外とは、村民と話すらしていない。この川の跡に至るまで、幾人かの村民とすれちがったが、よそ者というだけで警戒されているのか、ろくに顔も合わせようともしてくれなかった。

 村で活動する上で話を通しておくべき最高権力者の家の位置については調べがついている。

 とりあえずはそこを訪ねてみようか。又聞きや観察で手に入る以上の情報が得られる可能性はある。

 そんなことを考えながら土手から上がろうと振り返った炎の目の前に、子供がいた。

 いきなり振り返った炎に必要以上にビビリながらも彼はキッと炎を睨みつけた。

 年の頃は炎が厄介になったあの家の娘より二つ三つ上くらいだろう、勝ち気そうな少年。

 敵意をばりばりに向けられている。しかし今の炎にとって、こういう子供との遭遇は好都合だった。

「よお」

 手を上げて、敵意の無いことを示す。作り笑いは苦手なほうなので端からしない。若干舐められてもいいからこのガキと仲良くなろう。子供とつつがなく親睦を深めれば、その親を懐柔するのもたやすいはずだ。

 何より子供は大人では見えないものをときに見抜く。こういう時に事態の解明に役立つのは案外、川のほとりで日常的に遊んでいただろう子供たちだったりするのだ。

 はたして、炎の気さくな態度に対して子供は首を傾げて見せた。

「……不審者?」

 とても失礼な奴だった。

「いや。俺は炎と言う。この村に、ええと、一人旅に来た。よろしくな」

 子供相手に頭ごなしに怒鳴ることもできず、顔が引きつるのを感じながらも炎は名乗った。

「……俺、リュウ」

 そんな炎を不審人物でも見るかのような目で見ながら少年は名乗った。

「リュウ? ドラゴンの龍か?」

 それはまた皮肉なことだ、そう思いながら炎は尋ねた。自分の名前ほどでは無いにせよ、この水の絶えた村において雨降らしの龍の名とは、祈りと皮肉が籠もっていやがる。

「ドラゴンって何?」

「ん」

 リュウの疑問に炎は言葉に詰まる。自分たちの専門領域の言葉を容易に使ってしまうのは、炎たちの悪い癖だった。

「外来語?」

「ああ、そうだ。悪いな、分かりにくい言葉を使って」

 炎はうっかり失念していたが、カタカナで表記される言葉の大体は外来舶来語だ。ここ数十年の内に外との交流が盛んになった。この国の中でも、舶来語が使われる機会や舶来人と知り合う機会はだんだんと増えてきてはいる。しかしこの村のように村自体が独立したある種の閉鎖的な土地ではまだまだ当たり前に通じるようなものではない。

 そのようなこと指摘される前に気をつけるべきことだった。

「見掛けによらず学あるんだな、炎兄ちゃん」

「……ん」

 炎は学があるとは言えない。ただ、出自の関係上そちら側に少しばかり詳しいだけだ。

「侍なのに」

「侍じゃねえ!」

 炎は反射的に怒鳴った。いきなり子供相手に大人げなく大声を出した。

「おいガキ、俺をあんな人切り包丁を振り回すしか脳のねえ、阿呆共と一緒にするな!」

「でもその腰のもの刀じゃん」

 リュウはいきなりの炎の激昂にも臆することなくもっともな指摘をした。最初に炎が振り返ったときの反応はどこへやら、胆が据わってきている。人間というのは相手が言葉の通じる人間だと分かれば、急に怒鳴られようがそうそう怯えたりはしないものらしい。

「刀は刀でも俺の刀は人切るための刀じゃねえ! いいかガキもう一度俺を侍扱いしてみろ! 子供でも容赦なく叩っ切る!」

「いや、既にもう、切る気まんまんじゃん。言ってることがしっちゃかめっちゃかだよ。炎兄ちゃん侍に恨みでもあんのか?」

「恨み? 恨みなんかあるかあってたまるか恨みなんてねーよ、畜生。俺は侍と蛇と動物系の食材が嫌いなだけだ」

「ふーん。じゃあ好き嫌いしてたら大きくなれないって迷信なんだな……」

 リュウは炎の身長を物欲しげに見上げて、しみじみ頷いた。

「……そうかもな」

「あれ、でも兄ちゃんの羽織の紋、それ蛇だったよな?」

 少年は炎の首筋辺りを指差す。その裏、羽織の襟元には確かに鎌首をもたげた緑の蛇の紋が描かれていた。

「まあな」

 がしがしと炎は短い髪を掻く。

「嫌いなモノをなんで身につけてるのさ」

「……職務上の都合だ」 

 そんなことをしている内に侍扱いされた怒りも山を越え、少しずつ炎の心境も落ち着いてきた。

「……くそっ」

 子供相手にむきになって馬鹿みたいだ。

「で、ドラゴンってなんなの?」

 リュウは自ら話題を戻した。

「空想上の動物である竜のことをあっちじゃそう呼ぶんだよ。こっちの竜とはちょっと毛色が違っている動物なんだけどな」

 こちらの竜の見た目はそれこそ蛇のようなデカ物だが、ドラゴンと称される場合はとかげのような怪物になる。どちらにせよ下手物には違いない。

「ああ、雨降らしの龍とかのこと?」

「そうそう。お前、雨降らしの龍を知っているのか?」

 ここは雨の降らない村で、水さえ枯れた村。それでも、龍の伝承が消えず絶えず息づいているのか。それもこのような子供にまで、届くほどしっかりと。もしそうならば、この状況、ますます持って異常だ。

 雨降らしの龍を村人の多くが知っているのなら、その村には雨降らしの龍は存在するはずなのだ。

 龍とは、炎たちの扱うそれらとはそういうモノだった。

「知っているも何も、俺の名前はそれからつけられたんだよ。この村にはだから多いよ、龍って名前。ミズキの父ちゃんもそうだったらしいし」

「ミズキ? 誰だ?」

「あんたが泊まってた家の娘だよ。俺、ミズキから旅人がこの村に来たって聞いてあんたに会いに来たんだもん」

「ああ……そうなのか……」

 あの炎のところに食事を持ってきてくれた娘はミズキと言ったらしい。しかし田舎に噂が広まるのは、相変わらず速い。

「ちょっと待て、ミズキから話を聞いたってことはお前話を聞いた上で俺を不審者扱いしたのかよ……」

「ミズキも言ってたし」

「言ってたのか……そうか……そうか……」

 自分の振る舞いを思い返せばそれは仕方のないこととはいえ炎の気分はどんどん落ち込んできた。

「おーい、炎兄ちゃん?」

「俺はもう疲れた」

「旅疲れ?」

「だろうな……」

 旅で出会ったものへの疲れは旅疲れと呼んで差し支えないだろうか。

「……炎兄ちゃんは色んなとこ旅してきたの?」

「ああ、そうだな……まんべんなくってわけではないがあちこち広く行っているかな」

「良いね」

 そう返す少年の目は単純に見知らぬ外の世界への憧れで満ちていた。憧れに水を差したいわけではなかったが、炎はそんな彼に思わず冷静な言葉を続けていた。

「そうでもねえよ。旅って奴はな、天候悪化で交通が途絶えて一つの村に一ヶ月以上閉じ込められたり、食い物見付けられねえで飢え死にしかけたり、僻地にやられて何日も風呂に入れなかったり、習慣の違いとかでいきなり殺されかけたり、鬱蒼とした山ん中で何日もお日様を拝めなかったり、関所の侍野郎に金を払えと脅されて問答無用で斬りかかられたりするんだぞ」

 過去の様々な不遇の体験を思い出し炎はちょっと泣きたくなった。涙は一滴も浮かばなかったけれど。

「風呂に入れないのや飢え死にしかけてんのはこの村も一緒だよ」

「………………………………」

 淡々としたリュウの言葉に炎は思わず黙る。また、炎は失念していた。この失念は、どう取り返していいのか分からなかった。

「でさ、炎兄ちゃんはどうしてこの村に来たの?」

「いや、だから、その、一人旅」

「ただの物見遊山ってわけじゃないんだろ?」

 この村には、もう見所なんか無いんだから。リュウは自分の故郷をそう称した。彼の目には明確な諦めがあった。

「………………………………」

 炎の沈黙は少年の言葉に応えあぐねたものではない。旅の目的を訊かれたらどう答えるかなどとうに決まっていた。炎はこの渇いた村の水脈を確保し、この村を存続させるために来た。できるできないはいったん脇に置いて炎の目的がそこにあるのは間違いがない。

 ただ、この村の惨状を決して他人事とは思えない炎は、この諦めに満ちた目をした少年のことも、他人事とは思えなかった。だから、かける言葉を探した。


「見所は……自分で作るもんだろ」

 少し皮肉な言い方になってしまったかもしれない。愛想のない人間の、愛想もない言い方なのだ、無理もない。それでも炎は止まれなかった。

「お前らがないと思っても、俺は探す。すでに一個は見つけた。あのミズキって子の家は最高だ。見ず知らずの俺なんかに宿を貸してくれた上に旨い飯まで出してくれた」

 不審者とは思われたけれど。

 炎は見たくもないリュウの諦めきった目を真っ直ぐ見つめながら言葉を続けた。

「嘆いてんじゃねえ、すねてんじゃねえ。お前の村だろ。諦めてんじゃねえ。よそ者の俺だって、諦めちゃいねえんだぞ、それなのに当事者のお前らが諦めてるんじゃ、俺は何のためにここに来たんだよ。あるはずだろう。諦めきれないものがお前にだってさ」

「……俺は、」

 俺は、と、リュウは何かを言いかけた。しかし、その続きをかき消すように風が吹いた。

 もちろん風に意思などあるわけもなく、リュウにとっては答えあぐねたせいでの沈黙だったのだから、そう感じたのは炎一人だった。それでも機を見計らったかのように、その風は吹いた。

 激しく炎やリュウの服をはためかしても、体を揺らがせることはない。そういう強さの風が二人の間を駆け抜けた。

 

 風の行く先を見送ってなんとなく顔を上げた炎と、それにつられて振り返ったリュウは土手の上に少女がいるのに気付いた。

 いつからそこにいたのだろう。

 炎とほぼ同年代の少女。こんな田舎には珍しい洋装と、外来人のような髪と目の色をしている。

 彼女の白い襟付きシャツは、山の中でも駆け抜けてきたように薄汚れていて、長いスカートは風にはためいていない。リュウの言葉を遮るように吹いた風が、彼女の周りでは止んでいた。

 炎は不審に思う。

「……お前、誰だ?」

「……炎兄ちゃん?」

 まだ少女の異変に気付いていないらしくリュウは怪訝そうに炎の顔を見たが、炎は少女から視線を外さない。

 少女は奇妙だ。奇妙は警戒に値する。

 炎のような立場の者であればことさらに。

 その少女の顔はやつれていた。怯えを含んだ表情で炎の視線を受け止めていた。

「ク……」

 はたして少女は渇いた口を開いた。

「クチナワ……」

「クチナワ?」

 炎は思わず繰り返す。


 それは、俺たちの名前だ。

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