第1章 アマゴイリュウ
第1話 故郷の夢
もしも自分が海に何かを望むなら、それは水になるだろう。
少年はそう思った。
それは炎の記憶だ。
熱かった。
辺り一面、どちらを向こうと燃えるような赤色に染まっていた。
燃えるような赤色。
それは炎だった。
小さな村ではあった。
その村は炎に呑まれようとしていた。
赤色に染めつくされようとしていた。
小さな村の全てを呑み込もうとするその炎。
圧倒的な火力。
絶対的な暴力。
それは一種の自然災害。
訳の分からない『何か』に鮮花村は蹂躙された。
あの赤い、何かに。
ついさっきまで眠っていたはずの我が家から焼け出され、彼はなすすべもなく地に座り込んでいた。
家ごと焼け死ぬことこそ逃れたが、彼の周囲、鮮花村の隅々まですでに炎は広がり、逃げられる場所など無かった。
前門の炎、後門の炎。
灯理の命は業火によって風前の灯火だ。
せめて背水の陣ならば、この炎に対抗できたのかもしれないが、そんな願いももう遅い。
もう、逃げ場も対抗策もない。
鮮花村は、滅びる。
灯理もともに、行くのだろう。
この炎を、越えたところに。
そんな風に諦めて、せめて泣かないために、瞼を閉じよう。
涙なんかでは、この炎は消えないのだ。
そう思って目を伏せた灯理に、母が声をかけた。
「眠ってはいけませんよ、灯理」
「お母、さん」
母は、笑っていた。
白かった肌は煤で黒く汚れていた上に、熱気で赤く染まっていたが、笑顔を崩さぬ母はこの地で唯一諦めてはいないようだった。
しっかりとした足取りで、灯理に近付いてくる彼女は懐刀を取り出した。
父が母に贈ったその刀は赤い光を反射し、鈍く光った。
母は迷わずその刀で細く白かった指先を切りつけた。
赤く丸い血が指先に浮く。
果実のようだと、彼はぼんやりとそれを見つめた。
刀を持っていた方の手で、今度は彼女は灯理の額にかかる前髪をかきあげた。
露わになった額に、もう一方の指先で母は何かを描いていく。
止まらぬ血で灯理に何かを刻む。
「……何?」
「おまもり」
灯理の問いに母は短く答えて微笑んだ。
「いいですか、灯理。恨んではいけませんよ? これは所詮、自然災害。我ら人の子にどうこうできる代物ではございません」
「………………」
母の言葉は灯理にはよく分からない。
「だけど私は諦めません。諦めきれないの間違いだとしてもです」
灯理には、分からない。
「ですからあなたに託しましょう」
「託す……? 何を?」
「祈りです。覚えておいでなさい、灯理。祈りの強さを。あなたも
「………………」
分からない。
「いいですか、恨んではいけません。そして殺すのは尚のこと、いけません。それは死を薄めます。忘れてしまいさえします。だから私はそのためにあなたに呪いをかけましょう」
「呪い?」
「それがどうか、願わくは、いつか祝いになるその日まで……しばしのお別れです」
「お別れ?」
「そう、お別れ」
灯理の額をなぞり終えたと言うのに母の血は止まることを知らぬように絶えずその指先から流れ出る。
構わず母は立ち上がった。
足元がおぼつかない。
まるで身体中の血が絞り取られてしまったかのようだ。
「その日まで……殺してはいけません」
村を包み灰塵に帰す炎の熱ですら、青白い母の肌はあたためられない。
そして彼らの元にも炎が訪れ、灯理の視界が、真っ赤になった。
数日後、焼け野原と化した鮮花村の跡地を歩いている男がいた。
何か目標の物でもあるかのように、燃え滓の残る地にばかり目をやっていた。
村には草木の一本、泉や川すら残らなかった。
その中に、男はようやっとそれを見付けた。
焼け落ち、倒壊した家屋、その残骸の山の中から男はそれを掘り出した。
男は時を止められたように、しばらくそれを眺めていたが、やがて独り言のように呟いた。
「これが……炎か?」
その声を聞いた少年、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます