最終話 お兄ちゃん

 正式にはまだだが、婚約を解消したことでふたりの間にあった心のしこりが消える。

 ようやくひと段落がつき、メアリーは地面に横たわる父親のもとへ駆け寄った。

 軽く呼びかけても意識を取り戻す様子はない。折角の父と娘の再会なのに、時間は無情にも過ぎていった。


「パパが起きない。きっと長旅で身も心も疲れ果てていたのね」


 面積の広い額を撫で、メアリーは溜め息をこぼす。最悪の事態にはならず問題は解決した、あとは城に引き返すだけだ。

 が。父親と別れるのは嫌だと心がいっている。

 今回は話し合いをするために城から出てきた。そのため目的を果たした今、ふたりがその場に長居する意味はない。

 時間は刻々と迫っている、メアリーは『その時』がくる前に父親をどうにか起こそうとした。


「パパ、起きてよ……私もう帰っちゃうよ」

「……」


 父の額を軽く叩きながら、涙ぐんだ声で話しかける。応答がなければ、彼がなんらかの反応を示すこともなかった。

 深い眠りについている。

 それでもどうにか起こそうと試行錯誤していると、メアリーの隣にリュウがやってきた。地べたに座り込んだメアリーと目線を合わせ、彼女の顔をのぞき込む。


「メアリー」

「ま、待ってください! パパとちゃんと話してないので、もう少し待っ……」

「メアリー!」


 その言葉がリュウの口から出てくるのを恐れ、まくし立てるように説明した。心なしか、彼女の目尻には涙がにじみ出ている。

 リュウはそんな彼女の説明をさえぎるように、強めの口調で名前を呼んだ。


「メアリー、俺の話しを聞くんだ」

「す、すみません」

「なにをそんなに慌てる必要がある」

「だ、だって。もうすぐでお別れじゃないですか、まだちゃんと話していないのに」

「メアリー……もう家に帰るか?」


 リュウはそう言うと「潮時だろ」と口にする。

 なにを思ったのか、このまま城に戻らずメアリーを故郷に帰すことを選んだ。


「いま、なんて?」

「家に帰るかって言ったんだ。それとも、俺との快適な暮らしから離れるのが嫌か?」


 珍しく笑みを浮かべ、冗談まじりに茶化したことを言う。とうのメアリーは、思いもしなかった言葉にぽかんと口を開けていた。

 メアリーは知らないが、彼の目的は果たされている。これ以上、メアリーをあそこに縛り付ける理由もなくなっていた。


「帰りたいんだろ。俺は引き止めないよ」

「ではなぜ……」


 そのとき、メアリーは不意にあることを思い出す。

 以前リュウがメアリーを連れ去った理由について、訊ねようとするも躊躇ったことがあった。理由についても、未だに不明瞭なままになっている。


「ねえリュウさん。お訊ねしたいことがあります」

「なんだ?」

「二ヵ月前、どうして私をあそこから連れ去ったんですか?」


 そして今、ようやくメアリーを連れ去った理由についてたずねた。すっかり忘れていたが、リュウがメアリーを連れ去ったことには理由がある。

 リュウは「それはだな」と、いつもと変わりない反応をした。あの日、あの時に何故ああしたのか、リュウは顔色ひとつ変えずに答える。


「理由は簡単。あんな危険だらけの森に女の子がひとりでいたら見過ごせないだろ、メアリーの危機管理能力が心配だ」

「うっ……それについては反省しています。ですが今はリュウさんの目的について話しているんです、ちゃんと答えてください」


 リュウはその場の流れで動くような性格ではない、それはメアリー自身がよく知っていることだ。

 だからリュウがどんなにしらばっくれようと、メアリーに通用することはない。


「いろいろなことを思い出してわかったのですが、あなたはかなり執念深い性格ですね。普通ならあり得ないことです」

「あぁそうだな。それだけ諦めたくなかったんだ」


 メアリーが思い出した記憶の中にあるリュウは、苦労の絶えない兄として映っていた。

 記憶の中では顔も覚えていない両親を交通事故で失っている。当時はふたりとも学生で、リュウに至っては卒業した後も進学を控えていた。

 が。両親の死後、リュウはそれを断念している挙句に学校も辞めている。

 全ては唯一の肉親になった妹を養っていくためにだ。


「俺がまた独りになってからはいろいろな事があった。世話の焼ける友もできたし、弟みたいに可愛がってる奴もいる」

「それは、私としても安心できる話ですね」


 メアリーが把握している限りでは、リュウには友だちという存在がいない。知人はいても、リュウ自身から距離を置いていることが多かった。

 しかし彼の口から「友」という言葉を聞き、メアリーは安心感を覚える。


「何年も前にあるいざこざが起きて、その問題を片付けた時にある奴からお礼として呪いを受けた」

「まじない、ですか?」

「それは復縁、というわけじゃないが、離れ離れになった縁をまた繋ぎ合わせるらしい。嘘だったら殺してやろうと思ってたが、実際に効き目はあった」


 そう言ってメアリーの頭に手を乗せ、無造作に撫で回し始めた。メアリーは迷惑そうに顔をしかめる。


「まじないで縁を繋ぎ合わせるにしても、リュウさんの場合は少し横暴すぎませんか」

「なにを言う。待っててもチャンスは回ってこない、なら自分で掴み取るしかないだろ」

「そこはまあ、そうですけど。世の中には限度というものがあると思います」


 リュウの言い分も一理あるが、メアリーの言い分のほうが正しかった。チャンスを掴むにしても、リュウの場合は強引で乱暴すぎる。


「ということは……リュウさんの目的は、もう一度私と会いたかったってことでいいんですか?」

「それもあるが……今度こそ、メアリーが真っ当な親に恵まれるか見届けたくてな。ま、メアリーって名付けるくらいだから心配ないか」


 リュウはそう言うと、おもむろに立ち上がった。そして父親に寄り添うメアリーに「俺はもう行くよ」と告げる。


「ああ、そうだった。お気に入りのコートを修繕してくれてありがとな」

「あ、リュウさん! 待ってください」

「どうした?」

「また会えますよね? 今度は背後からじゃなくて前から来てくださいな。お茶の用意でもするので」

「……あぁ、そうさせてもらうよ」


 このまま別れてしまえば、リュウとはもう二度と会えなくなる気がした。それが嫌で、メアリーは咄嗟にリュウを呼び止めてしまう。

 最初は驚き気味だったリュウもうなずき、最後に「渡したい物もあるしな」と付け加えて城がある方向へ立ち去った。


「うっ……うぅ、あ」

「パパ! 起きたのね。大丈夫?」

「め、メアリー? どうしてここに、やはり夢なんかじゃなかったのか。そうだ、ロベリアといっていた奴は?」

「ボールドウィン卿、お体に異常はありませんか?」

「アレク殿、どうして鼻血を流して……?」


 一悶着あったといえ、アレクサンダーたちは目的を果たす。帰り道は獣や魔物に襲われることもなく、メアリーを連れて無事に生還した。

 生還した後、メアリーは宣言通りにアレクサンダーと交わした婚約を破棄する。そして自身が生まれ育った故郷に帰還した。

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