016 修繕されたコート

 鏡の前にある椅子にはメアリーが座っている。アラクネに手伝ってもらい、無事に着替えることができた。

 その後ろでは、アラクネがくしでメアリーの髪をといている。おめかしにも詳しいようで、その動きは手慣れていた。

 メアリーの髪はとてもさらさらしていて、一度もひっかかることがない。それをアラクネは羨ましそうに見ていた。


「いい髪質だね、さぞかし自慢の髪なんだろう」

「えぇまあ。母から受け継いだ、自慢のひとつです」


 綺麗にとかれた髪は三つ編みでまとめられ、乱れないようにゴムでとめる。そして、可愛らしいシュシュがつけられた。

 鏡に映る少女はひときわ麗しく、どこかきらびやかな雰囲気を感じさせる。その少女の両肩に、白くて大きい手が置かれた。


「とても似合っているよ。今日はなんの予定があるか私にはわからないけど、さぞかしとても大事な予定なんだろうね」

「はい。でも不安で仕方なくて、正直怖いです」

「こんなに可愛くなったんだからきっと大丈夫だよ。嫌な奴がいても殴り飛ばしてしまえばいいさ」

「ふふっ、その言葉覚えておきますね」


 アラクネは冗談のつもりで言ったことが面白かったらしく、メアリーはくすくす笑い始める。

 それを見てアラクネは「大丈夫そうだね」と、メアリーの肩から手を離した。


「アラクネさん、わざわざ私の着替えを手伝ってくれてありがとうございます」

「どうってことないさ。……そろそろ下の階に向かうといい、彼が待っているようだ」

「どうしてわかるんですか?」

「城中にいる蜘蛛は遠くにいても私と伝達することができる。今下の階にいる子から情報が入ってきた」


 そう説明するとアラクネは「ほらお行き」と催促する。メアリーも催促されるがまま、ベッドにあったふたつのコートを持って部屋を後にした。

 襟元は首を締め付け、すでに肌がかゆい。やはりこの服は好きになれないな、と思いながらメアリーはコートを羽織った。


「どこにいたんだ。もう行くぞ」

「あ、ごめんなさい。アラクネさんに着替えを手伝ってもらっていたんです」


 階段を駆け下りると同時に機嫌の悪そうな声が聞こえる。下の階にある大広間には、アラクネが言っていた通りリュウがいた。

 最初は不機嫌そうだったが、メアリーの説明を聞いて「そうだったのか」と納得する。

 そしてリュウは侍従が両手に掲げているコートを選んでいるようだ。どちらも落ち着いた色で、落ち着いた雰囲気のリュウにあっている。

 メアリーは今日を彩るコートが決まる前にリュウの元へ急いだ。


「リュウさん! あ、あのこれ」

「なんだ?」

「大変お待たせしました、完成しましたよ! きっとリュウさんに似合いますから」


 そう言ってメアリーが差し出したものは、リュウが元々気に入っていたあのコートだった。

 コートは随分前に穴だらけになったが、今では綺麗に塞がれている。それも色とりどりの布によって。

 穴を塞ぐ布ひとつひとつに目を向けていくと、どれも違った形をしている。動物の形をしていたりと、手の器用さにリュウは感心した。


「外は寒いですからね、特に森の中は。リュウさんはそれを着て行きましょう」

「……うーん、ハードルが高い」


 一応コートを受け取ってみたものの、いかんせんハードルが高い。羞恥心をかなぐり捨てれば問題ないのだろうが、リュウにはできそうになかった。

 しかしメアリーが真っ直ぐにリュウを見つめている。その目は心なしか輝いているように見えた。


「なにか言いました?」

「いや……」


 期待を寄せる視線がリュウに容赦なく突き刺さる。

 修繕されたコートを羽織るべきか、別のコートを羽織るべきか、心の中で葛藤していた。

 葛藤する以前に「着たくない」が正直のところだが、そういうわけにもいかない。


「着ないのですか?」

「あーもうわかったよ」


 着るのを渋っていたところ、メアリーが悲しそうな表情を見せた。それを見たリュウはやけくそ気味にコートに袖を通す。

 恥ずかしさで身が悶えそうな感覚になりながら、リュウはコートを羽織った。

 メアリーがにこにこ笑顔で「似合ってます」と両手の親指を立てる。とうのリュウは今すぐにでもコートを脱ぎたい気持ちに駆られた。


「はぁ……もう準備はいいな?」

「はい。私もリュウさんも準備万端ですね」

「……じゃあ会いに行くか」


 リュウがおもむろに玄関へ向けて歩き始める。同時に固く閉ざされていた扉が、不気味な音を立ててひとりでに開いた。

 置いて行かれないようにリュウの後を追いかける。開いた扉の間から日差しが差し込み、メアリーはたまらず目を閉じた。

 新鮮な空気が肌に触れ、自然が放つ独特の香りが鼻腔をくすぐる。目を開けた先の光景にメアリーは思わず息を呑んだ。


「凄いよな。この城の出入り口前が崖って」


 リュウがぶっきらぼうにつぶやく。ふたりが城を出た数十メートル先は崖になっていた。

 そこから反対側の崖まで渡れるようなものは何処にもない。ここからどうやって父親の元へ行くのか、メアリーの思考は停止した。


 以前一度だけ城を抜け出そうとしたことがある。しかしその時は外を見ることは叶わなかった。

 そのため扉が崖に面しているとは、一度も考えたことがない。同時にメアリーは崖に面している城が、未だに無事でいることを不思議に思った。


「わあ。なんだか怖いです」

「この城の下には巨大な竜が眠っているらしい。だからここは崩れずに済んでいるそうだ」

「竜が起きたらどうなるんですか?」

「その時はこの城もろとも崩れる。まあ竜が目覚めることはないだろうけどな」


 宙ぶらりんになったメアリーの手が不意に握られる。呆然としていたメアリーは驚き、すぐにリュウへ目線を移した。


「リュウさんって積極的な性格でしたっけ」

「どういう意味だそれ。危ないから手を繋いだんだよ、俺から離れるなよ」

「はーい。って、え? リュウさんは一体どこへ向かってるんですか?」


 メアリーの顔が次第に青ざめていく。なにしろ、リュウは一直線に崖へ向かって歩いていた。

 当の本人は顔色ひとつ変えていない。

 空いている手でリュウの腕を掴み、必死に訴えかけた。これから父親の元へ行く予定だが、まさかここで死ぬつもりなんじゃと最悪な考えがよぎる。


「痛い痛い痛い痛い」

「崖ですよ死ぬつもりですか!」

「いや大丈夫だって」


 軽い押し問答をしているうちに、ふたりは崖の前までやって来た。

 メアリーは今にも腰から力が抜けそうになる。リュウの腕にしがみつき、立っているのもやっとだった。


「パパに会いに行くんですよね? ですよね?」

「行くから落ち着け。ほら前を見てみろ」


 リュウに促されて、メアリーは恐る恐る前へ視線を戻す。そこである異変に気付いた。

 ふたりがいる崖の反対側は、もうひとつの崖がある。その間にはなにもないはずが、それは少しずつ姿を現していた。


「一応ここには橋がある。だが普段は見えないようにしてある、敵を簡単に渡らせないためにな」

「では、この橋はどういう条件で私たちの前に現れたんですか?」

「簡単さ、俺が魔の存在だからだよ。橋は魔の存在を前にしないと出てこないんだ」

「そう、そういえばそうでしたね……」


 会話はそこで途切れる。メアリーは日々の生活に溶け込み、すっかり忘れていた。

 決して、リュウは人なんかではない。

 考えれば簡単なことだが、人を思わせるような振る舞いや表情にメアリーは意識することもなかった。


「橋を渡って、少し歩けばすぐだ」

「はい」


 メアリーが橋を渡ってしまえば、もう後戻りすることはできない。期待と不安がない交ぜになって、心臓が五月蝿く脈打っていた。

 ──もうすぐで父に会える。会いたい、家族に会いたい……もう一度、あの人に会いたい。

 そこでふと、メアリーは我に返った。隣には手を繋いだリュウが歩いている。

 まっすぐ前を見つめていたが、メアリーの異変に気付き「どうした?」と声をかけた。


「いえ、大丈夫です。少し不安なだけで」

「心配するな、俺がついてる。アレクサンダーとなにかあったら俺に言え、殴り飛ばしてやるから」

「ふふふ、頼もしいですね」


 冗談か本気か、いやリュウの場合は本気だろう。

 そんな彼の言葉に顔がほころび、心なしか気分も軽くなった。リュウとなら大丈夫だと、そう信じて繋いでいる彼の手を強く握り返した。

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