015 準備をしよう

 リュウに「父親に会いたい」と懇願した日から、数日が経とうとしている。


 父親が無事に辿り着くまでの間、メアリーは水晶から片時も離れることはなかった。

 肉親に会えるという喜びが不思議と心を満たしていく。そのおかげか、最近は頻繁に見ていた悪夢もなりを潜めつつあった。

 だが寝不足が解消されたわけではない。

 メアリーは四六時中水晶を眺め、父親の安否を確認していた。夜は命の危険が最も高まるため、夜明け前まで見ていることもざらにある。

 実際に毎日毎晩、少しずつ仲間が減っていっているのは確かだ。そのたびに父親も命を削っている。

 メアリーは「死なないで」と祈りながらその様子を見守っていた。しかし不思議と、父親が魔物に襲われたことは一度もない。

 きっとリュウがなにか術でもかけたのだ。確証はないが、メアリーはそう信じている。


「今日も一日、パパが無事でありますように」


 机に置かれた水晶を前に、日課となりつつある祈りをこの日も捧げた。

 水晶に映る父親は険しい顔ばかりしている。しかしそれはいつものことだ。

 記憶の中にある父親の顔はいつだって険しい。綻んだ表情をしている場面はあまり見たことがなかった。


 父親と再会したらなにを話そう。ひとまずリュウは約束を守っていると説明するのが先だ。

 だけどきっと、メアリーは父親にたくさん怒られるだろう。なんせ今まで多くの心配をかけてきた。

 きついげんこつを食らっても文句は言えない。

 だが今のメアリーにとって、それすらとても喜ばしいことに変わりなかった。


「リュウさん、おはようございます。いい朝ですね」

「んーあぁ。おはよう」


 日課と化した挨拶を交わす。

 リュウは相変わらずぶっきらぼうなままだ。何事もないように、普段と変わらない様子で過ごしている。

 メアリーも普段通りに振る舞い席へついた。ただ変わった点と言えば、常に水晶を持ち歩いていること。

 だがリュウがそのことに触れる事はなかった。メアリーの情事を知ってか、単純に興味がないだけか。


「メアリー、今日は一緒に外へ出てみないか?」

「外ですか? でも危険なのでは」

「俺がそばにいるから大丈夫だよ」


 普通なら有り得ない誘いに、メアリーは好奇の眼差しをリュウに向けた。その視線に気づいたリュウが「なんだよ」と問いかける。


「いえ。珍しいなと思いまして」

「まあそうだよな。メアリーの父親がそろそろ近くに来る頃だし、行ってみるのもいいと思ってな」

「え、そうなんですか!? じゃあこうしてはいられません! 今から支度をして」


 椅子に座ったばかりだが、父親に会えると知った瞬間にメアリーは席を立った。そして食堂を出ようとした途端、リュウに「だめだ」と引き止められる。


「朝飯はちゃんと食べていけ」

「で、でも!」

「今日の予定はなしにするぞ」

「うっ……うぅ、はい」


 まるで親みたいな脅しを受け、メアリーは渋々席に戻った。目の前にいるのは魔王ではない、きっと己の立場を悪用する保護者かなにかだろう。

 当初抱いていた魔王としての恐怖よりも、今では別の恐怖がメアリーに根づきつつあった。


 リュウはメアリーにだけは甘くて、たまに過保護気味になる。

 勿論メアリーが連れ去られるまで、ふたりは赤の他人のままだ。しかし、いささかではあるがリュウの距離感覚が近いように思える。

 まるで長い時間を共にしてきたような、そんな気さえする接し方だった。


「……思ったんですけど、リュウさんにはご家族の方はいるんですか?」

「いない。両親は同じ時期に死んだし、ふたつ歳の離れた妹がいたんだが……」

「あのっなんかその……ごめんなさい。それ以上は話さなくても大丈夫ですよ」


 何気なしにした質問のはずが、途端に居心地が悪く感じる。リュウは至って平然としているが、メアリーは軽率な質問をしたことに心の底から後悔した。

 メアリーはひとりっ子で育てられたため、兄弟間のことには疎い。小さい頃は弟か妹がいれば──と妄想したことも何度かあった。

 しかし両親は健在のため、肉親を失った悲しみはまだ知らない。それが余計にメアリーへ居心地の悪さを感じさせた。


 朝食後、一目散に自室へ引き返す。

 この時、メアリーは連れ去られた当時の服に着替えたいと考えていた。が。お茶会用に着ていた服なだけあって、メアリー自身はあの服が好きじゃない。

 襟の部分は首を締め付け、腰の部分はきつく紐を結ばないといけなかった。おまけにその服を着ていると肌が痒くなる。

 そのため着の身着のまま連れ去られ、ここで生活をしていくうちにあの服は着なくなった。今では自室のクローゼットに眠っている。

 それでもあの服を選ぶのは、父の母親──メアリーの亡き祖母から譲り受けたお下がりだからだ。

 あの服はこれっぽっちも好きではない。が、粗末に扱える物でもなかった。


 クローゼットを開けると、服は端っこに収納されている。連れ去られた日に着て以来、ずっとここに眠ったままだった。

 お下がりの服を取り出し、着替えようと思い侍従がいないか探し始める。祖母からのお下がりなだけあって、ひとりで着替えるのは難しかった。

 ゆえに着替えを手伝ってくれる人が必要になる。


「あ! アラクネさん、ちょっといいですか?」

「こんにちは。そこでいったいなにをしているのかな、お嬢さん」


 メアリーが部屋の前でうろうろしていると、その近くをアラクネが通りかかった。彼女に呼び止められたアラクネは、機嫌良さそうに受け答える。


「あのー、侍従さんを見かけませんでしたか?」

「いつもは必ず見かけるはずなのに、今日は不思議と見かけないね。なにかあるのかな?」

「そうでしたか……。ありがとうございます、呼び止めてしまいすみません」

「おやまあ、なにか困ったことでもあるのかな?」


 落胆して引き返そうとするメアリーを見かねて、アラクネが咄嗟に呼び止めた。アラクネの呼び止めに対し、メアリーは「実は……」と話し始める。

 あらかたの経緯を聞いたアラクネは納得し、指をパチンと慣らした。そして自慢げに口を開く。


「それなら私に任せるといい」

「え。お任せしていいんですか?」

「もちろん、君は私に任せなさい。なんせ私は仕立て屋を昔やっていたからね、服には悔しいんだ」

「へえ、そうなんですね! ではお願いします」


 大きな腕がメアリーの小さな手をつかみ取った。メアリーも怖気づくことなく握り返す。

 このとき、メアリーは初めて自分の部屋に客人を招き入れた。緊張よりも、同じ女の子という点から嬉しさのほうが高まっている。

 そうしてふたりは部屋の中へと消えていった。

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