014 水晶の向こう側

 鏡に映る顔はやつれ気味で、目の下には隈がある。ここ数日の間、メアリーは悪夢に魘されていた。

 夢の中で、メアリーは顔も見えない相手たちに蔑まれている。陰口であったり妙な噂を流されたり、寝不足になるのも無理はなかった。

 十分な睡眠もとれていないため、リュウに心配される日々も続いている。


 人生において、蔑まれたり嘲笑されるような事は一度もなかった。なのに何故、最近になってその夢ばかり見るようになったのか。

 原因もわからず、メアリーはただ困惑した。

 思い当たる節がないわけじゃない。だが確証もなく、決めつけるにはまだ早かった。


 とは言っても、見る夢は蔑まれるものばかりではない。両親が事故で死ぬ夢だったり、可愛がっていた兎を墓に埋める夢だったり。

 どれもこれも、メアリーにとって悲しいことに変わりない。


 一度リュウに相談したことがあった、頻繁に見る夢の内容を覚えている限り説明した。

 が、メアリーの予想に反してリュウは「大丈夫」と繰り返すだけ。

 その理由が説明されることはなかった。


 そんな日々が続き、毎日眠気と戦っている。裁縫もうまく出来ず、呆然とすることも多くなっていった。

 かといって寝ることにも億劫さを感じる。悪夢はどれも悲しく、メアリーの心を苦しめた。


 うつらうつら、眠りに落ちかけているときのこと。夢の世界に入りかける、一歩手前の時だった。

 扉を強めにノックする音が聞こえる。不意をつかれ、メアリーは肩をビクつかせた。


「起きてるか?」

「はい、起きてます。どうかしました?」


 リュウが扉の背面に寄りかかって、メアリーの様子をうかがっている。

 現在、部屋は空気換気のため窓や扉は全て開け放たれていた。ゆえに部屋は丸見えの状態になっている。

 が。誰も気にかけることはない為、扉はいつまでも全開のままだ。


 机に散乱した物たちを見て、リュウの顔が若干険しくなる。しかしすぐに机から目をそらし、メアリーに話しかけた。


「メアリーに面白いものを見せてやる。ついて来い」

「なんでしょうか?」

「来てみればわかる」

「はい……?」


 リュウに誘われるがまま、後をついて行く。

 そして連れて来られた場所は、メアリーが初めて訪れる場所だった。

 そこは実験室のようで、目を疑うような光景が広がっている。それらを前にして、メアリーは胸中で嫌な胸騒ぎを覚えた。


「あの、ここはいったい?」

「まあ来てみろ」


 ろくな説明を得られず、嫌な感覚は増していくばかり。すっかり忘れていたがリュウは魔王であり、メアリーも囚われの存在でしかなかった。


 ──ついに自身の命運はここまでか、と諦めの気持ちが脳裏をよぎる。


 そうこうしているうちに、リュウが棚からなにかを取り出した。それを机の上に置き、被さっていた布を取り払う。

 視界に飛び込んできたものを見て、メアリーの目は点になった。


「これは水晶、ですか?」

「ああ、面白いものが映ってる。見てろ」


 リュウはそう言うと水晶に手をかざす。すると、透明だった水晶は徐々にある光景を映し出していった。

 その光景に目を奪われ、メアリーの口からぽろりと言葉が漏れる。


「……あれ、パパ?」

「このおっさんはメアリーの父親か?」

「はい。私の父親です、でもなんで?」


 水晶に映し出された光景には、メアリーの父親の姿があった。おまけに鎧を身につけ、幾人もいる兵士を引き連れている。

 他にも見覚えのある顔があった。


「アレクサンダー……」


 同じく鎧をまとったアレクサンダーと、その父アダルバートがとなりにいる。

 揃いも揃ってなにをしているのか、知る由もないメアリーは混乱した。


「どうやらここに乗り込んでくる気らしいな」

「どうしてですか? 互いの領域を侵略しないって約束、リュウさんは守ってますよね?」

「なんだ。メアリーはそれを知ってたのか」


 リュウが驚いた顔をする。メアリーはつい嬉しくなって、自慢げに「えぇもちろん!」と答えてみせた。

 やけにテンションが高くなっているが、今の彼について行ける気力はない。案の定無視した。


「ならそこら辺の説明はしなくて済むな。実は数週間前に、低脳で馬鹿な魔物が村を巣にする事があった」

「はい」

「アラクネを向かわせたが、まあ間に合わなかった」


 村人は魔物に食い尽くされ、村のあらゆる箇所には卵が植え付けられ。

 アラクネが跡形もなく始末したが、その頃の村は機能していなかった。


「俺は領域を侵略しないと決めた、今もそれを守っている。だが向こうはそうじゃないらしい」

「どういうことですか?」

「人間様は今回の事で、領域を侵略されたと受け取るかもしれない。実際にきてるしな」


 そこでようやく理解する。その瞬間、ある不安がメアリーの胸中をよぎった。


「あの、リュウさんはどうするんですか?」

「なにがだ?」

「パパやみんなは、いずれここに来ます。リュウさんはパパ達をどうするおつもりですか?」

「どうもしないよ」


 その返事を聞き、最悪な未来を想像していたメアリーは安堵の表情を浮かべる。

 しかしリュウが続けざまに「ただ」と口を開いた。


「この城は森の奥にある。辿り着くまで何日もかかるが、その間に獣や魔物に襲われないとは限らない」

「え?」

「だから俺はなにもしないよ」


 話し終えるとリュウは水晶を片付け始める。その間、メアリーは顔を下に俯けていた。

 リュウが手を下すことはない。しかし胸の内にはもやもやした感情がたしかに存在した。


「リュウさん」

「なんだ?」

「一緒に、話し合いに行きませんか?」

「話し合い?」

「彼らと話し合うんです。もしかしたら村の件だって本当のことを話せばわかるかも」


 城で平和に暮らしているとはいえ、肉親に会いたい気持ちはある。今まで吐露してこなかっただけで、帰りたい気持ちはあった。

 ましてやこの状況では、父親がメアリーと会えないまま死ぬかもしれない。

 それだけはなんとしても避けたかった。


「別にどうも思わない。奴らがここまで来れるとは思わないし、来たところで俺が歓迎すると思うか?」

「ですが……」

「いい事を教えてやる。話し合いはな、言葉でねじ伏せられるような相手にやるもんなんだよ」


 予想に反して、リュウは一貫した態度をとる。


「それにアレクサンダーか? そいつと顔を合わせることにもなるんだぞ。傷つくのはメアリーのほうだってわからないのか?」

「ですが……」


 アレクサンダーのことを引き合いに出され、それ以上は言い返すことができなくなった。

 ある意味、リュウの考えは正しい。それと同時に恐ろしくもあった。


 この時に久しく、リュウに対して恐怖心を抱く。

 メアリーはすっかり忘れていた。リュウは魔王を倒したと名乗る人物だったことを。

 そんな相手に人並みの感情があるなど、到底あり得るわけもなかった。


「でも私、パパに会いたいんです。お願いです、会わせてください」


 それでもメアリーは震えた声で懇願する。恐怖心に支配されようと、この想いだけは伝えたかった。

 不意に悲しい未来を想像して、目の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。目尻に涙を浮かべ、もう一度「お願いします」と言った。


「まあ……父親に会いたいんならしょうがないな」


 嗚咽混じりに懇願するメアリーを見兼ねて、リュウは呆れながら口にする。

 そしてメアリーを安心させるため、彼女の頭に手を置いた。リュウ自身は無干渉を貫きたかったが、頼まれては仕方がない。

 彼は一度頼まれると、なかなか断れない性格の持ち主だからだ。


「うぅっ、ありがとうございます……」

「泣くな。前みたいな不細工になるぞ」

「それは余計です」


 溢れる涙を裾でぬぐい、メアリーは感謝の言葉をリュウに伝える。あいも変わらず、リュウはぶっきらぼうに返事をした。

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