007 その横顔、

 リュウが提案した、メアリーが外へ出ることのできる条件はふたつ。


 ひとつめはリュウのそばを離れないこと。

 ふたつめは隙を見て逃げ出さないこと。


 そのふたつを守ることができれば、メアリーは昼間ならいつでも外出することを許された。


 城に点在する扉のひとつから久方ぶりに外へ出る。

 そこはバルコニーに似た造りで、風が吹き抜けメアリーの髪がなびいた。

 昂ぶる感情に任せ、メアリーは塀に駆け寄る。


「うわあ、綺麗」


 塀の外で広がる光景は絶景だった。城の先には崖があり、崖底までよく見える。

 見たこともない程の巨大なドラゴンたちが群れを作り、巣をなしていた。


 メアリーは父の付き添いで遠方に出向くことがあり、何度か綺麗な風景を見たことがある。

 しかしそれも人智の及ぶ域、人の踏み込めない域の景色には到底敵うわけもなかった。

 同時にリュウが出した条件が例えなかろうと、此処から逃げることはできないと悟る。


「ここらへんは普段から人が入ることを禁じられている。だからここに城は築かれた」


 吹き当たる風を堪能しているところへ、リュウが隣にやってきた。

 リュウは遠くを見つめ、ぽつりぽつりと話す。


「それは、以前の魔王がですか?」

「ああ、そうだ」


 目を合わせず、短い言葉で質問に答えた。

 先代の魔王はきっと自然が好きだったのだろうと、メアリーは呑気なことを思う。

 そして仕えていた魔王が死に、今の魔王に仕えているのではと悲しい考えがよぎった。


「リュウさんは、今の魔王に対してどう思っているんですか? 憎くはないんですか」

「今の、魔王か……?」


 次に出された質問で、ようやくリュウの目がメアリーの姿を捉える。その目は大きく開き、驚いているように見えた。


「なにを言ってる」

「なにって、え? リュウさんは前の主人を失って、今の魔王に仕えてるんですよね……?」


 リュウの反応が怖くなり、メアリーは咄嗟に自身の中で至った結論を説明する。

 その説明を聞き、リュウは勢いよく噴き出した。初めて見る反応に、メアリーは目を疑う。


「まさか、今まで俺のことを魔王の手下とでも思ってたのか?」

「ち、違うんですか?」


 含みのある問いかけに、メアリーは慌て始めた。そんなメアリーを見て、リュウは再び目をそらす。


「残念なことに俺は手下じゃないんだ。この俺が俗にいう魔王だよ」

「え?」


 冷めた表情で、メアリーに笑いかけながら話した。傷つけないために、言葉を慎重に選んで。

 自身の予想とは大きくかけ離れた事実に、とうのメアリーは理解が追いつけないでいた。


「俺がここら一帯を支配してる。大聖堂にいる修道女の目と引き換えに、ここへ手を出させないようにしたのも俺だ」

「それは……なんの、ためにですか?」


 リュウ自身が魔王を倒し、そこまでする理由がなにか問いかける。

 少なからず疑問が胸中に残ったが、魔王が目の前にいる衝撃でそれは潰えた。


「知りたいか? 教えてやってもいいぞ」

「や、やっぱいいです……」

「そうか」


 急に恐怖心が芽生え、せっかくのチャンスを手放す。相も変わらずリュウは素っ気ない声で返事をした。


「ほかに見て回りたいところはあるか? まだ時間もあるしな。ないなら戻るぞ」

「それじゃあお言葉に甘えて。さらに上へ行ってみたいです」

「わかった。ついてこい」


 ふたりはその場を離れ、バルコニーから塔へ続く階段を上がり始める。

 上へ近づくにつれ、視界の端で蜘蛛の巣がチラつき始めた。きっと掃除が行き届いてないのだと考え、リュウの後ろをついて行く。


「いいか、俺から離れるなよ」


 一度足を止め、メアリーのほうへ振り返った。そして意味深に忠告する。


「は、はい」


 状況が飲み込めないまま、メアリーはとりあえず頷くことにした。


「ここにいるのは悪い奴じゃないんだが……まあ会えばわかるだろ」

「そうですか?」


 塔にいる存在について困ったように説明する。

 リュウ自身も城を支配し始めてそう長くはなかった。そのため、いろいろと困惑する日々を送っている最中でもある。

 塔にいる存在についても、現在進行形で悩んでいる途中だ。


 階段をあがり終え、塔の最上部分に辿りつく。

 メアリーは窓から景色を見ようと考えたが、忠告を思い出して踏みとどまった。


「おやぁこんにちは、だっけな。珍しいお客様だ」


 なまめかしい女の声が聞こえる。

 それだけならまだいいが、その姿はメアリーの視界に映ることはなかった。

 それどころか、その声は遥か頭上から聞こえる。


「ひっ」


 上を見た瞬間、喉の奥がひくつく感覚がした。

 ふたりの頭上にいる存在、それは女で間違いない。が、メアリーの目には一匹の巨大な蜘蛛に見えた。

 長い黒髪を垂らし、人の姿をしている上半身は服を着ていない。


「ここの暮らしには慣れたかな?」


 女は不敵な笑みを浮かべ、リュウに気遣う言葉をかけた。壁一面に張り巡らされた巣を伝い歩き、少しずつ下へ降りていく。


「ようこそ、アラクネの塔へ。ここにはなんの用できたのかな?」

「外を眺めたいだけだ。通してくれ」


 アラクネの問いかけにリュウは用件だけ伝えた。メアリーを相手にする時以上の素っ気なさに見える。


「どうぞ、私の可愛い手下は踏みつぶさないでね」

「手下……?」


 メアリーはアラクネ以外に誰かいるのかと、周辺を見渡した。そこで改めて、今まで認識していなかった小さな存在たちに気づく。


 無数の小さな蜘蛛が床や壁、巣といった至るところに点在していた。


 おぞましい光景に総毛立ち、眩暈すら感じる。リュウがいなければ、今頃はきっと失神していたはずだ。

 リュウに手を引かれ、蜘蛛を踏みつぶさないよう慎重に歩く。アラクネの視線もあり、メアリーは一歩踏み出すだけでも恐怖におののいた。


「ではごゆっくり〜」


 アラクネが糸を引いて、外へ続く扉を開けた。風が吹き抜け、メアリーはたまらず目を閉じる。

 そして恐る恐る目を開くと、先ほど見た光景より一層綺麗な景色が広がっていた。


「わああ」


 あまりの高さに怖くなるも、リュウが近くにいる。その安心感から、メアリーは景色を存分に楽しむことができた。


「楽しいか?」

「はいっ!」


 何気なくふられた質問に、満面の笑みを浮かべて答える。ちらりとリュウへ目線を向けると、相変わらず無表情だった。

 しかしメアリーにはもの憂げな表情に見えたのは、決して気のせいなんかではない。

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