005 アーデルハイト
朝早くに辺境伯領へ、竜車に乗った客人が訪れる。侍従長がいち早く邸内から現れ、客人の相手をした。
辺境伯に仕える侍従たちの朝は早い。今頃は朝食の準備で慌ただしくしているはずだ。
竜車の扉を開け、中から人が出てくる。
「ようこそいらっしゃいました。主人に代わってお伝えします、心よりお待ちしていました」
地に降り立った来客ふたりへ、侍従長が歓迎の言葉を使って迎え入れた。
白を基準にした格好の司教。彼は侍従長の迎え入れに、目元にある皺をさらに深くした。
次に白の生地に身を包んだ修道女。彼女は頭巾を目深に被っていた。
そしてなぜか、杖もついている。
「長旅でさぞお疲れでしょう。こちらへどうぞ、ご案内いたします」
侍従長はにこやかな笑みを浮かべ、来客ふたりを邸内へ案内した。
※
再びコーンウェル親子とボールドウィン夫妻が議題室へ集まる。
起きてすぐのため、みな一様に眠たそうな顔をしていた。ただひとり、アレクサンダーだけを除いて。
夫妻の目の前、アダルバートの近くに司教と修道女が座っていた。昨日説明で聞いた通りなら、専門家はふたりのことを指しているのだろう。
司教と修道女を交互に見ていくたび、夫妻は違和感を覚えた。その違和感は少しずつ、姿を現していく。
「おはよう皆さん、昨晩はよく眠れたかな? 昨日お話しした通り、こちらが専門家のアーデルハイト。と、大司教様だ」
アダルバートの説明により、全員の視線が修道女に集まった。その視線を感じとった修道女が、照れ臭そうに顔を俯ける。
夫妻もアレクサンダーも、てっきり司教のほうが専門家だと思い込んでいた。
「初めましてアーデルハイトと申します。アダルバート伯から今回のご依頼を承りました」
にこやかな笑顔を浮かべて自己紹介をする。
しかし頭巾で顔半分を隠しているため、素性ははっきりしなかった。
隣の司教は疲れから、小さないびきを立てて眠ってしまっている。
「さて本題に入るとしよう。手紙にも書いてあった通り、私の息子アレックスの婚約者であるメアリー嬢が行方不明になった」
「はい、心得ています。ご安心くださいな、メアリー様はご無事です」
アーデルハイトの台詞に夫妻が最もはやく食らいついた。娘は安全だと知った母は、嬉しさのあまり泣き出してしまう。
それとは対照的に、アレクサンダーの顔色は険しくなっていくばかりだった。
「で、娘の居所はどこでしょう?」
「それが……」
父親が急かすように問いかけた途端、アーデルハイトは言葉を濁し始める。
娘が無事なら、手遅れになる前に探し出して連れ戻せばいいだけだ。
「犯人は特定しました」
「はん、にん……?」
アーデルハイトに再び視線が集まる。アダルバートだけでなく、アレクサンダーの視線も釘付けだ。
「どういうことです? 話と違いますよ!」
「娘は茶会を抜け出した後に消えたんですよ? まさか、盗賊に襲われたんですか?」
「それは違います」
激怒する父と悲観し始める母。場の空気はどんどん悪くなっていった。
が、アーデルハイトは盗賊に攫われた可能性をきっぱり否定する。
「メアリー様は盗賊に攫われていません」
「じゃあ誰に攫われたという!?」
「それは、新たな魔王です」
激昂しだした父親の問いかけに怯えながらも冷静に答えた。予想を超えた答えに、夫妻の目は点になる。
「十数年前に勇者が死にました。有翼人の勇者は、それはもう無残な姿で見つかったと聞いています」
「たしか……その勇者が死ぬと同時に、封印されていた魔王が復活したんでしたっけ」
「その通りです」
アーデルハイトの話にアレクサンダーも加わり、話しはさらに飛躍していった。
「しかし魔王も一年ほど前に死にました。魔王を倒したのは新しい勇者じゃなく、新たな魔王として鎮座し始めたのです」
「ではなぜ、メアリーは魔王に……?」
新たな魔王は何のためにメアリーを攫ったのか、謎は深まるばかり。流石にアーデルハイトにも、魔王がメアリーを攫った理由は分からなかった。
「では戦さの用意を……」
「それはお待ちください」
そう呟きながらアレクサンダーが席を立つと、アーデルハイトが大きな声をあげて反論する。
夫妻は怪訝しい表情に変わり、アレクサンダーも「なぜです?」と怒気を孕んだ声で聞き返した。
「魔王は我々の元にも来ました。街中で歌人の歌を聴いたことはございませんか? 新たな魔王と目を盗まれた司教の歌を」
「……聴いたことがあります」
アーデルハイトの問いかけに皆が首をかしげる。
他の者に覚えはなかったが、アレクサンダーだけはおぼろげながら覚えていた。
騎士という職種柄、民間人と触れ合うことも少なくない。歌人が歌っている姿も幾度となく見かけたこともあった。
「司教の目が盗まれた事実はございません。ですがそれ以外は全て本当です、どこかでこの情報が漏洩し歌人の耳に入ったみたいです」
「ではなぜ、戦さの反対をする? 目を盗まれた事実もないのだろう」
煮え切らない態度のアーデルハイトに、耐えきれなくなった父が問いかける。
歌人の歌が嘘だというなら、なおさらアーデルハイトの反対する意味がわからなかった。
「
目深くかぶっていた頭巾を外し、ようやく顔を大っぴらにだす。
「私です」
露わになったアーデルハイトの目は白かった。あるはずの瞳孔がなく、どこを見ているかもわからない。
一応目線を夫妻へ向けているが、光もないため焦点が合うことはなかった。
「新たな魔王は互いが保持する領域を侵さない約束の担保として、私の目を持っていきました。以来魔物たちの侵略もなくなり、平和な日々が続いています」
「……いいや」
アーデルハイトの言葉に父が真っ先に反抗を示す。
席を立ち、近くに佇む騎士に視線を向けた。
「約束を破っているのは向こうだ。今すぐ戦さの用意をしろ! 持ちかけたほうが約束を破っているぞ!」
「いいえ魔王は約束を守っています」
「なんだと!?」
その顔はよもや鬼の形相に変わり果てている。
普段の人の良い顔とはかけ離れ、アダルバートも気圧されるほどだ。
が。視界を遮断されたアーデルハイトにわかる訳もなく、真っ向から説き伏せていく。
「魔王は領域の侵略をしないと決めただけでそれ以外の約束をしていません。実際魔物が人を襲う事件や、魔物討伐も報告されています」
その説明を聞き言葉を失った。父親だけじゃなく、部屋にいる全員が絶句する。
想像よりも難しい案件に全員が首をかしげた。
大聖堂のある街から来たふたりは、もちろんそこに属する聖職者である。
おまけに
となると、下手に出ることはできない。
「今回は保留、ということで。また次に、再びここへ集うとしよう」
気がつけば、アダルバートはそう言っていた。
先の見えない話をここで話していても仕方がない、作戦を練る時間が必要だと判断する。
「メアリー嬢を諦めたわけではない。しかし今の我々にはどうしようもない、救出策を練る時間が必要だ」
「そうですね。それもありかと思います、メアリーはご無事なのでしょう?」
「はい。メアリー様を視る時間に限りはありますが、今のところご無事です」
全員が全員、アダルバートの言葉に賛同した。メアリーの母も、渋々だが頷いている。
精神的に疲れたこと、メアリーは無事というふたつが決定打になり、今回はおひらきになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます