第81話 第4章 絶体絶命(9)「皮肉」
「アハハハハハハ」
奈理子は畳に伏せたまま、笑い出した。
「バカじゃないのお?セックスしか能の無いホスト如きが、偉そうに!まんまと騙された方が悪いんだよ!」
明山は顔をどす黒くして、奈理子に飛びかかろうとした。慶次郎が間に割って入り、明山を止めた。
「それ以上はお止めください。奈理子さんが大怪我をしてしまいます」
「放せ!放せよ!お前は、何者なんだよ!」
暴れる明山を易々と押さえ込みながら、慶次郎は答えた。
「ただの紅茶屋の店主でございますよ」
慶次郎はにっこり笑った。
「警察かと何度もお訊きになられましたね。お待ちかねの警察は呼んでございます。続きは警察でどうぞ」
慶次郎が言うと同時に、バタバタと警察官が駆け込んで来た。
「警察だ!動くな!」
警察が乗り込んで来たときには、木之本はとっくに姿を消していた。
明山や元田たちはすぐに連行されたが、奈理子は頭を打っているためにしばらく松茂家の座敷に寝かされていた。女性警察官がそばに控えている。
豆初乃や慶次郎は事情聴取のために残っていなければならなかった。芸妓のお姉さんたちや雪駒家のお母さん、お父さんを見送った後、豆初乃は、紅乃が廊下の奥に向かって頭をわずかに下げたのを見た。
不思議に思い、紅乃の視線の先をたどると、廊下の奥の階段を和服姿の男性が降りていくのが見えた。
(ああ、機転を利かせて紅乃お姉さんや慶次郎マスターを呼んでくれはったのは、観月若師匠やったんや)
豆初乃は、絶体絶命のタイミングで襖が開いた理由が初めてわかった。もう誰にも助けてもらえないと思っていたのに。
(観月若師匠は、紅乃お姉さんのことで決して好きにはなれへんけど……)
豆初乃は手を合わせて頭を下げた。誰もいなくなった階段に向かって。
豆初乃たちの事情聴取が始まる前に、最後まで残っていた奈理子が連れていかれることになった。
奈理子は、寝かされている間もずっと目を閉じているだけで、もう誰が話しかけても反応しようとしなかった。ただ、「行きますよ」と女性警察官に声をかけられたときに、微かにうなずいただけだった。
傷だらけの奈理子は、ふらふらと立ち上がると、豆初乃や紅乃のことを一瞥もせずに廊下へ踏み出した。
豆初乃は、自分の母親と似た女性がボロ雑巾のようになって、自分から去っていくのを見るのが辛かった。
しかし、奈理子は、座敷を出るときに紅乃を振り返って、口を開いた。
「あんたさあ、分かってるんでしょ?私みたいな人間がさあ、何をやったって、父親の手から夫の手へ渡されるだけの物みたいな人生だって。……まあ、あんたはせいぜい頑張ったら?」
全ての仮面をはぎ取った疲れた顔の女性は、細い体を両脇から女性警察官に支えられながら、松茂家の階段を降りて行った。
慶次郎が、誰にともなく呟く。
「後は警察と、奈理子さんのお父様の処理にお任せいたしましょう。軽蔑しているお父様のお力を頼るのは皮肉なものでしょうが……。天然物よりも人工物の方が美しいというのは、皮肉なのか、ただの事実なのか。どうなのでしょうね?」
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